ボードレール 「髪」  Baudelaire « La Chevelure »  官能性から生の流れへ 

愛する女性の髪に顔を埋め、恍惚とした愛に浸る。「髪(La Chevelure)」と題された韻文詩で、ボードレールはそんな官能的な愛を歌いながら、いつしか読者を「思い出というワイン(le vin du souvenir)」で酔わせていく。そして、その過程が、官能の喜びから精神の恍惚への旅として描かれる。

「髪」は、7つの詩節から構成される。
それぞれの詩節は、12音節の詩句が5行から成り、全ての詩節の韻はABAAB。
12音節の切れ目(césure)は6/6と中央に置かれることが多く、詩全体が非常に整った印象を与える。

La Chevelure

Ô toison, moutonnant jusque sur l’encolure !
Ô boucles ! Ô parfum chargé de nonchaloir !
Extase ! Pour peupler ce soir l’alcôve obscure
Des souvenirs dormant dans cette chevelure,
Je la veux agiter dans l’air comme un mouchoir

「髪」

おお、首の上まで波打つ羊毛のような髪!
おお、髪の輪! おお、物憂さの籠もった香り!
恍惚! 今宵、暗い寝室を、
この髪の中で眠る思い出によって満たすため、
この髪を空中で揺り動かしたい、ハンカチを振らすように!

toisonという単語は羊毛を意味し、続くmoutonnant(波打つ)という動詞の中にもmouton(羊)が含まれ、豊かな髪の毛を連想させるだけではなく、その髪をもつ女性の獣性を通して強烈な官能性を強調する。

その官能性は、髪がカールしているという視覚的な次元からではなく、臭覚によっても喚起される。
その香りの「倦怠感、物憂げな感じ(nonchalance)」が、恋する男を「恍惚(extase)」へと導く。

Ô toison ! Ô boucles ! Ô parfum ! と3度繰り返される感嘆詞 « Ô »の音は、moutonnantとencoloureでも反復される。
さらに、oはtoisonとnonchaloirの鼻母音onとも響き合う。
その上、その二つの単語(toison, nonchaloir)はoiという音によっても反響し、最初の2行の詩句を緊密な音の塊にしている。

そして、そうした音の響き合いが、3行目の最初に置かれたextaseへと、読者を運んでいく。
声に出して詩句を朗読してみると、その効果をはっきりと感じ取ることができるだろう。

その髪の中には(dans cette chevelure)、思い出(souvenirs)が眠っている(dormant)。
その思い出で、二人が愛を交わす暗い寝室(l’alcôve obscure)を満たすために、「私(je)」はその髪を「揺り動かしたい(veux agiter)」と思う。

その動かし方は、「ハンカチ(mouchoir)」を振るようにだが、mouchoirがnonchaloirと韻を踏んでいるため、ゆっくりと物憂げな感じであることが、詩句の音によって表現されている。


第2詩節は、3行目に現れる「香りのよい森(forêt aromatique)」に向かって語り掛ける言葉から始まる。

La langoureuse Asie et la brûlante Afrique,
Tout un monde lointain, absent, presque défunt,
Vit dans tes profondeurs, forêt aromatique !
Comme d’autres esprits voguent sur la musique,
Le mien, ô mon amour ! nage sur ton parfum.

物憂いアジアと焼けつくアフリカ、
遙か彼方の、不在で、ほとんど死んだような、一つの世界全体が、
お前の深みの中で息づいている、香り高い森よ!
他の人々の精神が音楽に合わせて漂うように、
私の精神は、おお、愛する女(ひと)よ、あなたの香りの上を泳いでいる。

「森( forêt )」とは愛する女性の髪のこと。
第一詩節で「物憂さの籠もった(chargé de nonchaloir)」とされた香りが、ここでは「香りのよい(aromatique)」という自然な言葉に置き換えられている。

そして、愛する女性に向かい、「おお、我が愛よ(ô mon amour )」と呼びかけながら、「自らの精神(le mien=mon esprit)」は、「お前の香り( ton parfum)」の上を泳いでいるのだと告げる。

