グリム童話の楽しさ 1/3

グリム童話は、ペロー童話と同じように、民間に伝わる民話を語り直したものであるが、グリムの知名度の方が圧倒的に上である。
実際、グリムという名前は今でもよく聞かれ、児童用図書や絵本等の形で、日本でも広く親しまれている。
時には、グリム童話の残酷さがテーマとなり、子ども用の本とのイメージのギャップに焦点が当てられたりすることもある。

グリム童話のグリムとは、ドイツの文献学や古代史研究の基礎を築いたといわれるヤーコプ・グリム(1785-1863)とヴィルヘルム・グリム(1786-1859)という二人の兄弟によって編集された昔話(メルヒェン)集を指す。

1812年の初版の第一巻(86編)が、1815年に第二巻(70編)が出版された。それ以降も兄弟は昔話に手を加え、1819年に第2版を出版し、1857年の第7版まで改訂版を出し続けた。

ここでは、児童文学の誕生と発展という視点から、現在でも多くの読者を持つグリム童話の楽しさについて検討していく。

グリム童話の中の読者

17世紀フランスのペロー童話は貴族の娘たちを読者として設定していた。では、19世紀前半に収集・再話されたグリム童話が対象とした読者像はどのようなものだったのだろうか。

その問題の手がかりとなるのは、物語集の本来の題名、『子どもと家庭のための昔話(メルヒェン)集』である。この中でとりわけ「家庭」という言葉に注目したい。

ペローの物語集が出版されたのは、ルイ14世が支配する17世紀後半のフランスであり、身分制社会が確固として存在していた。他方、グリム兄弟が活動を開始したのは、フランス革命を経て市民階級が台頭した19世紀前半のドイツ。この時代には、家族の価値が高まり、子どもは以前のように里子に出すのではなく、母親が自分の手で育てるのが当たり前になっていた。
18世紀を通して、子どもが大人とは違う特別な存在であるという子ども観と、それに対応した母性愛の概念とが確立し、現在私たちの持っている価値観が出来上がった時代だといえる。
グリム兄弟が読者として考えたのは、そうした時代の市民階級の子どもたちであり、そのために題名に家庭という言葉をわざわざ入れたに違いない。

では、物語の中で、市民階級の子どもたちは、どのような存在であり、何を期待されているのだろうか。
ペローの「赤ずきんちゃん」には、物腰の柔らかな若い狼(男)に注意するようにという教訓が付けられていた。グリム版「赤ずきん」の中で、お母さんは、ケーキとワインをおばあさんに届けるようにと言いながら、娘に次のように忠告する。

暑くならないうちに出かけなさい。外へ出たら、しとやかに歩いて、道からはずれないようにするのよ。さもないと、ころんでびんを割りますからね。そしたらおばあさんに何もあげられなくなるでしょ。おばあさんの部屋に入ったら、おはようございます、って言うのを忘れちゃいけませんよ。ごあいさつしないうちから、そこらじゅうをきょろきょろ見まわしたりしないようにね。

こうした忠告は、子どもに対する礼儀作法の教えである。赤ずきん物語本来の、道草をしないようにというだけではなく、部屋に入ってからあいさつをするのを忘れず、礼儀正しくするようにという注意がある。道を歩くときにも、しとやかに歩くこと。これらは市民道徳やしきたりの一部である。

さらに、グリムは、ペローの「赤ずきんちゃん」とは異なり、物語の最後に救出劇を付け加え、狼に飲み込まれた少女は狩人によって狼のお腹から助け出される。そのことによって、食べられたままで終わる警告の物語から、象徴的な死の後に再生が続くハッピーエンドの物語へという変形が行われるのである。
そして、救出された赤ずきんは次のように物語を締めくくる。

お母さんがいけないと言っているのに、ひとりで道をはずれて森の中に入るようなことは、死ぬまでもう二度とするのはよそう。

親の言いつけに背かないというこの言葉は、最初の母の命令と対応し、赤ずきん童話が「いい子の勧め」として、グリム兄弟によって語り直されたことをはっきりと示している。

「赤ずきん」のいい子像が礼儀正しさだとすると、「灰かぶり(シンデレラ)」では敬虔さが前面に押し出される。19世紀ドイツの市民社会の中では、神を敬う気持ちこそが、哀れな境遇にいる娘の救いとなる。物語の冒頭でそのことが真っ先に示される。

