ヴィクトル・ユゴー オランピオの悲しみ Victor Hugo Tristesse d’Olympio ロマン主義の詩を味わう 4/5

第19-20詩節では、かつて愛し合った思い出の地に別の恋人たちがやって来て、彼らの思い出は別の思い出に上書きされてしまうことに対する悲しみが表現される。

« Oui, / d’autres à leur tour // viendront, couples sans tache,
Puiser dans cet asile // heureux, calme, enchanté,
Tout ce que la nature // à l’amour qui se cache
Mêle de rêverie // et de solennité !

« D’autres auront nos champs, // nos sentiers, nos retraites ;
Ton bois, ma bien-aimée, // est à des inconnus.
D’autres femmes viendront, // baigneuses indiscrètes,
Troubler le flot sacré // qu’ont touché tes pieds nus !

(朗読は6分6秒から)

そうだ、他の人々が次ぎにやって来るだろう、汚れのないカップルが、
そして、幸福で、静かで、魔法のかかったこの隠れ家の中で、汲むだろう、
自然が、身を潜める恋に、
夢想と厳粛さとを混ぜ合わせるもの全てを。

他の人々が、私たちの野、私たちの小道、私たちの隠れ家を所有するだろう。
愛する人よ、お前の森は、今は見知らぬ人々のものだ。
他の女たちがやって来るだろう、慎みもなく水浴びをする女たちが、
そして、この神聖な波を乱すだろう、お前の素足が触れたこの波を!

他の人々が「汚れのないカップル(couples sans tache)」だとしたら、オランピオたちは問題のあるカップルということになる。

ユゴーの実人生を見ると、この時、彼は家族とヴァカンスを過ごしながら、その場所から少し離れたところに愛人であるジュリエット・ドルエのために家を借り、逢い引きを重ねていた。
「汚れ(tache)」が意識に上がってきたとしたら、そのためなのかもしれない。

「身を潜める恋(l’amour qui se cache)」であればあるほど、逢い引きの場は、「幸福で、静かで、魔法のかかったこの隠れ家(cet asile heureux, calme, enchanté)」と感じられるだろう。
辺りの自然は、恋人達を「夢想(rêverie)」に誘うに違いないが、同時に「厳粛な気持ち(solennité)」をもたらすと詩人は感じた。

オランピオの悲しみは、彼らと同じ経験を、他のカップルたちもいつかすることになるに違いないと推測することから来る。
「他の人たちがやって来るだろう(d’autres (…) viendront)」、「他の人たちが持つだろう(D’autres auront )」と動詞が単純未来になっているのは、その可能性を示している。

第20詩節では、第19詩節の「自然(nature)」が、具体的な姿を取って語られる。
「野(champs)」、「小道(sentiers)」、「森(bois)」、「波(flot)」。

そして、「愛する女性(ma bien-aimée)」に直接語り掛け、「お前の森は見知らぬ人々のもの(Ton bois (…) est à des inconnus)」と伝える。

さらに、「お前の素足が触れた神聖な波(le flot sacré qu’ont touché tes pieds nus )」が、別の女性たちによって「乱されて(troubler)」しまう可能性にも触れる。
水のイメージは、すでに第12詩節で彼女を「優しい妖精(douce fée)」と呼び、手で水を掬い、指の間からしたたれ落ちる水滴を真珠と讃えた詩句に現れていた。
それを踏まえ、彼女の触れた「神聖な(sacré)」水に触れるであろう女性たちを、「慎みもなく水浴びをする女たち(baigneuses indiscrètes)」と呼ぶ。

オランピオたちは不倫カップルであり、客観的に見れば、汚れのある恋愛かもしれない。しかし、二人にとって思い出は神聖であり、他のカップルが彼らの後をたどることは、聖地を汚すことだと感じられる。
そうした複雑な心情が、この二つの詩節からにじみ出ている。


第21詩節以下しばらくの間、自然に向かい様々に語り掛けていく。

« Quoi donc ! c’est vainement qu’ici nous nous aimâmes !
Rien ne nous restera de ces coteaux fleuris
Où nous fondions notre être en y mêlant nos flammes !
L’impassible nature a déjà tout repris.

« Oh ! dites-moi, ravins, frais ruisseaux, treilles mûres,
Rameaux chargés de nids, grottes, forêts, buissons.
Est-ce que vous ferez pour d’autres vos murmures ?
Est-ce que vous direz à d’autres vos chansons ?

« Nous vous comprenions tant ! doux, attentifs, austères,
Tous nos échos s’ouvraient si bien à votre voix !
Et nous prêtions si bien, sans troubler vos mystères,
L’oreille aux mots profonds que vous dites parfois !