ここで注目したいのは、肉体の官能が精神の次元へとスムーズに移行していること。
詩人は、愛する女性の髪に顔を埋め、その香りにうっとりとしている。その時に、彼の喜びは身体的なものでありながら、同時に、精神的な喜びへと飛翔していく。

詩人は、その時の感覚を音楽と類似する体験として示す。
他の人々であれば、音楽を聞く時、非物質的、非肉体的な喜びを感じる。ボードレールにとっては、香りが音楽の役割を果たす。

その喜びの非物質性は、彼女の肉体と体を接しながら、彼の捉えるものが「不在」であることからも暗示される。
彼女は、「物憂そう(langoureuse)」で、時には、「焼けるように熱い(brûlante)」かもしれない。
しかし、彼女の髪の「深奥(profondeurs)」で詩人が感じ取る「世界全体(tout un monde)」は、「遠く(lointain)」、「不在で(absent)」、「ほとんど死んだ(presque défunt)」もののように感じられる。
どんな官能を呼び起こそうと、最終的にそれは不在なもの。だからこそ、精神の次元で作用する。


それと同時に、アジアやアフリカは、遠い国への旅を暗示することにもつながる。だからこそ、第3詩節になると、「今ここ」からの出発について語られることになる。

J’irai là-bas où l’arbre et l’homme, pleins de sève,
Se pâment longuement sous l’ardeur des climats ;
Fortes tresses, soyez la houle qui m’enlève !
Tu contiens, mer d’ébène, un éblouissant rêve
De voiles, de rameurs, de flammes et de mâts :

Un port retentissant où mon âme peut boire
À grands flots le parfum, le son et la couleur ;
Où les vaisseaux, glissant dans l’or et dans la moire,
Ouvrent leurs vastes bras pour embrasser la gloire
D’un ciel pur où frémit l’éternelle chaleur.

私はいつかあちらに行くだろう。そこでは、木々と人間は、精気に満ちながらも、
長い時間ぼんやりとしている、灼熱の風土の中で。
丈夫な編毛よ、大波となって、私を持ち上げてくれ!
黒檀の海よ、お前は、輝かしい夢を内に含んでいる、
帆たちの、漕ぎ手たちの、旗たちの、帆柱たちの夢を。

汽笛の響き渡る港。そこでこそ、私の魂は、飲むことができるのだ、
たっぷりと、香りと、音と、色を。
船たちは、黄金と波紋の中を滑走し、
巨大な腕を広げて、栄光を抱きしめようとする、
永遠に続く熱気が震える、純粋な空の栄光を。

詩人は、彼女の髪の香りに誘われ、旅立つことを夢見、彼方の地を思い描く。

そこは南国の楽園。「気候(climats)」は「灼熱(ardeur)」。
人間も木々も「精気(sève)」に満ちているが、その一方で、「気を失う(se pâment)」ようにして、長い時間を過ごしている。

その楽園に達することを強く望む詩人は、「高い波(houle)」のように「編まれた髪の毛(tresses)」に向かって、「私を持ち挙げてくれ(m’enlève)」と命令する。
「持ち上げる」というのは、船が高い波を越えて進むイメージと捉えることもできるし、あるいは楽園が天上にあることを思い描いていると考えることもできる。

次に、黒髪に向かい、「黒檀の海(mer d’ébène)」と呼びかけ、髪の香りに掻き立てられた夢想を、遠洋航海の旅と重ね合わせる。
「帆( voiles)」「漕ぎ手(rameurs)」「旗( flammes)」「帆柱(mâts)」が、その航海を具体的にイメージさせる。

第4詩節では、「港(port)」が描き出される。
官能の喜びによって喚起された港は、しかし官能性から離れ、「魂(âme)」の次元へと飛翔し、そこで私の魂は、「香り(parfum)」と「音(son)」と「色(couleur)」を、「たっぷりと(À grands flots)」飲み干す。
その三つの感覚ー臭覚、聴覚、視覚ーの連動は、そこが「共感覚(synesthésie)」の世界であることを示している。

