子どものための本が生まれるまで

「子ども用」という言葉は、大変に大きな価値観の転換を含んでいる。子供服や子ども用のおもちゃ、そして子ども用の本。そうしたものは、「子どもが大人とは違う特別な存在である」という感受性を前提にしている。ここではまず、子どもに関する感受性の変化について見ていこう。

子どものイメージ

子供用品があふれている現代から見れば、子どもは大人とは違う特別な扱いをする方が普通である。しかし、かつては、体が小さく、体力がないだけで、後は大人と同じように見られていた時代があったと言われている。

今でも、経済的に発達していない国では、幼い年齢の子どもが労働力の一部として社会の中に組み込まれ、働かされていたりする。それが当たり前だった時代が、かつてはあった。

こうした違いは、子どもをどのように見るかにかかっている。
現代においては、子どもはみんな可愛いと思い、大人になるための発達段階に応じた教育が必要だと考えられている。しかし、こうした考え方はヨーロッパでは16世紀以降に出来上がってきたものであり、フィリップ・アリエスというフランスの学者の言葉を借りれば、子どもは「体の小さな大人」にすぎなかった。子どもだからといって特別に可愛がるという気持ちはなかったのである。

フランスの16世紀を生きたアンリ・ド・カンピオン(1613-1663)という貴族は、自分の娘が死んで悲しくて涙が止まらないけれど、そんな恥ずかしいことは人には言えないと日記に書いている。
当時、一般には、子どもは労働力になる前の手間のかかる存在と考えられていた。しかも、死亡率が非常に高かった。農村で60%、都市部でも40%という調査がある。
そんな時代に、子どもを亡くしたからといってめそめそしていたら、変人と思われてしまう。だから、カンピオンは、こっそりと自分の悲しみを日記に書き付け、人から悟られないように自分を慰めたのである。

子殺しもあった。飢饉になれば、犠牲になるのは弱い存在である。口減らしは、極貧の中で人間が生きて行くために、やむ終えない選択だっただろう。16世紀にキリスト教の御触れ一つに、1歳以下の子どもと添い寝禁止という事項があったという。
なぜ一緒に寝てはいけないのか。それは、食べる物がないとき、子どもを厄介払いしてしまうことがあったからである。

子ども殺しの話は、ペローの「親指小僧」やグリム兄弟の「ヘンゼルとグレーテル」にも見られる。
物語の焦点が親指小僧の知恵や、二人の子どもがたどり着くお菓子の家にあるためにあまり気にならないけれど、物語の初めは「飢饉」と「子捨て」をテーマにしている。
これは決して架空の話ではなく、現実の反映である。貧しい家庭で食べる物がなければ、子どもを犠牲にすることもあっただろう。

上流社会では、赤ん坊がある程度の年齢になるまでは、里子に出すことが一般的だった。
昔の絵画には、布でぐるぐる巻きにされた子どもの姿が出てくるものがある。飼い葉桶の中のキリストでさえ、そんな状態で描かれている。つまり、ぐるぐる巻は決して虐待の証拠ではなく、どんな子どもにも行われていた習慣だと考えられる。
うるさく泣きわめく子どもは、そんな状態で、家の柱にぶらさげられていることもあったという。

ただし、子どもを布でぐるぐる巻きにすることは子どもを粗末に扱うことではなく、単なる習慣にすぎないという考え方もある。
正高信夫は、ペルーのアンデス山脈を調査し、今でも乳幼児をそのようにして扱い、大切に育てているという説を提出している。彼はまた、動物学者コンラート・ローレンツの説に基づき、子どもの外観には可愛らしさが備わっており、それは普遍的なものであると主張する。
しかし、それは私たち自身がすでにその可愛らしさの感受性を身につけているためではないのか。可愛い基準はあくまでも文化的なものと考えた方がいいだろう。

そんな視点で中世の絵画を見ると、子どもの顔がまったく子どもらしくないことに気づく。どの子どもの顔も大人と変わらない。大人びているとか、こまっしゃくれているというのではなく、大人の顔をしていて、ただ体が小さいというだけの違いしかない。

こうしたことから、少なくともヨーロッパの中世では、子どもを特別に可愛がる存在とみなす感受性が成立していなかったということがわかってくる。

民話は残酷でエロチック

子どもが大人と区別されない時代には、子ども用に特別に何かを作るということはない。昔話や民話も、大人たちが労働の傍らで語っていた話であり、子どもたちがそれを一緒に聞いていた可能性はあっても、子ども向けに語られ直されたわけではない。
こうした話には、残酷な場面や性的な場面がちりばめられていた。

