スタンダール 幸福を求めて

1783年に生まれたスタンダールの最大のテーマは、「幸福」だった。

実際の人生においても、様々なジャンルの著作においても、スタンダールが求めたものは「幸福」であり、その意味で、「個人の自由」や「科学の進歩」を通して「幸福」を追求した18世紀精神を継承しているといえる。

彼は、一方ではヴォルテールに代表される合理主義精神や科学主義に基づく思想を持ち続け、他方ではルソーを代表とする「人間の内面」に価値を置く心持ちの持ち主でもあった。
(18世紀の時代精神 幸福を求めて https://bohemegalante.com/2021/05/12/esprit-du-18e-siecle-bonheur/

18世紀から19世紀に流れ込んだこの二つの精神性を合わせ持っていることは、フランス革命の6年前に生まれたスタンダール(本名:アンリ・ベール)が、18世紀精神の継承者であることを示している。

しかし、別の視点から見ると、彼の求める「幸福」は徹底的に「個人」に属するものであり、18世紀に主要な関心事であった「公共」の幸福は彼の関心事ではなかった。
彼が求めたのは「私の幸福」であり、「社会全体の幸福」を考えることはなかった。社会はむしろ「私」と敵対する存在として姿を現した。
その点では、彼と相容れなかった19世紀前半のロマン主義文学者たちとスタンダールは共通している。たとえロマン主義的抒情を好まなかったとしても、彼もまた「私」を視座の中心に据えた作家だった。

21世紀の日本人が、自分の感性を羅針盤にしてスタンダールの世界を航海するのではなく、19世紀前半のフランスにおける時代精神に基づいてスタンダールの「幸福の追求」を読み説くとき、どのような世界が見えてくるのだろうか。

アリッゴ・ベーレ ミラノ人 書いた 恋した 生きた

スタンダールが 死んだ後、自分の墓石に彫らせたいと望んだ言葉がある。

生きた、書いた、恋した、その魂が愛したのは、チマローザ、モーツアルト、シェークスピア。(『エゴチスムの回想』)

実際、パリのモンマルトルにある墓碑の上には、「アリッゴ・べーレ/ミラノの人/ 書いた/恋した/生きた」いう言葉が刻まれている。

イタリアへの愛

「アリッゴ・ベーレ」というのは、スタンダールの本名であるアンリ・ベールのイタリア語読み。
そのすぐ後ろに「ミラノの人」と書かれていることからもわかるように、彼は母国フランスよりもイタリアに、より多くの愛着を感じていた。

1783年にグルノーブル生まれたアンリ・ベール(以後、スタンダールと記す)が、1789年の革命の影響を直接感じることはなかったかもしれない。しかし、その後に続くナポレオンの台頭は、直接肌で感じたはずである。

1800年5月、ナポレオン・ボナパルトが軍を結集して、グラン・サン・ベルナール峠を超え北イタリアに遠征、ミラノとパヴィアを占領した。
スタンダールはその遠征に加わり、初めて訪れたイタリアの地でオペラ(チマローザ『秘密の結婚』)に感激し、その後、ミラノに足を踏み入れる。

「私は完全に酔いしれ、狂ったような幸福と喜びに浸っていた。熱狂と完全な幸福の時期が始まったのだ。」(『アンリ・ブリュラールの生涯』)と後に記されるように、この時から彼のイタリア愛が始まった。

その後も何度かイタリアで過ごすが、1814年から1821年の7年間は主にミラノを中心にしたイタリアに滞在し、1831年からはローマ近郊にあるチヴィタヴェッキアの領事に任命され、1836年までイタリアを中心に生活する。

このように、スタンダールは、感情の面からだけではなく、実際の生活でもイタリアと深い関係を持っていた。

書いた

「書いた」と作家が記すのは当たり前かもしれないが、著作のジャンルは幅広い。

現在よく知られているのは、『赤と黒』や『パルムの僧院』といった小説だけかもしれない。
しかし、それ以外にも、絵画や音楽の偉人伝(レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ハイドン、モーツアルト、ロッシーニ等)、未完に終わったナポレオンの伝記、自伝(『エゴチスムの回想』『アンリ・ブリュラールの生涯』等)、イタリアの旅行記(『ローマ、ナポリ、フィレンツェ』等)、フランス国内の旅行記(『ある旅行者の手記』)、恋愛論など、数多くの作品を残している。

