ヴォルテール 『カンディッド』 地上における幸福に向けて

18世紀フランスの啓蒙主義を代表する作家ヴォルテールの創作活動の前半を要約する表現は、「人間は自然の中で、自分のいるべき場所にいる。」「人間とは、そのようであるべきもの。」といった、現状を肯定する傾向の現実認識に基づいていた。
しかし、後半になると、そうした楽観主義的な思想を否定し、悪の存在を強く意識し、より現実的な思考へと変化していった。

その変化の直接のきっかけとなったのが、1755年11月1日に発生したリスボンの大地震だった。
リスボンの85%の建物は破壊され、27万人の人口の3分の1にあたる約9万人が死亡したといわれている大震災だった。

その規模は、ヨーロッパの人々に大きなインパクトを与え、経済や政治だけではなく、哲学的にも大きな問題となった。

当時、地震は自然現象というよりも、神罰と見なされた。そこで、敬虔なキリスト教国家であるポルトガルで、11月1日の万聖節という祝日に、なぜ首都リスボンが地震にみまわれなければならなかったのか、多くの教会や聖堂が破壊され、罪のない人々が被害に遭わなければならなかったのか、大きな問題となった。

現代の日本でも、1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東北大震災など、数多くの自然災害に襲われる。そして、被害を受けた人々は、なぜここが、なぜ私であって他ではないか、と自問することがある。
もし神様がいるとしたら、なぜそんな大災害を引き起こすのかと問いかけもする。

ヨーロッパの18世紀前半には、ドイツの哲学者ライプニッツ(1646-1716)が主張した、「慈悲深い神が創造する世界の中でも最善の世界の中で、全ての出来事は最善である」という楽観主義や、「慈悲深い神の存在と悪や苦痛の存在は矛盾しない」という説が流通していた。

しかし、ヴォルテールは、リスボンの大震災を前にして、「人間は自然の中で、自分のいるべき場所にいる。」とは言っていられなくなる。
その震災を直接の契機として、『リスボン大震災についての詩』を執筆し、悪の起源、神の行い、人間の自由などの問題を韻文詩の中で論じた。
さらに、1759年には、哲学的な物語(コント)という枠組みで、より具体的にライプニッツ的楽観主義を批判した。『カンディッドあるいは楽観主義』は、そうした思索の結実である。

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ヴォルテール 『哲学書簡』 啓蒙主義の出発点  

18世紀を代表する文学者、哲学者といえば、ヴォルテールの名前が最初に挙げられる。
1694年に生まれ、1778年に83歳で亡くなるまで、波瀾万丈の人生を送りながら、演劇、詩、小説、哲学、歴史書、政治的啓発文書、日記等、様々な分野の著作を手がけた。

ヴォルテールの思想を一言で言えば、理性による現実の検証によって真理を知ろうとする姿勢。
現実主義者であり、人間の幸福は、五感を使い、現実に生きる中で得られるものと考える。宗教的な制度が課す束縛を嫌い、自由を第一に考える。
ヴォルテール自身が言ったのではないが、彼の言葉として流通している、「私はあなたの言うことに同意しない。しかし、あなたがそのように発言する権利は死んでも守るつもりだ。」という言葉は、彼の姿勢を象徴している。

簡単に彼がどんな人生を送ったのか、振り返っておこう。

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絵文字はヒエログリフ?

メールやlineのやり取りで、絵文字を使わないことはないというほど、世界中で絵文字が使われている。実際、emojiは世界共通語になっているといっていいだろう。
では絵文字は誰が作るのか? どこかで公認しているのか?
普段私たちがあまり考えることがないことを、TF1の20hのニュース(2021年5月29日)で話題にしてる。

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カルナヴァレ美術館の再開 2021年5月29日

5年前から改修中だったカルナヴァレ美術館が、2021年5月29日に再開する。

パリの歴史を紹介した美術館で、建物は、ジャック・デ・リニュリ(パリ市議会議長、)の邸宅として1548年に建造された。17世紀半ば、建築家フランソワ・マンサールによって改装。
書簡集で有名なセヴィニエ夫人が住んでいたことでも知られている。