グリム童話が残酷だという説が一時期話題に上ったが、それは決してグリム童話が特別に残酷だということではなく、昔話や民話自体が本来そうした要素を含んでいるにすぎない。
17世紀後半のペロー童話には多少暴力的な場面が残っているとしても性的な場面は全く消し去られている。
グリム兄弟が昔話を子どものために語り直した19世紀前半には、残酷さの基準が現在とは違い、社会の中で許容されていた。
暴力や性が子どもを対象にした文学作品から完全に排除されるのはアンデルセン童話からであり、その傾向は20世紀になりディズニー映画によって完全に定着したといっていい。

例えば、フランス大革命の時代、ギロチンで首を切り落とす処刑は民衆の間の一大イベントであり、子どもたちも含めて大喜びで処刑を眺めていたという。
しかし、その後しばらくして、フランス人の感受性は大きく変化した。
シャルル・ノディエ(1780-1844)という作家は、小さい頃の思い出に残っているギロチンが、大人になってからも目に焼き付いていると、30年以上後になってから書き記している。以前は喜んで見ていた断頭の場面が、ある時代からは残酷すぎると感じられるようになったのである。

グリム兄弟の童話は子どもにも残酷な場面が許されていた時代に再話されたのだといえるが、しかし、彼らが語り直した物語は、もともと、残酷な場面を多く含んでいたのである。

また、性的な場面も、昔話や民話の中で語られた。エロとグロはある意味で人間の密かな楽しみの供給源であるといえ、昔はそれらを隠すことがなかった。

民話版の「赤ずきん」には性的な場面がある。おばあさんがベッドに入る前、少女は着ている服を一枚ずつ脱いでいったりする。この場面をストリップチーズと呼んでいるアメリカの学者もいる。
ペローが教訓の中で言っているように、狼が男だと考えれば、ベッドの中で食べられるのは性行為に他ならない。
残酷な場面にも事欠かない。
狼はおばあさんを殺し、肉を皿にのせ、血はワインカップに入れる。赤ずきんはベッドに入る前に、そのステーキを食べ、ワイン(血)を飲む。猫がそれを赤ずきんに教え、残酷さを際立たせる物語もある。

夢のある話の代表ともいえるシンデレラ物語にも残酷さは数多くある。
よく知られているように、グリム兄弟の「灰かぶり」の最後は、意地悪な姉たちが鳥に目をえぐられる、それこそえぐい話である。
16世紀イタリアの作家バジーレの「猫のシンデレラ」でも、シンデレラは最初にまま花を殺してしまう。

民衆が耳を傾けた物語は、本来、これほど残酷で、エロチックな装置が施され、物語に耳を傾けている者たちの興味をそそったに違いない。
そして、子どもたちも大人と区別なく、同じ物語を聞いていた。そこには、子どもだから特別に保護しないといけないという感受性は感じられない。

発達段階という意識の不在

子ども概念がまだ存在していない時代には、子どもを大人から区別するものは体力だけであり、体が大きくなれば労働力として社会の中に参入された。

ある文明の中では、参入のための儀式が行われ、試練となる儀式を経ることで大人の社会に正式に仲間入りを許された。
ここにあるのは、大人と子どもという区別である。しかし、それ以上の細分化はなかった。つまり、子どもの年齢に応じた発達段階という発想はなかったと考えてもいい。

現在では、絵本にも3歳からとか小学校低学年用等、子どもの知的な成長に合わせたレベルが考えられている。こうした考えは、科学の進歩、生物の進化の過程と同じ思想に基づくものであり、近代的な発想である。

この時間意識について、4月に美しい花を咲かせる桜を例にとって考えてみよう。
桜は毎年同じように花を咲かせる。しかし、それは同じ花ではなく、一つ一つは別の花である。

その時、「反復」に視点を向けるのは伝統的な社会であり、「違い」に視点を向けるのが近代社会である。
満開の桜の同じ側面を重視すると、そこに時間の進展はない。毎年の桜の季節が巡ってくることが自然に感じられる。
他方、異なる側面に力点を置けば、桜は咲くとしても、同じ桜ではない。すると、昨年と今年にかけて時間が経過したことに注意が向く。
伝統的な社会から近代への移行は、こうした時間の捉え方の変化を基礎としている。