港に停泊する船(les vaisseaux)は、金色に輝く波の上を滑走し、「永遠に続く熱気(la chaleure éternelle)」が「震える(frémit)」、そんな「純粋な空(le ciel pur)」を目指す。

「黄金(or)」と「モワレ、波紋模様の生地(moire)」は、愛する女性のまとう服と、波が太陽の光でキラキラと輝く様子を重ね合わせた記述だとも考えられる。


第5詩節の冒頭、第3詩節で「私は行くだろう(J’irai)」と動詞が単純未来形であったのと同様に、「私は頭を沈めるだろう(Je plongerai ma tête)」と単純未来形が使われ、その行為が頭の中で考えられていることであることが示される。

Je plongerai ma tête amoureuse d’ivresse
Dans ce noir océan où l’autre est enfermé ;
Et mon esprit subtil que le roulis caresse
Saura vous retrouver, ô féconde paresse,
Infinis bercements du loisir embaumé !

Cheveux bleus, pavillon de ténèbres tendues,
Vous me rendez l’azur du ciel immense et rond ;
Sur les bords duvetés de vos mèches tordues
Je m’enivre ardemment des senteurs confondues
De l’huile de coco, du musc et du goudron.

私は顔を沈めるだろう、恋に酔いしれた顔を、
この黒い大海原に。そこには、もう一つの大海原が閉じ込められている。
そして、私の繊細な精神は、横揺れに愛撫され、
見つけることができるだろう、おお、豊かな怠惰よ、
香り高い無為の時間がもたらす、揺り籠の無限の揺れを。

青い髪よ、引き伸ばされた闇の天幕よ、
お前たちが私に返してくれたのは、巨大で丸い空の蒼穹。
お前たちのよじれた房の、繊毛のついた岸辺の上で、
私は激しく酔いしれる、入り交じった香りに、
ヤシの油と、じゃこうと、タールの。

「黒い大海原(noir océan)」は、「黒檀の海(mer d’ébène)」と同様に、彼女の黒髪からの連想による。

では、そこに閉じ込められている「別の大海原(l’autre (océan))」とは何を意味するのだろうか?
その答えを導き出すためには、次に続く詩句を読んでいく必要がある。

「私の精神(mon esprit)」を、「横揺れ(roulis)」が「愛撫する(caresse)」という表現は、愛撫する二人の恋人の体が揺れている姿と、海上を進む船が横に揺れ、乗船客の体が揺れる様子を、オーヴァーラップさせる。
その「愛撫(caresse)」が、二人の「怠惰(paresse)」、つまり愛撫以外は何もしないことにつながる。その繋がりは、caresse-paresseが豊かな韻(rime riche)を踏んでいることによってもはっきりと示されている。

「怠惰」は、以下に出てくる「無為の時間(loisir)」と繋がる。
さらに、その時間には「香りの立ち篭もる(embaumé)」という形容詞が付けられ、身体的な接触(触覚)が、香りによって精神的な次元へと詩人を導いていくことが推測できる。

その後、その愛撫の中で、「私の繊細な精神(mon esprit subtil)」は、「揺り籠の揺れ(bercements)」を「見出すことができるだろう(Saura vous retrouver)」と付け加えられる。(vous=infinis bercements)

bercementは「揺り籠(berceau)」による揺れ。「船の横揺れ(roulis)」が掻き立てる不安が払拭され、安心感が生まれたことを示している。
恋人たちの愛撫から決して肉体的な喜びが消えてしまうわけではないが、しかし、ボードレールの詩句は、身体を超えて精神の喜びへと移行していく過程を辿っていく。

そのように、肉体と精神という二つの次元を考えると、「黒い大海原」がこれから旅立つ路程であり、頭の中にある海。そこに閉じ込められた「もう一つの大海原」とは、現実の次元に位置するもの、ということがわかってくる。
この詩句の主張に従えば、現実は精神の活動に含まれ、肉体は精神の中に閉じ込められていることになる。

