
誰もが望みながら、どうやっても到達できない永遠。ランボーはその永遠を容易に見つけてしまう。
彼はいとも簡単に言う。「永遠がまた見つかった!」と。

1872年、彼はヴェルレーヌと一緒にあちこち放浪していた。
そして、腹が減ったとか(「飢餓のコメディ」)、我慢しよう(「忍耐祭り」)といった気持ちを、歌うようにして詩にした。
「永遠」もそうした詩の一つ。
その後、『地獄の季節』(1873)の中で、「言葉の錬金術」によって生み出された詩として歌われることになる。
Elle est retrouvée !
Quoi ? l’éternité.
C’est la mer mêlée
Au soleil.
また見つかった!
何が? 永遠が。
それは、海。溶け合うのは、
太陽。
ランボーにとって、永遠は無限の彼方にある不可視の存在ではない。
目の前に広がる海。空には太陽が輝く。
太陽が海と溶け合うのは、曙と夕日の時。
二つが一つになるその時=今。
ルソーやボードレールが夢想の中で忘我の状態になり、現実から解放されることで見出した「永遠の現在」。
https://bohemegalante.com/2019/04/21/rousseau-reveries-extase/
https://bohemegalante.com/2019/02/20/baudelairle-confiteor-de-lartiste/
ランボーは、今、ここで、その「永遠」と出会う。
Mon âme éternelle,
Observe ton vœu
Malgré la nuit seule
Et le jour en feu.
俺の永遠の魂よ、
お前の誓いを実践しろ。
夜だけだろうと、
燃え上がる昼だろうと。
自分の魂も永遠だと決めつけ、誓ったことを実行するように命令する。
ランボーらしく、何を望み、何を祈願したのか、中身をごちゃごちゃ書くことはしない。全てはわかっていることとして、言葉の勢いだけで、詩句を続けていく。
夜だけでもいいし、昼、太陽が燃え上がるような時だろうと、実行すればいい。
Donc tu te dégages
Des humains suffrages,
Des communs élans !
Tu voles selon…
離れろ、
人々の賛同からも、
みんなの衝動からも!
お前は飛ぶ、・・・のままに。
人々の言うことや、みんなが一斉に勢いよく動き出すのとは、歩調を合わせない。そこから離れ、思い通りに空を飛ぶ。
・・・のままにと、何のままにかは明示されない。しかし、とにかく、みんなと一緒であれば、永遠を今ここで見つけることはできないことはわかっている。
後は、思いのままにしていればいい。
もし思い通りにせず、みんなと合わせていたら、苦痛しかないだろう。
— Jamais l’espérance.
Pas d’orietur.
Science et patience,
Le supplice est sûr.
決して期待もなく、
曙もない。
学問と忍耐よ、
責め苦は確実だ。
実証的な知識には忍耐が必要で、しかも永遠に到達することはない。
直感は一瞬のうちに永遠を掴む。
ランボーはここであえて orieturというラテン語を使い、宗教的な意味も連想させ、日常的な期待だけではなく、宗教的な復活も否定する。
それに対して、自分の思いに従って飛ぶと、過去も未来もなく、今の熱意だけが問題になる。
Plus de lendemain,
Braises de satin,
Votre ardeur
Est le devoir.
もう明日はない。
サテンの熾火よ、
お前の熱意は
義務なのだ。
サテンの熾火は、海と太陽が一つになった状態であり、魂が祈願するものだろう。
その火にとっての義務は、燃えることだけ。
太陽は他の惑星に合わせて輝くわけではない。ただ燃えるだけだ。
永遠の魂も熱を持って燃えていれば、それだけでいい。昨日も、明日も考える必要はない。
義務は熱意だけなのだ。
そうすれば、今、ここで永遠が見つかる。
Elle est retrouvée !
— Quoi ? — l’Éternité.
C’est la mer mêlée
Au soleil.
