
中原中也の詩の中ではとても珍しいのだが、「骨」は、悲しみも苦しみも感じさせず、ユーモラスで、朗らかな感じが全体を包んでいる。
死んだ自分が自分の骨を見ているという内容とは相容れない屈託のなさがある。
しばしば中也の道化的な言葉の裏には憂鬱や悲しみがあるが、この詩には暗い影がさしていない。
もし、自己の存在感のなさから来る不安とか、中也の表情が見えず彼の衰弱を露呈しているとか、中也の孤独感、苦々しい自嘲といったものと読み取るとしたら、それは、読者の持つ中也像や内心の感情を、この詩に投影しているのかもしれない。

自分の骨を見る自分という構図から、骨を取り除くと、臨死体験的なことではなく、単に自分を見る自分になる。自分を反省するとか、自己分析するというのであれば、誰もが経験があるだろう。
とりわけ、若い時には、自分とは誰か、どのような存在なのか、考えることがある。
自己分析をすれば、暗くなる。
それは当たり前のことだ。自分の中をのぞき込むのは、ロダンの「考える人」。
メランコリーに取り憑かれた、憂鬱な人間の典型的なポーズに他ならない。
別の言い方をすると、主体としての「私」が、客体としての「私」を見ることになる。
それが「自分を知る」ためには不可欠な行為と考えられることも多い。
中也は、「骨」を通して、そのような「自分が自分を見る」行為を滑稽に描き、最後にそれとは違う認識の形を提示する。だからこそ、この詩には暗い陰がなく、むしろ、少しばかり皮肉なユーモアが感じられる。
「骨」
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ、
ヌックと出た、骨の尖(さき)。
それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
生きてゐた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐つてゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある、
と思へばなんとも可笑(おか)しい。
ホラホラ、これが僕の骨 ——
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残つて、
また骨の処にやつて来て、
見てゐるのかしら?
故郷(ふるさと)の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立つて、
見てゐるのは、 —— 僕?
恰度(ちようど)立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。
この詩にはどのような情景が描かれているのだろうか?
「ホラホラ、これが僕の骨だ」というおどけたような言葉に惑わされなければ、それが最終節の場面に限られていることがわかる。
小川の縁に枯れた草が生えている。立て札くらいの高さの所に骨がある。それだけ。
「故郷の小川」に関しては、中原中也の弟の証言によると、山口の実家の近くを流れる吉敷(よしき)川をモデルにしている可能性があるという。そこには中原家代々の墓地があり、その付近の川幅1メートルくらいの細い流れを素材にしたのではないかという。
ちなみに、吉敷川には水無川という別名があり、「一つのメルヘン」で歌われる川とも関係する。
「骨」が執筆されたのは、昭和9(1934)4月頃と推定されており、前年の12月に遠縁に当たる上野孝子と故郷で結婚式を挙げた中也が、先祖のお墓参りをしたことは十分に考えられる。しかも、中原家の墓石の文字は、字の上手だった中也が父から命じされて書いたものだという。
従って、吉敷川につながる小さな川の辺で、中也が骨を実際に見たとか、骨を思わせる何かを見て強い印象を受けた、ということも考えられる。
「恰度立札ほどの高さに、/骨はしらじらととんがつてゐる。」
詩人中也は、その時にそこにあるものをあるものとして感じ、その感動を伝えることが芸術の役目だと考えていた。
とすれば、「骨」であれば、本来は、この最後の詩句だけでいい。
中原中也は、昭和10(1935)年に発表された「宮沢賢治の詩」という短い文章の中で、次のように書いている。
彼(宮沢賢治)は幸福に書き付けました、とにかく印象の生滅するまゝに自分の命が経験したことのその何の部分をだつてこぼしてはならないとばかり。それには概念を出来るだけ遠ざけて、なるべく生の印象、新鮮な現識を、それが頭に浮ぶまゝを、――つまり書いてゐる時その時の命の流れをも、むげに退けてはならないのでした。
賢治は、生の流れの中で感じる印象を概念化することなく、生の印象をそのまま書き付けた。
その際には、主体がこちら側にいて、あちら側にある客体を眺めるという間接的な経験があるのではない。
主体と客体が分離せず、一体化した事態があり、それを後で考えてみると、主体が客体から何らかの印象を受けたということになる。その反省の上に立ち出来上がるのが、概念である。
こうした考え方は、中也の本性に由来すると思われるが、西田幾多郎の哲学書などからも学んだらしい。
中也が、他の詩人たちに読んで欲しいと推薦する本に、西田の『自覚における直感と反省』があった。その中に、主客の同一化に関係するこんな一節がある。
直感というのは、主客の未だ分かれない、知る者と知られるものの一である。現実そのままな、不断進行の意識である。反省というのは、この進行の外に立って、翻って之を見た意識である。
「直感」とは主体と客体が一体化した状態で、まず直感があり、その後、知る主体と知られる客体に分離する。
