中原中也 月夜の浜辺 “貴方が情けを感じるものを”

「月夜の浜辺」は、中原中也の詩心をかなり明確に示している。

詩が語る内容はほとんどないに等しい。
月の出ている夜、浜辺を散歩している時に一つのボタンを拾い、捨てられないでいる。
散文にすれば1行で終わる。

その内容を17行の詩句で展開するとしたら、詩の目指すものは何だろう?

月夜の浜辺

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
   月に向ってそれは抛(ほう)れず
   浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁(し)み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

時に、「月夜の浜辺」を、中原中也の長男、文也の死と結び付けることがある。
その理由は、詩集『在りし日の歌』の第2部「永訣の秋」の部に収められたからだろう。

「永訣の秋」という名称は、宮沢賢治の「永訣の朝」に由来していると考えられている。

けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

妹の死を歌った賢治のこの詩は、愛する者の死を看取る人間の痛切な悲しみに満ちている。

昭和11(1936)年11月10日、中原も文也を失い、悲しみに暮れる。その後、彼は1年も生きることはできず、翌昭和12(1937)年10月22日に永眠する。
どれほどの悲しみが中也を襲ったことか、その時間の短さからだけでも想像することができる。
そこで、「月夜の浜辺」は、中也が文也を追悼した詩だといった読み方をされる可能性が出てくる。

しかし、この詩はざまざまな状況証拠から、文也の死よりも以前に執筆されたと考えられている。
しかも、文也の死は突然のものであり、中也が最初に長男の病気について日記に書いたのは、11月4日のこと。
従って、予め息子の死を予感して、「月夜の浜辺」を書いたということも考えられない。

文学作品を解釈する際に、何かそれなりの理由を探して納得しようとする傾向がしばしば見られる。そうした読み方が鑑賞の妨げになる可能性があったりもする。
「拾ったボタン」を何かの象徴だと見なし、その意味を詩の外から見つけ出すことで、詩の幅を狭めてしまうことにもなりかねない。

中原中也は、そうした限定的な詩の読解を拒否した詩人。
彼にとって大切なことは、ボタンが何を象徴するかではなく、そのボタンに対する「情(なさけ)」なのだ。

役に立つからボタンを取っておくのではなく、なぜかわからないけれど、そのボタンが愛しいと感じるから、捨てられない。
そうした経験は誰にでもあるだろう。他の人から見たら無意味なものが、自分にとってはなりよりも大切に感じられる。
有用性で考えれば、役に立たなくなったり、もっと役に立つ物が見つかれば、それで終わりになる。
反対に、役に立たなくても、無意味であっても、ただただ愛しいものはいつまでも愛しいままだし、代わりになる物はない。

「月夜の浜辺」の中也は、ことばの情報量を極力少なくし、出来事ではなく、情を伝えることを目指している。

そのために取られた方法が、第1に、詩句の反復による枠組み作り。

月夜の晩に、ボタンが一つ/波打際に、落ちていた。/それを拾って、役立てようと/僕は思ったわけでもないが/(・・・)/僕はそれを、袂に入れた。

浜辺でボタンを拾ったという状況を伝えるこの5行の詩句は、二度繰り返される。
同じことばが繰り返され、二度目は情報量はゼロ。

この枠組みは、7/7 7/5 7/7 7/7(・・・)6/7とほぼ75調で、音楽的。
しかも、口語調で、誰にとってもわかりやすい。

そのようにして準備された枠組みの中に、変化する要素が挿入される。

なぜだかそれを捨てるに忍びず
月に向ってそれは抛れず/浪に向ってそれは抛れず

ここでは変化を強調するため、最初は1行で、次は2行で構成されている。
拍数も、最初は、7/8、次は、7/7が反復され、変化が加えられる。

他方、内容的には、「それ」に対する愛情の表現。
捨てるのが忍びないので、空に向かっても、海に向かっても投げ捨てられないという感情が伝えられる。

焦点は、ボタンではなく、気持ちなのだ。

詩の最後の4行でも、同様の構造が使われる。
最初の1行が反復され、枠組みが作られる。その後、ヴァリエーションが加えられ、そこでは情が伝えられる。

(枠組み)
月夜の晩に、拾ったボタンは

前半では5行を使って枠が作られたが、ここでは1行だけ。その理由は、それだけで5行を要約しているから。
要するに、情報はこれだけに限られている。

(情)
指先に沁(し)み、心に沁みた。
どうしてそれが、捨てられようか?

まず注意を引かれるのは、情を示す部分と記述の内容の順番が、前の部分とは逆転していること。
以前は、捨てるのは忍びないという気持ちが先に言われ、次に抛ることができないという行動に言及された。
ここではその順番が逆転され、沁みるという動きが先になり、捨てられない気持ちが後に来る。
こうした順番の逆転は、単調さを避け、変化する部分により多くの注意を引くのに役立つ。

さらに興味深いのは、「指先に沁み、心に沁みた」という表現。
心にしみるという表現はごく当たり前であり、感情は心で感じるものだと誰しもが思っている。
中也は、そこに「指先」を付け加える。
なぜか? 