彼のフィクション(小説)とノン・フィクション(伝記、自伝、旅行記等)全てに共通する要素を見つけるのは難しい。
ただ、スタンダールの関心が多くの場合、「栄光」を担う人物に向けられていたことは、大芸術家やナポレオンを扱った「偉人伝」から推測することができる。
自伝に関する記述でも、自らを彼らと逆説的にではあるが比較していることから、自己の栄光を望んでいたのではないかという推測もできる。

自分についての回想録を書こうと思い立った頃(1831年)の思いとして、こんなことを書いている。
それまで、モーツアルト、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチなどといった偉大な人物を取り上げ、様々な資料を検討して彼らの伝記を書いてきた。しかし、そうした根気がなくなったために、そのような手間をかけなくても正確に伝記を書くことができる人物を取り上げることにする。
その人物とは自分自身。しかし、「残念なことに、その人物は名前が知られていない。」

確かにスタンダールはパリの文学者たちグループに加わっていず、ほとんど名前が知られていなかった。彼の著作はほとんど売れることがなかった。
そうした中で「無名」にこだわることが、逆に「有名」になりたい、「栄光」に包まれたいという密かな望みの現れだとも考えられる。
「幸せな少数者(Happy Few)」を読者にし、作品が読まれ評価されるのは後世になってからだという、彼が何度も繰り返した言葉にも、同じ願望が隠されているに違いない。

『赤と黒』の主人公ジュリアン・ソレルも、『パルムの僧院』の主人公ファブリス・デル・ドンゴも、ナポレオンに憧れ、ナポレオンの死後公表された『セントヘレナにおける回想録』を愛読している。
その際のナポレオンは、キリスト教の儀礼に基づき戴冠した皇帝ではなく、フランス革命の継承者であり、コルシカ島からやってきて、個人の能力によって社会的な階段を駆け上った英雄である。

フランス革命以前の王権やキリスト教の権威に対抗し、「個人」の力によって「栄光」を勝ち得る。ジュリアンやファブリスだけではなく、スタンダール自身の精神の一つの柱が、そうした姿勢に垣間見える。
その精神が「書く」ことを後押ししたと考えても、間違ってはいないだろう。

スタンダールは、社会的な「栄光」を得ることで、「幸福」を手に入れることができると考えていただろう。しかし、実際には、「名声」は訪れなかった。あるいは、それが訪れたのは、彼の死後でしかなかった。

では、どこで「幸福」を味わうことができるのか。

愛した

スタンダールの人生を少しでも調べると、至るところで、どんな時でも、恋愛の対象を探し、小説のモデルとなるような女性たちと様々な関係を持ったことがわかってくる。

最初のミラノ滞在では、シモネッタ伯爵夫人(アンジェラ・ピエトラグルーア)に熱烈な恋をする。

彼の『恋愛論』は、1818年から3年の間愛し続けたマチルダ・デボンスキーに向けて書かれたものだった。
彼女は、ミラノの名門ヴィスコンティ家出身で、ポーランド軍人デボンスキーの妻。

それ以外にも、数え上げたらきりがないほどだが、こうした恋愛感情の根源には、母親に対する愛が混入していたのではないだろうか。

スタンダールの子ども時代は、彼が7歳の時に亡くなった母親への憧憬と父親への憎悪という、二つに感情に引き裂かれていた。

母は魅力的な人だった。私は母に恋していた。父が私たちのキスを邪魔しにくる時など、無性に父が憎らしかった。(『アンリ・ブリュラールの生涯』)

この言葉からは、父を倒し、母を自分のものにするという、オイデプス・コンプレクス的な愛がはっきりと感じられる。愛する人を手に入れるためには、戦わなければならない。

ジュルアン・ソレルの恋愛観からは、愛する相手を「征服」するという軍人的な精神が感じられる。
最初に愛し、最後は真実の愛を抱いていると気づいたレーナル夫人に対しても、パリで出会うラ・モール侯爵家の令嬢マチルドに対しても、ジュリアンが最初に感じるのは、自分よりも社会的に地位の上にいる夫あるいは父に属している女性を「征服」したいという欲望である。

スタンダールの小説の大きな特色の一つは、恋愛に関する心理分析の精密さだが、それは、軍隊を率いる司令官が、相手の陣形を詳細に観察し、心理を的確に読み、戦さに勝利するための戦略を緻密に練ることと並行関係にある。

「栄光」にしても、「愛する女性」にしても、父親、教会、貴族といった既存の権威と戦い、自分の力で勝ち取る。
そうした精神は共和主義的であり、革命を引き継いだナポレオンによって具現化されていた。
だからこそ、ジュリアンもファブリスもナポレオンをアイドルとして愛したのだ。

彼らは第二のナポレオンになることはできなかった。それにもかからわず、彼らは「幸福」を味わうことができる。そして、その場所は「監獄」の中。
そのことは何を意味しているのだろうか?

