ラ・フォンテーヌの寓話とペローの昔話

17世紀後半はルイ14世が君臨した時代。当時の文学作品を読んでみたいという人がいたら、真っ先に推薦できる作家がいる。
一人は、ラ・フォンテーヌ。彼は、イソップ寓話を新しい読み物として語り直した。
もう一人は、ペロー。彼は、フランスの民話を取り上げ、王族や貴族の子女に向けて昔話を再話した。

「セミとアリ」「カラスとキツネ」といったイソップ寓話も、「赤ずきんちゃん」「シンデレラ」といった昔話も、私たちはよく知っているし、17世紀の読者にとっても同じことだった。従って、物語られる出来事に目新しいものはないはずである。

では、どこに興味を持って、ラ・フォンテーヌやペローを読めばいいのだろう? 彼らの書いたものを読むことで、何が理解できるのだろうか?

ジャン・ド・ラ・フォンテーヌは1621年に生まれ、1695年に死んだ。
父親はシャンパーニュ地方の役人で、ジャンも法律家や役人の職を得た。しかし、物書きとして生きていく選択をし、枢機卿フーケ、ラ・サブリエール夫人といった貴族たちの庇護を受け、世俗的な生活を送った。

物書きとしての活動は、1665年から1696年に及び、あけすけな物語を書いたり、ヴォー・ル・ヴィコント城やヴェルサイユ宮殿にまつわる詩を書いたりもした。
そうした中でも、1668年に第1巻を出版し、その後も版を重ねた『寓話』は、文体の上でも、内容の上でも、第一級の文学作品としての評価を受けている。

シャルル・ペローは1628年に生まれ、1703年に死んだ。
パリのブルジョワ階級の家庭に生まれたペローは、法律を学び、弁護士の資格を取得する。しかし職には就かず、文筆活動を中心とする生活を送った。

1687年に王の前で朗読した『ルイ大王の世紀』という詩で、ペローは、古代の偉大な時代よりもルイ14世の時代の方が優れていると宣言し、自分たちの時代を讃えた。
この詩をきっかけとして、理想を古代ギリシア・ローマに見る古代派と、自分たちの時代を優れているとする近代派の論争が勃発し、「新旧論争」に発展する。

古代ギリシアのイソップ寓話を取り上げたラ・フォンテーヌは、古代派を擁護した。ルイ14世の時代を賛美するペローは近代派を先導する存在だった。

ラ・フォンテーヌの寓話は、1668年の第1巻の後、第2巻が1867年と1869年に出版され、1693年には第3巻が公になった。
他方、ペローが民話を語り直すのは、1690年に入ってからであり、1695年になると、古代の物語よりフランスの伝統的な物語の方が優れているという主張を展開する序文を付した上で、「ロバの皮」や「愚かな願いごと」などを韻文で語り直し出版した。
次いで1697年になると、「赤ずきんちゃん」「眠れる森の美女」など八つの物語を散文の昔話にして活字化する。

こうした流れを辿ってみると、ペローは明らかに古代派のラ・フォンテーヌの寓話を意識し、それに対抗するために、近代派としてフランスに伝わる昔話を執筆したのだということが明らかになる。

楽しませながら教育する

17世紀フランスの古典主義文芸の根本的な考え方は、「楽しませる」と同時に「教育する」ことだった。
ラ・フォンテーヌやペローが、すでに誰にでも知られている話を語り直す場合にも、その原則に基づいていた。

ラ・フォンテーヌは、『寓話』をルイ14世と王妃マリー・テレーズの長男で、当時6歳だった王太子に捧げ、その献辞の中で次のように述べている。

 文芸共和国に何か巧みなものがあるとしたら、それは、イソップが道徳を説いた語り方だといえます。そこに私の手以外の手が詩の飾りを付け加えてくれていれば、それ以上に望ましいことはないでしょう。というのも、古代人たちの中の最高の賢者(ソクラテス)でさえ、道徳に詩の飾りを付けることが無駄ではないと判断したのです。閣下、私はあなた様に、私の試みのいくつかをお目に掛けさせていただきます。あなた様の幼いお年に相応しいお話です。(中略)寓話の見かけが子どもっぽいことは、私も認めます。しかし、その子供っぽさが、重要な真実を包む役割を果たしております。

