
ポール・クローデルは詩人・劇作家であるが、フランス大使でもあり、1921(大正10)年11月から1927(昭和2)年2月まで、休暇の期間を除くと約4年半、日本に滞在した。
その間、日本の文化や心性に強い親しみを持ち、日本の芸術家たちと交わり、書籍からも多くを学び、日本に関する著作、劇作、詩などを数多く執筆したのだった。
1926(大正15)年5月には、約2週間の日程で西日本の各地を訪れた。その中でも奈良の長谷寺には強い印象を受けたらしく、『百扇帖(Cent phrases pour éventails )』の中には、長谷寺関係の素晴らしい短詩がいくつか残されている。

Je suis venu / du bout du monde
pour savoir ce qui se cache de rose
au fond des pivoines blanches de Hasédéra
世界の果てから/私はやって来た
バラ色の隠れたものを見るために
長谷寺の白い牡丹の奥にある
多くのフランス人とって、日本は世界の反対側にある遠い国であり、極東の島国という印象がある。現在でも、日本に来る場合には、極端に言えば、エキゾチックな世界の端にやってきたという感覚があるかもしれない。
しかし、クローデルは、自分が「世界の果から(du bout du monde)」来たと言う。
そうした意識は、西欧人が東洋を下に見ることからは決して吸収することのできない「何か」を、彼にもたらしたに違いない。

その「何か」は、この短詩の中でも明確に示されてはいない。
それは言葉で説明できるはっきりとしたものではなく、クローデルの最も深い部分で感性に触れ、内的な変容を引き起こしたものだっただろう。
5月の長谷寺に咲き誇るボタンの花を前にして、クローデルはそうした異文化体験を象徴的に表現したのだった。
「ボタンの白い花(pivoines blanches)」はそれだけで十分に美しい。しかし、「その奥には(au fond)」、もしかすると目に見えない「バラ色の何か(ce qui … de rose)」が「隠れている(se cache)」かもしれない。
この詩句を通してクローデルは、東洋の島国から何かを学ぶ者として日本文化の一端を体験し、それを受容したいと望んだことを示している。
彼には、ジャポニスムを通して学んだ日本の美についての知識があった。しかし、日本の美にはまだまだ未知の何かがある。それを知るために、憧れの国である日本を直に体感したかったに違いない。
そうした気持ちを持ったクローデルにとって、「隠れているもの(ce qui se cahe)」を見たいと望む気持ちと同時に、全てを見ることはできないし、見ることが冒瀆にあたるかもしれないという恐れが共存していたかもしれない。
そのためなのか、長谷寺の本尊である十一面観世音菩薩立像を見る時、像全体は見えないと詠う。

Un fût / énorme et pur
qui se dérobe aussitôt au sein d’un noir feuillage
Kwannon au temps de Hasé dont on ne voit que les pieds d’or
巨大で純粋な/一本の柱
すぐに暗い葉むらの真ん中に隠れてしまう
長谷寺の観音様、見えるのは黄金の足だけ。
観音像を前にして、まずそれを観音像としてではなく、一本の巨大な柱に見立てる。つまり、見えているものを通して、その元の姿を思い浮かべようとする。
そして、それを自然の中に置くと、周りには暗い葉陰が覆いかぶさり、そこにひっそりとたたずむ清らかな巨木の姿が見えてくる。
その木の幹が「暗い葉むらの真ん中(au sein d’un noir feuillage)」に「隠れる(se dérobe)」際の「素早さ(aussitôt)」は、聖なるものは長く人の目に留まるべきものでないことを暗示しているのかもしれない。
その幹が観音菩薩の巨大な像となってからも、長谷寺の本堂の中では、像全体が人の目にさらされるのではなく、水平の視線では足しか見えない配置になっている。
無理に目を上げると、像が天に向かって伸び上がっているように見える。(十一面観世音菩薩立像は撮影禁止なので、長谷寺のパンフレットの写真を拝借。)