「反省」では、主体は進行から離れていて、対象を外から見る。
私たちにとって、主体が客体を見るという反省的な意識が理解しやすいのは、日常の体験において、すでに「反省」の意識が働いているからである。そのために、「直感」を理解するのが難しい。
中原は、「直感」的な意識作用が宮沢賢治の世界に働いていたと考えており、別の箇所では、次のような説明をしている。
「これは手だ」と、「手」といふ名辞を口にする前に感じてゐる手、その手が感じてゐられゝばよい。(中略)
芸術家にとつて世界は、即ち彼の世界意識は、善いものでも悪いものでも、其の他如何なるモディフィケーション(注:変更)を冠せられるべきものでもない。彼にとつて「手」とは「手」であり、「顔」とは「顔」であり、即ち名辞するとしてA=Aであるだけの世界の内部に、彼の想像力は活動してゐるのである。従つて彼にあつては、「面白いから面白い」ことだけが、その仕事のモチーフとなる。(「宮沢賢治の世界」)
A=Aだけである世界。面白いから面白いだけの世界。「骨」で言えば、「恰度立札ほどの高さに、/骨はしらじらととんがつてゐる。」というだけの世界。
それが、「印象の生滅するまゝに自分の命が経験したこと」なのだ。
詩は、それをとりこぼさないように、「出来るだけ直接に表白出来さへすれば」いい。
その場合、骨のような気持ちの悪いもので感動したりはしないと言われるかもしれない。感動するためには、それに相応しい対象でなければならいと。
中也は、そうした意見を予め予測しているかのように、対象それ事態は問題ではないと主張する。
林檎なぞに感動してはをれぬといふ人があるかも知れぬが、お望みとならパンにでもルンペンにでも感動するがいい。感動したらその感動がやがて芸術であり、何もその感動の誘因となつたパンが芸術でもなければルンペンが芸術でもない。(「詩壇への願い」)

対象そのものが重要ではない。ある対象と私との間に生じる感動が先にあり、それを芸術は表現する。
そんな考えは、理解しにくいかもしれない。
もし理解しにくいなら、こんな風に考えるとどうだろう。
他の人から見ると価値がないと思われるものでも、自分にとっては何よりも大切なものがある。例えば、もうボロボロになってしまった一冊の詩集。いくらでも買い換えることができる。しかし、これまで何年もの間時間を共有し、何度も何度もページを開いてきた。その本と自分との間には特別な関係があり、もしそれを失うことがあれば、大きな悲しみに捉えられる。
そうした経験は誰にもあるはず。そうであれば、物それ自体ではなく、リンゴにでも、パンにでも、ルンペンにも感動する可能性があることはわかるだろう。
まず直感的に感じられる感動が最初にあり、反省ではその感動は捉えられない。そして、芸術は感動そのものだと、中也は考えた。
しかし、一般的には、生の体験を概念化し、対象を記録し、描写したり、分析したりすることが求められる。つまり、主体がこちら側に立ち、あちら側の対象を見るという状況を設定し、主客の分離を第1段階として出発しなければならない。
中也はそうした通常の思考を揶揄し、面白可笑しく描いてみせる。その典型が、「ホラホラ、これが僕の骨だ」という呼びかけ。
「僕」は一体誰に語り掛けているのだろう?
近くに誰かがいると考えてもいい。
しかし、自分自身と考えることもできる。自分を外在化し、もう一人の自分に語り掛ける。自問であれば、誰もがすることだ。
ところが、語る内容は、自分の骨。過去の自分の残滓。その状況は現実にはあり得ない。
とすると、死んだ自分について自分に語り掛ける「僕」とは誰なのか?
こんな風に考えていくと、自分という存在が何なのわからなくなってしまう。
何も考えずに行動している時には、何かしているという意識もなく、何かをしている。
しかし、意識すると同時に、考える自己と行動する自己の分裂が起こる。自己が主体と客体に分化する。そして、主体の「私」が客体の「私」を見、分析を始め、コントロールしようとする。
そうした状況を、誰もが当たり前のことと感じている。
中也の言葉を使えば、普段当たり前と考えられている主客が分離した世界は「名辞」の世界であり、「名辞以前」の世界、つまり、「”手”といふ名辞を口にする前に感じてゐる手」、「面白いから面白い」世界ではない。
そこで、中也は、「骨」の第1詩節から第4詩節で、人々が当たり前だと思い込んでいる「名辞」の世界のあり方を揶揄してみせる。その開始のサインとして、「ホラホラ、これが僕の骨だ。」という呼びかけが使われる。
「生きてゐた時の苦労にみちた/あのけがらはしい肉を破つて」という言葉が続き、その骨は「僕」の死を前提にしていることがわかる。
そのために、「骨」という詩が、臨死体験、自己の存在感の希薄さに対する不安、分身(ドッペルゲンガー)等のテーマを扱っていると言われたりすることになる。
しかし、そうした生真面目さをユーモラスにやり過ごす口調の詩句が、「骨」という詩に特有の雰囲気を生み出していることは、詩句を丁寧に読んでみると実感できる。
例えば、一般的に言えば、死後に分離するのは、肉体と魂のはず。しかし、この詩の中では、肉体と骨が分離する。
第4詩節になると、魂も出てくるので、人間は、「肉体ー骨ー魂」という三つの次元から成ることになる。
その上で、肉体と魂の中間地帯に骨を挿入することで、真面目な議論ではなく、自己分裂を揶揄し、ユーモラスに語る雰囲気が感じられる。
苦渋みちた思索ではなく、おどけた感じを生み出すのは、骨に生活感を感じさせるところから来ている。
肉体は、苦労にみち、汚らわしかったと言われる。
では、骨はどうだろう?
