フランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy)は、1960年代から活動を始め、今でも一定の人気がある歌手。
歌詞を大切にして、独特の甘い歌声で歌う彼女の歌は、今でも魅力的に聞こえる。
2021年3月16に放送されたQuotidienでは、彼女のキャリアが簡単に紹介されているので、フランソワーズ・アルディがどんな歌手なのか、大まかに知ることができる。
Month: 3月 2021
アルチュール・ランボーの死後130年 Arthur Rimbaud, 130 ans de mystères
アルチュール・ランボーはフランスの詩人の中で、最もよく知られ、読まれている詩人だろう。2021年は彼の死後130年。
ジャン・ルオー著『惑星ランボー(La Constellation Rimbaud)』(グラッセ書店)を紹介する番組のコーナーで、ランボーの母親を知る人の姿やランボーの旅行カバンなどを見ることができる。
Arthur Rimbaud, 130 ans de mystères
À l’occasion du 130ème anniversaire de la mort d’Arthur Rimbaud, les éditions Grasset viennent de publier « La Constellation Rimbaud ». Signé Jean Rouaud, ce livre cherche – comme beaucoup avant lui – à percer le mystère autour du poète. Car, si Rimbaud est un auteur reconnu et admiré, il recèle encore de très nombreux secrets. Il est même l’un des auteurs sur lequel on sait finalement le moins de choses. Ce qui participe à la fascination autour de son nom.
アイデンティティの捉え方がもたらす社会問題
精神分析学者エリサベート・ルディスコが、 2021年3月10日のQuotidienに招かれ、 アイデンティティについて話している内容は、フランスの社会問題を考える上で大変に興味深い。
1)精神分析は役に立つのか。立つとしたら何の役に立つのか。
2)現代のアイデンティティの捉え方がもたらす社会の問題
Elisabeth Roudinesco interroge les dérives identitaires
Elisabeth Roudinesco est historienne et psychanalyste. Autrice de grands livres de référence sur Jacques Lacan et Sigmund Freud, figure de la gauche française, engagée dans la lutte contre le colonialisme, l’antisémitisme et l’homophobie, elle publie cette année « Soi-même comme un roi ». Un essai sur les dérives identitaires de nos sociétés.
ピエール・コルネイユ 感情に従う? 義務を果たす? 忠臣蔵 vs コルネイユ的英雄像

ピエール・コルネイユ(1606-1684)は17世紀を代表する劇作家であり、フランスでは現在でも彼の劇がしばしば上演されているし、紙幣の挿絵として彼の肖像画が使われたこともある。
それにもかかわらず、日本では翻訳があまりなく、代表作の『ル・シッド』でさえ容易に入手できない状態。
その理由はいくつかあるだろうが、一つには、コルネイユの芝居の表現する精神が、日本的な感受性にとっては受け入れがたかったり、反感を招くことがあるからだと考えられる。
たとえば、日本では「忠臣蔵」が大変に好まれる。12月14日は討ち入りの日として今でも人々の口に上ることがある。コルネイユの芝居の主人公たちは、こう言ってよければ反忠臣蔵的精神の持ち主。社会通念が課す義務を果たし、その社会において「あるべき」振る舞いをするヒーローとなる。そして、その姿は、17世紀フランスの社会が向かう方向性と軌を一にしている。
コルネイユの劇作家としてのキャリアは長く、30以上の演劇作品を書いているし、ヴァラエティーに富んでいる。初期の喜劇には16世紀後半から続くバロック的な要素が色濃く見られ、1640年前後になると古典主義的な悲劇の先駆けとなる作品が見られる。キャリアの後半になると、オペラの前身となるような作品や、大がかりな仕掛けを使った悲劇なども手がけた。
そうした中でも、私たちが現在あえて彼の作品に接するとしたら、1637年に初演された『ル・シッド』から始めるのが王道だろう。
17世紀文学における演劇 日本の事情とフランスの状況

フランスの17世紀文学を代表するのは、3人の劇作家、コルネイユ、モリエール、ラシーヌ。
3人の芝居は、17世紀から今日まで、フランスではずっと上演され続けている。
ところが、日本では、モリエールの作品はかなり多く翻訳されているが、ラシーヌは少数、コルネイユに作品に至っては一般の読者が気軽に手に取ることができない状態にある。
その理由はどこにあるのか考え、日本ではなぜ演劇作品が読み物として受け入れられにくいのか、17世紀フランスにおいて演劇がなぜ文芸の中心だったのか、といった事情を探ってみよう。
続きを読むナポレオンの秘められた娘 Une fille cachée de Napoléon
Jazz Giants ’56 本当にリラックスできるジャズ

