アンドレ・ブルトン シュルレアリスム宣言  André Breton Manifeste du surréalisme

シュルレアリスム(surréalisme)という言葉は、sur(上)とréalisme(現実主義)から成り、現実を超えたもの、つまり「超現実」を指し示す。
日本では、ダリ、エルンスト、マグリットなどの絵画を通して馴染み深いかもしれない。

20世紀前半最大の芸術思潮といえるシュルレアリスムを主導したのがアンドレ・ブルトン(André Breton)であり、1924年に発表された『シュルレアリスム宣言(Manifeste du surréalisme)』がその運動の開始を告げた。

1896年にノルマンディー地方に生まれたアンドレ・ブルトンは、大学で医学と心理学を学ぶと同時に、ボードレール、マラルメ、ランボーの詩に親しみ、ポール・ヴァレリーと知り合うなどした。
第1次大戦が始まると、最初は歩兵隊に動員され、次にナントの精神病院に配属になり、戦争の惨禍のために精神を病んだ患者たちの治療にあった。そこで、ジグムント・フロイトの精神分析学を学び、狂気の中に創造の可能性を見るようになる。
そうした経験が、『シュルレアリスム宣言』の精神的な基盤を形作った。

その宣言の中から、フロイトの精神分析的思考をブルトンがどのように応用したのかという部分と、シュルレアリスムの用語に関する部分を読んでいこう。

ブルトンは、フロイトの名前を提示しながら、覚醒時と夢の関係について考察を進める。
ただし、彼の表現はかなり省略的でわかりにくい部分があるので、具体的な状況を考えながら理解に努めることが要求される(ように私には思われる)。

C’est à très juste titre que Freud a fait porter sa critique sur le rêve. Il est inadmissible, en effet, que cette part considérable de l’activité psychique (puisque, au moins de la naissance de l’homme à sa mort, la pensée ne présente aucune solution de continuité, la somme des moments de rêve, au point de vue temps, à ne considérer même que le rêve pur, celui du sommeil, n’est pas inférieure à la somme des moments de réalité, bornons-nous à dire : des moments de veille) ait encore si peu retenu l’attention. L’extrême différence d’importance, de gravité, que présentent pour l’observateur ordinaire les événements de la veille et ceux du sommeil, a toujours été pour m’étonner. C’est que l’homme, quand il cesse de dormir, est avant tout le jouet de sa mémoire, et qu’à l’état normal celle-ci se plaît à lui retracer faiblement les circonstances du rêve, à priver ce dernier de toute conséquence actuelle, et à faire partir le seul déterminant du point où il croit, quelques heures plus tôt, l’avoir laissé : cet espoir ferme, ce souci. Il a l’illusion de continuer quelque chose qui en vaut la peine. Le rêve se trouve ainsi ramené à une parenthèse, comme la nuit. Et pas plus qu’elle, en général, il ne porte conseil.

当然のことだが、フロイトは夢に対して批評的な考察を行った。受け入れがたいのは、精神活動の大部分が、(少なくとも、人間が生まれてから死ぬまでの間、思考が途切れることはないのだから、夢を見ている時の総計は、時間の視点から見て、純粋な夢、つまり睡眠中の夢だけを考えたとしても、現実の時の総計、覚醒時と言ってもいいのだが、それよりも少ないことはない。)まだほとんど注意を引いてこなかったということだ。重要性や重大さの極端な差が、普通の観察者にとって、覚醒時と睡眠時で認められるのだが、それが常に私を驚かせてきた。つまり、人間は、眠るのを止める時、何よりもまず記憶のおもちゃなのだ。そして、普通の状態において、記憶が好むのは、夢で起こったことの状況をおぼろげに再現し、夢から現在の結果を奪うこと。そして、数時間前に夢を残してきたと思う地点から、唯一の決定的な事項、つまり確固たる希望、心配のタネを出発させることだ。人間は、夢に値する何らかのものを継続するという幻想を持つ。そのようにして、夢は、夜と同じように、カッコの中へと連れ戻される。そして、一般的に、夢が、夜以上に、助言をもたらすことはない。

フロイトは、人間の心的過程において、自分で意識する心の動きだけではなく、様々な要因で意識されない精神活動があるが、そうした内容は抑圧され、無意識と彼が呼ぶ領域へ追いやられるのだと考えた。
そのようにして捉えられた意識と無意識は、しばしば、昼と夜、覚醒と睡眠のように、対立したものと見なされる。