ここでラ・フォンテーヌは、外見と中身を区別し、イソップ寓話の外見は幼稚に見えるかもしれないが、内部には重要な真実である道徳が含まれているとしている。

その保証として、ソクラテスに言及しているのは興味深い。
16世紀、ソクラテスの醜い外見と最高の叡智の融合を説いた作家がいた。フランソワ・ラブレーである。
『ガルガンチュア物語』の「前書き」には、古代ギリシアの哲学者ソクラテスの外観は非常に醜いが、中には世界で最高の叡智が詰まっているのだから、外観にとらわれずに中身をしっかりと吟味することが大切である、と記されていた。
ラブレーの荒唐無稽なガルガンチュアとパンタグリュエルの物語は、卑猥で下品な笑いに満ちていた。ラブレーは、そうした笑いを通して真実を伝えるのだと主張した。

他方、ラ・フォンテーヌの時代、ラブレーのような卑俗な笑いは避けなければならなかった。17世紀後半に必要とされるのは「気に入られること」であり、そのためには「心地よい」ものである必要があった。
だからこそ、ラ・フォンテーヌは、寓話の外見に詩の飾りを施した。つまり、寓話を韻文で語ったのである。
実際、ラ・フォンテーヌの韻文は、音節数や韻など様々な技巧が用いられ、ラシーヌやモリエールに劣らない詩句という評価を受けている。

ラ・フォンテーヌとは違い、ペローはより素朴な飾りで中身を包む。
1695年に出版された『韻文の物語集』の序文で、ペローは古代の物語をやり玉に挙げ、それらは人を楽しませる目的だけで作られ、道徳をなおざりにしていたと非難する。そして、昔話に話題を進める。

私たちの祖先が子どものために作った物語は、そうではありません。祖先たちは、ギリシア人やローマ人たちが寓話を飾ったような優雅さや気持ちのいい飾りを使っては、物語を語りませんでした。しかし、本当に注意深く、物語の中に教育的で賞賛すべき教訓が含まれるようにしました。

ペローも物語の外見と中身という区分に則っている点では、ラ・フォンテーヌの例に倣っている。しかし、中身も外観も、先行する作家のものとは異なるものにする。

外見に関しては、古代の物語はエレガントで気持ちのいい装飾で飾られているが、フランスの昔話は、そうしたものを持たないという。この対比は、ラ・フォンテーヌの詩句に対する嫌みだろう。
一方、ペローは民衆的な素朴さを物語の装いとする。一見すると、それは価値のないものにしか見えない。しかし、その素朴さは、意図的になされた技巧の賜物に他ならない。

このように見てくると、ラ・フォンテーヌの寓話とペローの昔話で、アレンジの意図が全く違うことになる。
ラ・フォンテーヌの主眼は、詩的な装い。ただし、彼の中で、詩的なことと幼さは矛盾しない。
ペローの主眼は、素朴さの装い。

面白いことに、アレンジの仕方は違っているが、概念に装いを与える意図に関しては、二人の作家は共通している。
外見を心地よいものにして、中身の教えを飲み込みやすくするため、というのがその理由。
寓話も昔話も「種子」であり、飲み込まれた種は子どもが成長するに従って開花することが期待されている。

ラ・フォンテーヌは次のように言う。

イソップは、有益なものと心地よいものを結び付ける特別な技術を持っていました。彼の作品を読むと、知らず知らずのうちに、読者の魂の中に美徳の種子がまかれることになります。(後略)

ペローも同じことを言う。

父親や母親にとって賞賛すべきことがあります。気持ちのいい飾り付けのない硬い真実を子どもたちが味わい、好きになるようにすることです。もしこう言えるのであれば、真実を、子どもたちの幼い年齢に相応しく心地いい物語に包み込んで、飲み込ませることです。(中略) こうしてまかれた種子は、最初のうちは、嬉しいとか哀しいといった感情しか生み出しません。しかし、後には必ず良い性質を開花させることになります。

では、まかれた種はどのような花を開くのだろう。

寓話と昔話の教訓

ペローの昔話の中身は、役に立つ教訓。散文の物語では、最後に「教訓」が付けられている。しかも、その教訓は韻文。
散文と韻文の区別をすることで、物語ではなく教訓の方に価値があると示している。

