
「汚れつちまつた悲しみに……」は、中原中也の詩の歌心をはっきりと教えてくれる。
4行から成る4つの詩節が一見規則正しく並び、一行の拍数も7/5調を基本としてほぼ一定。
その整然とした枠組みの中に、微妙なニュアンスが加えられ、単調さを感じさせない。
例えば、「汚れつちまつた悲しみ」がわずか16行の詩の中で8回も反復されるが、格助詞の「に」と「は」が巧みに使い分けられ、独特の味わいを生み出している。
内容面では、前半部では外の風景が描かれ、後半部では感情や心の中の思いが表現される。そして最後に、「日は暮れる……」と外の風景に戻る。
詩全体を通して、一度も悲しみの主体に関する言及がなく、何が悲しいのか、なぜ悲しいのか、誰が悲しいのかさえ明らかにされない。
それにもかかわらずなのか、それだからこそなのか、読者は悲しみを自分の悲しみであるかのように思いなし、歌を口ずさむように、「汚れつちまつた悲しみに」と繰り返し口ずさむことになる。
「汚れつちまつた悲しみに……」
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
日本語のリズムは、7拍と5拍の組み合わせを基本とする。「汚れつちまつた悲しみに……」でも7/5調がベースとなり、それが反復されることで、音楽性が生み出されている。
ここで一つ問題になるのが、「汚れつちまつた」の拍数。文字の数は8つで、その通りに発音すれば8拍。
基本的にはそう考えるしかないのだが、小林秀雄が中也の『山羊の歌』の広告文の中でその詩句を引用しているときに、「汚れちまった」と書いていて、それだと7拍になる。
大岡昇平がその点について、中原が東京弁の撥音「っ」を使い損なったのであり、東京神田生まれの小林がそのフレーズを「汚れちまった」と憶えていたのは自然なことだと指摘した。
とすると、中也は「汚れつちまつた」と書きながら、実際には7拍で撥音していたという可能性も出てくる。
「汚れつちまつた 悲しみに」を7/5で読むか、8/5で読むか、どちらとも決めがたい。
しかし、中也は8拍のリズムを注意深く配置していることから、「汚れつちまつた」をあえて8拍で発声すると考えていたと推定できる要素がある。
8拍の詩句は以下の3つ。
「たとへば狐の(8)/革裘(5))」
「小雪のかかつて(8)/ちぢこまる(5)」
「なすところもなく(8)/日は暮れる(5)」
最終行は、「なすところなく」と7拍にするのではなく、意図的に「も」を入れ、8拍にしている。
その点で、第3詩節の4行目「倦怠(けだい)のうちに(7)/死を夢む(5)」と逆になっていることに注意したい。こちらでは、「倦怠」を「けんたい」ではなく、ルビをふり「けだい」と読ませることで3拍としている。
こうしたことから、中也が7拍と8拍の拍数を綿密に計算して、詩句を作り出していたことがはっきりとする。
そこで、「汚れつちまつた」を8拍で読むとすると、「汚れちまった」とは違う勢いがあることに気づく。そのことは、「汚れてしまった」という書き言葉として普通な表現と比べるとよくわかる。
礼儀正しく「汚れてしまった悲しみ」と言うのではなく、「汚れっちまった悲しみ」と勢いよく言うことで、意気がり、タンカを切っているような感じが出てくる。
その少し乱暴な感じが、悲しみを少しだけ突き放しているようにも感じられ、それだからこそ、より心に滲みる。
中原中也自身、その悲しみがどこから来るのか、はっきりとわからなかったのかもしれない。
小林は、詩集の紹介文の中で、中原について、「人づき合いが並みはずれて不器用かつ不気味」だったと書いている。
そんな詩人が、愛情にしろ悔恨にしろ、「そのままのめり込んで歌い出す」ため、そこから生まれた詩は、「生ま生ましい生活感情にあふれている。」
中也を最もよく理解する友人がこのように見ていたとすると、実生活での不器用さ、不気味さと他者から感じられるものが、中也にとっての苦しみや悲しみの源にあったと考えてもいいかもしれない。
中原は、近代における人間のあり方について、「生と歌」の中で、こんな風に書いている。
今や世界は目的がない。そして目的がない時に来る当然のことゝとして、心そのものよりも、その心が如何見られるかといふことに念を置いて生きてる者等ばかりとなつた。人々は皆卑屈になつてもう卑屈が卑屈とみえないで、寧ろ思慮あることのやうに考へられるといふふうにまでなつてゐる。尤も現在の我が国では、その卑屈を思慮あることのやうに考へる人さへ、僅少なのであつて、他の人達は考へるといふことそのことをだにしないのである。(中略)
こんな中では私は、無鉄砲少女が好きなんです。