第3詩節には、生きていた時の骨の行動が語られる。
「これ」が「食堂の雑踏の中に」座り、「みつばのおしたしを食つた」こともある。
そうした行動をしたのが肉体であれば、あまり面白味はない。骨だからこそ「可笑しい」し、可笑しさが倍増する。
中原中也は実際に「みつばのおひたし」が大好物だった、という証言が残っている。
「中原はみつばのおひたしが好きで、毎日それを買って来たが、時期によって値段に高低があることに気づかなかったので、二十何円か八百屋に支払った月があった。」(関口隆克「北沢時代以後」)
中也自身にとって、骨が生きていた時にはおひたしを食べたというエピソードは、実感があり、面白可笑しく感じられたことだろう。
骨に向けられた視線がユーモラスで、楽しそうなのは、語り口が歌うようで、切羽詰まった感じがないからでもある。
実際、苦労、肉を破る、光沢がないといった言葉があるにもかかわらず、苦しさも、悲しみもなく、悲壮感が感じられない。
「骨」を読み、感服したという小林秀雄は、「歌う言葉ばかりで出来ている様な詩」(「中原中也の”骨”」)と書いている。確かに、詩句はリズミカルで、歌っているような印象を与える。
しかも、その歌は、7/5調で調子が整えられたものではなく、話し言葉のように拍数はバラバラでありながら、しかしリズミカル。
拍数を中也が繊細に工夫していることは、「僕の骨」に関する二つの表現からすぐに理解できる。
最初の行は、4/9の拍数。
「ホラホラ(4)、これが僕の骨だ(9)」
第4詩節でこの呼びかけが繰り返される時には、4/8の拍数に変えられる。
「ホラホラ(4)、これが僕の骨(8)」
意味的には反復されてもいい「だ」が、2度目では取り去られる。その理由は、第1に、リズムを変える目的からだろう。
詩の中で最も重要と考えられる表現も、同じ言葉でありながら、拍に変化が付けられる。
「見てゐるのは僕?(8)」
「見てゐるのは(6)、 —— 僕?(2)」
最初の「見てゐるのは僕?(8)」は、「これが僕の骨(8)」に続き、8拍の表現が連続するように組み立てられている。
もう一つの重要な要素である「しらじらと(5)」というオノマトペは3度出てくるが、全て7拍の言葉と連動する。
「しらじらと/雨に洗はれ(7)」
「ただいたずらに(7)/しらじらと」
「骨は(3)/しらじらと/とんがっている(7)」
こちらは、5/7調。
「これが僕の骨だ」の9拍を超える長い拍の表現もある。
「坐つてゐたこともある(11)」
「立札ほどの高さに(11)」
「骨」には、2拍から11拍までの多様な拍数の詩句が使われているが、5/7調の整ったリズムばかりになるを避けることで、話し言葉的なざっくばらんさを出している。
それでいて、詩全体のリズム感がよく、軽々と流れるように進んでいく。
小林秀雄が中原に嫉妬し、また尊敬したことがあるとすれば、詩に歌心を与える天才を中也が持っていたことだろう。その才能は小林にはないものだった。
詩句の拍数を検討しながら、反復される表現について言及したが、そうした中で、意味的にも中也が仕掛けを施したのは、オノマトペ(擬音語)の「しらじら」。
「しらじら」は、「夜がしらじらと明ける」というように白さを表すので、骨の白さとの連想が働く。
その一方で、「しらじらとした気分」や「しらじらと噓をつく」といった用法もある。
つまり、しらけた雰囲気や、うそや本心でないことが見え透いている様を、白という言葉を重ねることで、音で感じさせる。
オノマトペは、外界の現象を心の中で感じ、それを音で表現するため、意味をはっきりと定義できない。しかし、なんとなくわかってしまう。雨が「シトシト」降る感覚はすぐに伝わる。
中也はその性質を最大点に利用し、はっきり意味が伝わらなくても、わかったような気分にさせるオノマトペで、骨の印象を表現する。
「しらじらと雨に洗はれ/ヌックと出た、骨の尖」
しらじらと雨に洗われる? 骨はどんな風に洗われるのだろう?