なんということだろう! 空しいことだったのか、ここで私たちが愛し合ったことが!
何も、私たちには残らないだろう、花咲く丘の。
そこで、私たちは、私たちの存在を溶け合わせたのだった、私たちの炎を混ぜ合わせ!
何にも心を動かさない自然は、すでに全てを取り戻してしまっていた。

あお! 私に言ってくれ、峡谷よ、新鮮な小川よ、熟したブドウ棚よ、
巣の付いた枝たちよ、洞穴よ、森よ、灌木よ。
お前たちは、他の人々にも、呟きをささやくのか?
他の人々にも、歌を歌うのか?

私たちはお前たちをとてもよく理解していた! 穏やかで、注意深く、厳粛な、
私たちのこだま全てが、お前たちの声に向かい、見事に開かれていた。
私たちは、お前たちの神秘を乱すことなく、
じっと耳を傾けた、お前たちが時に口にする奥深い言葉に!

今では「自然が全てを取り戻した(la nature a déjà tout repris)」というのは、例えば、木に刻んだ愛の文字が消え去ってしまったということであり、だからこそ、自然は「心を動かさない(impassible)」と形容される。

もし愛の痕跡が消え去り、しかも別の人々も同じ体験を持つのだとしたら、二人の愛は何ら特別なものではなくなり、こう言ってよければ、交換可能なものになってしまう。
としたら、「ここで二人で愛し合った(ici nous nous aimâmes)」ことさえ、無益なものだったのではないかとさえ思われてくる。
その際、愛し合うという動詞が単純過去で活用されているのは、そのことが詩人の意識の中では、現在の時間帯から切り離され、物語の中の出来事として見なされていることからきている。

第22詩節では、再び「自然」が具体的な姿で列挙される。
「峡谷(ravins)」、「小川(ruisseaux)」、「ブドウ棚(treilles)」、「枝(Rameaux)」、「洞穴(grottes)」、「森(forêts)」、「灌木(buissons)」。
詩人にとっては、こうしたもの全てが、愛の思い出に結びついている愛しい存在なのだ。

だからこそ、他の人々に同じ呟きをし、同じ歌を歌うのかと問いかける。

そして、23詩節において、自分たちはそれらを理解して、交感していたではないかと訴えかける。
オランピオたち(人間)と自然の交感(コレスポンダンス)は、ここでは、「こだま(échos)」という言葉で暗示される。
そうした中で、彼らは、「自然の神秘を乱すことなく(sans troubler vos mystères)」、自然の発する音を耳にしながら、それらを「奥深い言葉( mots profonds)」として理解する。
であれば、自然は二人の恋人を特別扱いしてくれてもいいのではないか、というのが、オランピオの言葉に潜む思いだろう。


第24−27詩節では、自然に対して、次々に質問を投げかけていく。

« Répondez, vallon pur, répondez, solitude,
O nature abritée en ce désert si beau,
Lorsque nous dormirons tous deux dans l’attitude
Que donne aux morts pensifs la forme du tombeau,

« Est-ce que vous serez à ce point insensible
De nous savoir couchés, morts avec nos amours,
Et de continuer votre fête paisible,
Et de toujours sourire et de chanter toujours ?

« Est-ce que, nous sentant errer dans vos retraites,
Fantômes reconnus par vos monts et vos bois,
Vous ne nous direz pas de ces choses secrètes
Qu’on dit en revoyant des amis d’autrefois ?

« Est-ce que vous pourrez, sans tristesse et sans plainte,
Voir nos ombres flotter où marchèrent nos pas,
Et la voir m’entraîner, dans une morne étreinte,
Vers quelque source en pleurs qui sanglote tout bas ?

答えてくれ、純粋な窪地よ、答えてくれ、孤独よ、
おお、こんなに美しい荒地に身を潜める自然よ、
私たち二人が、いつか眠るであろう時、
墓石の形が、考え深い死者たちに与える、姿勢で。

お前たちは、それほどに無感覚でいるのだろうか、
愛を持って死ぬであろう私たちが、横たわるのを知り、
お前たちの平穏な祭りを続け、
常に微笑み、常に歌うことに。

お前たちの隠れ家の中を、私たちが彷徨うのを感じながら、
山や森には見覚えのある亡霊である
私たちに、お前たちは話さないだろうか、
昔の友と再会して、口にする秘密の物事について?

お前たちは、悲しみもなく、嘆きもなく、
私たちの影が浮游するのを見ることができるだろうか、かつて私たちが歩いた場所で。
彼女が私を導いていくのを見るだろうか、悲しい抱擁の中、
かすかにすすり泣く、涙の泉に向かい?

