
『セビリアの理髪師(Le Barbier de Séville)』は1775年に初演されたボーマルシェの戯曲。
後に、ロッシーニによって作曲され、喜劇の内容を持つオペラとして現在でも人気を博している。
若い男女(アルマヴィヴァ伯爵とロジーヌ)の恋愛をめぐり、二人を助ける召使い(フィガロ)、ロジーヌと結婚しようとする医師(バルトロ)、バルトロの味方をする音楽教師(バジール)たちが繰り広げる物語は、18世紀後半のフランス革命を前にした時代には、権力者に対する市民の知恵を表現したものと受け取られ、上演許可までに紆余曲折があったことが知られている。
今回はそうした時代的な考察を抜きにして、アルマヴィヴァ伯爵が町に来ていることを知った音楽教師バジールが、バルトロに向かって伯爵を厄介払いする策略を告げる場面を読んでいくことにする。
その策略とはcalomnie、つまり、相手を悪く言い、悪い噂を広めること。
これは、現代の社会において、SNSやTwitterなどの手段でばらまかれる悪意ある言葉がどのように力を振るうのかを考えることにつながる問題でもある。
『セビリアの理髪師』の第2幕第8場で、バジールはバルトロの家にやって来て、アルマヴィヴァ伯爵が変装してロジーヌに会おうとしていると告げる。
Basile.
J’étais sorti pour vos affaires. Apprenez une nouvelle assez fâcheuse.
Bartholo.
Pour vous ?
Basile.
Non, pour vous. Le comte Almaviva est en cette ville.
Bartholo.
Parlez bas. Celui qui faisait chercher Rosine dans tout Madrid ?
Basile.
Il loge à la grande place, et sort tous les jours déguisé.
Bartholo.
Il n’en faut point douter, cela me regarde. Et que faire ?
Basile.
Si c’était un particulier, on viendrait à bout de l’écarter.
Bartholo.
Oui, en s’embusquant le soir, armé, cuirassé…
Basile.
Bone Deus, se compromettre ! Susciter une méchante affaire, à la bonne heure ; et pendant la fermentation calomnier à dire d’experts ; concedo.
Bartholo.
Singulier moyen de se défaire d’un homme !
バジール
あなたのことで、家から出ていました。悪い知らせをお知りください。
バルトロ
あなたにとっての(悪い知らせ)?
バジール
いいえ、あなた様にとってのです。アルマヴィヴァ伯爵がこの町にいるのです。
バルトロ
小さな声で話してくれ。マドリッド中でロジーヌを探させていたあの男か?
バジール
あの男が大広場のあたりに宿をとり、毎日、変装して出掛けているのです。
バルトロ
では間違いない。私にとっては一大事だ。どうしたらいい?
バジール
一般の市民としてなら、遠ざけることができるかもしれません。
バルトロ
そうだな。夜、待ち伏せしてやろう。武器を持ち、鎧を着てな。・・・
バジール
とんでもない、自分の身を危険にされすなんて! 厄介なことを引き起こせばいいのです。で、動揺している間に、どんどん悪く言うのです。私はこのやり方がいいと思います。
バルトロ
一人の人間を厄介払いするにしては、奇妙な方法だな!
ここでとりわけ興味深いのは、一人の人間を厄介払いするのに、暴力を使うよりも、相手をおとしめる言葉の方がいいという言葉。
バルトロは、相手を厄介払いするには、暴力を振るうしかないと考えている。それが普通の考え方だろう。
他方、バジールは暴力を避ける。その理由は、武装して相手を不意打ちするとしても、自分の身を危険に晒す可能性があるからである。
一方、誹謗中傷であれば、自分に危険は及ばないし、どこまででもできる。
「自制することなく悪口を言う(calomnier à dire d’experts)」という表現は、SMSで匿名の攻撃をする際の過激さを連想させる。
対面して悪行を言う場合には、相手からの反論がある。匿名であれば、自分の身は安全なところにある。
その違いは、バルトロとバジールの違いと対応している。
次に、ベジールは、誹謗、中傷、悪口がどのように効果を発揮するか、順序立てて説明していく。
Basile.
La calomnie, monsieur ! vous ne savez guère ce que vous dédaignez ; j’ai vu les plus honnêtes gens près d’en être accablés. Croyez qu’il n’y a pas de plate méchanceté, pas d’horreurs, pas de conte absurde, qu’on ne fasse adopter aux oisifs d’une grande ville en s’y prenant bien : et nous avons ici des gens d’une adresse !… D’abord un bruit léger, rasant le sol comme hirondelle avant l’orage, pianissimo murmure et file, et sème en courant le trait empoisonné. Telle bouche le recueille, et piano, piano, vous le glisse en l’oreille adroitement. Le mal est fait, il germe, il rampe, il chemine, et, rinforzando de bouche en bouche, il va le diable ; puis tout à coup, ne sais comment, vous voyez calomnie se dresser, siffler, s’enfler, grandir à vue d’œil. Elle s’élance, étend son vol, tourbillonne, enveloppe, arrache, entraîne, éclate et tonne, et devient, grâce au Ciel, un cri général, un crescendo public, un chorus universel de haine et de proscription. — Qui diable y résisterait ?