「ただいたずらにしらじらと/雨を吸収する/風に吹かれる/幾分空を反映する」
ここでは、「しらじらに」に「ただいたずらに」が加わり、空しさ、無意味さ、嘘っぽさの要素が加味される。
だが、骨が雨を吸収し、風に吹かれ、空の一部を映すという状況はある程度理解できるとして、二つの副詞表現が具体的に何を表しているのか、はっきりしない。
「骨はしらじらととんがっている」
白い骨あるいは白く見える骨が尖っているのであれば理解できる。しかし、しらじらと尖っているとはどんな様子だろう。
このように、「しらじらと」というオノマトペが出てくる3つの表現は、わかったようで、はっきりとはわからない。
骨は白いのだろうが、その白さは白々しい。
それは白々しい言葉遊び?
故郷の小川で見えているのは、ただの尖った骨。それを「ホラホラ、これが僕の骨だ」などと言って、死んだ後から自分の骨を見ているような詩にする。
そうした悪ふざけも、何かをからかう遊びにすぎないのではないか。
そのからかいの対象は、これまで何度も言及してきた、主体と客体が分離した世界観に基づく常識的な考え方。
「私」がここにいて、あそこにある「骨」を見る。その骨に不気味な感じを抱いたり、自分の骨だと思えば、愛着が湧くかもしれない。
それに対して、「”手”といふ名辞を口にする前に感じてゐる手、その手が感じてゐられゝばよい。」とする中也は、まず最初にあるのはその感覚であり、その後で、「私」と「骨」が分離するのが本来の世界だと考えた。
だからこそ、一般的に流通している主客分離した世界観を揶揄する。
「骨はしらじらととんがっている」だけ。それなのに、「私」をこちら側に立て、「これが僕の骨だ」と言わせる。そして、骨が同一のものであることを言葉の上で示すために、オノマトペを反響させ、「しらじらと雨に洗はれ/ヌックと出た、骨の尖」から「私の思い」の中での骨へと移行する。
さらに、頭の中の骨をより具体的に肉付けする。
その際にも、日本語の特色である平仮名と漢字の使い分けを利用し、「とんがつている」と平仮名で書いた尖るイメージを、「骨の尖(さき)」という漢字で書き直し、「さき」とルビをふる。
詩の中での順番はその逆で、最初に「尖」という漢字が出てきて、最後に「とんがる」と平仮名書きされる。
その違いは、外に見える骨と、自分の中に取り込み「僕の骨」と頭の中で考えられた骨との違いを示すと考えることもできる。
「私が骨を見る」という構図ができ上がると、後は、頭の中で骨を巡る空想が広がる。
中也がからかい、ユーモラスに歌うのは、その構図なのだ。
そのために、第3詩節までで空想を綴った後、第4詩節で、こんな疑問を呈する。
「見ているのは僕?」
そして、その質問に自分でこう応える。
「可笑しなことだ。」
その可笑しさは、骨が生きている時には食堂の雑踏の中にいたり、好きなおひたしを食べたと思う時の可笑しさと対応する。
中也の主張は、「主体が客体を見る」という構図は可笑しいということ。「見る」という動詞の主体が「僕」なのかという自問は、その構図に対する異議申し立てを意味する。
続けて、一般的には死後に肉体と分離するものと考えられている「霊魂」が引き合いに出される。
「霊魂はあとに残つて、/また骨の処にやつて来て、/見てゐるのかしら?」
ここでも、「霊魂が骨を見る」という構図が持ち出される。
しかも、「また」という副詞が置かれ、皮肉な滑稽さが生まれる。つまり、死んだ時には勝手に骨から離れていったくせに、また骨のところにやってきたのか、という皮肉。
その様子を具体的に思い描くと、滑稽な感じがする。
私がこちらにいて、あちらの骨を見る。そう考える紋切り型を揶揄し、「見てゐるのは、 —— 僕?」と冗談めかして自問する。
この二度目の問いかけで、「見る」という動詞と「僕」の間にダッシュ記号(—— )が入れられるのは、主語(主体)を分離する問題点を強調するためだと考えたい。
このように見てくると、「骨」は、普段の中也の詩とは違い、存在の底に潜む悲しみを歌うのではなく、人間の認識の形式を問題にする詩だということが理解できる。
そのための方法として、主客の分離した世界観に直接的な攻撃をしかけるのではなく、自分の骨を見るという光景を描き、道化のようにおどけた調子の歌を歌う。そこに悲劇的な調子はない。
たまには、こんな中也の歌を聞くのも楽しい。