鴨長明『方丈記』を読む 2/4 日本的信仰

『方丈記』の最後になり、鴨長明は、出家後に隠者として暮らす生活に愛着を持つことが、仏教の教えからすると「過ち」ではないか、と自問する。

実際、方丈(極小の家)での生活は、最初は「旅人の一夜の宿」のようなものだったが、5年の月日が経つ間に、「仮の庵(いおり)、もはや故郷なり」と感じ、「ひと間の庵、みずからこれを愛す」というようになっていた。
しかし、俗世から身を遠ざけ、山中の暮らしの中で物にも人にも執着せず、仏の教えを守って暮らす出家者としては、そうした愛着もこの世に対する執着なのではないのか? 

その自問に対して、現在の私たちであれば、自分が満足であればその生活を愛するのが当たり前だし、その方が人間らしい、と答えるだろう。
というのも、日本的な感性は、死後にあの世で魂が救われるよりも、この世で目の前にある小さな幸せを求める傾向にあり、その点では、古代も中世も現代も変わることがないからである。
加藤周一の言葉を借りれば、日本の土着的世界観は、「普遍的な原理よりは個別的な事実を、超越的な観念よりは日常的な経験を尊重してやまない。」(『日本文学史序説』)

そうした視点から『方丈記』の最後の一節を読むと、「一期(いちご=一生)」が月のように傾き、「余算(よさん=余命)」も山の端に近づいてきたという意識の中で、鴨長明が、仏教の教えを再確認して死後に極楽浄土に行けることを望むのか、それとも、今の生活への愛着を受け入れるのか、自問するらしい様子が見えてくる。

長明は、頭の中では仏の教えに従うべきだと考えている。しかし、彼の心は、日本的な感性に従い、日々の生活の満足に傾いているらしい。


「そもそも、一期の月影かたぶきて、余算、山の端に近し」から始まる文の美しさが、そのことを明かしている。

(朗読は37分47秒から)

そもそも、一期(いちご)の月影かたぶきて、余算(よさん)、山の端(は)に近し。たちまちに三途(さんず)の闇に向かはんとす。何のわざをか、かこたむとする。仏の教へ給(たも)ふ趣(おもむ)きは、ことにふれて執心(しゅうしん)なかれとなり。
今、草庵(そうあん)を愛するも咎(とが)とす。閑寂(かんせき)に着するも、さはりなるべし。いかが要(えう)なき楽しみを延(の)べて、あたら時を過(すぐ)さむ。
静かなる曉(あかつき)、このことわりを思ひ続けて、みづから心に問ひていはく、世を遁(のが)れて山林に交わるは、心を修(おさ)めて道を行(おこな)はむためなり。しかるを汝、姿は聖人(ひじり)に似て、心は濁(にご)りに染(し)めり。栖(すみか)はすなはち淨名居士(じゃくみょう・こじ)の跡(あと)を汚(けが)せりといへども、保つところは、わづかに周梨槃特(しゅり・はんどく)が行(おこない)にだも及ばず。
もしこれ貧賤(ひんせん)の報(むくい)のみづから悩(なや)ますか。はたまた妄心(もうしん)のいたりて狂(きょう)せるか。その時、心、さらに答ふることなし。
ただ、かたはらに舌根(ぜっこん)をやとひて、不請(ふしょう)の阿弥陀仏(あみだぶつ)、両三返(りょうさんべん)申してやみぬ。

(1)仏の教え

現代でも「三途の川」という言葉は身近なため、私たちはあまり意識しないが、「三途」は本来、仏教用語。
火途〔=地獄道、地獄の火に焼かれる場所〕、刀途〔=餓鬼道、刀杖で迫害される場所〕、血途〔=畜生道、相互に食い合う場所〕を指す。
人間は死後、生前の悪業 (あくごう) に応じて、三途の責め苦を受けなければならないとされる。

もし三途の闇に引き込まれるのを避けたいのであれば、仏の教えに従い、何事に対しても「執心(しゅうしん)」を抱かないようにしないといけない。
それ以外には、「何のわざをか、かこたむとする。」 つまり、どんなことをしたとしても、口実にも、当てにしたりもできなし、嘆いたり愚痴っても意味がない。(かこつ=1. 口実にする。 2. 嘆く、愚痴る。 3. 当てにする。)

平安時代の末期には、源氏と平家が競い合い、社会全体が不安定化する中で末法思想が広がっていた。
この世は苦の娑婆であり、全てははかなく消え去る無常の世界と信じられる中、人々のできることは、南無阿弥陀仏と念仏を唱え、死後の救いを願うという、浄土宗の信仰が力を増しつつあった。

長明が出家し、僧侶(=桑門)として、蓮胤(れんいん)という法名を名乗り、「心を修めて道を行はむ」ために、隠遁者の生活を送る決意をしたのも、そうした時代の流れに従うものだったと考えられる。
そして、実際に、方丈の中に、阿修羅の絵、普賢菩薩の像、不動明王の像を置き、念仏を唱え、読経をするなどしていた。