教訓の伝える内容を一言で言えば、「美徳は報われ、悪徳は罰せられる」につきる。
勧善懲悪という点は、非常にはっきりしていて、単純明快である。そして、その単純明快さを失わないために、物語の装飾も同じ原則に則っている。

物語を気持ちよいものにするために、多少は露骨な事柄を混ぜ込むこともできたでしょう。これまではそのようにされたものでした。しかし、気に入られたいという望みがあったとしても、私は自分に課した規則を破ろうとはしませんでした。その規則とは、羞恥心や礼儀正しさを傷つけることは何も書かないということです。

ペローのこの姿勢は、外見と中身を区別しながらも、そのどちらにも同じ規則を当てはめ、ズレがないことを心掛けたことを示している。
彼は、外見が中身を裏切らないことを重視し、美徳の花は、種子の姿もそれに相応しいものでないとならないと考え、物語にそのようなアレンジを施した。

例えば、「赤ずきんちゃん」の民話版では、残酷な場面と性的な場面が存在していた。
おばあさんの家で、狼がおばあさんに化けて、ベッドに寝ている。
狼は少女に机の上のワインを飲むように促す。それを飲むと、「それはおばあさんの血液だ。」という声がする。
ステーキがあり、少女が食べると、「おばあさんの肉だ。」という物語さえある。
ベッドに入る前に、狼は少女に服を脱いで裸になるように言う。そして、少女は服を1枚づつ脱いでいく。
昔の民話では、こうした暴力とエロスの場面に満ちていて、聞き手である大人たちの耳を引きつけた。

歴史的に見ると、民話が童話やおとぎ話として語り直される過程で、エロスや暴力の場面は削り落とされていったと考えられている。
ペローの昔話はまさにその過程にあり、暴力的な場面もエロチックな場面もほとんど描かれてはいない。

狼は、赤ずきんちゃんが家の中に入るのを見て、ベットの中に隠れ、掛け布団の下から、こう言った。
「ガレットとバターの小さな壺を長持ちの上に置いて、こっちにおいで。私と一緒に寝るんですよ。」
赤ずきんちゃんは服を脱ぎ、ベットに入る。とても驚いた。おばあさんがどんな体のつくりをしているのか見えたのだ。薄い部屋着を着ていたから。

ペローやグリムの童話に残酷な場面があり、本当は怖い物語だと言われることがある。しかし、そうした考察は時代錯誤であり、19世紀前半のグリムであれば、『子どもと家庭のメルヘン集』という題名が示すように、普通の市民の家庭の子どもに読ませることができる物語だと見なされていた。

その時代と21世紀の現在では残酷さの基準が違う。そのことは、フランス革命時のギロチンの処刑の状況を知ると、すぐに理解できる。血まみれの処刑は民衆たちの見世物であり、子どもたちも喜んで観客の中に混ざっていた。

そんな時代、シンデレラの結婚式に向かう二人の姉を鳥が襲い、目を突きだしてしまうといったことは、取り立てて大騒ぎすることでもなかったはずである。
19世紀でも、時代が下るに従い、同じことが残酷に感じられるような感受性ができあがった。そうなると、子ども用の物語から残酷な場面が排除される。
アンデルセンの童話、20世紀のディズニーでは、エロスも残忍さも完全に消え去り、現在私たちが受け入れている基準に従った物語が成立している。

ペローの「赤ずきんちゃん」において、服を脱ぎ、ベッドに入る部分は、いくつかの仕方で解釈できる。
古い民話のエロチックな要素の名残り。
ベッドに入る時には服を脱ぐという礼儀作法。
狼が赤ずきんを食べる時、服を着ていると邪魔になるという、現実的な理由。

物語は少女が狼に食べられたところで終わり、狩人による救出劇はない。その理由は明白であり、少女が母親の言いつけを守らず、森で道草をしたからである。悪い子は罰せられる。それが教訓となる。