生きた

女性を「征服」する。社会的な地位を「獲得」する。そうした活動は、確かに「生きる」ことの大きな部分を占めるだろう。
スタンダールのように、恵まれた地位いるのではない人間が、グルノーブルからパリに出、実際には親戚の縁故に頼りながらではあるが、個人の力によって道を切り開こうとする場合には、様々な戦いを勝ち抜く必要があった。

子どもの頃、彼の周りの世界は二つに分かれていた。
一方には、憎むべき父の世界。
こちらには、熱心な信者である叔母や家庭教師の神父がいた。ここから、スタンダールの王権(貴族)や宗教の権威に強く反発する精神が生まれてきたのだと考えられる。

もう一方には、愛する母の世界。
こちらには、ヴォルテールを愛読し、18世紀的合理主義思想を持つ母方の祖父や、「高貴でスペイン的性格」を持つ大伯母がいた。
自由で共和主義的思想に準じる姿勢の源には、彼からの教えがあったろう。

その後通ったグルノーブル中央学校は、伝統的な古典偏重の教育を廃止し、現代語、歴史、自然科学を重視した教育を行う新たな教育機関だった。スタンダールはそこで優秀な成績を収め、1799年には数学の一等賞を取って卒業した。

その年、16歳のスタンダールはパリに向かう。その時、母方の叔父から次のような忠告を受けたという。「学校で成績がよかったからいい気になっているだろうが、ちょっと頭がいいくらいでは何の足しにもならない。もし出世したければ、まず女を捕まえることだ。」

スタンダール自身も、彼の小説の主人公たちも、この忠告に従って行動し、恋愛と出世を目的とし、その達成が「幸福」だと考えていたかのように見える。

もし社会がフランス革命によって完全に変革され、共和主義精神と科学的精神に基づき、個人の能力が成功を決定するのであれば、彼らはもしかすると望みを達成できたのかもしれない。

しかし、社会は決してそうした方向に進んでいなかった。
ナポレオンの失脚の後には、ブルボン王朝が復活し、王政復古の時代になる。1830年に7月革命が起こったとしても、その後に来るのはオルレアン公ルイ・フィリップの7月王政。
平民の息子ジュリアン・ソレルがパリの大貴族ラ・モール侯爵の令嬢マチルドと結婚するためには、ジュリアンを貴族の隠し子と偽らなければならないというエピソードは、1830年代のフランス社会の現実を物語っている。

『パルムの僧院』の最後、説教師となったファブリスは、クレセンチ侯爵と結婚したクレリアと密会する。
その条件としてクレリアが課したのが、永遠にファブリスを見ないという誓いを守るため、闇の中で会うということだった。
相手の姿を見ることの禁止は、ギリシア神話の「アムールとプシケ」の話を思わせるが、教会内での逢い引きのエピソードは、スタンダールがキリスト教の権威を揶揄するために挿入されたのだとも考えられる。

共和主義的思想の持ち主にとって、フランス社会は革命前とあまり変わらず、平民が個人で貴族や教会の権威と戦い、勝利することは難しかった。
言い換えれば、こうした次元で望むような「幸福」を獲得することはほぼ不可能な状態にあった。

「小説とは街道を散策する鏡である。」
このスタンダールの有名な言葉は、自分たちの生きる社会の現実を描き出すことが小説の役目の一つであることを意味している。
そして、こうした意識のために、後の時代になって、スタンダールが近代リアリスム小説の先駆者と見なされたともいえる。
(ただし、スタンダールは、自分たちの時代の出来事を作品の対象とし、同時代の読者に強く訴えかけることこそがロマン主義のあるべき姿と述べている。)

小説という鏡が映し出す同時代の社会において、身分も財産もない「個人」の戦いでは「幸福」を得る道は閉ざされている。
としたら、「私の幸福」はどこで得られるのか?