(2)情(こころ)を養う

その一方で、蓮胤=長明は、自分がそれほど熱心ではないことも自覚していた。

仏画や仏像の横には、琴と琵琶があった。
この世を嫌い(厭離穢土)、極楽浄土に行くことを願い(欣求浄土)、浄土に行くためには念仏が最も重要である(正修念仏)と説く、浄土宗の仏教書『往生要集』と一緒に、和歌や管弦に関する書物も置かれていた。

念仏をするのが面倒だったり、読経をする気がない時には、無理をせず、休みにしてしまう。
たった一人で暮らしているので、誰に文句を言われることもないし、自分で恥ずかしいとも思わない。
僧院にいるわけではないので規則があるわけではなく、規則がなければ破りようがない。

もしあまりの興あれば、しばしば松の響きに秋風の楽をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。芸はこれつたなけれども、人の耳を悦ばしめむとにもあらず。ひとりしらべ、ひとり詠じて、みづから情(こころ)を養ふばかりなり。

もし気分が乗ってくれば、風に揺れる松の音に合わせて「秋風楽」という曲を琴で演奏し、水の流れる音には「石上流線」という曲を琵琶で演奏する。ちなみに、鴨長明は琵琶の名手として知られていた。
そうした演奏は、誰かに聞かせるためではなく、自分自身の楽しみであり、それだからこそ、「情(こころ)」が養われる。

このように、鴨長明の隠遁生活は、物質的には限定された状態だったかもしれないが、文化的、精神的には豊かなものだった。
そして、そうした豊かさがあるからこそ、長明は方丈のひっそりとして静かな「閑寂」を愛したのだった。

(3)葛藤?

「仏教の教え」と「情を養う楽しみ」の間で、長明は葛藤したのだろうか?

仏教の教義から見れば、和歌や琴や琵琶は無益な楽しみでしかなく、簡素な庵での生活を愛する情も「執心」と見なされ、「咎(とが)」になる。

よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しく留(とど)まることなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくの如し。

そうした無常な世界は「穢土(えど)」であり、だからこそ、「厭離(おんり)」、つまり、嫌い離れるようにというのが、浄土宗の教えだった。

としたら、今の生活を続るかぎり、死後には三途の闇に包まれることになってしまう。
長明もそのことはわかっていて、表面的には修行をつむ淨名居士(じゃくみょう・こじ)のような生活を送っている。しかし、実際の行いは、周梨槃特(しゅり・はんどく)にさえ及ばないと、自分の至らなさを責めているように見える。

しかるを汝、姿は聖人に似て、心は濁りに染めり。栖(すみか)はすなはち淨名居士の跡を汚せりといへども、保つところは、わづかに周梨槃特が行にだも及ばず。

淨名居士は古代インドの伝説上の在俗信者で、富豪でありながら方丈に住み、病気の際には、方丈を文殊菩薩が訪れたといわれる。

周梨槃特は、釈迦の弟子の中でもっとも愚かな者。
彼は、前世において、一つの詩を覚えるのを拒んだり、豚飼いでありながら豚を屠殺する悪行を行った。その因果で、この世に愚者として生れた。

では、長明は、なぜ最も愚かな弟子にさえ及ばない行いをし、現世に執心するのか?
二つの答えが彼の頭に浮かぶ。

貧賤(ひんせん)の報(むくい)の、みづから悩(なや)ますか。
妄心(もうしん)のいたりて、狂(きょう)せるか。

前世での行いが悪かったために、現世で貧しさや賤しさ、つまり世の無常に悩まされる。
現世で修行が至らないため、愚かな行いをする。
前世の「報い」=因果にしても、この世での「妄心」=心の迷いにしても、どちらも仏語であり、長明の思考が仏教的であることは確かである。

としたら、隠遁生活の中で厳格に仏の教えを守るのではなく、和歌に親しみ、琴や琵琶を奏で、誰の役に立つとも思われない自らの想いをつらつらと書きつらね、無駄な時間を過ごしながら、しかも、小さな草庵に愛着を持つなど、狂気の沙汰ではないのか。
そんなことでは、間近に迫った死の後、三途の闇に真っ逆さまに落ちてしまいかねない。
極楽浄土に行くためには、全ての執着を断ち切り、ただひたすら念仏を唱えるしかない。

長明にも、そうした原則は痛いほどわかっていたはずである。しかし、彼の中には仏教とは違う心持ちも流れ続けていた。
その証拠に、出家後に和歌や管弦を捨てることがなかっただけはなく、『方丈記』と同じ時期に、古今の和歌、歌人の挿話、歌論などを集めた『無名抄』を書いたりもしていた。

だからこそ、愚考、悪行の代表として周梨槃特を出したのではないだろうか。
確かに、周梨槃特は前世の悪行のため、現世では仏の最も愚かな弟子だった。しかし、そこで終わったわけではない。
釈迦は、周梨槃特に向かい、自分の愚かさに気づくことは知恵ある証だと諭し、一本の箒を渡して道の塵を掃くようにと告げる。日々その教えを実践した弟子は、ある時、塵とは心を濁らせる執着心だと気づき、悟りを開いたと伝えられている。

