
オノレ・ド・バルザック(1799-1850)は、16世紀の作家フランソワ・ラブレーに匹敵する言葉数の多さで、全てを語り、全てを説明し、全てを解明しようとした19世紀前半の小説家。
90巻以上の小説で構成される「人間喜劇」シリーズでは、「戸籍簿と競争する」という言葉で示されるように、ナポレオン失脚後のフランス社会全体を体系化して描き出そうとした。
その試みは、18世紀の博物学者ビュッフォンの『一般と個別の博物誌(Histoire naturelle, generale et particulierey)』に匹敵すると言ってもいい。
「博物学」とは、動物、植物、鉱物など自然界に存在する全てのものを対象として、収集し、分類する学問。
ビュッフォンは、地球、人間、自然の歴史といった一般論から始め、動物、鳥類、鉱物、元素など個別的な事物を体系的に記述し、数多くの精密な挿絵も含め、彼の死後に発表された巻を合わせると、全44巻に及ぶ百科事典を作り上げた。




バルザックは、ビュッフォンが自然界に関して行った作業を、人間社会に置き換えて実現しようとしたと言ってもいいだろう。





ナポレオンの失脚後、ブルボン王朝が返りざいたフランスには、王、貴族という上層階級、産業革命によって富を蓄えたブルジョワ階級、農村から都市に殺到する労働者たちのうごめく下層階級など、多様な階層による社会が形成されていた。
バルザックが、「自然界の歴史(histoire naturelle)」をモデルにして、「人間界の歴史(histoire humaine)」を書こうとする時、革命以前のように王や偉人の業績をたどるだけの歴史では、社会全体の動きを捉えることができなくなっていた。「博物誌(histoire naturelle)」に匹敵する歴史を執筆するためには、人々の暮らしをつぶさに描き出すことが必要となる。
歴史家としてのモデルは、『アイヴァンホー』の著者であるイギリスの歴史小説家ウォルター・スコットだった。
バルザックが描こうとするのも、パリ、地方、政治、軍隊、田園など、様々な場所での「生活情景」だった。
このように現実社会を小説の中で再構成するという姿勢は、19世紀後半のレアリスムや自然主義を思わせ、バルザックは、スタンダールと並んで、レアリスムの先駆者と見なされることがしばしばある。
しかし、バルザックのもう一つの大きな精神性として、神秘主義的な傾向があり、超自然な力が常に彼の作品世界の中に含まれている。
そして、リアリスムと超自然が矛盾なく同居するところに、バルザック作品の面白さと魅力が潜んでいる。
すでに指摘したように、博物学は自然界に存在する全てのものを収集し、分類することを目指した。その際に、以下の作業が行われることになる。
(1)観察 —— 描写
(2)分類 —— 目録作成
(3)分析 —— 意味の解明
バルザックは、王政復古時代の社会に対して、これらの作業を行ったのだといえる。
(1) 観察 —— 描写
約90巻の小説からなる「人間喜劇」の中に登場する人物の数は、2000人を超えると言われている。
また、一つの小説の中に登場した人物が別の小説にも登場する「人物再登場法」という技法に従い、2つ以上の作品に出てくる人物の数も200人以上に上る。
登場人物に関する描写は、博物学的に詳細で、見掛けだけではなく、気質や社会状況まで分かるような描き方がされる。
『ゴリオ爺さん』に出てくるヴォケール夫人は、夫を亡くし、パリで貧しい下宿屋を営んでいる。