この時間意識を人間に当てはめると、「成長」という考え方が近代になって出てきたことがよくわかる。
子どもは時間とともに変化し、体格だけではなく、知的機能も成長すると考えられる。それは個人の差ではなく、年齢に応じて、発達するという見方がされるようになる。
年齢別の学校制度は、そうした子どもの発達段階を前提にしている。

16世紀フランスの思想家モンテーニュの父親は、息子にラテン語を習得させるため、生まれた時からラテン語で教育させ、家庭教師にもラテン語しか使わせなかった。そのために、モンテーニュは幼い頃からラテン語で書かれた古典文学に親しむことができた。
その際、子どもだから難しい文学作品は理解できないという発想はなかった。

年齢と理解力に相対的な関係を見るというのは、発達という思想が成立した後でしかない。

子ども概念の成立

私たちにとって当たり前の子ども像は、近代の産物にほかならない。

子ども概念の成立を示す一つの例が、子供服の発明である。
それまで子どもは大人の服を縮めて着ていた。言い換えると、大人用の服と子どもの服には区別がなかった。
17世紀頃になって、子どものための服が作り始められたと言われている。

子ども概念が成立すると、じょじょに大人たちは子どもを特別な存在と見なすようになる。子どもとは愛らしく、純粋で、保護すべき対象だと感じられる。そうした子どもに対する特別な愛情がはっきりとした形を取ったのが、母性愛と呼ばれる感情である。

母性愛も人間が自然に持つ感情ではなく、文化的な要素が複合的に重なり合った末に出来上がった感情である。この場合、子どもが特別に可愛いという感受性が母性愛を生み出したと考えられる。
それまで母親は子どもを里子に出し、そのまま一生会うことがなくても別段平気だった。12世紀の有名な哲学者アベラールはエロイーズとの間に子どもをもうけるが、すぐに里子に出してしまい、それ以降、彼らの書簡に子どもに対する言葉はまったく出てこない。
その反対に、18世紀になると、母親たちは子どもに特別な愛情を注ぐようになる。(エリザベート・バダンテール『母性愛という神話』)

子ども期が大人になるための準備期間だと見なされるようになると、子どもは可愛がるだけではなく、教育の対象にもなる。
小さな子どもはまだ知性が発達していないので、簡単なことから教える必要がある。そして、大きくなるに従って、少しずつ難しいことに進んでいく。
そのようにして、発達段階に合わせた教育が行われる。学校でいえば、年齢別のクラス編制が行われ、同じ歳の子どもには同じレベルの内容が教えられ、年とともに難易度は上がっていく。
個人の能力差ではなく、年齢による発達概念が優先するのである。

子どもに対する意識が変化する中で、子どもに話していいことと悪いことも区別される。
性的な要素は早い時期から子どもに対する禁止事項になった。民話や昔話が子ども用に改変させるとき、真っ先に削られるのは性的表現である。
他方、残酷さは許容される度合いが大きく、グリム童話ではまだかなり残酷な部分が残っている。

文化的な検閲は時代や社会によって変化するが、基本的には、性的な表現が最初に削られ、次に暴力が子どもの目から遠ざけられた。
現代においては、子どもに安心して読ませることのできる物語からは、性も残酷さも排除されている。その典型は、ディズニー映画である。

子ども概念の成立は、このように、子どもをめぐる様々な現象を生み出すことになった。そうした現象の一つが児童文学である。

児童文学の成立 ペローの児童文学観

子どもを大人とは違う特別な存在と見なすと、大人とは反対の価値観が子どもの中に映し出されるようになる。
大人は不純だが、子どもは無垢で純粋だと考えられる。
大人は決まった物の考え方しかできなくなってしまっているが、子どもは自由な発想をすると言われる。
逆に、大人は理性が発達し、知的な理解ができる。しかし、子どもはまだ理性が十分に発達していないために、知的な理解力は十分発達していない。

こうした子ども像をもとに、子どものための物語も語られるようになる。
それを最初に実践したのは、ルイ14世の宮廷で活躍したシャルル・ペローである。1628年に生まれ1703年に死んだこの文人は、17世紀の後半、フランスに古くから伝わる昔話を取り上げ、宮廷に集う貴族の子女たちに向けた物語になるように潤色をほどこした。
『過ぎし時代の物語集』と題されたこの本には、児童文学の誕生を記す一つの版画が挿入されている。そこには、暖炉を前にして、糸を紡ぎながら、三人の子どもたちに昔話を語る老婆の姿が描かれている。扉には、『がちょうおばさん(マ・メール・ロワ)の話』という題名らしき言葉が記されている。