第6詩節になると、「髪(cheveux)」の色がいきなり「青(bleus)」へと変わる。
さらに、髪は、「引き伸ばされた闇(ténèbres tendues)」の「天幕、あずまや(pavillon)」と同格に置かれる。

そして、その青い髪、引き伸ばされた闇の天幕に向かい「お前たち」と呼びかけ、お前たちは、空の「紺碧(azur)」を「私に返してくれる(me rendez)」存在なのだと告げる。

この2行の詩句も、現実と想像、肉体と精神の2元論的思考に基づいている。
「引き伸ばされた闇」は、彼女の豊かな黒髪を指し、現実の次元を反映している。
それに対して、「青」や「紺碧」は、黒を超えた次元を暗示する。なぜなら、髪を愛撫するところから出発し、香りを媒介にして「無限の揺れ」に到達するところで見出される色だからである。

青から「紺碧(azur)」への移行は、その次元の超越性を暗示している。別の視点から見ると、「香り」は黒を通して紺碧に達することを可能にする魔性の力を持つ、ということになる。

続く詩句の中では、詩人が酔いしれる香りがどのようなものか、明らかにされる。
それは、「椰子の油(huile de coto)」「じゃこう(musc)」「タール(goudron)」が「混ざり合った香り(senteurs confondues)」だという。
ちなみに、「じゃこう」は、「コレスポンダンス」の中で、「こはく、安息香、乳香( l’ambre, le benjoin, l’encens)」と並んで名前が挙げられていた。
ボードレールにとって、共感覚を呼び起こすのは、決して純粋で自然な香りではなく、人工的で洗練された香りなのだ。

詩人は、「よじれた房(mèches tordues)」の「繊毛のついた岸辺(bords duvetés )」という、女性の肉体を感じさせる官能的な場で、精神を飛翔させる香りに「酔いしれる(Je m’enivre )」。


このように第3詩節から第6詩節において、愛する女性の髪を愛撫し、その香りに身を委ねるという現実的な描写を出発点として、精神が「紺碧」の次元と移行する過程が描かれてきた。
そして、最終詩節にいたり、詩人は愛する女性に向かい、次のように語りかける。

Longtemps ! toujours ! ma main dans ta crinière lourde
Sèmera le rubis, la perle et le saphir,
Afin qu’à mon désir tu ne sois jamais sourde !
N’es-tu pas l’oasis où je rêve, et la gourde
Où je hume à longs traits le vin du souvenir ?

長い間! 常に! 私の手は、あなたの重々しいたてがみの中に、
撒くだろう、ルビーと、真珠と、サファイアを、
私の欲望にあなたが決して耳を閉ざさないために!
あなたは、そこで私が夢をみるオアシスではないのか? あるいは、
そこで私がごくごくと思い出というワインを吸い込む水筒ではないのか?

まず最初に注目したいのは、第1詩節で多用された感嘆詞がここで再び三度用いられ、愛する女性に対する強い呼びかけとなっていること。

「長い間(longtems)!」「常に(toujours)!」と強く訴えかけた後、彼女の髪に宝石をいくつも「撒くつもりだ(sèmera)」と、自分の意志を伝える。
しかも、前の詩節で、好みの香りとして具体的に3つの香りを列挙したのと同じように、ここでも、「ルビー(rubis)」「真珠(perle)」「サファイア(saphir)」と宝石の名前を具体的に挙げる。
その列挙は、詩の絵画性を高める効果を持っている。

そして、「お前が私の欲望に耳を閉ざすことがないように(Afin qu’à mon désir tu ne sois jamais sourde)!」という言葉は、彼女に対する懇願に他ならない。
つまり、「髪」という詩は、愛する女性に向けて、自分の願いに応えてほしいと望む恋愛詩だということを、この詩句から読み取ることができる。

そして、最後に、彼女を次の二つのものにたとえる。
1)私に夢を見させてくれるオアシス。
2)「思い出というワイン(vin du souvenir)」を飲ませてくれる「水筒、ひょうたん(gourde)」。