今回の改装では、『失われた時を求めて』の作者マルセル・プルーストの部屋が再現されたという。パリに行ったら、ぜひ訪れたい美術館の一つであり続けている。

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日本における外国語学習最大の問題 返り点 訳し上げ

日本において、外国語の習得を妨げる最大の要因があるのだけれど、ほとんど意識されることがない。
そのため、悪い癖がついても気づかず、外国語を読めるようになかなかならない。

何が悪いのか?
それは、「返り点」の習慣。

漢文読解の際に日本で発明した方法で、文章を構成する単語の順番を逆点して理解しようとする。
漢文の授業で学んだレ点などを思い出すといい。

この習慣が英語学習にも入り込み、関係代名詞が出てくると、文の後ろから「訳し上げ」たりする。
問題は、「訳」ではなく、「理解」のために、単語の順番を逆転してしまうこと。
1度癖になってしまうと、やめるのが難しい。

実は、誰もが言葉を音として理解している。声に出さず、黙読している時にも、頭の中で音は響いている。
文章は、音が聞こえてくる順番に、自然に理解できる。

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アベ・プレヴォ 『マノン・レスコー』 新しい時代を予告する女性の誕生

Jean-Honoré Fragonard, La Lettre d’amour

マノン・レスコーの名前は現在もよく知られている。近年の日本では、彼女はファム・ファタル、つまり、抗いがたい魅力で男性を魅了し破滅に陥らせる女性という、類型化した形で紹介されることがよくある。

その一方で、1731年に出版された時の題名が『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』であり、作者アベ・プレヴォの自伝的小説『ある貴族の回想と冒険』の7巻目にあたることはあまり考慮に入れられることがない。

そのために、実際に小説を読んだとしても、18世紀の前半にその作品がどのような意義を持ち、何を表現していたのか、考察されることはあまりない。
読者は、マノンにファム・ファタル、情婦、悪女などのイメージを投げかけ、自分の中にある恋愛観を通して、無意識に潜む性愛的ファンタスムを読み取るといったことが多いようである。
その場合、アベ・プレヴォの小説を読むというよりは、ファム・ファタルという女性像を中心に置き、物語のあらすじを辿り、気にかかる部分やセリフを取り上げ、恋愛のもたらす様々な作用について語ることになる。
マノン・レスコーはファム・ファタルだと思い込んだ瞬間に、そうした危険があることを意識しておいた方がいいだろう。

フランス文学の歴史の中に位置づける場合には、『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』が1731年に出版された作品であることを踏まえ、その時代にこの小説がどのような意味を持ちえたのかを考えていくことになる。

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オリンピックに関する日本の状況を伝えるフランスのメディア

オリンピックの開催を前にして、今の日本の状況をフランスのメディアがどのように伝えるのか、とても興味深い。
2021年5月20日のQuotidienでは、オリンピック反対の立場の人々の動きを中心に伝えている。

Japon : à 2 mois des JO et face à la crise sanitaire, la colère monte

Alors que les Jeux Olympiques doivent débuter dans deux mois, le Japon, pays hôte, est frappé de plein fouet par la quatrième vague de l’épidémie de Covid-19.

Problème : le pays est très à la traîne sur le front de la vaccination. 
Seul 1% de la population est aujourd’hui vacciné et plus de 5000 nouveaux cas sont déclarés chaque jour.

Face à la situation sanitaire du pays, les athlètes internationaux s’inquiètent. Une pétition réunissant déjà 375 000 signatures réclame d’ailleurs l’annulation des Jeux Olympiques.

