
フランスの18世紀は、ルイ14世の治世が終盤を迎えるところから始まり、フランス革命からナポレオンの登場で終わりを迎える。
一言で言えば、血縁に基づいた貴族の時代が終わり、ナポレオンという個人が能力を発揮して国家を支配できる時代が到来した。

こうした変化は、16世紀において「人間」という存在に価値があるという認識が行われ、17世紀になると全ての人間に「理性」が備わっているというデカルトの確認に続いて、実現されたのだと考えられる。
そして、18世紀に確立した人間観や世界観は、21世紀においても支配的な時代精神であり続けている。
その精神の根本にあるのは「幸福」の追求であり、「個人の自由」、「科学の進歩」等がその手段を支える思想となる。
しかし、興味深いことに、合理主義精神や科学主義が中心となる中で、「理性」よりも「非理性」に、「文明」よりも「未開」や「自然」に、「進歩」よりも「原初」に、「科学」よりも「神秘」や「超自然」に、価値を置く精神性が忘れられることはなかった。
人間の価値の認識と個人の中にある理性
ルネサンスは、古代ギリシア・ローマの文化の復活と捉えられるが、その本質は人間の価値を発見・発明した時代だと考えられる。

ヨーロッパの中世はキリスト教の時代であり、神中心の世界観が支配していた。神が絶対的な存在であり、それに比した時、人間の価値が認められていたとはいえなかった。
ルネサンスは、神中心の世界観を脱し、神の存在は認めながら、「人間」に価値を見出した時代。
その価値とは、神ー天使ー人間ー動物ー植物ー鉱物という存在の秩序において、人間だけが上昇することもできるし、下降することもありうるという意味で、「自由」な存在だと見なされたところにある。

しかし、その自由は全ての人間に備わるものではなく、特権的な人間だけが享受しうるものだった。
フランソワ・ラブレーの描くユートピア「テレームの僧院」の絶対的な規則は「望むことをしろ」。つまり、完全な「自由」が唯一の規則だった。
ただし、「テレームの僧院」に集うことができるのは、「生まれがよく、よい教育を受け、礼儀正しい人々と言葉を交わす人々」に限られていた。
ルネサンスにおいては、人間の価値の中心は自由にあるが、自由を享受できるのは、それに値する人間だけだったということになる。

17世紀になると、人間の価値は「理性」に置かれる。デカルトの有名な言葉「我思う、故に我あり」の「思う」とは、「理性」によって憶測を退け、真理に到達する思考を意味している。
デカルトは『方法序説』(1637)の冒頭で、「良識は、この世で最もよく共有されるものである。」と断言する。
良識とは、正しい判断をする力、真実と偽りを見分ける力であり、「理性」とも呼ばれる。
従って、全ての人間に「理性」が備わっていることになる。
ルネサンスにおける「自由」が特権的なものであったのに対して、17世紀の「理性」は普遍的なものと見なされる。
別の視点から見ると、「個人」の価値が発見・発明され、全ての人間に「自由」が認められたともいえる。
その結果は、18世紀後半に勃発したフランス革命のスローガン「自由、平等、友愛」によって象徴されることになる。
このように、大きな展望で捉えると、18世紀の時代精神が、ルネサンスと17世紀の時代精神を引き継いでいることが明確になる。
理性の光で人々を照らす
17世紀の宮廷社会は「外見の文化」の時代ともいえ、真実なのか偽りなのかなかなか見分けのつかない外見を読み取り、真実を見出すことが課題だった。
そのための中心が「理性」。デカルトの言うように、真実と偽りを見分けるための能力であり、外見の文化の中でパッション(情念)に惑わされず、「理性」を活動させることで、真実を見分けることが求められた。

こうして、合理主義精神が発展し、実証的で科学的な実験の結果が真実を証明するものと見なされるようになる。
現在であれば当たり前すぎて、わざわざ言う必要もないことに思われるかもしれない。しかし、宗教が社会の中心を占めていた社会では、神が真実の保証となる思考から科学が真実の保証となる思考への移行は、世界観の根本的な変換だったことは理解しておく必要がある。
デカルト自身は神の存在証明のために理性を探求したが、デカルト以降の思想は、人間を超えた超現実的な次元を否定し、科学的な実証によって証明できる次元の事象を「現実」と見なすようになる。
別の言い方をすると、科学的に証明されることが真実と見なされる。
そこでは、科学の発達が文明の進歩と見なされ、人間の「幸福」は文明の進歩によってもたらされると考えられる。
進歩と幸福が並行関係にあるという思考は、少なくとも20世紀の後半までは単純に信じられていた。21世紀になってからも、例えば、宇宙の開発が人類に貢献するというニュースなどでは、何の疑問もなく信じられているように見える。
17世紀から18世紀にかけて、物理学、生物学、植物学、医学等、様々な分野で大きな進展が見られた。
思想的にも、実際の経験から出発する経験論や、感覚を基礎とする感覚論が主流になり、実証可能な次元が思考のベースになる。