それに対して、アンドレ・ブルトンは、覚醒時の生(せい)と夢を対立させるのではなく、連続したものと見なす。
人間の思考は常に活動し、睡眠時の活動量は目覚めている時の活動量に劣っているわけではなく、覚醒してからも、夢の記憶は、たとえおぼろげであっても残っている。

ただ、一般的には、昼の精神活動は夜眠っている間はいったんカッコの中に入れられ、翌朝再び続けられると思われている。同様に、夢もカッコの中に入れられ、覚醒時の出来事とは無関係であり、夢の続きが覚醒時になんらかの結果をもたらすとは考えられない。
ブルトンは、そうした一般論に疑問を提示し、生命は昼も夜も、覚醒時も睡眠時も連続し、フロイトの用語で言えば、意識と無意識は一連の意識の流れだと見なす。

そこから出発して、4つの考察を導き出すのだが、その中で夢に関する最初の考察はとりわけ興味深い。

1° Dans les limites où il s’exerce (passe pour s’exercer), selon toute apparence le rêve est continu et porte trace d’organisation. Seule la mémoire s’arroge le droit d’y faire des coupures, de ne pas tenir compte des transitions et de nous représenter plutôt une série de rêves que le rêve. De même, nous n’avons à tout instant des réalités qu’une figuration distincte, dont la coordination est affaire de volonté. Ce qu’il importe de remarquer, c’est que rien ne nous permet d’induire à une plus grande dissipation des éléments constitutifs du rêve. (…) Mon rêve de cette dernière nuit, peut-être poursuit-il celui de la nuit précédente, et sera-t-il poursuivi la nuit prochaine, avec une rigueur méritoire. 

1.夢が実践される(実践されるとみなされる)範囲において、明らかに、夢は継続するものであり、構成された痕跡を保つ。ただ記憶だけが権利を横取りし、夢に切れ目を入れ、移行を考慮せず、夢そのものというよりも、一連の夢の連続を私たちに再現する権利を持つ。同様に、私たちは常に様々な現実から明確な形象を得るが、その形象を調整するのは意志の仕事である。ここで注目すべきは、夢を構成する各種の要素を、注意力の散漫に帰することはできないということ。(中略)昨夜の私の夢は、たぶん、前の夜の夢の続きだ。そして、次の夜、賞賛すべき厳密さで、続きがあるだろう。

夢が構成された痕跡(trace d’organisation)を持つという考えは、シュルレアリスムの創作活動を考える上で注目に値する。

一般的に、覚醒時には、私たちは意識的に活動し、意志の働き(affaire de volonté)で自分の行動をコントロールしている。
そのために、現実は明確な形(une figuration distincte)を取り、物事は時系列に従って経過していくと意識される。
現実において、私たちの行動は意識によって構成(organisation)されているのだ。

他方、いったん眠りに入ると、意識の働きが停止する。そのために、繋がりがなく、非論理的で、意味不明な夢を見ると考えられる。しばしば、その理由として、意識や意志が散漫(dissipation)になっているからだとされる。

ブルトンはそうした一般的な考え方に反対し、夢もやはり構成されたものであり、構成された痕跡(trace d’organisation)が残っていると主張する。
そして、眠る前と次の朝に起きた時の行動に繋がりがあるのと同じように、夢に関しても、前の夜の夢と今日の夢と明日の夢の間で、賞賛すべき厳密さを持って(avec une rigueur méritoire)続くと強調する。

そして、四番目の考察では、夢と現実の一体化したものを超現実(surréalité)だと宣言する。

4° (…) Je crois à la résolution future de ces deux états, en apparence si contradictoires, que sont le rêve et la réalité, en une sorte de réalité absolue, de surréalité, si l’on peut ainsi dire.