文学作品の読み方 中原中也の詩を通して

Auguste Renoir, La liseuse

文学は必要か?と問われれば、現代こそ文学作品を「読む」ことが必要な時代はない、と答えたい。
ただし、小説、詩、戯曲などを読むには、それなりの読み方を学ぶ必要がある。

文学作品を読む際、どのように読むかは読者の自由に任されていて、自由な感想を持ち、自由に自分の意見を持つことができるという前提があり、決まった読み方があるとは考えられていない。

自由に読むという作業は、多くの場合、読者の世界観を投影している場合が多い。作品の中からいくつかの箇所を取り上げ、それに対して自分の思いを抱き、思いを語るのが、一般的な傾向だといえる。一人一人の読者の感想こそが重要だと考えられることもある。

しかし、その場合には、どの作品を読んでも、結局は同じことの繰り返しになってしまう。というのも、作品を通して読んでいるのは、読者の自己像だから。
あえて言えば、文学が好きな人間には自己に固執しすぎるきらいがあり、作品に自己イメージ、しばしば性的コンプレクスを投影することも多い。

ソーシャル・メディアで発言される内容、そして、発言の読まれ方は、その延長だと考えることもできる。
根拠を問うことなく、自分の信じたい内容を信じる。違う意見があれば、フェイク・ニュースと言う。
自己イメージに合ったものを信じ、そうでないものは切り捨て、時には断罪する。

文学作品は、客観的な情報を伝えるものではないために、読者の主観が重要だとする考え方は強い。しかし、そうした読み方は、ソーシャル・メディアへの接し方とほとんど変わらない。

文学作品を読む時にも、それなりの作法がある。
その作法を学ぶことで、自己イメージを作品に投影するのではない読み方を身につけることができるだろう。
そして、それこそが、現代社会において必要とされる情報受信の方法だといえる。

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読書と演奏 芸術は人間を根本から支える

読書は誰にでもできる行為。しかし、良い読書をすることは難しい。

読書に良いも悪いもない。それぞれの読者が感じること、考えることが大切なのであり、それに対して優劣をつけるのは意味がないし、傲慢でさえある。
そうした考えが、現代において普通に流通している言葉だろう。

ある意味では民主的で、個人を大切にしたように思えるそうした考え方は、読書感想文と密接につながっている。
読書において大切なのは「感想」。情景を思い浮かべ、登場人物について思うことを書き、感動したことを素直に述べる。

最近では、こうしたことさえも重視されず、実用性を重んじる傾向が強まっている。
文部科学省の「大学入試および高等学校指導要領の『国語』改革」に従い、高校では文学の勉強をせずに、実用文に重きを置いた教育をすることになったという。
感想さえも必要なく、主観性を排除して客観的に意味を解読することが求められる時代。

こうした時代の日本にあって、「芸術は人間を根本から支える」などという言葉はまったく意味をなさないのかもしれない。
この表現は、小澤征爾と大江健三郎の対談集『同じ年に生まれて 音楽、文学が僕らをつくった』(中公文庫、2004年)の中で、大江が提示したもの。
二人の芸術家(指揮者と小説家)の言葉を辿っていると、読書とは音楽の演奏と同様の体験だということがわかり、質(クオリティー)の高低があることがわかってくる。

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モンテスキュー 『ペルシア人の手紙』 新しい時代精神の確立

モンテスキューは1689年に生まれ、1755年に死んだ。
その時代には、1715年のルイ14世の死という大きな出来事があった。
大王の死後、オルレアン公フィリップの執政時代(1715-1723)、次いでルイ15世が1723年に国王としての実権を握るといった政治の動きがあった。

それと同時に、時代精神も大きな転換期を迎えていた。
ルネサンスから17世紀前半にかけて成立した合理主義精神が主流となり、神の秩序ではなく、人間の秩序(物理的な現実、人間の感覚や経験)に対する信頼が高まっていた。

そうした時代の精神性は、18世紀前半に生まれたロココ美術を通して感じ取ることができる。
そこで表現されるのは、微妙で繊細な細部の表現であり、見る者の「感覚」に直接訴えてくる。17世紀の古典主義芸術の壮大さ、崇高な高揚感に代わり、ロココ芸術では、軽快で感覚的な魅力に満ちている。
非常に単純な言い方をすれば、神を崇めるための美ではなく、現実に生きる人間が幸福を感じる美を追求したともいえる。

モンテスキューは、17世紀の古典主義的時代精神から啓蒙の世紀と呼ばれる18世紀の時代精神へと移行する過程の中で、新しい時代精神の確立を体現した哲学者・思想家である。

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