夢を見るオアシスとは、この世のことを忘れて、恍惚とさせてくれる存在を意味する。
では、「思い出というワイン」とは何を意味するのだろう。

それを理解する鍵は、第1詩節の「この髪の中で眠る思い出(Des souvenirs dormant dans cette chevelure)」にある。
その「思い出」こそが、「髪」という詩全体の中で最も重要な言葉に他ならない。
そして、その言葉をどのように理解するかが、詩の解釈を決定する。

A. 個人的なレベル

「思い出」を「私(je)」あるいは「あなた(toi)」という個人のレベルに限定すれば、二人の関係の中で積み重ねてきた出来事に関する思い出ということになる。
あなたの髪を愛撫することで、それらの思い出が蘇り、幸福感に浸ることができる。

しかし、もし「髪」がそうした過去の思い出を歌うのであれば、もっと明確な思い出を描き出すだけでよく、これほど抽象的な表現を用いる必要はないだろう。

B. イデア的

思い出の中の出来事は、今の時点ではすでに存在せず、人間の思考の中にしかない。従って、現実に存在しないし、理想化されていることもある。
その意味では、思い出をプラトニスムのイデア的存在と見なすこともできる。

そのように考えると、官能の喜びから精神的な恍惚へと向かう動き、「黒」を通して「紺碧」を求める飛翔は、プラトニスム的愛の構図と対応している。

しかし、その場合には、理想の地が必ずしも「共感覚」の世界である必要はなく、そのことは別の解釈も可能であることを意味している。

C. 生命の流れ

第1詩節において、「彼女の髪の中に眠る思い出(Des souvenirs dormant dans cette chevelure)」の「思い出」は複数形で記される。従って、それらの思い出は、個人的で具体的な体験に基づいているものだと考えられる。

それに対して、詩の最後に置かれた「思い出というワイン(le vin du souvenir)」では単数形。ここでの「思い出」は具体的なものではなく、「思い出というもの」という普遍的な意味を担っている。

そのことは、愛する女性の髪という具体的な事物から出発した詩が、個人的なレベルを超え、普遍的な精神の動きを対象としていることの証だといえる。

では、普遍的な「思い出」とは何か?
私たちは普通、自分の命に関して、誕生した時に発生したものだと考えている。しかし、別の視点から見ると、私の命は父母の生命から伝わってきたものであり、その前は祖父母。。。といったように、生命の流れは連綿として続いている。もしその流れがどこかで途切れていれば、「私」は誕生しなかったはず。
そのように考えると、最初の人間が誕生して以来、人間の生命は連続していることになる。

たとえ私たちにその記憶がなくとも、生命は原初からの「思い出」を秘めていると考えることもできる。
普遍的な「思い出」をそのように考えると、それは「生命の流れ」の象徴ともいえる。
私たち個々の人間は、その流れの中にあり、それを身体によって受け止め、凝縮させている。

第3詩節では、「黒い大海原。そこには、もう一つの大海原が閉じ込められている(ce noir océan où l’autre est enfermé) 」と言われる。
「黒い大海原」を雄大な生命の流れと考えると、「もう一つの大海原」とは現実世界を生きる個々の存在であり、「閉じ込められる」とは、その大きな流れの中にあることを示していることになる。

愛する女性の髪を愛撫しながら詩人が目指すのは、「思い出というワイン」に酔いしれて「共感覚の世界」に入り込み、壮大な生命の大海原へと出航すること。
ただし、もし「私の欲望(mon désir)」に彼女が耳を閉ざしたら、出航することができなくなってしまう。
現実において、女性の髪に「ルビー、真珠、サファイア」を撒くのは、「私」の出発点が常に現実であることを示している。
「黒い大海原」と「一つの大海原」は常に繋がっているのだ。

このように考えると、韻文詩「髪」は、二つの海が連動していることを示しながら、「香り」と「思い出」を鍵にして、個を超えた大きな生命の流れへと私たち読者の心が出航するための航海図であることがわかってくる。

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