この場面は、実際に昔話がこのようにして語られたというよりも、そうした情景を昔話の語りの現場として人々に信じさせる役目を担っていた。
民話や昔話は本来大人たちが炉端で夜の仕事等をしながら聞いたものであった。それに対してペローは、昔話は子どもたちに聞かせるものだという、この時代にはまだ新しい状況を作り上げ、それを挿絵によって定着したのである。

さらに「序文」の中では、子どものための本の役割について明確に定義している。この序文は、児童文学という文学ジャンルにとって決定的に重要な意味を持っている。

 私たち(フランス人)の祖先が子どもたちのために考え出した昔話(中略)の語り口には、ギリシア人やローマ人が彼らの寓話を飾っていた優雅さや楽しさというものがありません。けれども彼らは、昔話の中に称賛に値いする有益な教訓が含まれているるように、いつもおおいに心をくだいてきました。どの話の中でも、美徳はむくわれ、悪徳は罰せられます。昔話はどれもこれも、誠実で、我慢強く、思慮ぶかく、働き者で、言うことをよくきく人のほうが有利であること、そうでない人には禍が降りかかることを示そうとしています。
 ある時には妖精たちが、礼儀正しい受け応えをした娘に、なにか一こと言うたびにダイヤモンドか真珠がひとつずつ口から飛び出すようになる、という贈り物をし、また乱暴な受け応えをしたもうひとりの娘には、なにか一こと言うたびに、かえるやひきがえるが一匹ずつ口から飛び出すようになる、という贈り物をします。またある時には、父や母の言いつけをよく守った子どもたちは立派な貴族になり、いっぽう、ひねくれものの、言うことをきかないほかの子どもたちは恐ろしい不幸におちいってしまう、というようなぐあいです。

まず注目に値するのは、昔話はフランス人の祖先が「子どもたちのために」考えたものだと主張していることである。
私たちにとって、このペローの言葉は当たり前になっているので、逆に、ここにある「ねじれ」を理解することが難しい。

すでに見てきたように、昔話は子供用ではなく、大人が楽しんだものである。従って、子どもは傍らで一緒に聞くことがあったにすぎない。従って、「子ども用に作られた」というのは、ある意味では「間違い」あるいは「嘘」である。
しかし、ペローはここで「子ども用」ということをあえて強調し、それが本来の姿であるかのように言う。つまり彼は、新しくできた子ども観に従い、昔からある民話を子どもに向けて語り直すのだが、それを昔からの伝統であるかのように主張し、児童文学を正当化した。

その正当化の根拠は「教訓」である。
現代では、教訓は悪者扱いされることもよくある。教訓臭い物語は児童文学の敵であるかのように言われたりもする。しかし、ペローによれば、子ども向けの話の価値は、本来、「称賛に値する有益な教訓」によって支えられてる。

そのペローの教訓とは、「美徳はむくわれ、悪徳は罰せられる」という単純なもの。礼儀正しい娘の口からは真珠が出、乱暴な娘の口からは蛇や蛙が飛び出す。日本で言えば、「花さかじいさん」がすぐに頭に浮かぶ。
子どものための教訓では、複雑な社会の仕組みや矛盾に満ちた現実の様相を教える必要はない。一点の曇りもない澄み切った道徳観、それを教訓として伝えるだけでいい。いいことをすればいいお返しがあり、悪いことをしたら悪いことが返ってくる。そんな単純な教訓を、ペローは子ども向けの物語集の中心に据えた。

では、その教訓は、どのような役割を果たすのか。

 こうしてあらゆる寓話の中で起こる出来事は、たとえどれほどたわいない、変てこなものだったとしても、子どもたちの心に、いま幸せになるのを見た人のようになりたいという願いと、また悪い人が悪い行いのゆえにおちいる不幸への恐れとを、同時にかきたてることは確かです。父親たち母親たちが、根拠はあってもまるで面白みのない真理というものをまだ味わえないでいる子どもたちに、それを好む気持ちを起こさせ、また幼い年ごろにふさわしい楽しげなな語り口につつんで、いわば、そんな真理をぺろりと飲み込ませてしまうというのは、たたえられてしかるべきことではないでしょうか。
 けがれを知らない子どもたちの、生まれつきの一本気をまだ少しもそこなわれていない魂が、それらの隠れた教訓をどんなに貪欲に受け入れいれていくものか、これは信じがたいほどのことです。見れば子どもたちは、昔話の主人公の男あるいは女がひどい目にあっているかぎり、悲しんだり落胆したりしていますが、ひとたび幸せなときが訪れれば、歓喜の叫びをあげます。同じように、いじわるな悪人悪女が栄えている間は、がまんできない様子でいらいらしていますけれど、そのあげくに、とうとう、当然の罰がくだされる場面をまのあたりにすると、子どもたちはもう大喜びです。このようにしてまかれた種子は、はじめは喜びや悲しみといった感情しか生み出しませんが、やがてほとんど例外なく、好ましい性向を開花させることになるのです。

