プラトン的二元論から一元論的世界観(現前性)への大転換

19世紀の後半、ヨーロッパでは世界観の大きな転換があり、古代ギリシアのプラトンに始まり、ルネサンスを通して19世紀前半まで続いてきた世界観が大きく揺らぎ始めた。

フランスでは、その転換点に、シャルル・ボードレール、ギュスターヴ・フロベール、エドワール・マネたちが位置していた。
彼らの作品は、自分たちの時代の事物や出来事をテーマとして選択したが、その再現を目的とするのではなかった。
むしろ現実の再現を止め、現実から自立し、作品自体が現実とでもいえるものの創造を目指した。

端的に言えば、そこで生成されつつあったのは、現実とフィクションの区別をするのではなく、フィクションも一つの生命を有する現実と見なす一元論的世界観だった。

その大転換を理解するために、プラトニスムの転倒を企て、それに苦しみ、最後は狂気に陥った哲学者ニーチェについて書かれたマルティン・ハイデッガーの文章を読んでみたい。

プラトン主義の転倒を明確にするに際して、まずその構造形態から出発しなければならない。プラトンにとっては、超感性的なものが真なる世界である。真なる世界が規範的なものとして上位に置かれる。感性的なものは見せかけの世界として、下位に定位されるのである。上位のものが先行的かつ唯一規範的なもの、したがってまた希求されるものである。(ハイデッガー『ニーチェ』)

ここまでがプラトンのイデア論の骨子である。
人間が五感で知覚する現実は儚く、束の間の存在にすぎない。それに対して、永遠にあり続ける真の存在は、地上を超越したイデア界であるとされる。
従って、現実はイデア界のコピーにすぎない。それにもかかわらず、人間は感性的な世界しか知覚したことがないために、それを実在する真の存在だと思い込んでいる。
哲学とはその思い込みを覆しイデアに向かうことだと、プラトンは言う。

ニーチェはこうした二元論の転換を試みたのだった。

転倒を経たあとには——— これは公式的に容易に答えを出しうる——— 感性的なもの、見せかけの世界が上位に、そして超感性的なもの、真の世界が下位にくることになる。すでに叙述されたことを回顧して確認できるように、ニーチェが〈真なる世界〉と〈見せかけの世界〉について述べていることは、もはやプラトンの語るところではないのである。
だが、感性的なものが上位にあるとは、そもそも何を意味するのか。それはすなわち、感性的なものが真なるものであり本来的存在である、ということである。もし転倒がただこのような仕方でのみ理解されるなら、それはいわば、上位と下位という空虚な位置づけが固執され、ただ異なったものがその位置を占めるだけ、ということになる。そして、この上位、下位という位置づけがプラトン主義の構造形態を規定するものであるかぎり、この位置づけの保存は、プラトン主義が本質的に存続していることになる。かかる転倒は、ニヒリズムの克服としてそれが本来果たすべきこと、プラトン主義の根底からの克服を、決して成就してはいないのである。

ここでプラトン主義の転換に関して、一つの誤謬が示される。
イデア界を虚構とし、感性的現実を真なる世界として位置づけるとしたら、確かにイデアと現実の上下を逆転したことになる。
しかし、それでは上下を逆転したにすぎず、プラトン主義の根底に横たわる二元論はそのまま残されてしまう。

ここには書かれていないが、実験可能な感性的事象を現実に存在するものと見なし、超感覚的なもの、あるいは思考や心的なものを虚妄と考える物質論的な思考も、プラトン的な上下を逆転したにすぎないことになる。

では、プラトン主義の転倒とはどのようにあるべきなのか?