スタンダールはある時、こんなことを書いている。

私は具体的な描写が大嫌いだ。それをしなければならない面倒を思っただけで、小説を書く気も起こらなくなる。(『アンリ・ブリュラールの生涯』)

そして、確実に真実なのは「感覚」だけだという。

私は事物をそれ自体として描くつもりはない。そうではなく、事物が私に与える効果だけを描きたい。(『アンリ・ブリュラールの生涯』)

事物自体ではなく、事物が私に与える「効果」にスタンダールは心を動かされる。
言い換えれば、「幸福」は物質的な次元にはなく、物質が影響を及ぼす「内面」の反響によって感じられる。
自然の風景、音楽、絵画、女性、地位、それら全ては素材であり、それを感じる「感覚」こそが価値を持つ。

美しい風景を前にした若きスタンダールを、晩年、自伝の中でこのように描いている。

私は繊細な感受性を持って、美しい風景の眺めを求めた。旅行をしたのはもっぱらそのためだ。風景は私の魂をかき鳴らすヴァイオリンの弓のようなものだった。誰一人問題にしないような景色でもそうなのだった。(ドールから本道を通ってアルボワに近づくあたりだったと思うが、岸壁の線は、私にとってマチルドの魂を感覚的に把握させる鮮明なイメージだった。)(『アンリ・ブリュラールの生涯』)

「ヴァイオリンの弓」が「私の魂」をかき鳴らす時、スタンダールは、確実に真実な「幸福」を感じる。

そして、この「幸福」は、精神だけではなく、肉体的にも反響を及ぼす。
オペラを聴いて恍惚とする時にも、肉体的な激しい感覚を味わい、心臓が強く刺激される。
恋愛をすれば、あらゆる考えを支配してしまう異様な狂気に捉えられ、心臓の近くにひどい衝撃を感じ、倒れそうになる。
このような状態こそが、スタンダールの「生きる」体験に他ならない。

小説の中でも、主人公の魂が「ヴァイオリンの弓」によってかき鳴らされるのは、外の世界での「征服」を果たした時ではなく、失意の中で閉じ込められる「監獄」の中である。

マチルドとの結婚を妨害する手紙を書いたレーナル夫人に裏切られたと思ったジュリアンは、彼女を拳銃で撃ち、監獄に入れられる。しかし、ジュリアンはそこで再会したレーナル夫人の愛を確信し、死刑を受け入れる。

『パルムの僧院』では、ファブリスは殺人を犯し、ファルネーゼ塔に幽閉される。
その「監獄」の窓から小鳥たちの世話をする監獄長官の娘クレリヤを見、恋に落ちる。そこでは肉体の接触はなく、視線が「ヴァイオリンの弓」となり、ファブリスの魂を震わせる。
そこで生まれる二人の愛は、『恋愛論』で説かれた「恋愛の結晶作用」の実例であり、枯れ枝をおおう結晶のように美しく輝く。

このように見てくると、スタンダールが追求した「私の幸福」は、社会的な「栄光」以上に、「感情」を本質としていることがわかってくる。
この点で、彼はジャン・ジャック・ルソーから発する流れに位置し、「内面」に人間の本質を見出す思想の持ち主であったといえる。

スタンダールの世界で本当に「生きた」といえるのは、魂が美しい音楽を奏で、内面的な幸福を味わう時なのだ。

ロマン主義との関係

スタンダールがルソー的な「内面」に価値を置く思想の持ち主であったとすれば、1820年代に反古典主義を掲げて台頭したロマン主義の作家たちのグループに加わってもよかったはずである。
しかも、彼は、パリでイギリスの劇団がシェークスピア劇を上演した際、「ラシーヌとシェークスピア」を発表している。
その中で、新しい時代には新しい文学が必要だと述べ、ロマン主義こそが時代に相応しいと主張したのだった。

それにもかかわらず、スタンダールはヴィクトル・ユゴーを中心としたグループに属することはなく、後の時代になっても彼の作品がロマン主義に分類されることはない。
スタンダールは19世紀後半に盛んなるレアリスム作家に数えられ、その証拠として、「小説は街道を散歩する鏡である。」という表現が挙げられたりもする。