また見つかった!
何が? 永遠が。
それは、海。溶け合うのは、
太陽。
「永遠」はランボーの詩の中でも、もっとも言葉の勢いがあり、スピード感が快感を生み出す。
とにかく、カッコいい。
1872年5月という日付が記されている原稿の「永遠 L’éternité」では、『地獄の季節』に掲載された版と、少し違いがある。
第一詩節
Elle est retrouvée !
— Quoi ? — l’Éternité.
C’est la mer mêlée
Au soleil.
Elle est retrouvée !
— Quoi ? — l’Éternité.
C’est la mer allée
avec le soleil.
違いは、« la mer mêlée / Au soleil »と« la mer allée / Avec le soleil »。
1872年の版だと、« Avec le soleil »は5音節で、他の3つも5音節なので、詩法的にはこちらの方が伝統的。逆に言えば、『地獄の季節』の版の方が革新性が強い。
ただし、どちらにしても、soleilが韻を踏んでいないことに変わりはない。
海と関係する動詞が、alléeからmêléeに変えられていることで、海と太陽がより強く一体化して表現されている。
ただし、allée は、中原中也等が訳しているような、「去(い)ってしまう」「去る」という意味ではなく、太陽と共に進むという意に介した方がいいだろう。
中原中也訳
去(い)ってしまった海のことさあ
太陽もろとも去(い)ってしまった。
http://nakahara.air-nifty.com/blog/2014/02/post-18dd.html
永遠が見つかったのだから、海も太陽もそこにある。決して去ってはいない。
海と太陽が一緒に歩むと理解した方が、ランボーの意図に近い。
第2詩節
Mon âme éternelle,
Observe ton vœu
Malgré la nuit seule
Et le jour en feu.
Âme sentinelle,
Murmurons l’aveu
de la nuit si nulle
Et du jour en feu.
見張りの魂よ、
誓いを呟こう、
ひどく無意味な夜と
燃える昼の。
この第2詩節は、魂、誓い、夜、昼という主要な要素は共通していながら、意味はずいぶんと違っている。
永遠の魂/見張りをする魂。
自分の魂の誓い/夜と昼の誓い
夜と昼にもかかわらず/夜と昼の誓い
夜だけ/無意味な夜
72年の原稿では、魂は監視役であり、その魂に向かって、私は、夜と昼の誓いを密かに口にしようと提案する。
73年の『地獄の季節』の版では、詩人は自分の永遠の魂に向かって、お前の誓いを守れと命令する。
このように、見張り番の魂との協力から、永遠の魂に対する命令に調子が変化することで、手を加えられた詩句の方が勢いよく感じられる。詩人はより強気だ。
第5詩節(地獄の季節)ー 第4詩節(72年)
Plus de lendemain,
Braises de satin,
Votre ardeur
Est le devoir.
Puisque de vous seuls,
Braises de satin,
Le Devoir s’exhale
Sans qu’on dise : enfin.
というのも、お前たちだけから、
サテンの熾火よ、
「義務」が立ち上るのだ、
「ようやく」、と言うことなく。
大きな違いは、72年では、「ようやく」と言わないという詩句が4行目に置かれているが、73年になると、その詩句が削除され、1行目に「翌日はもうない」という時間に関する記述が付け加えられていることである。
サテンの熾火に向かって、燃えることだけが義務だという内容はほぼ共通している。
ただし、表現としては、熱意が義務だ(votre ardeur est le devoir)という73年版の方がすっきりしている。
今 送信した、コメント‥ 枠の中で組んだ文字が、送信したことに因って バラバラに崩れてしまった様子で、全く意味が通じないと思われるので その際は削除願います。 失礼しました。
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了解しました。削除しましたので、ご安心ください。
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返信、有り難うございました。
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永遠‥全(スベテ) デアルトコロノ ´無,
‥ひ ろ い つ ま でも ど こ
ま で も な い
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