Bartholo.
Mais quel radotage me faites-vous donc là, Basile ? Et quel rapport ce piano-crescendo peut-il avoir à ma situation.
Basile.
Comment, quel rapport ! Ce qu’on fait partout pour écarter son ennemi, il faut le faire ici pour empêcher le vôtre d’approcher.
バジール
悪口というのはですね、あなたが軽く見ているようなものではありません。私はこれまで、非常に立派な人たちが悪口で押しつぶされそうになっているのを見てきました。おわかりいただきたいことは、たいしたことのない意地悪も、ひどくおぞましいことも、ばかげた作り話も、うまくやれば、大きな町に住む暇人たちに受け入れさせられないようなものはないということです。それに、ここには巧妙な人々がいます!・・・ まず最初に、軽い噂。嵐が来る前の燕のように、地面をすれすれに飛んで行きます。ピアニシモ(とても弱く)でささやき、流れ、走りながら、毒矢をまいていきます。誰かの口がそれを拾い、ピアノ(弱く)でピアノで、人の耳にそれを巧みに滑り込ませます。悪が出来上がり、芽が生え、地を這い、ずんずん歩みを続けます。リンフォルツァンド(とりわけ強く)、口から口へと悪魔は進みます。次に、どんなふうにしてなのか、悪口が立ち上がり、口笛を吹き、みるみる大きくなるのが見えてきます。悪口が飛び上がり、遠くまで飛び、旋回し、包み込み、引き抜き、連れ去り、爆発し、大きな音を立て、天上の神様のおかげで、全体の叫び声になり、みんながクレッシェンド(だんだん強く)し、憎しみと追放を声を揃えて叫ぶのです。—— どこの誰がそれに抵抗できるでしょう?
バルトロ
バジール、何をくどくど言っているんだ? そのピアノ — クレッシェンドが、私の状況と何の関係があるんだ?
バジール
どんな関係ですって! 敵を遠ざけるためにみんながどこでもすることを、ここでもして、あなたの敵が近づかないようにしないといけないのです。
バジールはここで、相手を打ちのめす(accabler)ための悪口には、つまらない意地悪(plate méchanceté)もあれば、おぞましいこと(horreurs)も、ばかげた作り話(conte absurde)もあることを告げた上で、それらを暇な人々(oisifs)に信じさせればいいだけだとする。
暇な人というのは、要するに、他にすることも考えることもなく、自分では自覚しないまま時間を持て余している人というくらいの意味だろう。
何も根拠がないことでも、上手くやって彼らに信じさせることできれば、誹謗・中傷の言葉で人々の憎しみを掻き立て、社会から排除することも可能になる。
その具体的な方法に関して、バジールは音楽を教えている者らしく、音楽記号を使い、順次説明していく。
1)ピアニシモ pianissimo
ちょっとした噂を流す。
それは燕のように低空を素早く飛び、毒のついた矢をばらまいていく。
2)ピアノ piano
悪い噂が耳に入ると、悪意が生まれ、それが連鎖していく。
3)リンフォルツァンド rinforzando
一度悪意が出来上がると、口から口へと反復され、最後は誰もが憎しみに駆られ、対象となった人を追放しようという気持ちになっていく。
その速さや激しさは、「悪口が飛び上がり、遠くまで飛び、旋回し、包み込み、引き抜き、連れ去り、爆発し、大きな音を立て」と、目に見えるような形で語られている。
また、ちょっとした噂(un bruit léger)だったものが、最後には多くの人々を巻き込んでいく怖ろしさは、「全体の叫び声(un cri général)」、「みんながクレッシェンドし(un crescendo public)」、「声を揃えて叫ぶ( un chorus universel)」といった表現によって、はっきりと伝えられる。
このように見てくると、バジールの言葉は、まさに「誹謗・中傷の技術(art de la calomnie)」の解説と言ってもいい。
ピアニシモから始まったちょっとした言葉が、ピアノからリンフォルツァンドへと進み、一人の感情が多くの人々の感情をクレッシェンドの状態に導き、集団的な憎しみを掻き立てる。
その過程は、18世紀の噂話でも、21世紀のSNSやTwitterでもほとんど変わらないといってもいいだろう。
私たちはバジールのセリフに接することで、集団的な感情が出来上がるきっかけがほんの小さな噂かもしれないと問いかけてみることができる。
もしかすると、その最初の噂は、全く根拠のない悪意ある言葉だったのかもしれない。
しかも、噂の発信者は直接相手と向き合っているわけではないので、自分の身は安全なところに置いているのかもしれない。
そんな風に考えていくと、クレッシェンドの状態の根拠を問い直すこともでき、集団的な誹謗・中傷に加担する危険を避けることにもなるだろう。