ジャズ・ジャイアンツ ’56というアルバムに収められた曲を聞いていると、本当にリラックスできる。演奏がとても寛いでいて、温かみがあるからだろう。
I guess I’ll have to change my plan.
江戸時代中期(18世紀後半)における日本の絵画 写実性の移入

18世紀前半、幕府の政策の修正があり、キリスト教を除く外国の文物が解禁されるようになる。
1720年、徳川吉宗は、主に科学技術の導入を目的として、オランダからの本の輸入を解禁した。その政策が蘭学の基礎となり、科学的、実証主義的な思考が日本に芽生え始める。
1731年になると、沈南蘋(しん なんびん)が来日。長崎に2年間留まり、写実的な花鳥画を日本に伝え、18世紀後半に活動する画家たちに大きな影響を与えた。
この時代になり、初めて、日本の絵画の伝統に、写実という概念が導入されたと考えてもいい。
それ以前の絵画は、現実の事物を目に見えるままの姿で再現するという意識はなく、「装飾的に描く」か、あるいは、「造化の真を捉える」という意識が強かった。
現在では当たり前になっている「写生」が意識的に行われるのは、日本では18世紀後半においてである。その時代になって、伝統的な「装飾的表現」に「写実的表現」が加わったのだといえる。
この新しい時代精神は、京都を中心に活躍した画家たちだけではなく、江戸の浮世絵師たちにも共通している。そのことは、現実の事物をリアルに再現するという意識が日本に移入されたことをはっきりと示している。
京画壇の円山応挙が描いた「写生雑録帖」と江戸の喜多川歌麿の「画本虫撰(がほん むしえらみ)」に描かれた鳥、昆虫、植物等は図鑑の絵のようであり、見えるものを忠実に再現するという写実精神を確認することができる。
加古隆 ピアノで描く心象風景

加古隆は、東京芸術大学、パリ国立高等音楽で学んだ経歴を持つ作曲家であり、ピアニスト。
古典的なクラシック音楽、現代音楽、モダン・ジャズ、フリー・ジャズなど幅広いジャンルを手がけた後、シンプルなメロディーに基づく美の世界を開拓している。
彼の曲は、視覚を通して映像の世界につながり、そこから反転して、映像が聴覚を豊かにするという、共感覚的な美しさがある。
シンプルなメロディーを展開する楽曲のきっかけとなったのは、イングランドの民謡「グリーンスリーブス」をモチーフにした「ポエジー」。
江戸時代前半の絵画 上方文化と江戸文化
江戸時代の絵画を考えるとき、狩野派など幕府や大名お抱えの流派、尾形光琳を代表とする琳派、浮世絵などを別々に論じることが多い。また、京都、大阪を中心とした上方文化と江戸の文化を切り離して考える傾向もある。
士農工商という身分制度が確立したために、各身分間の交渉が断絶し、文化的にも交流がほとんどなかったと言われることもある。
しかし、江戸幕府が成立して以来、経済活動が活発化すると、高級商人階級が台頭し、大名や旗本とともに、経済力を持った町人たちが文化を支えるようになっていた。
地理的に言えば、天皇家の所在は京都であり続け、文化的には上方が支配的な状態にあったが、それでも徐々に将軍家の居住地である江戸も大きな位置を占めるようになる。江戸の町人を中心に発展した浮世絵は、まさにそうした現象の象徴といえる。

この時代の社会階級と地理的な移動を体現している芸術家がいる。俳諧を芸術にまで高めた松尾芭蕉(1644-1694)である。
彼は伊賀の下級藩士の家に生まれ、若い頃は俳諧好きの侍大将に仕えていた。その後29歳で江戸に居を移し、俳諧の宗匠として身を立てるようになる。裕福な町人たちを弟子に取り、経済的にやっていけるようになったのだった。その後、深川に引きこもり、さらには主に関西との間を往復する旅を重ねた。
こうした芭蕉の動きは、武士と町人の間、上方と江戸の間を繋ぐものだといえる。