4.私は二つの状態が将来溶け合うことを信じている。二つの状態とはひどく矛盾するように見える夢と現実のことだが、それらが一種の絶対的な現実、言うなれば「超現実」に溶け込むだろう。

対立するように思われる夢と現実が一つの「超現実(surréalité)」となるというブルトンの主張は、シュルレアリスム芸術の最も根本的な思想であり、創作活動の原理にもなる。

古代ギリシアのアリストテレス以来、人間の創作活動は建築(architecture)に代表されるように、人間の理性の働きにより構想され、技術(テクニック)によって実現されるものと考えられてきた。
その結果、創造物は、秩序立ち調和の取れた幾何学的構造を持つことになる。
創造(ポイエイシス=クリエーション)とは、まさに、構成(organisation)することであり、意志の仕事(affaire de volonté)だった。

それに対して、ブルトンは、フロイトによる無意識の理論に基づきながら、意識が働かないはずの夢にも構成の痕跡(trace d’organisation)を見出し、覚醒時の生(せい)と睡眠時の夢が一連の生(せい)であると考える。
そして、意識により構想され、技術によって実現される建築とは違う創造原理を、夢のイメージに見出した。

それは、「人間の制作」に対する「自然の生成」と比較しうる。
ポール・ヴァレリーは、「私たちが作る術を知らず、しかも作られたように見えるものを、私たちは自然が生成するものだとみなす」と主張した。
つまり、私たちには創作原理が見えず、人間の意識が介入しないで存在するように思われるものに関して、自然によって生み出されたものだとみなす。

そのような視点から見ると、アンドレ・ブルトンは、意識にコントロールされない夢のイメージを、「人間の制作」であると同時に「自然の生成」として提示し、20世紀前半の新しい芸術創造としてシュルレアリスムの運動を展開したのだと考えてもいいだろう。
意識や技術の支配を排除し、予め何も考えずに素早く文章を書くという「自動記述 (écriture automatique)」は、「制作」でありながら「生成」でもある創造(クリエーション)を実現するための、一つの技術に他ならない。


シュルレアリスムという用語について、ブルトンはまずギヨーム・アポリネールの名前を挙げる。

En hommage à Guillaume Apollinaire, qui venait de mourir et qui, à plusieurs reprises, nous paraissait avoir obéi à un entraînement de ce genre, sans toutefois y avoir sacrifié de médiocres moyens littéraires, Soupault et moi nous désignâmes sous le nom de SURRÉALISME le nouveau mode d’expression pure que nous tenions à notre disposition et dont il nous tardait de faire bénéficier nos amis. Je crois qu’il n’y a plus aujourd’hui à revenir sur ce mot et que l’ acception dans laquelle nous l’ avons pris a prévalu généralement sur son acception apollinarienne. 

最近亡くなったばかりのギヨーム・アポリネールに賛辞を捧げよう。彼は幾度もこの種の訓練に従ったが、平凡な文学技法をそれに捧げることはなかったように思われる。スーポーと私は、純粋な表現の新しい様式を、シュルレアリスムという名称で名指した。その様式を私たちは自由に使用することができ、早く仲間達に共有してほしかった。現在、もはや、この名称を考え直す必要はないし、私たちがその名称に与えた意味は、すでにアポリネール的な意味よりも広く流通していた。

アポリネールは、『ティレシアスの乳房(Les Mamelles de Tirésias)』という戯曲の序文の中で、イデアリスム(理想主義)とナチュラリスム(自然主義)を共にやり玉に挙げた後で、その両者を統合することを目指した。
その具体的な例として、次のような例を挙げている。

Quand l’homme a voulu imiter la marche, il a créé la roue qui ne ressemble pas à une jambe. Il a fait ainsi du surréalisme sans le savoir.

人間が歩行を模倣しようと望んだとき、創造したのは、足とは似ても似つかない車輪だった。そんな風にして、人間は、そうとは知らないうちに、シュルレアリスムを作り出した。

模倣する(imiter)ことはアリストテレス以来、人間の活動の中心に置かれ、自然を模倣することが芸術の基本と考えられてきた。
アポリネールもここで、歩行(la marche)という自然な行為を模倣する例を挙げ、決して非現実の世界に入り込むことはしない。
ただし、模倣の結果として表現されたものは、人間の足(une jambe)ではく、車輪(la roue)だという。そのズレがシュル(超)であり、現実に対して超現実となる。

アポリネールはそこに想像力の働きを読み取り、そうした表現は、「私流の自然の解釈(ma façon d’interpréter la nature)」だと、この例の後で付け加えている。

アンドレ・ブルトンは、このアポリネールの試みからさらに一歩踏み出し、ジェラール・ド・ネルヴァルが用いたシュペルナチュラリスム(超自然主義)という用語を取り上げる。
そして、ネルヴァルの方がアポリネールよりもブルトンの芸術観に近いとして、『火の娘たち』の「序文」から二つの節を引用する。