クローデルはこのように配置された観音像を前にし、短い詩の中で、「隠れる(se dérober)」とか「足しか見えない(on ne voit que les pieds)」と不可視の何かを暗示した上で、そこには「黄金(or)」のあることを詠ったのだった。
「目に見えないもの」に対するこうした感受性がポール・クローデルにはもともと備わっていたに違いない。それが日本の文化に触れるうちにますます強くなり、繊細になっていったと考えていいかもしれない。
『百扇帖』に収められた長谷寺関係の短詩をもう少し読んでみよう。
Au cœur /de la pivoine blanche,
ce n’est pas une couleur, mais le souvenir d’une couleur
ce n’est pas une odeur, mais le souvenir d’une odeur
白い牡丹の/心の中にあるもの
それは一つの色ではなく、一つの色の思い出。
それは一つの香りではなく、一つの香りの思い出。
au cœur deは「真ん中に」という意味で使われるが、ここではあえて cœur 本来の意味に戻し、「白い牡丹の心(cœur de la pivoine blanche)」と理解したい。
そこにあるのは、五感が捉える色彩や香りそのものではなく、それらの思い出だという。
この感覚は、直接的な香りよりも、残り香(のこりが)を尊ぶ日本的な感受性を、分析的なフランス語の言語感覚によって表現しているといえるだろう。

La pivoine /
Et cette rougeur en nous qui précède la pensée
牡丹/
私たちの中にあるその赤い色が、思考に先立つ
この短詩では、何かを考えるよりも先に、色の感覚を美的に感じる美学が暗示されている。
まず、赤い牡丹がある。その赤はいかにも客観的な色彩のように思われるが、実はすでに私たちの心や感覚の中にある色彩に他ならない。それが、「私たちの中にあるその赤い色(cette rougeur en nous)」の意味することだ。
私たちはその内的な色を尊び、和歌や俳句の中で「赤い牡丹」というだけで、くどくどとした説明以上のものが伝わる。
例えば、「とばり垂れて 君いまださめず 紅の牡丹の花に 朝日さすなり」(正岡子規)
日本的感性にとって、心に浮かぶよしなごとが思考に先立つということは、ごく普通なことだといえる。
長谷寺とは限定されていないが、寺院に関して、闇の魅力が歌われている詩もある。
Temple /
Il se passe quelque chose dans l’ombre
et tout à coup une flamme s’allume dans le miroir d’argent
寺院/
闇の中で何かが起こる
突然、一条の光が銀の鏡の中に点る
谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』の中で、古い日本では闇の美を積極的に認め、陰影を利用することで、薄暗がりの中で映える美を生み出してきたことを再確認した。
クローデルはそうした日本的な美意識を理解し、彼の日本文学論の中では、『枕草子』『方丈記』『徒然草』、芭蕉の俳句を中心にした紹介を行った。(「日本文学散歩」)
また、芸術の分野でも、能や茶道などを通して禅的なものに対する強い興味を示した。(「日本の魂を一瞥する」)
それらの根底にある美意識は、無や闇と親しむ日本的な感性と通底している。
この短詩の中には、そうした美意識がはっきりと感じられる。
「闇(ombre)」の中で起こることは何かわからない。しかし、「何か(quelque chose)」が起こる。
そして、その何かが「銀の鏡(miroir d’argent)」に映ると、「一条の光(une flamme)」が「点る(s’allume)」のが見える。

諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。(谷崎潤一郎『陰翳礼讃』)
ここで谷崎が描く日本的な美の一端を、クローデルの短詩の中に読み取ることは可能だろう。
もしかすると、長谷寺の本堂の薄暗がりの中で何かが動くように思い、ふと目をやると黄金の足だけが見えたのかもしれない。
そこに神聖なものを感じ、一つの炎が見えてくる。
そうした体験を、俳句を意識した短い詩の言葉で綴るクローデルは、日本に滞在した約5年間の間に、「白い牡丹の奥に隠れているバラ色のもの」を何度か見ることができ、それを自らの詩的感受性の滋養として吸収したに違いない。