あるところにお金持ちの男がいて、その奥さんが病気になりました。奥さんは、死ぬのが近いことをさとると、ひとり娘をベッドのわきへ呼んで、言いました。
「娘や、いつも神さまをうやまい、よい子でいるんだよ。そうすれば神さまがいつでも助けてくださるから。それにわたしが天国からおまえを見おろしていて、おまえについていてあげる。」
そう言うと、奥さんは目を閉じて死にました。娘は毎日お母さんのお墓へ出かけていって、泣きました。でも、いつも神さまをうやまい、よい子でした。

このように、シンデレラは母親の遺言を守り、神様を敬い、お墓に祈りを捧げて、涙を流す。彼女が最後に幸せをつかむのは、この敬虔さのおかげである。ここには、伝統的な社会における宗教観がはっきりと示されている。
ヨーロッパ市民社会の道徳の中では、キリスト教が最も基本的な部分を構成していたために、そうした道徳観が物語からきれいに透けて見えるのも自然なことだといえる。

さらに、そこには、グリム兄弟の子ども観も反映している。彼らは、物語集の第二版に付けた序文の中で、子どもの純粋性を強調している。

子どもたちは、だれしも、青みがかって白い、けがれのない、かがやくひとみをもっています。五体はまだきゃしゃで、弱よわしく、地上の仕事には適さないのに、そのひとみだけは、もうじゅうぶんに発達しています。

子どもは無垢で可愛いというだけではなく、瞳は天上の世界を見据えているかのように描かれている。それはロマン主義的な子ども観である。

18世紀フランスの思想家であり文学者であるジャン・ジャック・ルソーは、人間は文明の発達とともに堕落しており、自然状態にいる野生人の方が文明人よりも優れていると主張した。
彼の教育論と言われる『エミール』では、人間本来の姿である子ども性をゆがめない教育が描かれている。
16世紀以前には子どもは小型の大人にすぎず、足手まとい的な扱いをされていたのと比べると、正反対の見方をされるようになったのである。

子どもは大人よりも自然状態に近く、まだ何にもゆがめられていない。
19世紀初めに採集され、語り直されたグリム童話は、こうした子ども観に基づき、子どもたちが家庭の中で読む、あるいは読んでもらうべき物語として、構想されたのだった。

民話的要素

グリム兄弟は古くからドイツの民衆の中に伝わる民話を集めて出版したと、長い間考えられてきた。そこでは、「民衆」という起源が強調されている。

しかし現在では、それらの民話が必ずしも純粋にドイツ的であるとは限らないということが明らかになっている。
民話収集に協力したのは、カッセルに住むハッセンプグルーク家の娘たちだった。彼女たちの祖先は、かつてフランスから宗教的な迫害を逃れてドイツにやって来ており、家の中ではフランス語で会話をしていた。従って、娘たちがグリム兄弟に提供した物語にもフランス伝来のものが含まれていると考えられている。
また、カッセル郊外の仕立屋の妻であるフィーマンという女性も数多くの昔話を伝えた人物であるが、彼女もフランスから逃れてきた一家の子孫だった。

しかし、そうした事実にもかかわらず、グリムたちが民話を収集した時代には、ドイツの民衆に伝わった物語という部分が強調された。
その理由は何だろうか。

19世紀の初め、ドイツはナポレオンの支配下にあった。そうした中でフランスの支配からの自由を勝ち取るためには、ドイツとしての統一した価値を見つける必要があった。その旗印の一つとして、民衆の間に伝わる民話が取り上げられた。大地に根ざした物語であれば、そこで暮らす人々の根本的な心が反映しているはずである。
こうした民族自立運動の中で、盛んに民話が収集された。有名な文学者クレメンス・ブレンターノがグリム兄弟に民話の提供を依頼したのも、そうした理由からだった。

