フランソワ・ラブレー ルネサンス的理想の人間像を求めて 1/3

15世紀半ば、ジャンヌ・ダルクの出現によって百年戦争が終わりを迎えた後、16世紀に至り、フランスはルネサンスの時期を迎える。
フランソワ・ラブレーは、まさにその時期の時代精神を体現した作家である。

彼の代表作『パンタグリュエル物語』と『ガルガンチュア物語』は、巨人の王様親子を中心にした荒唐無稽な物語が表の顔。しかし、内部には人文主義的思想を包み込んでいる。
そのために、私たち読者に、人間のあり方、教育、理想の社会、自由など、様々な問題について考えるきっかけを与えてくれる。

実際、ラブレーはフランス文学史の中でも大作家として認められ、500年近く経った現在でも数多くの読者を獲得している。

日本では、大江健三郎が師匠と仰ぐ渡辺一夫が、16世紀の思想や文学について行った優れた研究を土台にして、『パンタグリュエルとガルガンチュア物語』全五巻の翻訳を出版した(1941-1975)。
ただし、ラブレーの多様で難解な言語をそのまま反映した渡辺の翻訳は、素晴らしい力業であるが、現代の日本人には理解が難しい。
幸い、宮下志朗による新訳がちくま文庫から出版されているので、最初は宮下訳から読む方がラブレーの世界に入りやすい。

フランソワ・ラブレー(François Rebelais)の生年ははっきりしないが、1483年か1494年と推定されている。
生まれたのはロワール河流域のシノン近郊の村。父親は法服貴族出身で、シノン裁判所付きの弁護士だった。
小さな頃から修道院で教育を受け、20歳を過ぎてからは、哲学や神学、ギリシア語も学んだようである。
1530年にモンペリエ大学で医学の勉強を始め、1832年頃にはリヨンの病院で医師として働いた 。
1534年になると、ジャン・デュ・ベレーの侍医としてローマに同行し、イタリアのルネサンス文化を直に体験する機会も持つ。
その後、パリ郊外の修道院に入ったり、ロレーヌ地方に住んだり、1848年には再びローマを訪れたりもする。
1553年に死亡。パリのサン=ポール教会に埋葬されたとされるが、確証はない。

ラブレーの主著である『ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』と総称される物語は五巻から成っているが、3つに分類することができる。
最初のグループは、アルコフリバス・ナジェ(Alcofrybas Nasier)というペンネームで出版された、1832年の『パンタグリュエル物語』と1834年の『ガルガンチュア物語』。
ガルガンチュアとパンタグリュエルは親子関係にあるので、物語の順番に従い、最初に出版されたパンタグリュエルの話が『第二の書』、次に出版されたガルガンチュアの話が『第一の書』と呼ばれている。
第二グループは、ラブレー本人の名前で出版された、1846年の『第三の書』と1552年の『第四の書』。
最後は、ラブレーの死後、1564年に出版された『第五の書』。実際にラブレーが書いたものなのか、他人が書き足したものなのか定かではない。

物語全体は、巨人の王族の年代記をベースにしている。
フランスでは中世からガルガンチュワと呼ばれる巨人を主人公にした伝説が民間の間で知られていた。その話を元に、作者不明の『ガルガンチュワ大年代記』という小冊子が1832年に発行され、大人気を博した。
ラブレーはそのブームに便乗し、民間伝承に登場する小さな悪魔パンタグリュエルをガルガンチュワ王の息子に仕立て、巨人一族の年代記を作り上げた。

1530年代に発行された『第二の書』と『第一の書』は、ガルガンチュアとパンタグリュエルを中心に、父から子に向けた教育論、戦さにおける王としての振る舞い、新大陸の発見などによる新しい知識に関する知見、理想の社会などが語られる。
『第三の書』では、家臣パニュルジュの結婚問題を巡り、パンタグリュエルたちが様々な知者を訪ねて回り、『第四の書』と『第五の書』になると、「徳利明神(Dive Bouteille)」を訪ねる航海の様子が語られ、当時流行していた旅行記のようになる。
この二つのグループは、「パンタグリュエル主義(pantagruelisme)」という点では共通しているが、1530年代と1550年前後には明らかな違いがある。
その違いは、フランスにイタリアのルネサンス文化が流入し理想を追い求めた時代と、世紀後半の宗教戦争の兆しとなる不安が生まれ始めた時代という、2つの時代精神を反映しているのではないかと考えられる。

16世紀前半の時代精神と文化

Dominique Ingres, La Mort de Léonard de Vinci

フランス・ルネサンスの象徴となる出来事がある。
1516年、フランス王フランソワ1世が、レオナルド・ダ・ヴィンチをイタリアからフランスに呼び寄せた。
ダ・ヴィンチはそのままフランスに留まり、1519年、ロワール河流域のアンボワーズ城に隣接するクロ・リュセ館で生涯を終えた。
このことは、イタリア・ルネサンスの文化が16世紀前半にフランスに導入されたことを示している。

