
宮沢賢治(1896-1933)は生前2冊の本しか出版していない。一冊は詩集『春と修羅』、もう一冊は童話集『注文の多い料理店』。どちらも大正13年(1924年)のことだった。
その同じ年に、結局未完のままで終わった「銀河鉄道の夜」 も書き始められた。
その時期は賢治の創作活動が最も活発な時であると同時に、彼の世界観が「心象スケッチ」や物語の形で美しく表現されていた。
その世界観は、『注文の多い料理店』の「序」では、子どもにも理解できるやさしい言葉で告げられる。
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
(中略)
わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾いくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
ここでは、「すきとおった」という言葉が最初と最後に出てくることに注目しておきたい。その言葉は、賢治の世界がその本来の姿を現すことを示すマジック・ワードなのだ。
『春と修羅』は、賢治の宗教思想と科学的な知見が融合し、理解するのに努力を要する詩で構成されている。
「序」もその例外ではなく、理解に時間を要するのだが、賢治の世界観を理解するためには、非常に重要な言葉が連ねられている。最初の一節は次のように始まる。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
「私」とは誰か? どのような存在なのか? そうした自問に対して、賢治はこう応える。
「わたくし」は、「現象」である。
その「現象」は、「交流電灯の/ひとつの青い照明」である。
その照明は「一つ」ではあるが、しかし、決してたった一つで闇の中に点る孤立した光ではない。
それは、風景やみんなと「一緒」に明滅する、「交流」する電灯なのだ。
そして、光ったり消えたりする頻度は高く、「せわしなく、せわしなく」なのだが、しかし、「確かに」点り続ける。
こうした認識が賢治の意識に上ってくるのだが、カッコの中では、その意識を超えた別の次元の認識が密かにささやかれる。
「あらゆる透明な幽霊の複合体」
「わたくし」は回りの世界と分離した孤立した実体ではなく、「わたくし」もまた「透明な幽霊」であり、たまたま今の一瞬「わたくし」として点滅しているだけなのだ。
別の世界では、別のものが「青い照明」となり、「わたくし」は「透明な幽霊」になっているかもしれない。その時には、「わたくし」は照明になることを「仮定された」状態に留まっている。
こう言ってよければ、一つの照明の背後には全ての照明の存在が前提にされていて、その一つを含めた全てが「複合体」を構成している。
だからこそ、たまたま出現した「わたしくという現象」という一つの電灯が失われたとしても、「あらゆる透明な幽霊の複合体」からまた別の現象=電灯が現れ、光は保ち続けられる。
「ひかりはたもち その電燈は失はれ」るのは、その順番を逆に言ったにすぎない。
電灯は、ある時には氷砂糖になり、別の時には風になり、日光にもなる。物語が本当の食べ物になり、読者は氷砂糖を食べるように風や物語を食べ、日光を飲む。
「わたくし」もそうした現象の中の、一つの現象に他ならない。
「あらゆる透明な幽霊の複合体」としての世界が感じられる時、「すきとおった」風が吹き、一つの現象はしばしば「青い」色をして現れる。
銀河鉄道の走る天の川
『銀河鉄道の夜』は、孤独な少年ジョバンニが、町を見下ろす丘の上で汽車の音を聞いたのをきっかけにして、夜の軽便鉄道に乗って銀河の中を旅する夢物語を中心に展開する。
その中で、賢治は、ジョバンニと友人カムパネルラの目を通して、「あらゆる透明な幽霊の複合体」を美しく描き出していく。
「銀河ステーション」から出発した汽車は、白鳥の停車場を通りかかる。北には一つの河原が見える。
ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指さしました。
「そうだ。おや、あの河原は月夜だろうか。」
そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい愉快ゆかいになって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛を吹ふきながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。
天の川の河原が青白く光るのは、月に照らされているからではなく、それ自体が生命を持ち、自らの光で輝いているから。
その動きを賢治は、「さらさらさらさら」と擬音語を使い、さらに「ゆられて/うごいて」とリズムよく表現している。
その生命感みなぎる光景を前にして嬉しくなったジョバンニは、足で拍子を取りながら、賢治自身が作詞作曲した「星めぐりの歌」を口笛で吹き、幸福感を体一杯に表現する。
(幸い、賢治の故郷の映像をバックに「星めぐりの歌」が歌われるNHKの名曲アルバムが、youtubeにアップされている。)
天の川の水は最初はっきりと見えない。しかし、もっと気を付けて見ると、ガラスよりも水素よりも「すきとおって」いるのがわかる。

けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光(りんこう)の三角標が、うつくしく立っていたのです。遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙(だいだい)や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、或いは三角形、或いは四辺形、あるいは電や鎖の形、さまざまにならんで、野原いっぱい光っているのでした。ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振ふりました。するとほんとうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかがやく三角標も、てんでに息をつくように、ちらちらゆれたり顫(ふる)えたりしました。
「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た。」ジョバンニは云いました。
三角標というのは三角形をした測量の櫓のことだと考えられる。賢治はそれを天上に輝く星に見立て、その先端を様々な色(橙、黄、青白)や形(三角、四辺、電、鎖)にして、空の上に配置したのだろう。
そうした満点の星空を流れる天の川の水は、「すきとおって」いる。
その言葉は、今ここに見えている現象が、目には見えない「あらゆる透明な幽霊の複合体」の一つの現れであることを示している。
その複合体は、限定された形を持つわけではなく、最初もなければ最後もなく、生命の動きそのものと考えてもいいだろう。
それぞれの物は束の間の姿であり、次の時には別の姿を取る。一つ一つは決して孤立し固定化した存在ではなく、全ての現象には「あらゆる透明な幽霊の複合体」が秘められている。
「すきとおった」という言葉は、そうした状態を暗示し、生命が躍動する世界の印となる。
実際、天の川の水はすきとおり、「ちらちら」と波を立て、「ぎらっ」と光り、「どんどん」流れていく。その水の動きの生命感が、「擬音語」を通して読者にもはっきりと伝えられている。
さらに、命の脈動は野原にも伝わり、野原に置かれた様々な三角標が「ちらちら」と揺れる様子が、「てんでに息をつく」ように感じられる。
そこは、それぞれ全てが命を持ち、呼吸している世界なのだ。
こうした世界観と対極をなすのが、「標本」的世界観。
プリオシンの海岸で獣の骨を発掘している学者に向かい、ジョバンニは、「標本にするんですか。」と尋ねる。それに対して、学者は、「いや、証明するのに要(い)るんだ。」と返事をする。
何を証明するかといえば、そこが「百二十万年前、第三紀のあとのころの海岸」だったこと。
そうした議論は、一つの時代、一つの物が固定し、それが終われば全てが消滅してしまうという、ごく日常的な視点からなされている。
鳥を捕る人のエピソードにも「標本」という言葉が出てくる。
鳥を捕る人が鷺(さぎ)を取り、押し葉にするのだというのを聞いたジョヴァンニは、「鷺を押し葉にするんですか。標本ですか。」と尋ねる。
その質問に対する鳥を捕る人の答えは、学者とは違っている。
「標本じゃありません。みんなたべるじゃありませんか。」
その後、鷺よりも早く食べることができるという雁(がん)の押し葉を食べたジョバンニは、「なんだ、やっぱりこいつはお菓子だ。チョコレートよりも、もっとおいしいけれども、こんな雁が飛んでいるもんか。」と思ったりする。
もし鳥が「標本」であれば、決してお菓子にはならない。
他方、鳥ー押し葉ーチョコレートが連動する世界では、鳥という生物とお菓子という無機物の間に厳然とした区別がないことになる。
無機物として限定される物にも生命を見出す世界観に基づき、鳥もお菓子も、「あらゆる透明な幽霊の複合体」の一つ一つの「現象」だと見なすのだといえる。
天の川の銀河が根源的な生命の源として、「すきとおった」美しい姿で描かれているのである。
ジョバンニとカムパネルラは白鳥の停車場で一旦下車し、さっき見えたきれいな河原に向かう。そこで、カムパネルラが砂をひとつまみ、指できしきしさせ、こう言う。
「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている。」
「そうだ。」どこでぼくは、そんなこと習ったろうと思いながら、ジョバンニもぼんやり答えていました。
河原の礫(こいし)は、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉や、またくしゃくしゃの皺曲(しゅうきょく)をあらわしたのや、また稜(かど)から霧のような青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮たように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。
水晶の中では「小さな火が燃えている。」
その火は生命そのもの。
「すきとおった」た鉱物(水晶、黄玉、鋼玉)の中でも、鋼玉は、しわを寄せたように波形に曲がったり、霧のような青白い光を出し、命の動きを感じさせる。
銀河の水も「すきとおって」いて目に見えないが、しかし手を入れてみると、波ができ、「うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃える」ように見える。
水が燃える世界。その世界は美しい。
列車がさらに先に進み、難破した船に乗っていた青年と幼い姉弟、燈台看守が乗り合わせた時にも、川の水はきらきらと光って見える。
ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光の川の岸を進みました。向うの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈のようでした。百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のよう、そこからかまたはもっと向うからかときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙(のろし)のようなものが、かわるがわるきれいな桔梗(ききょう)いろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとおった奇麗な風は、ばらの匂(におい)でいっぱいでした。

汽車から見える野原が「幻燈」のようだということは、その景色が実体として存在しているのではなく、一つの現象として感じられることを意味している。
そしてそこは、赤色や青白い色やキチョウの色が入り交じり、色彩豊かな光景が広がるだけではなく、ここまで言及されることがなかった「香り」が付け加えられる。
その際、「ばらの匂(におい)」を運んでくるのは、「すきとおった」きれいな風。
その風は、「あらゆる透明な幽霊の複合体」から吹いてくるに違いない。
興味深いことに、天の川の中にある、水の速さを測る装置にも「すきとおった」ものが備わっている。
白鳥区が終わり、ジョバンニとカムパネルラはアルビレオの観測所にやってくる。
窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟むねばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼もさめるような、青宝玉(サファイア)と黄玉(トパース)の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだん向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面凸とつレンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパースの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環とができました。それがまただんだん横へ外て、前のレンズの形を逆に繰くり返し、とうとうすっとはなれて、サファイアは向うへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡っているように、しずかによこたわったのです。
大きな玉は、一方が青いサファイアで、もう一方が黄色のトパーズ。その二つが重なり合うと緑色になり、次にまた離れて、回転を続ける。
そこで黒い測候所は眠ったように静かに横たわっているのだが、「すきとおった」二つの玉の回転が、色彩を微妙に変化させることで、美しく、生命の動きを生み出していることが感じられる。
銀河鉄道の旅は、ジョバンニが見た夢であり、その夢の中で様々なエピソードが語られる。それらの夢の内容を分析することも興味深い解読だが、それら全ての根底には、宮沢賢治の世界観が横たわっていることを忘れないようにしたい。
その世界観は、『春と修羅』や『注文の多い料理店』と共通し、一つ一つの現象は「あらゆる透明な幽霊の複合体」のその時その時の姿であり、「わたくし」もその例外ではないとみなすもの。
どの現れも実体として孤立しているわけではなく、「めくらぶどうと虹」のぶどうと虹が入れ替え可能であるように、一つが終わればもう一つが出現する。
https://bohemegalante.com/2021/12/24/miyazawa-kenji-ampelopsis-et-arc-en-ciel/
そのことは、賢治の語る一つの物語、一つの詩でも同じことがいえる。
『春と修羅』の「序」には、そのことがはっきりと記されている。
(前略)これらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
(中略)
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
(中略)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
『銀河鉄道の夜』に関しても、何度も訂正を繰り返され、現在私たちが読んでいる版にしても最終段階の原稿ではなく、未完。賢治が生きていたら、次にまた手を入れられて、別の段階になったのかもしれない。
たまたま今はこのような姿だが、時間が経てばまた別の姿を取ることもある。それらは「あらゆる透明な幽霊の複合体」の一つの現れなのだ。

宮沢賢治は、そうした世界観の中で詩や童話や小説を執筆し、言葉の力によって人々に栄養をもたらすことを願い続けていた。
わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾いくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
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