ルイ14世紀の宮廷やパリのサロンで読まれることを想定した昔話の教訓は、貴族の子女に向けられている。
とすれば、狼は若い娘を狙う男たちということになる。

        教訓

ここでわかること。小さな子供、
とりわけ若い娘、
美しく、姿形がよく、親切な娘が、
どんな人にも耳を傾けるのは、とても悪いこと。
不思議なことではありません、
たくさんの娘たちを、あの狼が食べるとしても。
私の話しているのはあの狼のこと。なぜなら、全ての狼が
同じ種類ではないからです。
気持ちのいい気質を持った狼もいます。
うるさくなく、気難しくもなく、怒ることもなく、
親しげで、愛想がよく、穏やかで、
若いお嬢様についてきます、
家の中まで、ベッドのある部屋まで。
でも、がっかり! 知らない人はいません、こうした大人しい狼たちが、
全ての狼の中で、一番危険だということを。

繰り返しになるが、ペローの昔話の教訓は、「美徳は報われ、悪徳は罰せられる。」
赤ずきんは母の言いつけに従わない悪い子。従って、男に誘惑され、最後は食べられて終わる。
物語を読めばそのまま教訓が理解できる語り方をされており、外見と中身が一致している。そこにズレがないことが、ペローの望みだったと考えることができる。

他方、ラ・フォンテーヌの教訓は、ペローほど単純化されてはいない。
彼は、「イソップの作品を読むと、知らず知らずのうちに、読者の魂の中に美徳の種子がまかれることになります。」とした後、その美徳の内容が「自分を知ること」だと言う。

「自分を知ること」はソクラテスの哲学の根本原理でもあり、ペローの教訓「美徳は報われ、悪徳は罰せられる」に比べ、ずっと抽象的で、奥が深い。

教訓をもう少し具体的に説明する場合には、次のように言われる。

点や線や面の定義により、そして、その他のとてもなじみ深い原理によって、私たちは天と地を測定する知識に到達する。それと同じように、寓話から引き出すことができる推論や帰結によって、人は判断力と道徳観念を形成し、立派なことをすることができるようになる。

ラ・フォンテーヌは、イソップの生涯を紹介する文章の中で、イソップ寓話は「真の知恵」を教えると書いているが、その「知恵」とは、「判断力」を養い、その場その場に相応しい振る舞いをすることができるようになることを指す。

寓話の中には、「狼と子羊」のように、子羊がどんなに正しくても狼に食べられてしまい、「最も強い者の言い分がつねに最も正しい」という教訓がはっきりと述べられているものもある。

「牛と同じくらい大きくなりたいと思ったカエル」や「樫と葦」では、無理をせず、自然のままにしていることが自分を守る最良の振る舞いだと説かれ、教えははっきりしている。

その一方で、安楽な生活だが自由のない犬と、食べるものにも事欠くが自由に生きる狼を対比した「狼と犬」では、どちらの生き方を選択するかの選択は、それほど容易ではなく、読者によって答えは違うだろう。

「カラスとキツネ」では、木の上のカラスはキツネのおべっかにつられて、チーズを取られてしまう。18世紀の思想家ジャン・ジャック・ルソーは、この寓話を例に取り、騙す人間が得をする内容は教育上好ましくないと批判した。「寓話にこめられた道徳的教訓にはいろいろなものが混ざっていて,年齢にはそぐわないものなので,子供たちを美徳にではなく悪徳に導いてしまうことだろう。」
実際、「カラスとキツネ」を読んだ子どもたちは、チーズを取られるカラスではなく、キツネの側に自分を置くかもしれない。その場合には、反道徳的な寓話とみなされかねない。

『寓話』の最初に置かれた「セミとアリ」は、ラ・フォンテーヌの寓話観を端的に示す例だといえる。

セミは、歌っていた。
夏の間、ずっと。
そして、蓄えが底をついた。
北風が吹いてきたというのに。
ハエやみみずの
小さなひとかけらさえ、なかった。
そこで、食べものが何もないと訴えに、
隣のアリの家に行き、
貸してくれるように頼んだ。
ちょっとの穀物があれば、
新しい季節が来るまで、生き延びられる、と。
「必ずお支払いします、
穫り入れ前までに。生き物同士の誓いです。
利子も元金もお返しします。」
アリは貸したがらない。
この性格は、アリの中では一番小さな欠点。
「暑いとき、何していたの?」
アリは、借りに来た虫セミに言う。
「夜も昼も、誰が来ても
歌ってました。お気にさわったら、ごめんなさい。」
「歌ってた! そりゃうれしいこと。
じゃ、今度は踊りなさい。」

セミは夏の間ずっと歌い、遊んでいたために、冬になると食べるものがなくなってしまう。そこで、この寓話は、一般的には、夏の間も働かないといけないという、勤勉の勧めが教訓であるとされる。

しかし、ラ・フォンテーヌの語り方からは、別のニュアンスを読み取ることもできる。
セミは歌やダンスでみんなを楽しませる芸術家。
アリは金貸しで、セミに食べ物を分けようともせず、金利さえ要求する。そして、冷たく「踊りなさい」と言い放つ。
読者は、どちらの側に立つのだろう?