前世の因果のためにこの世で妄信に陥ったとしても、次に善行を行えば救いはある。決して一つの悪行で三途の闇に落ちるわけではなく、たとえ落ちたとしても、次にまた光の世界に戻ることもある。
読経を中断して無用な楽しみで心を慰めることがあったとしても、次に念仏を唱え、仏の教えに従えば、悟りの道はまた開けるかもしれない。
そうした融通無碍な考えは、「水に流す」ことが得意な日本的心性の一つの特徴だと考えてもいいだろう。

それは決して、仏の教えを否定するものではない。そうではなくて、日本人にとっては、仏も情も同様に大切なもの。ただし、仏を優先することもあれば、情けが大切な時もある。
鴨長明も、そうした日本人の一人にすぎなかった。

『方丈記の』の最後の言葉は、和歌や管楽で情を養った長明の、仏教信仰に対するゆったりした姿勢を、ユーモラスに伝えていると考えていいだろう。

かたはらに舌根(ぜっこん)をやとひて、ふしよう阿弥陀仏(あみだぶつ)、両三返(りょうさんべん)申してやみぬ。

要するに、「阿弥陀仏」と二度か三度か舌で唱えて終わりにすると言うのだが、ここに深刻ぶったところはなく、むしろ自分を自分でからかい、面白がっているような雰囲気がある。

舌根というのは、「色、声、香、味、触、法」を感じる六根「眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根」のうちの一つで、本来は味覚を感じるために使われる。
その舌根を、傍らに雇い、つまり、本来の使い方をするのではなく、念仏を唱えるために使う。
こんなことを書きながらニヤニヤしている長明の顔が見えるようではないか。

阿弥陀仏の前に置かれた「ふしよう」という言葉は、不請、不浄、不祥、不情、不借、不軽など、様々な漢字で書かれることがあり、専門家たちの間でも解釈が定まらないらしい。
従って、専門家でもない私が何か言うことはできないし、仏教の細かな教義を参照してこの一節を解き明かすこともできない。

ここではただ、『方丈記』を書き終わるにあたり、長明が「阿弥陀仏」と念仏を二度か三度唱え、その後は、さてどうしよう、読経をするか、草木を眺めて和歌を詠うか、風の音に合わせて琵琶を弾くか、などと考えている姿を思い浮かべたい。
彼は、愚かな周梨槃特にさえ値しない「数寄(すき)者」であり、権力も富みも求めず、隠遁生活の中で風流を愉しみ、小さな庵である方丈を愛する。
長明の中では、それが決して仏の教えと矛盾することはない。

時に、和歌や管弦にうつつを抜かしていては死後に極楽浄土に行けないのではないかと反省することがあるかもしれない。しかし、それはその時のことであり、別の時には、厳格に仏教の教義を守るよりも、花を詠い、風と合奏することを好む。
そうしたゆとりが、「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しく留(とど)まることなし」という無常な世界を前にして、「ゆく川の流れは絶えずして」と、常に変わらぬ相があると敏感に感じ取ることを可能にする。
「水に流す」ことは、水が絶えず流れる、つまり永遠であり続けることも含んでいる。

その永遠の相は、例えば、現実に聞こえる水の流れる音のはなかさに、琵琶で演奏する「石上流線」という曲を重ね合わせる時に、実感される。一瞬が永遠になる。その瞬間は極楽浄土。

このように考えると、仏の教えと情を養うことは、鴨長明の中で両立していたと推測できる。
彼は仏の教えを信じるとともに、方丈への愛を捨てることもなかった。だからこそ、『方丈記』を綴るといった、「要なき楽しみ」で時を過ごすことも厭わず、むしろその時間を愛したことだろう。


和歌や管楽に代表される日本の伝統的な美的生活の一部として『方丈記』も執筆され、「そもそも、一期の月影かたぶきて、余算、山の端に近し」で始まり、「かたはらに舌根をやとひて、ふしよう阿弥陀仏、両三返申してやみぬ。」で終わる最後の一節を構成する文そのものが、日本の美を代表しているといっても決して過言ではない。
日本的な美の伝統を深く宿すその美は、一瞬の間だけだとしても、無常な世界を浄土に変えてくれる。

日本的な感性は、死後の極楽浄土も望みながら、束の間の浄土を現世で味わうことも知っているし、むしろそうした浄土が消えてはまた現れることを好む傾向にある。
「超越的な観念よりは日常的な経験」なのだ。

『方丈記』は、鴨長明の中に潜むそうした日本的な感性を反映し、現代の日本人の心にも強く訴えかけてくる。
時に悩み、心が濁ったと感じるとしても、「阿弥陀仏」と唱えて水に流し、日常生活の中で手の届くところにある美を楽しむこと。そのようにしていれば、慎ましい住まいの生活も愛おしいものになる。

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