グリム兄弟は、1819年に出版した物語集第二版の「序文」で、彼らの話がどのような価値を持っているか、美しい比喩を使って説明する。

 よく見かけることですが、天からつかわされた嵐やその他の災害によって、麦がすべて地面になぎたおされたときに、道ばたのひくい生け垣やかん木のわきに、ほんのひとにぎりの地面がそこなわれずに残っていて、麦の帆がぽつぽつとまっすぐに立っていることがあります。そのうちに、お日さまがふたたびやさしく照り始めると、それらの麦はひっそりと、だれにも気づかれずに成長を続けます。大きな貯蔵庫のために、早々と、かまで刈りとられることはありません。しかし、秋も深まって、麦のつぶがたっぷり実ると、貧しい人々の手が、それらを探しにやってきます。そして穂に穂をかさね、ていねいにたばねます。それから、その束は、畑のたくさんの収穫の束よりも大切に思われて、家に運んでいかれます。それは冬のあいだじゅうの食べ物になるのです。ちょっとすると、未来への唯一の種子になるかもしれません。
 そのむかし栄えたたくさんのものが、もうほとんど残っていなくて、その思い出さえもほとんど消えてしまったのに、民衆のあいだに、歌やいくつかの本、伝説、それに、これらむじゃきな家庭のメルヒェンだけが残っているのを見ると、わたしたちは、それと同じ思いにかられるのです。

民衆の間に伝わる民話は、過去の多くのものが消え去ってしまう中で、かろうじて残された遺産であり、天災の後まで偶然生き延びた麦の穂のようなものだという。
その穂はひっとりと大きくなり、何も食べ物がないときに人々を助け、さらには未来の希望を灯してくれるかもしれない。
こうして、民話の価値が明らかにされ、そうしたものは民衆の間に伝わっているという点にスポットが当てられている。

民衆起源という側面は、実際の物語の中では、非合理的な展開や描写の部分に現れる。理性的な視点から見るとばかげた事柄が、ある意味では、民衆的であることの印として機能している。

例えば、眠れる森の美女が生まれてくる由来について、ペローとグリムを比較してみよう。
ペローの「眠れる森の美女」では、子どもができないと悩んでいる王様と王女様は、効き目があるという温泉に行ったり、願掛けをしたりする。17世紀のフランスではこうしたことが実際に行われていた。ルイ13世もその風習を実践し、後のルイ14世を得たと言われている。それほど、物語の記述が現実を反映している。

他方、グリムの物語では、誕生は超自然な要素によってもたらされる。
「いばら姫」の王様と王妃は毎日子どもの誕生を願っているが、いつまでたっても子どもができない。そんな時、お妃が水浴びをしていると、蛙が水からはいあがってきて、一年のうちに子どもができるという予言をする。そして、蛙の言葉が実現し、女の子が生まれる。
このように、いばら姫の誕生は超自然な雰囲気の中で行われる。ペローと比べると、その差は一目瞭然である。

シンデレラがパーティーに行くためのドレスを手に入れる場面でも、ペローとグリムは対照的である。
ペローの場合には、ひどく理屈っぽい。
馬車に変形されるのはかぼちゃだが、変形の前に妖精はかぼちゃの中身をくりぬき、皮だけ残して杖でぽんとたたく。つまり、形が似ているものを探した上に、馬車に人が入れるように、かぼちゃの中をからっぽにするところまで、手作業で行う。
その後の変形にしても、はつかねずみが馬に変わり、とかげが御者になるというように、形の類似が変形の条件になっている。

グリムの「灰かぶり」になると理性の陰はどこにもない。
二人の姉が舞踏会に行った後で、かわいそうな娘は、はしばみの木の下にある母親の墓まで行き、大きな声でこう言う。
「はしばみや、ゆさゆさと木をゆすぶって、わたしの上に金と銀を投げておくれ。」
すると、鳥たちが上から金と銀の服や、絹と銀で刺繍した靴を投げ下ろしてくれる。ここには合理的な説明はない。
そうした出来事が3回繰り返され、1回ずつ落ちてくるものが豪華になっていく。3回目になると、服は誰も見たことがないほど豪華できらびやか、靴は純金だと言われる。
このようにして、不思議な感じの強まる印象が生み出される。

グリム兄弟は民衆的な起源を強調し、物語の中にもそれを感じさせる超自然な要素が多く見られる。現代の読者からは、そうした要素はファンタジーにあふれているように思え、夢のある物語として受け入れられる秘密の一つになっている。

——— 続く ———

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