この一節は、新しく成立した子ども観の二つの側面を前提にしている。
1)子どもはまだ知性が発達していないので、「おもしろみのない真理」を理屈で理解することはできない。
大人と違い、まだ理性が十分に発達しておらず、感情だけに動かされる存在とみなされる。
2)そうした状態にある子どもは、けがれを知らず、「生まれつきの一本気をまだすこしもそこなわれていない魂」を保っている。純粋で無垢な子ども像がここには見て取れる。
このように、子どもは、知性は未発達だが、心は素直なままという、二重の様相の下で捉えられていることがわかる。

この子ども観は、私たちが現在持っている子どもに関する見方と同じである。注意したいことは、ペローがこの序文を書いている17世紀後半にはそれは新しい子ども観であり、それ以前において子どもは「小さなの大人」にすぎないと思われていた、ということである。
この新しい感受性が生まれた結果として、子どもは大人とは違う特別な存在だと考えられるようになり、その結果、子どものための本も書かれるようになったと考えてもいいだろう。

その上で、ペローは大変に興味深い物語論を展開する。
まず、物語は楽しくないといけない。理屈を言われてもよく理解できない子どもには、教訓をそのまま提示しても意味がない。例えば、善行は報いられるという言葉を聞いた子どもは、その言葉尻を捉えることはできても、興味を引かれることはないだろう。
そこで、ペローは、「まるで面白みのない真理」を「楽しげな語り口」につつんで、子どもたちに飲み込ませることが大切だと考える。

子どもたちは、ためになる教訓が含まれているかどうかなど考えず、楽しい物語を聞いて大喜びする。主人公がひどい目にあえば一緒に悲しみ、涙を流す。勝利を得たときには、自分も一緒に喜び、心が晴れ晴れする。悪者が罰を受け、ひどい目にあうと、いいきみだと思う。
子どものための物語であれば、子どもたちが話の中に入り込み、主人公とともに一喜一憂することができる物語でなければならない。

こうした追体験こそ児童文学の重要な鍵となる。
子どもたちは物語を聞いて感情的な反応をしながら、幸せになる人を見て自分もそうなりたいと願う。悪人が不幸になるのを見て、そうなりたくないと思う。子どもたちは主人公のまねをする。
実際の社会の中ではできないことを、子どもたちは物語の中で主人公を通して体験し、自分でも主人公のようになりたくて、いい行いをするようになる。感情的に受け入れた物語が、読者である子どもの中で実際の行動の価値基準になっていくのである。

ペローはこうした物語の価値を、花の種にたとえる。
物語は種子であり、子どもたちはそこに教訓が含まれているとは知らず、飲み込む。その時にはただ楽しかったり、悲しかったりするだけである。しかし、時間が経つと、その種は「好ましい性向」、つまり、美徳を好む気持ちという美しい花を咲かせる。
こうした原理こそが、ペローの考える子どものための本の最も大切な点である。

物語の構造と子どもの成長

こうして生まれた子どものため物語は、多くの場合、一つの基本的な構造に基づいている。
その構造は子ども向けの話だけではなく、実は、世界中に広がる物語に共通していて、物語から枝や葉を取り除いていくと見えてくる幹のようなものである。

子ども向けの物語の場合、神話や民話、昔話と同じように、その構造は比較的明確に描き出されていることが多い。

1)「欠如 → 試練 → 充足」

A)欠如

一般的に言えば、物語は負の状態から始まる。
シンデレラは家の中でいじめられている。赤ずきんちゃんは、おつかいのための家を離れる。長靴をはいた猫の主人は食べる物を手に入れることができない。親指小僧やヘンゼルとグレーテルは森の中に捨てられる。
このように主人公は何かが欠如した状態に置かれている。

B)試練

次の段階で、主人公は様々な試練を受けることになる。
シンデレラは義理の母や姉たちからの嫌がらせを耐え忍び、舞踏会に行くことも禁じられる。
赤ずきんちゃんは狼に出会い、そして食べられてしまう。
森の中に捨てられた兄弟たちは、人食い鬼や魔女に食べられそうになる。
こうした主人公の試練が物語の中心をなす。