まもなく寡婦(ヴォケール夫人)が姿を現す。チュール布の帽子をかぶっているが、その下からは、乱れた付け毛が垂れ下がっている。彼女は、踏み潰されてしかめ面をしたようなスリッパを引きずりながら歩く。顔は年寄りっぽく、ぼてっとし、真ん中からオウムの嘴のような鼻が突き出している。手は小さく、ぽっちゃりしている。身体全体も、教会のネズミのような小太り。胸元はちきれそうで、ゆさゆさしている。(中略1) 顔つきは、秋の初霜のように新鮮だが、皺のよった目の表情は、踊り子達のお決まりの微笑みから、手形割引人のしかめ面へと、素早く変化する。(中略2)この小柄な女が白っぽく小太りしているのは、彼女の人生の結果だ。チフスが、病院の吐き出す息吹からできるているのと同じこと。スカートは刺繍の入ったレースでできていて、古いドレスを仕立て直したペチコートをおおっているが、所々に裂け目の入った布の間から綿がはみ出している。(中略3) 五十歳くらいになるヴォケール夫人は、それまでに不幸な出来事を色々と経験してきた全ての女たちと似通っている。
この描写で省略した最初の部分(中略1)には、「結局、彼女の人間性全てが彼女の下宿屋を説明している。ちょうど下宿屋が人格を含んでいるように。」という一節がある。
バルザックの目には、一人の人間とその人を取り巻く環境は調和し、一致しているように見える。あるいは、彼の眼は一致を見ぬく力を持っている。
(中略3)では、スカートの描写と下宿屋の様子が重ね合わされている。
(彼女のスカートは)、居間や食堂、小さな庭を要約し、食事を予告し、下宿人たちがどんな人たちかを感じさせる。彼女(ヴォケール夫人)がそこにいれば、その光景は完全になる。
この一節は、ヴォケール夫人と下宿が一つの存在であり、ある意味で、夫人自身が下宿の一部というか、その中心的存在であることを示している。
その下宿屋そのものの描写は、小説の冒頭のかなり長い部分を占めている。その一部に少しだけ目を通してみよう。
下宿屋の正面は小さな庭に面している。その建物はヌーヴ・サント・ジュヌヴィエーブ通りの角にあり、(読者である)あなたからだと、奥の方が切断されているように見える。その正面に沿い、建物と庭の間には、2メートルくらい小石が積み上げられている。その前に砂利の小道が通り、道の両脇には、青と白の陶器でできた大きな鉢に植えられたゼラニウムや夾竹桃や柘榴が置かれている。小道には中門を通って入るのだが、門の上に表札がかかり、上に「ヴォケール館」、下には「男女とその他の人々のブルジョワ下宿」と書かれているのが読める。けたたましい音を立てる呼び鈴が付き、透かしの入った扉を通して、小さな石畳の先の方を昼間に見ると、通りの反対側の壁の上に、アーチが目に入る。それは、この界隈の一人の芸術家によって緑の大理石で描かれたもの。絵の先の空間の下には、キューピットの彫像が立っている。その像に塗られたニスが剥がれているのを見ると、何かの象徴を考えるのが好きな人ならば、パリの愛の神話を発見するのかもしれない。そこから数歩先に進むと回復する愛の神話。台座の下に書かれた文字は半分消えかかり、この装飾の作られた時代を思い出させる。それは、1777年パリに戻ったヴォルテールに対して人々が示した熱狂を証言している。
お前が誰であろうと、お前が主人だ。
彼が今も主人であり、かつても主人だった。主人であるべきなのだ。(注:ヴォルテールの詩句)
この後からもヴォケール館の描写はまだまだ続く。そのことは、バルザックがいかに詳細に観察し、その結果を丹念に記述したかを示している。

さらに、こうした人物や環境の描写だけではなく、バルザックは、社会の仕組みも当時の状況を忠実に描いている。その正確さは、20世紀後半に歴史学をリードしたアナール学派や、21世紀の経済学者トマ・ピケティが、バルザックの小説世界を、歴史学や経済学の素材として用いたことからも証明される。
例えば、ピケティは『21世紀の資本』の中で『ゴリオ爺さん』を取り上げ、ヴォートランがラスティニャックに与える忠告の場面から、当時の経済構造を説明する。
ウージェーヌ・ド・ラスティニャックは、1798年、シャラント県の貧乏貴族の長男として生まれ、パリに出て法律を学び、立身出世することを唯一の目的としている若者。
物語の展開する1819-20年当時、彼はヴォケール館に下宿する貧しい法学生だった。
ヴォートランは、1779年生まれで、本名はジャック・コラン。最初は銀行員をしていたが、愛する美青年フランケシーニの犯した文書偽造の罪を背負って徒刑場送りとなった。そこから脱出した後、ヴォートランと名前を変え、ゴリオ爺さんやラスティニャックと同じように、ヴォケール館で暮らている。
社会的な成功を夢見るラスティニャックに対し、ヴォートランは、勉強、才能、努力といった個人の能力によって得られるものが何か、その結果どのような未来が待っているのかを、赤裸々に語る。
三十歳になるころ、お前がまだ裁判官の服を投げ捨てていないとしたら、年収1200フランの判事になっているだろう。四十歳になると、製粉屋の娘と結婚し、6000リーブル程度の年金を得る。ありがたいことさ。でも、コネをいくつか見つければ、三十歳で王の検事になり、1000エキュ(5000フラン)の収入を得ることになり、市長の娘と結婚するだろう。もし政治的にちょっとした穢い仕事をすれば、四十歳で検事総長になるだろう。(中略)でも、あえて言わせてもらうと、フランスには20人の検事総長しかいないし、その職を欲しがっている奴は2万人もいるし、一段上がるために、家族さえ売りそうなふざけた奴までいたりする。その仕事が嫌なら、別のことも見てみよう。ラスティニャック男爵様は弁護士におなりになりたいのでしょうか? なんと素晴らしい考え! 10年の間苦しみに耐え、月に1000フラン使って蔵書や仕事場を確保し、社交界に出入りし、弁護の仕事を得るため代訴人の服に口づけし、裁判所を舌で掃かないといけない。万が一その仕事が上手くいくならば、やめろとは言わない。でも、五十歳で年収5万フランの弁護士を、パリで5人見つけられるかな?