指先という身体の一部に言及することで、感情が心に関係するだけではなく、身体の問題でもあるということになる。
私たちは嬉しかったり、悲しかったりするとき、その感情があまりにも深い時には、心だけではなく、体でも感じる。内臓が重くなったり、頭が痛んだりする。
逆に言えば、感情と身体を結び付けることで、感情の激しさ、深さをより直感的に伝えることになる。

しかも、中也は、指先という小さな部分を挙げることで、ボタンを持つ手の指に注意を向け、情に確かなリアリティーを与える。
しかも、指先という小さなものであるがために、愛しさがより内密に感じられる。
誰かに向かって、大きな声でボタンに対する愛着を伝えるのではなく、自分に向かい、小さな声でささやきかける気持ちが、「指先に沁み」という表現によって見事に伝わってくる。

詩を愛する者であれば、誰もが、金銭では測ることのできない価値が感情にあることを知っているだろう。他の人から見ればつまらない物なのに、どうしても捨てられないものがあるのは、誰にでも思い当たること。
「月夜の浜辺」は、そうした情をそっと読者に思い出させてくれる。


「詩に関する話」の中で、中原中也は、感情や感覚が芸術に関して持つ意味についてこんな風に書いている。

「生きるとは感覚すること(ルッソオ)」であり、感覚されつつあれば折にふれて、それらは魂によつて織物とされる。その織物こそ芸術であつて、その余はすべて胃病芸術なのであらう。

ルッソオとは、ジャン・ジャック・ルソーのこと。
ルソーは『エミール』の中で、「私たちにとって、生きることは、ものを感じることである。」と定義した。

中也は、ルソーのことばを引きながら、芸術とは、魂が感じることを織物にしたものだと言う。
感じることが生きることであり、芸術は生の表現だということになる。

ところで、感じるためには、感じる主体(人)と同時に、感じる対象(物)が必要となる。感じる時、人と物はどちらも不可欠な存在である。
視点を変えれば、生きている限り、人と物の間には情が動いていることになる。

中也にとっては、その情の動きこそが生の証となり、何よりも大切なものなのだ。
その際、対象は、人により、時により、様々に変わりうる。対象そのものの価値が重要なのではなく、対象が何かを問うことは意味をなさない。
それなのに、近代人は、物そのものに目を向け、物に価値を置くという病いを罹っている。

 近代病者は、「情けぞ人の命なる」といふヴェルレーヌが一詩に不図(ふと)心惹かれ、惹かれた迄はつつましやかであつたが、惹かれ終つて彼はそはそはしはじめた。
 「どうしたのだ」と訊ねると、羞(はにか)むともなく羞みながら、「それでは私の場合では何を愛せばよいか?」といふのだ。
 「貴方が情けを感ずるものを」と答へると、間もなく彼はイライラしだした。

何を愛せばよいのかと問う病人は、夜の浜辺で拾ったボタンは何の象徴かと考え、それがわからないとイライラし始めるだろう。
何度も繰り返すことになるが、大切なことは、情であって、物そのものではない。

中也は「何か?」と問う人々をからかうように、「それ」としか言わない詩も書いている。
あるいは、彼自身、そうとしか言いようがない時があったのかもしれない。

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。
それに行き著(つ)く一か八かの方途さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。(「いのちの声」)

誰にも、それは、語れない
 ことだけれども、それこそが、
いのちだろうじゃないですか、
 けれども、それは、示(あ)かせない…… (「春宵感懐」)

情が動く対象は、「それ」でもいい。時には、役に立たない「拾ったボタン」のこともある。
何かを特定する必要はないし、その時々で具体的な対象は違うかもしれない。
詩人の思い描く「それ」と、読者の「それ」が違っていてもいい。

生きているとは、「それ」への情を感じ続けることであり、従って、たまたま拾ったものであっても、情が動いた後になると、捨てることはできない。

「月夜の浜辺」の表現であれば、「それを捨てるに忍びず」、「月に向ってそれは抛れず」、「浪に向ってそれは抛れず」、「指先に沁み、心に沁みた」。だからこそ、「どうしてそれが、捨てられようか?」

他方で、「いのちの声」や「春宵感懐」が打ち明けるように、「それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない」し、「それは、示(あ)かせない」。
必ず何か欠けたものがあり、淋しやさ悲しみを感じ続けることも宿命付けられている。

情が持続するために、喪失感も抱き続けざるをえない。だからこそ、生きることは、悲しみを感じ続けることでもある。

「月夜の晩に、ボタンが一つ/波打際に、落ちていた。」

生きることには、この情景からしみ出してくる孤独感が必然的に漂っている。

「月夜の浜辺」は、こうした中原中也の心象風景を映しだしているといってもいいだろう。