上位という位置づけそのものが排除され、一つの真なるもの、希求されるべきものを前もって端緒づけることが止むとき、つまり——— 理想の意味での——— 真なる世界そのものが除去されるときにのみ、初めてそのような心は成功するのである。真なる世界が除去されるとき、何が生起するのだろうか。その時にもなお、見せかけの世界は存続するのであろうか。否である。つまり、見せかけの世界が見せかけの世界でありうるのは、ただ真なる世界の対立としてのみなのである。真なる世界が崩れるとき、見せかけの世界も崩れなければならない。その時始めて、プラトン主義は克服される。すなわち、哲学的思惟がプラトン主義から転回脱出するような形で転倒されるのである。

ここでハイデッガーが論じていることは、非常に単純なことにすぎない。
現実を超えた超現実を考え、その上下関係を考えると、プラトン哲学になる。それを転倒するためには、上下を入れ替えるのではなく、上下関係を導入しないことだ。

芸術に関して言えば、現実があり、それをコピーしたものがフィクションであり、偽物と見なすとプラトン的二元論になる。それに対して、フィクションも一つの現実として捉え、現実とフィクションの二元論を導入しないこと。それがプラトン的世界観の転倒である。

日本の思想は、基本的には、現実と永遠を明確には区別しないものだった。
「行く川の流れは絶えずして、しかも常に同じ水にあらず。」
水の流れは絶えず変化して一瞬も留まることはない、儚いものにすぎない。しかし、その流れは絶えることがなく永遠である。儚さと永遠は対立しない。
芭蕉の言葉で言えば「不易流行」。

日本でニーチ哲学の人気が衰えないのは、ニューチェがプラトン的二元論と格闘したからだろう。
ただし、プラトン的伝統が強固なヨーロッパでは、その格闘は容易なことではなかった。

プラトン主義の転倒がニーチェにとってそれからの転回脱出となったとき、狂気が彼を襲った。この転倒がおよそニーチェの成就した究極の歩みであったこと、それがニーチェの創造の最後の年(1888年)にはじめて明確に成し遂げられたことが、今まで認識されていなかった。

プラトン哲学との格闘は、ヨーロッパ人にとって、狂気にまで至る困難な企てなのだということが、ハイデッガーの記述から明らかになる。


しかし、哲学とは別の分野で、二元論から一元論への転換が行われていた。

例えば、エドワール・マネの「草上の昼食」。
この絵画に描かれるヌードの女性はニンフや女神ではなく、描かれたままの普通の女性にすぎない。また、この絵画全体が宗教的あるいは神話的な意味に基づいているわけでもない。
描かれたままの世界がただあるだけであり、絵画の外にある超越的な世界を暗示しているわけでもない。
つまり、絵画は絵画の世界で自足し、一元論的に存在している。
https://bohemegalante.com/2022/04/04/manet-et-la-peinture-de-la-presence/

文学で最も端的に一元論的世界を理解させてくれるのは、アルチュール・ランボーの「永遠」だろう。
プラトン的二元論では、時間の流れる現実と永遠のイデア界は完全に分離した存在であるが、ランボーは何の前提もなく一気に永遠を見つける。

また見つかった!
何が? 永遠が。
それは、海。溶け合うのは、
   太陽。
https://bohemegalante.com/2019/08/08/rimbaud-eternite/

ここでは、海も太陽も永遠も、全てが同一平面にある。現実とイデアの分離など最初から存在しない。
ランボーにとっては、現実と想像力が生み出す世界の区別もない。
全てが言葉から生成される一元論的な世界を形成する。


19世紀後半以降、一元論的世界観に基づく芸術観も展開された。柄谷行人は、ポール・ヴァレリーを参照しながら、作者と作品の関係を次のように説明する。

作者がある考えや感覚を作品にあわらし、読者がそれを受けとる。ふつうはそう見え、そう考えられているが、この問題の神秘的性格を明らかにしたのはヴァレリーである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)

作者がいて、作品が作られる。それは確かである。
しかし、そのように考えると、作者が考えを持つという第一段階(1)があり、それを表現したものが作品という第二段階(2)になる。そこでは二元論が前提にされる。
その場合、読者の役割は、作品(2)を通して、作者の考え(1)を読み取ることになる。