中世においてはゴシック様式の教会や聖堂がフランス的な美であったが、ルネサンスの時代の美は、華やかな城によって表現される。
現在でもロワール河流域に残る数多くの城はその名残りであり、1519年に建造が始まったシャンボール城の設計にはレオナルドが関わったという説もある。
1522年、フォンテーヌブローに城の建造が始まり、イタリアの建築家、画家、室内装飾家たちが呼ばれ、フランス・ルネサンス文化の中心地となった。
ロッソ・フィオレンティーノ、フランチェスコ・プリマティッチオ、ニコロ・デッラバーテの影響の下で、フォンテーヌブロー派の絵画が生み出されたのだった。
https://bohemegalante.com/2020/07/31/ecole-de-fontainebleau-1/

建築や美術だけではなく、思想の面でも中世からルネサンスへの移行が行われる。
イタリアのペトラルカから始まった「人文主義」がヨーロッパ各地に広がり、ギリシア・ローマの古典だけではなく、聖書でもヘブライ語やギリシア語の原典を検討することが行われるようになった。聖職者による解釈を鵜呑みにするのではなく、自分たちの目で確認しようとする知的運動が盛んになったのである。

その動きはローマ教皇を頂点とする教会組織と対立することになり、マルティン・ルターの宗教改革と連動することもあった。

人文主義を代表する思想家の一人エラスムスの『痴愚神礼讃』は、「狂気(Moria)」という名の女神が、王侯貴族、聖職者、神学者、哲学者たちを風刺し、人間社会の愚考を批判する書物であり、フランスでも数多くの読者を獲得した。
ラブレーも熱烈な読者であり、1832年にエラスムス本人に送った手紙の中で、「私はつまらない人間ですが、私の中で価値のあるものは、あなたお一人から受け取ったものです。」と書いているほどである。

人文主義の高まりは学問的な意識の向上につながると同時に、フランスという国家に対する意識の向上にもつながった。
フランソワ1世は1530年、「王立教授団(Collège Royal)」を設立し、ギリシア語やヘブライ語、数学を研究する学者を任命した。
この学院のモットー「全てを教授する(Docet omnia)」は、キリスト教の学説を独占していたパリ大学(ソルボンヌ)の閉鎖性に対抗するものであることをはっきりと示している。

学問的な自由に基づき、フランスという国に対する信頼と自信に繋がったことは、この時代にフランス語が公式の言語として認定されたことからも見て取ることができる。
9世紀に古フランス語が確認されて以来、古い形のフランス語が地方語として書き言葉でも使われ、多くの文学作品も存在した。しかし、公式の文書はラテン語で書かれ、フランス語は一段劣った「地方語(langue vernaculaire)」と見なされてきていた。
そうした状況の中で、1539年、フランソワ1世が、「ヴィレル=コトレの勅令(Ordonnance de Villers-Cotterêts)」を出し、行政文書もフランス語で書くことを定め、フランス語を公用語とした。
その条文には、フランス語が「母語(langage maternel)」であるという表現も見られる。

ラブレーが1532年と1534年に出版した2冊の本は、ダ・ヴィンチのようにあらゆる分野に関心を払い、自由な精神で理想を追求するルネサンス文化がフランスに導入され、文化的な高揚を迎えた時期を背景としている。

Gustave Doré, Gargantua

そのことは、民間伝承に登場する小さな悪魔パンタグリュエルを巨人に仕立て上げ、物語の中心に置いたことからも見てとることができる。
「パンタ(Panta)」はギリシア語で「全て」を意味する。「グリュエル(gruel)」はアラビア語で「喉の渇き」を意。従って、パンタグリュエルという名前は、「全ての知識を飲み尽くしたい」という欲求を暗示していることになる。

ガルガンチュアが生まれる時には、普通の赤ん坊のように「おぎゃー、おぎゃー」と泣くのではなく、「飲もう! 飲もう! 飲もう!(À boire ! à boire ! à boire !)」と全ての人々を飲むように誘いながら、母のお腹から出てくる。
飲むものは、物語の中では酒のように描かれているが、ラブレーが意図しているのはあらゆる分野の知識に他ならない。
その意味で、大食漢の巨人王は、レオナルド・ダ・ビンチのような万能の天才の寓意といっていいかもしれない。

パンタグリュエルとガルガンチュアの物語は、中世の巨人伝説の仮面を被っているために、猥雑で荒唐無稽な物語の姿をして見える。しかし、その内部には16世紀フランスのルネサンス精神が満ちあふれていることを、実際に作品を読む前に確認しておこう。