ジェラール・ド・ネルヴァル 「 オーレリア」 人間の魂の詩的表現 Gérard de Nerval Aurélia 1−5

第4章は伯父さんとの会話で終わり、第5章に入ると、夢のさらに奥へと進んでいく。そのことは、伯父さんが若者の姿に変わり、私が教わる方から教える方に代わることによって示されるが、さらに先に行くと、突然ガイドが出てくることからも推測できる。

第5章

私の周りで、全てのものが形を変えた。これまで話をしていた精霊も、同じ姿をしてはいなかった。今度は若者になり、私になんらかの考えを伝えるのではなく、私から教えを受けとっていた。・・・ 私は、眩暈を起こさせるこの高みを、あまりにも進みすぎてしまったのだろうか? こうした疑問は、その時私が感じ取っていた世界の精霊たちにとってさえ、曖昧で危険に思われた。・・・ ある超越的な力がその探求を私に禁じたのかもしれない。

私は、人々が密集している見知らぬ町の道を彷徨っている自分を見た。その町はいくつかの丘ででこぼこし、たくさんの家の立つ山に見下ろされていた。大きな町の住民たちの中に、特別な民族に属しているらしい人々がいることがわかった。活発で、果敢な様子をし、力強い顔立ちをしていることから、私は、異国の人間があまり訪れない山国や島国に住む、独立心に富む戦闘的な種族のことを考えた。彼らは、大きな町の中で、ごく普通の様々な種族の人々が入り交じる中でさえ、荒々しい個性を保っていた。彼らはどんな人間なのだろう? 私は、ガイドにうながされて、工場の様々な音が鳴り響き、とてもうるさい急な坂道を登っていった。その先の長い階段を幾つも上ると、視界が急に開けた。あちこちに、透かし彫りのフェンスのあるテラスが見えた。平らになった空き地には小さな庭があり、屋根も見える。簡単な作りのあずま屋には、とても自由奔放な仕方で色が塗られ、彫刻も施されていた。緑の植物が巻き付いている棚が長く連なる眺めが目を楽しませ、その心地よさは、甘美なオアシスを見る時や、下界の雑踏や騒音が一つの呟きにしか聞こえないほど誰も訪れないひっそりとした地を見る時のようだった。追放され、強大な墓地やカタコンベの影の中で生活している民族がしばしば話題になったが、ここではその逆だった。幸福な一族が、鳥や花、澄んだ空気や光から愛された隠れ家を作ったのだ。——— ガイドが私に言った。「彼らは、私たちが今いる町を見下ろす山の古い住民でした。そこで長い間、簡素な生活を送り、愛情に満ち、正しい行いをし、世界が誕生した頃の自然な美徳を保っていました。周辺に住む人々は彼らを敬い、彼らを模範にしていました。」

私は、その時にいたところから、ガイドについて下っていき、高い建物の中に入った。その建物の屋根は重なり合い、奇妙な様子をしていた。異なった年代の建造物が次々に層になり、足がそこに沈んでいくような感じがした。建物の亡霊が常に別の建物の亡霊を露わにし、それぞれの世紀に固有の趣きが見られた。そのために、私は古代都市で行われる発掘を連想した。ただし、ここは空気が通り、生命感に溢れ、無数の光線が横切っていた。最後に、巨大な部屋にやってきた。そこで、一人の老人が、テーブルの前で、何か私にはわからない工芸品を作っているのを見た。——— ドアを超えようとした時、白い服を着、顔を上手く見分けられなかった男が、手にしている武器で私を脅した。しかし、私に付き添っている人が、その男に遠ざかるように合図をした。これらの隠れ家の秘密を私が知ることがないようにしているように思われた。ガイドに何も聞かなかったが、私は直感的に、この高みは、同時に深みでもあり、山の原始の住民の隠れ家であることを理解した。新しい種族が絶えず侵入する波のような動きに常に立ち向かい、彼らはそこで、簡素な風習で、愛情に溢れ、正しい行いをし、巧みで、決然とし、独創性を持って暮らしていた。——— 彼らは、ずっと住み続けている土地に幾度も侵入する見境のない人間たちを、平和に打ちまかしたのだった。なんと言ったらいいのだろう! 彼らは決して堕落せず、破壊もされず、奴隷にもならなかった。無知に打ち勝ったにもかかわらず、純粋だった。貧しさの美徳を安逸の内に保っていた。——— 一人の子どもが、水晶や貝殻、彫られた石を手にして、床の上で遊んでいたが、楽しみながら何かを学んでいるに違いなかった。歳を取っているが、まだ美しい女性が、家事をしていた。その時、数人の若者たちがどやどやと入ってきた。仕事から戻ってきたのだ。私は、彼らがみんな白い服を着ているので驚いた。しかし、それは私の目の錯覚だった。それが錯覚だとはっきりと感じさせるために、ガイドは服を描き始め、鮮明な色をつけ、実際にどのようなのか私に分からせてくれた。私がびっくりした白い色は、特別な輝きというか、プリズムの通常の色が溶け合っている光の動きから来ていたのだろう。私は部屋を出て、花壇になったテラスの上にいる自分を見た。若い娘や子ども達が、散歩したり、遊んだりしていた。彼らの服は、前に見た人たちと同じように白く見えたが、そこにバラ色の刺繍の飾りがついていた。彼らはとても美しく、顔立ちは優雅だった。魂の輝きが、繊細な体からはっきりと透けて見えていた。彼らは誰もが、えり好みもなく、欲望もない愛のような感情を抱かせ、青春のおぼろげな情熱からくるあらゆる恍惚感を集約していた。