ラ・フォンテーヌは、寓話に関して、「物語は肉体で、教訓は魂」だと言う。
それにもかかわらず、この寓話に明確な教訓は付けられていない。
とすれば、読者自身が、寓話から「教訓」を見つけ出さなければならない。物語について様々な角度から推論をし、帰結を引き出す。そうすることで、判断力を養うことができる。それが「自分自身を知る」ことにつながる。

そのように考えると、教訓がはっきりとしているように見える寓話に関しても、読者が自分なりに教訓を考え、判断することを勧めている寓話なのだと考えることが可能になる。
判断力を養い、自分を知ることこそが、ラ・フォンテーヌの寓話の「魂」なのだ。

結局、ルイ14世の宮廷やパリのサロンにおける外見の文化の中で、偽りの外見に騙されず、中身を正しく見通すことが、ラ・フォンテーヌ的な「知恵」なのではないか。寓話は「知恵」を身につけるための例題。

ペローの立場から見ると、そうした寓話は読者を惑わせる可能性があり、肉体は魂を知るための妨げになる。そこで、ペローは、中身を単純明快な勧善懲悪とし、外見と中身が一致した昔話とする。
そうすることで、昔話を寓話よりも上位に置くことができると考えたのではないだろうか。

文学的な価値としては、ラ・フォンテーヌの寓話がペローの昔話よりもはるかに高く評価されている。しかし、17世紀後半にあって、時代精神をより忠実に反映していたのはペローだろう。

合理主義精神

装飾(=肉体)の違い、教訓(=魂)の違いにもかかわらず、ラ・フォンテーヌの寓話とペローの昔話はほぼ同様の時代精神に則っていた。
その時代精神とは、「理性」が思考の基準となる合理主義であり、その基準から見ての「自然なこと」が広く受け入れられた。

寓話は動物や昆虫が人間の言葉を話す非現実的な世界。
しかし、宮廷やサロンに集う人々の人間の生態を、動物を使った寓意として表したものとして見なせば、17世紀後半の社会の縮図のようにも見えてくる。
そのように考えると、『寓話』に収められた数多くの小さな断片は、冷静に社会を観察する作者の視線を感じさせるものになっていることがわかってくる。

ラ・フォンテーヌが現実性を最もはっきりと示している寓話の一つは、「男と彼の鏡に映る姿」。
物語の前に献辞が置かれ、ラ・ロシュフコーに捧げられている。
ラ・ロシュフコーの『箴言集』の冒頭には、「我々の美徳は、ほとんどの場合、偽装された悪徳にすぎない。」という言葉が掲げられ、その後、悪徳の本質は自己愛として様々な側面がやり玉に挙げられる。

ラ・フォンテーヌは、「男と彼の鏡に映る姿」の中にナルシスを登場させ、清らかな水の流れに映る自分の姿の前から離れられなくなってしまう自己愛を描き出す。
そして、自己愛という病に私たち誰もが好んでかかると言った後、次のように続ける。

私たちの魂、それは自分自身に恋をするこの「男」。
沢山の鏡、それは他人の愚かな行い、
鏡は、私たちの欠点を正しく描くもの、
      水の流れ、それは、
  誰もが知るように、『箴言集』という書物。

この寓話には、神話の登場人物ナルシスが出てくるが、超自然な雰囲気は全くなく、知的でシニカルな人間観察になっている。

こうした合理的な思考は、寓話の至る所に見られる。
「セミとアリ」で、セミは穀物を貸りようとするとき、「利子、元金」に言及する。この言葉によって、アリは現実の高利貸しのようになる。
「カラスとキツネ」では、チーズを口ばしから落としてしまったカラスに対して、キツネがこの上ないほど現実的な言葉を投げかける。