À plus juste titre encore, sans doute aurions-nous pu nous emparer du mot SUPERNATURALISME, employé par Gérard de Nerval dans la dédicace des Filles du feu. Il semble, en effet, que Nerval posséda à merveille l’esprit dont nous nous réclamons, Apollinaire n’ayant possédé, par contre, que la lettre, encore imparfaite, du surréalisme et s’étant montré impuissant à en donner un aperçu théorique qui nous retienne. Voici deux phrases de Nerval qui me paraissent, à cet égard, très significatives :

Je vais vous expliquer, mon cher Dumas, le phénomène dont vous avez parlé plus haut. Il est, vous le savez, certains conteurs qui ne peuvent inventer sans s’identifier aux personnages de leur imagination. Vous savez avec quelle conviction notre vieil ami Nodier racontait comment il avait eu le malheur d’être guillotiné à l’époque de la Révolution ; on en devenait tellement persuadé que l’on se demandait comment il était parvenu à se faire recoller la tête.
 … Et puisque vous avez eu l’imprudence de citer un des sonnets composés dans cet état de rêverie SUPERNATURALISTE, comme diraient les Allemands, il faut que vous les entendiez tous. Vous les trouverez à la fin du volume. Ils ne sont guère plus obscurs que la métaphysique d’Hegel ou les MÉMORABLES de Swedenborg, et perdraient de leur charme à être expliqués, si la chose était possible, concédez-moi du moins le mérite de l’expression…

さらに確かなことだが、私たちは「シュペルナチュラリスム(超自然主義)」という言葉を用いることもできた。その言葉はジェラール・ド・ネルヴァルによって、『火の娘たち』の序文で使用されたものだった。実際、ネルヴァルは、私たちが主張する精神を驚くほど有していた。他方、アポリネールが持っていたのは、シュルレアリスム(超現実主義)というまだ不完全な文字だけであり、彼は私たちの注意を引き留めるほど理論的な展望を提示することはできていなかった。以下に引用するネルヴァルの二つの文は、その点に関して、非常に意義深いと思われる。

 「私はあなたにこれから説明しようと思います、親愛なるデュマよ、あなたが少し前に語った現象についてです。よくご存知のように、物語の語り手たちの中には、自分の想像力が生み出した登場人物と一体化しないと、(物語を)発明することができない人がいるのです。ご存知のはずです、どれほどの確信を持って、私たちの古い友人であるノディエが、大革命の時代、どんな風にして不幸にもギロチンにかけられたと語ったのか。みんなその話にひどく納得したので、ノディエがどうやって自分の頭を再び貼り付けさせたのか、不思議に思ったものでした。
(中略)・・・ あなたは不用心にも、ドイツ人たちであれば「シュペルナチュラリスト(超自然主義的)」と言うような、夢想状態において構成されたソネットの一つを引用なさったのです。それらの詩全てを聞いていただかなければなりませんので、この本(『火の娘たち』)の巻末をご覧ください。それらはヘーゲルの形而上学やスエーデンボルグの「記憶すべきこと」よりも意味不明ということはありませんが、解説されたりしたら魅力がなくなってしまうことでしょう。解説可能だとしてですが。少なくとも、それらを表現する価値は、私に認めてください。

ネルヴァルは、自分が狂気に陥った時のことを面白可笑しく語ったアレクサンドル・デュマに対して、彼に宛てた手紙の形式を取り、文学における「発明(invention)」つまり文学創造と、狂気との関係について、具体的な例を挙げながら論じたのだった。

ブルトンが引用するのは、まず最初にシャルル・ノディエのエピソード。
ネルヴァルによれば、ノディエは、大革命の時にギロチンで首を切られたという話をし、あまりにもそれが真に迫っていたので、誰もがその話を信じたという。
もちろん、その話をしているのはノディエなのだから、彼が首を切り下ろされたということはありえない。
ネルヴァルの言葉を借りれば、ノディエは、「自分の想像力が生み出した登場人物たちと一体化する(s’identifier aux personnages de leur imagination)」タイプの語り手だということになる。