その試練には、必ず敵が出てきて、主人公を苦しめる。敵は常に強大であり、主人公はその前では無力な存在であることもしばしばだ。
そんな時には、主人公を助けてくれる援助者が現れることもある。
長靴をはいた猫は、援助者が物語の題名になっている。
シンデレラであれば、舞踏会に行くための衣装を与えてくれる援助者がいる。
眠れる森の美女であれば、主人公は眠っているだけで、王子様が救出に来てくれる。

C)充足

自力でにしろ、援助者に助けられるにしろ、試練をくぐり抜けた主人公には、最後にハッピーエンドが待っている。シンデレラや眠れる森の美女は王子様と幸せな結婚をし、森に捨てられた兄弟は富を手に入れて家に戻ってくる。こうして、「欠如」が「試練」を経て「充足」に至る。
この基本構造は、どのような物語でも変わることがない。

ただし、ペローの赤ずきんちゃんのように、狼に食べられたところで終わり、狩人による救出劇がない、つまり「充足」が欠けていることもある。
しかし、その場合でも、物語が試練の場面で終わり、充足の部分の前で終わっているだけで、基本構造に変わりはない。
そして、ハッピーエンドで終わらない物語は、警告の物語だと考えられる。子どもたちに、親の言いつけを守らないと、赤ずきんのように悪い罠にかかるから気をつけなさい、という注意を与える役割を果たしているのである。

2)「死と再生」のリズムと子どもの成長

A)死と再生のリズム

こうした物語の基本構造は、「死と再生のリズム」に対応している。
すべての物は時間とともに古くなり、新しく生まれ変わるためには、一度死をへなければならない。
「試練」は「象徴的な死」の体験であり、それに打ち勝つことが再生へとつながる。
夏に美しく輝いた自然も冬には死を迎え、春に再び蘇る。
人間も、成長するためには、古い自分が一度死に、新しい自分を作り出さなければならない。
試練や死を恐れていては、欠如を充足に変えることはできない。再生するためには、象徴的な死を通り抜けなければならないのである。

B)子どもの成長

死と再生のサイクルは、子どもが成長していく中で経験するリズムと対応している。
子どもはさまざまな試練に出会い、それらを乗り越えることで、古い自分から新しい自分へ生まれ変わって行く。試練がなければ、成長もない。
成長とはこれまでの自分との断絶である。古い自分にいつまでもとどまっているかぎり成長はない。
物語の基本構造は、このリズムを子どもの心に刻んでくれる。

多くの場合、主人公は試練を乗り越え、ハッピーエンドを迎える。どんなに苦しい思いをしても、最後はむくわれる。
「美徳はむくいられ、悪徳は罰せられる。」
ペローも強調するように、この単純な教訓こそ、子ども用の物語の最も大切な「種子」である。
古い自分から新しい自分へ生まれ変わろうとするとき、大きな試練に打ちのめされ、象徴的な死の体験をする。その時、最後は必ずむくわれるという確信を、物語は与えてくれるのである。

その上、「援助者」の存在もある。
親指小僧やグレーテルは自分の知恵で敵を出し抜き、試練を乗り越える。
他方、シンデレラは自分でパーティー用のドレスを作るのではなく、援助者に与えてもらう。
眠れる森の美女は、何もせずに眠っているだけである。ここでは、「待つ」ことが自分を助けることにつながる。
長靴をはいた猫の主人は、猫の言うことを聞いて行動するだけである。それでも、富を手に入れ、王女と結婚する。
このように、主人公の力だけでは乗り越えられない試練があっても、正しい行いをしていれば、必ず援助者が現れ、主人公を助けてくれる。自分でどうにもならなくなったとして、何かが動き、誰かが助けてくれる。

このように、援助者の存在と試練の克服は、読者である子どもの心の中で、「世界に対する信頼感」を養ってくれる。そのおかげで、子どもは、児童文学を通して、「肯定的な世界観」を身につけていく。
このことは、ペローが子どものために物語を語るという構図を作り上げたときから、最も重要な点として留意したことである。


子ども概念のない時代から、子どもが特別な存在とみなされる時代に移行したときに、子どもにふさわしい物語も発明された。
そこでは、基本的な物語の構造に則り、正しい行いをする主人公が最後には試練を乗り越え、幸せになる。
こうした物語を通して、児童文学は子どもを楽しませながら教育する道具として、世界中に広まって行くことになった。

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