注:
ここで話題になるのは「世界が誕生した頃の自然な美徳を保つ」人々だが、彼らの住む場所が、「高みでもあり、同時に深みでもある」という点に注目したい。
現実において、高みと深みは対立し、それらが同一であることはありえない。もしそれが同一であるとしたら、現実を超えた超越的な空間ということになる。
そして、下っていくに従い、様々な時代の建造物(の亡霊)が積み重なっていることは、そこに全ての時間が同時に存在していることを暗示している。
(さらに、色彩の白と多色の関係も同様の視点から理解することができる。)
その結果、そこは「永遠」の地ということになり、この章の最後に言及される「不死」の問題を具体的な姿で予め描いていることになる。

私は、この魅力的な人々の中で感じた感情を言葉にすることができない。彼らのことを知らなかったけれど、とても愛しい人々だった。原初的で天上の一家のようで、彼らの微笑む眼差しは、穏やかな共感を持って、私の眼差しを探していた。私は、失った楽園を思い出したかのように、熱い涙を流し始めた。そこで辛く感じたのは、私はその世界を通過するだけの人間で、愛されているが、同時に異邦人でもあるということだった。そして、現実の生の世界に戻らなければならないと考えると、身体が震えた。女性たちや子どもたちが周りに集まり、私を引き留めようとしたが、無駄だった。すでに、彼らのうっとりとするような姿は、混沌とした靄に溶け込もうとしていた。美しい顔が青白くなり、はっきりした顔立ちやキラキラと輝く目は、闇の中に消えかかっていた。まだ輝いているのは、微笑みの最後の閃光・・・。

こうしたものが、あの幻影だった。というか、少なくとも、私が思い出を保っている主要な出来事だった。数日の間続いた意識喪失の状態が、科学的な視点から私に説明された。そうした状態の私を見た人々の話に私がイライラする時があった。それは、私にとっては一連の論理的な出来事に対応する動きや言葉を、彼らが精神錯乱のせいにするのを見た時だった。私は、友だちの中でも、辛抱強く心に寄り添ったり、私と似た考え方をしていて、私が心の中で見た出来事を、じっくりと話させてくれる人たちのほうがずっと好きだった。一人が涙ながらに言った。「一人の神様がいるというのは、真実ではないだろうか?」—— 「その通り!」と私は熱狂しながら言い、あの時にかいま見た神秘的な祖国の兄弟のように私たちは抱き合った。—— そう確信できるとは、なんと幸せなことだろう!こんな風にして、最上の精神を持つ人々さえ虫ばむ魂の不死に関する永遠の疑いが、私にとっては解消した。もはや死もなく、もはや悲しみもなく、もはや不安もない。私が愛した人々、家族や友人たちは、永遠に生きているという確かな証を私に与えてくれた。彼らと離れているのは、もはや昼の時間だけだった。私は穏やかなメランコリーの中で夜の時間を待った。

注:
ネルヴァルはここまで描いてきた非現実的な出来事の説明として、精神の錯乱によるものだとする科学的な視点の存在も意識している。そのことは、幻想を現実と区別する精神を保っていることを示している。
その上で、非現実的で、錯乱していると見なされる現象にも、ある論理が存在していると主張し、「一人の神」の存在に言及することで、キリスト教の信仰だけではなく、一般的な宗教感情と結び付けようとしている。
科学では証明できない神を信じることは、決して精神の錯乱ではく、「人間の魂の研究」にとって本質的な意味を持つ問題である。
ネルヴァルは、夢の記述を続けることで、そうした問題を具体的なイメージを通して探っていくのだといえる。

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