キツネは獲物を拾い、こう言う。「だんな、
覚えておきな。おべっか使いというのは、
耳を傾ける奴のおかげで、生きていられるんだ。」

Galerie des Glaces, Versailles

寓話とは違い昔話では、百年の眠りから覚める王女や、カボチャを馬車に変える妖精がいるなど、超自然なことがごく当たり前に起こる。そこは合理的精神とは正反対の世界のはずである。

しかし、ペローの昔話では、合理主義的な精神が至るところに顔を出している。
もっとも面白い例は、シンデレラが王子の城に行く場面。
妖精はシンデレラを部屋に連れて行き、こう言う。

「さあ、庭に行って、カボチャを一つ持ってきなさい。」
シンデレラはすぐに走っていき、一番きれいなカボチャを取り、名付け親の妖精のところに持ってきた。でも、どんな風にして、このカボチャのおかげで舞踏会に行けるのかわからなかった。名付け親の妖精はカボチャをくり抜き、皮だけ残し、魔法の杖で叩いた。するとカボチャはあっという間に金色に輝く美しい馬車に変わった。

カボチャが魔法の一振りで馬車に変わる。それは妖精物語では当たり前の出来事。
しかし、ペローの妖精は、魔法の一振りの前に、もう一手間掛ける。つまり、カボチャの実をくり抜く。そのようにして、カボチャが馬車に変形する魔法に、合理性を与えているのである。

その後も、馬車の六頭立ての馬車のためには六匹のハツカネズミを捕まえ、立派な口ひげを生やした太った御者のためには、3匹の太った鼠の中から立派な口ひげのある鼠を選ぶ。

さらに、真夜中の12時を過ぎると全てが元の姿に戻るのに、なぜガラスの靴だけがそのまま残されるのか推測できる語り方がされている。
シンデレラは、自分の着ている惨めな服では舞踏会に行けないと妖精に訴える。

名付け親の妖精は杖で彼女に触れるだけだった。すると彼女の服は、金糸銀糸で縫い取られ、宝石できれいに飾られた服に変わった。次に、妖精はシンデレラにガラスの靴を与えた。この世で最も美しい靴だった。

魔法の力で全てが変わる。しかし、ガラスの靴だけは、何かが変形してできたものではない。変形の結果でないものは変形しない。だからこそ、ガラスの靴だけは、12時を過ぎてもそのままの形で残る。

ペローの昔話の合理性がこれほど明確に理解できる例はないというほど、ガラスの靴のエピソードは17世紀後半の時代精神を反映している。

風俗という点で言えば、この時代、ガラスは貴重品であり、ルイ14世はベニスからガラス職人を内密に呼び寄せ、ヴェルサイユ宮殿に「鏡の間」を造設した。
また、ペローの物語では、舞踏会の最後に11時45分の時を打つ音が聞こえる。15分刻みで時を知らせるような精密な時計が出来たのも同じ時代であり、こうした細かな記述にも、時代の風俗が反映している。

17世紀後半から18世紀へと時代が移行する中で、新しい思考が生まれつつあったことを示しているのが「巻き毛のリケ」。
この物語は日本ではあまり知られていないが、ペローの昔話の中でも独特であり、ある意味では現代的である。

リケは姿の醜い王子。生まれた時には、本当に人間の形をしているのかと思われるほど不格好で醜い。
その一方で、誕生に立ち会った妖精のおかげで、多くの才知(エスプリ)を持ち、その上、彼が最も愛する人に彼の才知と同じだけの才知を与えることができる能力を授かった。
ちなみに、才知は、会話の術と機転の利いた立ち居振る舞いとして表現される。

リケが愛するのは、彼と正反対の王女。外見は美しいが、それと同じほど愚かで、聞かれたことには全く答えられず、不器用で、水を飲む時もコップの水を半分こぼしてしまうほど。その王女に妖精は、心に叶った人を美しくする力を授ける。

リケが王女と森の中で出会った時、王女は自分の愚かさのために人々が彼女から遠ざかっていくのを嘆き悲しんでいる最中だった。
リケは、もし結婚してくれるのであれば才知を与えることができると言い、ためらう王女に結婚は一年間待つと提案する。王女はその条件を受け入れ、その場で才知を得る。