こうした考え方は、日常会話の中で、話し手が考え(1)を抱き、それを言語(2)によって表現するという考えと並行関係にある。その場合、(1)が伝わることが大切であり、その役割が終われば、(2)は消え去る。

他方、一元論的な思考では、作品あるいは言語が、作者や話し手から自立し、それ自体として存在する。
その場合、作者は作品の外に実在するのではなく、作品から生まれるのだと考えられる。

彼(ヴァレリー)は、作品は作者から自立しているばかりではなく、” 作者 “というものを作り出すのだと考える。作品の思想は、作者が考えているものとはちがっているというだけではなく、むしろそのような思想を持った” 作者 “をたえず作り出すのである。たとえば、漱石という作家は幾度も読みかえられてきている。かりに当人あるいはその知人が何といおうが、作品から遡行される作者が存在するのであり、実はそれしか存在しないのである。客観的な漱石像とは、これまで読んだひとびとのつくった支配的なイメージにほかならないのだ。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)

この説明を読むと、作品それ自体しか存在しないという一元論に基づく芸術作品に対する受容の仕方が理解できるだろう。

芸術の二元論から一元論への転換は、「作者が何を言いたいのか正解を探す」姿勢から、「作品自体が何を意味しうるのかを考える」姿勢への転換である。
そして、後者の場合には、作品そのものを点検し、——— 絵画であれば色彩や形、文学であれば言語、音楽であればメロディ、リズム、音色など——— そこから生み出されるものを把握することになる。

この絵画を描いた画家が誰かとか、どの山が描かれているのかといった問いは、絵画の価値とは関係がない。
この風景が南フランスのサント・ヴィクトワール山に似ているかどうかを論じても、何の意味もない。ポール・セザンヌによって描かれたのかどうかも重要ではない。
大切なことは、この1枚の絵と向き合うことでしかない。

19世紀後半における世界観の大転換は、こうした芸術観を生み出したのだった。

プラトン的二元論から一元論的世界観(現前性)への大転換」への2件のフィードバック

  1. Nekonekoneko 2022-04-05 / 09:21

    イデアとは、林檎が林檎だと認識される原型概念だと理解していましたが。芸術に関しては、”作者の眼や認識や感性というフィルターを通して表現された(例えそれが写実的で現実的な作品であったとしても)ものなので、感性的である事がイデアと対立するものでは無いと考えられます。人間がただの林檎を見て、林檎と認識し、そしてその林檎を理想的に描く事、そして写実的、現実的に描く事も結局は、芸術家の持つイデア界を覗く事が可能な”見えない真実を視る眼”から由来する。そしてイデアの本質とは林檎の種であり、地面に植えて育てる事で多様な林檎を生み出す多面体の様なもの。人間は一枚の絵画を見て、その絵画から作者の見ていた多面体の一面だけを見ているだけの場合があり、芸術作品の味わい方が人それぞれ違うのは、そのせいなのかも。

    いいね: 1人

    • hiibou 2022-04-05 / 14:42

      コメントを下さった内容は、まさに19世紀以降の芸術観であるように思います。つまり、味わい方は人それぞれ、ということになります。

      少しだけ加えると、原型概念とお考えになっているのはアリストテレスの形象(エイドス)に近いと思うのですが、それとイデアとの関係は微妙で、哲学的に入り込むと難しことになりそうです。
      また、知覚される現象とイデアあるいは概念の関係は、中世の唯名論・唯物論などと関係しそうです。

      私がブログで採用している姿勢は、一つの考え方が正しいとするのではなく、時代によって色々な考え方があり、その確認をするということを基本しています。
      そして、あまり専門的になるのではなく、できるだけ誰にでもわかる言葉で書くようにしているつもりですが、時に単純化しすぎたりして、かえってわかり難くなっているかもしれません。
      いつも目を通していただいていることに感謝いたします。

      いいね: 1人

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