そうした中で、思想家や哲学者たちは、批評精神を活発化させ、王権や宗教的な権威も批判の対象とするようになる。個人の自由が人間の幸福であると考える上で、必然的に辿る道だったといってもいいだろう。
ヴォルテールは、こうした批判精神を代表する思想家。
その道をさらに進めば、人間を物質的な機械と考える思想=人間機械論も生まれることになる。
「タブーなしで全てを検討する」という批評精神を最もよく表すのが、「啓蒙の世紀」という表現だろう。
啓蒙とは、「理性の光によって人々を照らすこと」。
人々といっても、当時、人口の4分の3は文字が読めなかったと言われているので、全ての人間に理性の光の当たることはなかった。しかし、デカルトの言うように全ての人に理性が備わっていると考えれば、個人の中の理性を照らすという思想は、必然性があったといえる。

ディドロとダランベールの『百科全書』は、啓蒙思想を実現するための有力な道具だった。
『百科全書』は、「技術と学問のあらゆる領域を参照し、自分自身のために学ぶ人々を啓蒙すると同時に、他人の教育のために働く人々の手引き」として企画され、あらゆる分野における最先端の知識集めたものだった。
その知識こそが理性の光であり、その光に照らされることが社会と個人の幸福につながると考えられた。
個人のレベルであれば、権威からの自由。
社会のレベルであれば、王による支配ではなく、個人としての関係が考察の対象となる。
例えば、ジャン・ジャック・ルソーは、『社会契約論』の中で、個人と社会の関係を論じた。
個人の「自由」、個人と個人の間の「平等」、社会における「友愛」。
フランス革命のスローガンは、人間の幸福のあり方の提言だったことが理解できるだろう。
こうした大きな視点で捉える時、啓蒙の世紀と呼ばれる18世紀において、合理主義精神が浸透し、科学の発展が文明の進歩をもたらし、人々が理性中心の思考をごく自然なものと感じるようになっていく過程が、はっきりと見えてくる。
内的な光
光が射す場所には、必ず闇も生まれる。
どんなに合理主義精神が浸透しても、人間の内部には闇の部分が残り、科学では証明できない事象を信じる心が声を上げる。
18世紀には、理性の光に対して、内的な光を信じる人々も存在した。
彼らは「文明」に対して「自然」や「野生」に価値を置き、「物質」よりも「精神」や「心」を信じ、「合理主義」に対して「神秘主義」を対置した。

そうした流れの中で、文明の進歩を人類の堕落と断じたジャン・ジャック・ルソーが、「自然」を賛美したのは当然のことといえる。
彼にとって、「自己と自然が一体化した忘我の状態」が最高の幸福だった。
18世紀の後半には、さまざまな神秘主義者たちが現れ、目に見える現実を超えた次元に真実を見た。
そうした次元は、理性では捉えることができず、論理的、科学的に証明することはできない。彼らは内的な光に照らされた者(イリュミネ)として、超現実まで含めた現実を直感的に捉える。
その意味で、真実はイデア界にあり、現実はイデア界のイメージにすぎないと考える「ネオ・プラトニスム」的な思考を踏まえている。
内的な光とは、理性の光が照らさない闇の部分に射す光。見える人にしか見えない、神的であり心的でもある光だといえる。
19世紀前半に誕生したロマン主義は、理性の光と同時に内的な光にも照らされた芸術運動。
その二重性は、詩人ラマルティーヌの次の様な詩句からも推測することができる。
現実世界は狭小だが、可能世界は巨大。
数々の欲望を抱く魂がそこに住み処を作る。
科学と愛を永遠に汲み続けることができる住み処を。
18世紀の時代精神の中心は合理主義的な進歩の思想であるが、その片隅で精神性を秘めた内的な思考も胎動していたことを忘れることはできない。
18世紀を通して、人間の幸福は、文明の進歩によってもたらされるか、その対極にある自然に求めるのか、という問いかけが行われていたのだと考えることができる。
その問いは、一方で科学技術を極限にまで押し進めながら、他方ではエコロジーの必要性を強く主張し、その調和を模索する21世紀社会の課題でもある。
また、個人の自由に価値を置く社会と集団の秩序を重んじる社会の対立も、18世紀と現代で相通じるところがある。
18世紀フランスの文学作品を読むことは、現代社会が抱える問題の成り立ちを知ることにもつながり、短絡的な結論に走らなければ、興味深い考察に数多く出会えるに違いない。
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