二つ目の引用では、そうした想像力が働くのが、「シュペルナチュラリスト(超自然主義的)と言うような夢想状態(état de rêverie SUPERNATURALISTE)」においてであるとされる。
その夢想状態で作られたソネット(「シメール(幻想)詩篇」)は、非常に難解な様相を呈しているが、意味不明ではない。しかし、もし説明されたら、魅力(charme)が消え失せてしまう。
そこで用いられた表現(expression)をそのまま受け取ることで、魅力が伝わるのだ。

これこそ、シュルレアリスム運動を通してブルトンが作り出そうとした「制作=生成」物だろう。
理解しようとしたら、魅力は失せてしまう。むしろ、分からなくていいし、分かろうとする必要もない。
表現をそのまま受け入れる時、本を読む者、絵画を見る者は、作品に魅了される。

では、なぜ1924年の『シュルレアリスム宣言』の中で、ブルトンは、シュペルナチュラリスムという用語を使わなかったか?
その理由は、この言葉がドイツ由来であることにある。
ネルヴァルはそれをゲーテの『ファウスト』などから借用したものであり、第1次世界大戦後のフランスとドイツの関係の中で、ドイツ的なものは避ける必要があった。
そのために、ブルトンは、アポリネールからの借用で、シュルレアリスムという言葉を使ったのだと考えられる。


ネルヴァルの引用の後、シュルレアリスムの辞書的な定義と百科事典的な説明がなされる。

SURRÉALISME, n. m. Automatisme psychique pur par lequel on se propose d’exprimer, soit verbalement, soit par écrit, soit de toute autre manière, le fonctionnement réel de la pensée. Dictée de la pensée, en l’absence de tout contrôle exercé par la raison, en dehors de toute préoccupation esthétique ou morale.

シュルレアリスム。男性名詞。純粋な精神的自動作用 (オートマティスム) であり、それによって、話し言葉により、書記言語により、それ以外のまったく異なる方法により、思考の現実的機能を表現することを目指す。思考の書き取りであり、理性によって行使されるいかなるコントロールもなく実践され、美学的あるいは道徳的ないかなる配慮もしない。

自動作用(オートマティスム)とは、理性(raison)によってコントロールされず、美学的とか道徳的といった配慮(préoccupation esthétique ou morale)のない創作活動を意味する。

ただし、ここで注意したいことは、これまでに何回か繰り返してきたように、ブルトンは決して反理性、反現実を主張しているのではなく、オートマティスムが思考の現実的な機能(fonctionnement réel de la pensée)を表現するという点。
シュル・レアリスムは、アンチ・レアリスムではなく、現実の上に重なるものであり、現実と地続きの表現を生み出すのだと考えなければならない。

ENCYCL. Philos. Le surréalisme repose sur la croyance à la réalité supérieure de certaines formes d’associations négligées jusqu’à lui, à la toute-puissance du rêve, au jeu désintéressé de la pensée. Il tend à ruiner définitivement tous les autres mécanismes psychiques et à se substituer à eux dans la résolution des principaux problèmes de la vie. 

百科事典。(哲学)。シュルレアリスムは、それが登場するまでずっとなおざりにされてきたいくつかの連想形式から成り立つ超現実、夢の絶対的な力、および思考の偏見のない活動、そうしたものに対する信仰に基づく。シュルレアリスムは、それ以外の全ての精神のメカニスムを完全に滅びさせ、それらに代わり、生(せい)の主要な諸問題を解決することを目指す。

百科事典的な解説においても、シュルレアリスムが、上位の現実=超現実(réalité supérieure)に対する信仰(croyance)に基づくことが明示される。
そこで、夢(rêve)は絶対的な力( toute-puissance)を発揮する。
思考(pensée)は、意識的な美学や道徳とは関係なく、何の偏見もない活動(jeu désintéressé)をする。

また、精神的なメカニスム(mécanismes psychiques)が意識の領域だけをカバーしてきたのに対し、シュルレアリスムは、無意識、夢、狂気など、これまでなおざりにされたきた領域をもカバーし、生(vie)全体にかかわるものとされる。
最初の引用で見たように、人間の思考は昼も夜も連続し、覚醒時の生(せい)と睡眠時の夢はどちらも生(vie)の一部なのだ。

そうした生(vie)を表現するためには、「人間の制作」と「自然の生成」が同時に作動することが要求される。
そして、制作と生成が生み出す作品が、一見意味不明でありながら非常に大きな魅力を持つのは、アンチ現実ではなく、超・現実であることによると考えていいだろう。

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