ヴォートランが語る現実は、次のようにまとめられる。
真面目に法律の勉強をして、裁判官になる場合。
三十歳で年収1200フランス。四十歳で得られるのは、ある程度の資本を持った人間の娘と結婚し、年6000リーブル程度の年金。
コネ(保護してくれる人)を見つける場合。
三十歳で検事になり年収5000フラン。市長の娘と結婚。
政治的に少し悪いことをすれば、四十歳で検事総長。しかし、競争は激しく、2万人中で20人しかそうはなれない。
10年の間、月1000フラン払って仕事場を自分で確保し、人におべっかを使い、弁護士をする場合。
五十歳で年収5万フラン得られる可能性はあるが、パリでさえその待遇を得られているのは5人しかいない。
経済学者トマ・ピケティは、こうした数字が当時の経済状況を的確に描いているという。
彼によれば、フランス全体で考えると、王政復古時代の平均所得は年400-500フラン程度。
そうした中で、バルザックの描くのは、平均年収の20-30倍の収入が必要な世界。年収が1万から2万フランないと、主人公たちは困窮した生活を送っていると感じる。
大金持ちだったゴリオ爺さんは、二人の娘に50万フランの持参金を渡し、その資産のおかげで、彼女たちは平均所得のほぼ50倍にあたる年間2万5000フランの賃貸収入を得ている。
その一方で、ゴリオの方はヴォケール館に暮らし、年500フラン程度の貧乏生活を送る。
アングレーム近くのラスティニャック家の小さな地所は、年間3000フラン(平均所得の6倍)の収益をあげるのがせいぜいなため、パリにいる息子のために年間1200フランしか仕送りできない。
バルザックは、そうした状況のラスティニャック家を、田舎の貧乏小貴族の典型として描く。
では、ラスティニャックにとって最も効率のいい出世の方法は何なのか?
ヴォートランの提案は、ヴィクトリーヌという娘と結婚すること。
彼女は、裕福な父から100万フランの遺産を相続する可能性がある。
ただし、ヴィクトリーヌは正妻の子どもでなく、父から認知され100万フランの遺産相続人になるためには、まず兄を殺さなければならない。
ラスティニャックが結婚を決心して、金を払うならば、ヴォートランがその殺人を引き受けると言う。
要するに、バルザックが生き、そして彼が描く世界では、労働よりも資本に価値があり、そうした社会構造が、経済的、社会的、心理的状況を決定づける社会。
金銭が、登場人物たちの生活、競争、戦略、希望を左右し、彼らを動かす指標となる。
「人間喜劇」は、王政復古期のそうした社会の現実をバルザックが観察し、その結果を忠実に描き出した「生活情景」によって構成されているのである。
(2) 分類 ——— 目録
バルザックは、自分の描き出す生活情景を、大きく3つの分野に分類し、一つの分野はさらに6つの部分に分類した。
それぞれの項目を代表する作品名を挙げながら、彼の分類リストを見てみよう。
(A)風俗の研究
私生活情景:『ゴリオ爺さん』
地方生活情景:『ウジェニー・グランデ』『幻滅』
パリ生活情景:『十三人組物語』『セザール・ビロトー』『従兄ポンス』『従妹ベット』
政治生活情景:『暗黒事件』
軍隊生活情景:『ふくろう党』
田園生活情景:『谷間の百合』
(B)哲学的研究
『あら皮』『知られざる傑作』『絶対の探求』『セラフィータ』
(C)分析的研究
『結婚の生理学』
この分類に関して、バルザックは、これら全てが一つの建造物であり、その見取り図は、「社会」の歴史と批評、諸悪の分析、諸原則に関する議論を包括しているとしている。(2/2に続く)
「バルザック 人間社会の博物誌と神秘的直感 1/2」への1件のフィードバック