心そのものよりも、心がどのように見られてるかだけを気に掛けている人間ばかりの社会。卑屈な態度でありながら、そうすることがむしろ思慮深いとさえ思われる社会。そんなことさえ考えない社会。中也はそうした社会に反発し、「無鉄砲少女」が好きだと宣言する。
「心が如何見られるかといふことに念を置いて生きてる者」たちからすれば、中也は「人づき合いが並みはずれて不器用かつ不気味」と思われてもしかたがない。
小林はそんな中也の心を知り、「汚れちまった悲しみ」の場所が、彼の詩の原点にあることを感じ取っていた。
中原の詩はいつでもこういう場所から歌われている。彼はどこにも逃げない、理智にも、心理にも、感覚にも。逃げられなく生まれついた苦しみがそのまま歌になっている。
ここで順番を間違えてはいけない。
人とうまくいかないから、苦しみや悲しみを感じるのではない。心がどのように見られるかを重視する社会に生きることに違和感を感じるといった分析ではなく、違和感を感じるからギクシャクする。違和感が先にある。
違和感の理由はわからない。無鉄砲少女が自分でもなぜ無鉄砲かわからないように。あるいは、なぜ無鉄砲と言われるのかわからないように。
無鉄砲なという形容詞は、後から付与されるもので、最初にあるのはただ「生きる」こと。中也の詩の出発点がそこにある。
生のただ中で、人は誰しも何かを表現しようとする、と中也は考える。
古へにあつて、人が先づ最初に表現したかつたものは自分自身の叫びであつたに相違ない。その叫びの動機が野山から来ようと隣人から来ようと、其の他意識されないものから来ようと、一たびそれが自分自身の中で起つた時に、切実であつたに違ひない。蓋し、その時に人は、「あゝ!」と呼ぶにとゞまつたことであらう。(「生と歌」)
詩人は、自分自身の中で起こる切実な「あゝ!」を歌として展開する。
その際、「汚れつちまつた悲しみ」を曲の主題とし、まずそこに装飾音として「に」と「は」を付加する。
最初と最後の詩節では「汚れつちまつた悲しみに」。真ん中の二つの詩節では「汚れつちまつた悲しみは」。
声に出して読んでみると、装飾音の効果をすぐに感じ取ることができる。
第1詩節の「に」は場所を示し、外の世界では、雪が降り、風が吹く様子が描かれる。
「今日も」の反復が示すように、その風景は永続的なものだ。
第2詩節になると、格助詞が「は」に変わり、「汚れつちまつた悲しみ」が主格になる。
しかし、最後の動詞「ちぢこまる」の主格となるのは、悲しみではなく、「狐の革裘」であるようにも読むことができる。
外で降っている小雪が革裘に降りかかり、衣がちぢこまる。
としたら、その皮の衣は心を包む心臓のようでもあり、風景は外の世界というだけなく、心の中の風景、つまり心象風景とも考えられる。
第3詩節では、格助詞「は」が再び用いられるが、述語は「なにのぞむなく」、「ねがふなく」、「死を夢む」とされ、悲しみが擬人化されているようにも見える。
しかし、それ以上に、詩の中では全く言及されない存在、つまり悲しみを感じる主体が、それらの述語の隠れた主体として浮き上がってもくる。悲しむ主体「私」が、倦怠を感じ、願いも望みもなく、死を夢見る。
最終節、格助詞が「に」に戻るが、今度は場所ではなく、原因を示す。
それはわかるのだが、主格となる言葉がなく、「いたいたしくも怖気づき」、「なすところもなく」なのは、何なのか? 誰なのか? 明確ではない。
主語を明記する必要のない日本語の特性を活かすことで、「私」は悲しみに飲み込まれるだけではなく、悲しみを対象化し、「汚れつちまつた」奴!と、悲しみに対してタンカを切ることができる距離が生まれる。
その距離感が、悲しみに包まれた「私」にとって、救いとなる。
最後に、「日は暮れる……」と外の世界に再び目を向けることができるのは、悲しみを自分から少し引き離して感じることができるからだろう。
そして、明日になればまたこう言う。「今日も小雪の降りかかる」。
「日は暮れる」の最後が句読点の丸で終わらず、「……」となっているのは、日々、生がこうして永続していくことを示している。
人間は悲しみを抱え、悲しみにとらわれながらも生きている。あるいは、生きることは悲しみを同伴者にすることといえるかもしれない。
そうした中で、心の奥に悲しみを秘め、「汚れつちまつた悲しみ」と歌いながら、人は生きていく。そんな風にしながら、「なすところもなく日は暮れ」、また明日が来る。
完全 ナ 無。デハナイ‥ この世界(宇宙)
人間 = ´ある,トイフ こと。 の、悲しみ …
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