第24詩節では、思考は未来に向かい、自分たちの死後のことを想像する。そして、自然に対して、質問に答えてくれと要求する。

「私たちが眠るだろう(nous dormirons)」というのは、「埋葬」を弱めた表現。
「墓石の形が死者たちに与える姿勢(l’attitude que la mort donne aux morts)」というのは、墓石の上に死者の像が置かれている様子を思い浮かべると理解できるだろう。

次の3つの詩節は、« Est-ce que … »で始まり、「答えてくれ」という質問の内容になっている。

自然は私たちの悲しみに対して、「これほどまでに(à ce point)」、「心を動かさない(impassaible)」のか? というのが、第25詩節の質問。

私たちは、「愛し合いながら死に(morts avec nos amours)」、横たわる(couchés)。
自然はそれを知りながら、「祭りを続け(continuer votre fête)」、言い換えれば常に美しく、「微笑み(sourire)」、「歌い(chanter)」続ける。
「常に(toujours)」が二度繰り返されるのは、人間は死ぬのに対し、自然は永遠に存在することを暗示するためだと考えられる。

次の質問は、私たちが「亡霊(fantômes)」となって、山や森の中を彷徨い歩くことを想像し、その時に自然がどのような言葉を語りかけるのかを問うもの。

私たちが生きている時に何度も散策していたために、山や森は亡霊がすぐに私たちだと「認識(reconnus)」する。
従って、私たちは山や川にとって「かつての友(amis d’autrefois)」であるはずであり、もし「無感覚(impassible)」でなければ、「秘められたこと(ces choses secrètes)」について語るはず。
オランピオは自然に向かい、古い友として接してくれるのかと尋ねる。

別の視点から見ると、人間と自然の交感(コレスポンダンス)に対する問いであり、それに対する確証を与えてくれるのかと自然に問いかけるのが、第26詩節ということになる。

第27詩節では、「無感動(impassible)」が、「悲しみもなく(sans tristesse )」、「嘆きもなく(sans plainte)」と言い換えられ、自然の態度を問い詰める。

そこでまず、自分たちがかつてその地を歩いたことについて、「私たちの歩みが歩いた(nos pas marchèrent)」と単純過去が使われることで、今の自分とは直接関係しない物語の中の出来事のように語られる。

死後の姿は、前の詩節では「亡霊(fantômes)」とされたが、この詩節では「影(ombres)」と表現される。それは、亡霊になる前の姿であるとも考えられ、影は死に向かって進んで行く。

その際、先に立つのは「彼女」であり、自然は「彼女が私を引いていくのを見る(la voir m’entraîner)」。

二人が向かう先にあるのは、「涙の泉(quelque source en pleurs)」であり、その泉は「小さな声ですすり泣いている(sanglote tout bas)」。

そんな二人の姿を見て、自然は心を動かさないのか? というのが3つ目の質問。

もちろん、« Est-ce que »で始まる3つの質問は反語的であり、オランピオは自然が彼らの悲しみと共鳴し、悲しみを共にしてくれることを願っている。


第28詩節になると、思考は、二人が幸福の頂点にいた時のことに移行する。

« Et s’il est quelque part, dans l’ombre où rien ne veille,
Deux amants sous vos fleurs abritant leurs transports,
Ne leur irez-vous pas murmurer à l’oreille :
– « Vous qui vivez, donnez une pensée aux morts ! »

もしどこか、何も見張るもののない影の中、
二人の恋人が、彼らの恍惚感を隠す花の下にいるならば、
お前たち(自然)は、二人の耳元にこうささやかないだろうか。
— 「生きている恋人たちよ、死者たちのことを思え!」

« transports »とは、「trans(超える)」と「port(運ぶこと: porter)」から成る言葉で、日常的には「運搬」などに意味で使われる。他方、人間の内面に関する場合には、意識がここ(現実)を超えるという意味になり、恍惚(extase)と似た意味になる。

二人の恋人は、誰にも「何にも見張られることなく(rien ne veille)」、花々の下にいる。その花々は、「二人の恍惚(leurs transports)」を、人々の目から「隠して(abritant)」くれる。
その時、二人は本当の意味で「生き(vivre)」ている。

そこで、オランピオは、自然が恋人たち、つまり愛が充足した状態にいる自分たちに、次のように言葉をかけるのかと問いかける。
「死者たちのことを思え!(donnez une pensée aux morts !)」

「死者たち(morts)」とは、これまで「亡霊(fantômes)」、「影(ombres)」と呼ばれてきたオランピオたちの未来の姿だと考えられる。

自然が恍惚とした恋人たちの味方だとすれば、その好意が未来にも続き、永遠のものであって欲しい。
自然は無感動のように振る舞いはするが、しかし実際には、恋人たちの喜びや悲しみに心を動かし、常に好意的であって欲しい。
そうした願いを込めて、第28詩節の最後の詩節で、オランピオは、自然の事物たちに言って欲しい言葉を、自らの質問として問いかける。(続く)

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