この問題を考えることは、スタンダールの文学をよりよく知るための手掛かりになる。

スタンダールは感情過多で大げさな文体を嫌い、演劇においても、ラシーヌのような韻文ではなく、散文で書くことを求めた。
散文にしても、詩的散文といえるシャトーブリアンやルソーの文体は気取りすぎであり、偽善的に感じられ、より簡潔で明快な文体を好んだ。

その好みは文体の次元だけの問題ではなく、文体の生み出される源に関する問題だった。

1820年代に大きな運動となったフランス・ロマン主義は、プラトニスム的な精神性に基づいていた。
時間の流れとともに全てが失われてしまう現実は儚く、真実は現実を超えた理想の世界(イデア)にある。人間は、永遠に続く真実の世界に憧れ、決して到達できないイデアに到達したいと熱望する。その願いが抒情的な感情となってあふれ出る。
そうした現実と超現実の二元論的世界観が、プラトニスムの最も原初的な構図である。

フランスのロマン主義的抒情性は、その構図に基づきながら、現実を超えたイデア界を人間の「内面」に位置させたところから生まれた。
ルソーにおける「内面」の価値付けが、ロマン主義の起源と見なされる理由がそこにある。

現実を超越した目に見えないイデアが、肉体という覆いによって隠され、目に見えない内面=心と同一視される。
そして、今ここにはないもの、過去、夢、(文明に対する)自然、(正気に対する)狂気などこそが真実であるとされ、不在なものに対する激しい渇望が、メランコリックな抒情性を生み、ロマン主義的な美を作り出す。

19世紀初頭、シャトーブリアンがフランス革命で破壊されたキリスト教の美を称揚し、キリスト教精神を再生した。
スタール夫人は、ドイツ・ロマン派をフランスに紹介することで、神秘主義的な精神性をフランスに導入した。
彼らに続き、ヴィクトル・ユゴーたちは、現実を超越した世界を心の中に設定することで、内面の美を抒情性豊かに表現した。

スタンダールが受け入れなかったのは、フランス・ロマン主義の本質をなす、そうした抒情性だった。彼はあくまで現実の次元に留まり、神秘主義的な思想に傾くことはなかった。
スタンダールは、目の前にある美に心を動かす。今聞こえている音楽に感動する。
「風景は私の魂をかき鳴らすヴァイオリンの弓のようなものだった。」

こうした中でも最も明白な例は、恋愛中に相手を美化する傾向を、塩炭鉱の穴に投げ入れられた枯れ枝が数ヶ月後に結晶化する現象によって説明したことだろう。

ザルツブルクの塩鉱山で、人が、うち捨てられた深い穴の中に、冬に葉の落ちた木の枝を投げ入れる。2, 3ヶ月後、人がそれを引き抜くと、輝く結晶で覆われている。最も小さな枝、シジュウカラの身体よりも大きいとはいえない枝が、キラキラと眩しい無数のダイヤモンドで覆われている。人はもうそれが最初の枝だとは思えない。(『恋愛論』)

結晶の輝きはダイアモンドにたとえられる。スタンダールは、その美しさが、現実を超越した「超自然」の輝きとは決して言わない。自然現象を科学的に解明するのと同じように、恋愛の結晶化作用を論じる。
その点で、彼は同時代のロマン主義者たちとは根本的な違いがあり、ヴィクトル・ユゴーたちのグループに加わることはなかったのだと考えられる。


スタンダールの作品

『赤と黒』野崎歓訳、光文社古典新訳文庫。

『パルムの僧院』大岡昇平訳、新潮文庫。

『恋愛論』杉本圭子訳、岩波文庫。

『アンリ・ブリュラールの生涯』阿部敬二訳、富山房百科文庫。

『エゴチスムの回想』富永明夫訳、富山房百科文庫。

参考

ヴィクトール・デル リット『スタンダールの生涯』法政大学出版局 。

E. アウエルバッハ『ミメーシス』(下)、篠田一士、河村二郎訳、筑摩書房。(第18章「ラ・モール邸」)

中川久定『自伝の文学 ー ルソーとスタンダール ー 』岩波新書。

大岡昇平『わがスタンダール』講談社文芸文庫 。

映画

「パルムの僧院」クリスチャン・ジャック監督、1947年

「赤と黒」クロード・オータン=ララ監督、1954年。

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