一年後、王女は約束をすっかり忘れ、森の中に入っていく。すると、地底で宴会の準備をしている人々の姿が見える。翌日が、リケの結婚式なのだ。
リケに出会うと、約束を果たすように迫られる。しかし、知恵を身につけた王女は、リケのような醜い王子との結婚を望まず、何とか言い逃れをしようとする。

おわかりと存じますが、私が愚かだった時でさえ、結婚の決心はつきかねました。あなた様が私に才知をお与えくださり、私はあの時よりも人に対して難しくなっているのですから、あの時でさえつきかねた決心をどうして今できるというのでしょう。もし私と本当にご結婚なさりたいのでしたら、私から愚かさを取り除き、以前よりもはっきりと物事を見えるようにしてくださったのは、あたな様の誤りでした。

理路整然としたこの言葉は、王女が宮廷やサロンで才知を輝かせる女性になったことを示している。

この王女に対して、リケは、外見の醜さ以外に何か気に入らないものがあるのかと問いかけ、最後に、彼女には愛する人を美しく変身させる力があると告げる。

「もしそうでしたら」と王女は言う。「あなた様がこの世で最も美しく、最も魅力ある王子様になるように、心の底からお祈りいたします。できるかぎりの贈り物をいたします。」
 王女がこう言い終わるやいなや、王女の目に、巻き毛のリケは世界で最も美しく、これまで見たこともないほど姿形がよく、魅力的な男性に見えるようになった。ある人々は、妖精の魔法が働いたのではなく、愛だけがこの変身を行ったのだと言う。彼らによれば、王女は恋人の忍耐強さ、慎重な振る舞い、魂や精神の美点についてよく考えたために、体の不格好なところや、顔の醜さなどが目に入らなくなったのだった。背中のコブは少し誇らしげな体の姿勢に、ひどく足を引いていた様子は少し頭や体を揺すっている位にしか見えず、そうした姿が王女を魅了した。

一般的な昔話では、「カエルの王様」や「美女と野獣」のように、動物の姿に変えられた王子は、最後には元の美しい姿を取り戻し、ハッピーエンドを迎える。物語は、超自然なことが可能な、魔法の国で展開し、物理的な変身が行われる。

しかし、「巻き毛のリケ」では、変身は、物質の変形ではなく、心のあり方によって説明される。
日本語の表現で言えば、「あばたもエクボ。」 恋をすると、相手の短所が見えなくなるし、短所が好ましいものにさえ見えることもある。
現代の私たちにとっても、ペローがリケの変身に対して提出した解釈は現実的なものであり、逆に、昔話としては違和感がある。
それほど、ペローの昔話は合理的な精神の反映が見られ、ルイ14世の時代の人々にとって自然だと見なされる解釈が提示されているのだといえる。


ラ・フォンテーヌの『寓話』第3巻が出版されたのは1693年。ペローによる散文の『昔話』の出版されるのが1697年。すでに合理主義が人々の思考や感受性の基礎となる時代に入っていた。
そうした時代精神の基礎の上に立ちながら、二人の作家は、一人は古代ギリシア起源のイソップを、もう一人はフランスの昔話を取り上げ、異なったアレンジをしながら、すでに知られた物語を語り直していった。


ラ・フォンテーヌとペローを比較しながら読むことで、ルイ14世の君臨する世界を二つの視点から垣間見る体験をすることができる。
そして、全く異なった味わいを持つ寓話と昔話の世界にも入り込むことになる。


ラ・フォンテーヌ『寓話』(上・下)、今野一雄訳、岩波文庫、1972年。

『完訳ペロー童話集』新倉朗子訳、岩波文庫、1982年。

ラ・フォンテーヌの寓話にシャガールが挿絵を付けた本の翻訳。
マルク・シャガール『ラ・フォンテーヌの「寓話」』河村記念美術館、2006年。

ペローの物語をルイ14世の時代の社会と関連付けて分析。
水野尚『物語の織物 ペローを読む』彩流社、1997年。

宮廷社会について。
ノルベルト・エリアス『宮廷社会』波田節夫、中埜芳之、吉田正勝訳、法政大学出版局、 1981年。

シャルル・ペロー『ルイ大王の世紀』は、以下のサイトでフランス語の全文と日本語訳を参照することができる。
https://real-coffee.net/charles-louis-de-montesquieu-lettres-persanes-charles-perrault-le-siecle-de-louis-le-grand