違う角度から見た世界地図

コロナが終わり、久しぶりに日本からフランスに向かった。飛行時間は14時間以上! その理由は戦争でロシア上空を飛行できないため。
座席のテレビに映る世界地図の上の飛行機の航路を見て、それを実感することになった。

私たちがしばしば目にする世界地図は日本が真ん中にあるものか、あるいはヨーロッパ中心のもの。それに対して、KIXからParisに向かう航路が描かれたこの世界地図は、全く異なる角度から世界を見せてくれる。

そして、そのことは、ロシアとウクライナの戦争だけではなく、それを巡る考え方にも異なった視点をサジェストしてくれる。

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大和心と相対主義 本居宣長 vs 上田秋成 日の神論争

同じ出発点に立っても、正反対の考えに進むことがある。
それが世界における日本のあり方という問題に関わると、国論を二分するような議論が生まれることもある。

江戸時代の後半にさしかかった18世紀の末頃、古代から続いてきた大陸文化の影響の他に、ポルトガルやオランダといった西欧文化との接触を通して、日本古来の土着的世界観、つまり、仏教や儒教の影響を受けない日本独自の世界観を解明しようとする動きが出てきた。

その中心となったのは、本居宣長(もとおり のりなが:1730-1801)。
宣長は、『古事記』や『源氏物語』などの語学的研究を通して、日本固有の世界観は日常的な感覚に密着したもの、つまり「人の情(こころ)のありのまま」であり、「大和心」は、外来の「漢意(からごころ)」とは異なるものであると考えた。

『雨月物語』の作者である上田秋成(うえだ あきなり:1734-1809)も、日本は他の国とは違うという認識を本居宣長と共有していた。

その二人が、1786年頃に論争することになる。「日の神論争」と呼ばれるその議論の争点は、「違いに対してどのような姿勢を取るのか?」ということだった。
本居宣長は日本の特異性を優越性につなげ、上田秋成は相対主義的な思考へと進む。

私たちは、二人のうちのどちらが正しいのかという視点ではなく、どちらに賛同するかという視点を取ることで、自分自身の感受性、思考の型、世界観を知ることになる。

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日本の歴史 超私的概観 (3) 奈良時代から平安時代へ (その2)

平安時代:794年から1182-1192年

奈良時代は、隋や唐に使節団を派遣して積極的に政治や文化を学び、天皇を中心とする中央集権国家の確立に努めた時代だった。
平安時代になると、渡来した文物に関する受容の仕方が変化する。
約400年続く平安時代の間に「和様化」が大幅に進み、現在の私たちが「日本的」と感じるものが様々な面で出来上がっていった。

平安時代において、大きな転換点を示す象徴的な出来事は、遣唐使の廃止。
600年に第1回遣隋使が派遣され、630年からは唐が大陸の実権を握ったのに対応して、遣唐使に代わった。そうした制度が838年まで200年以上維持され、派遣が20回以上行われた。
その制度が、894年になりは正式に廃止されたのだった。

この外交関係の断絶は、江戸時代の「鎖国」に匹敵するものであり、その後の約300年の間、外来の文物が日本古来の心性を通して和様化する大きなきっかけとなった。

そうした和様化の過程で、仏教の仏と土着の神々が融合し、真名(まな)と呼ばれた漢字から仮名(かな)が発明された。
また、日本の風土にふさわしい真言宗や天台宗が形作られ、平等院鳳凰堂を頂点とする日本的な美が創造され、『古今和歌集』『枕草紙』『源氏物語』といった優れた文学作品が生まれたりもした。

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日本の歴史 超私的概観 (2) 奈良時代から平安時代へ (その1) 

奈良時代と平安時代は、現在の日本の政治的、文化的、思想的な基礎が形作られた時代だといえる。

710年に始まり793年に終わる奈良時代は約80年。それに対して、794年から1180年代まで続いた平安時代は約400年。その二つの時代が継続した約500年の間に、ヤマト政権は天皇を中心とした政治体制を整え、仏教を大幅に取り入れながら、私たちが「日本的」と感じる事物や精神性を作り上げていった。

奈良時代は、飛鳥時代の聖徳太子たちによって積極的に取り入れられた大陸の政治制度や仏教による国家運営を押し進め、国家としての体制を整えた時代だといえる。
その最も明確な印として、現存する日本最古の書籍である『古事記』と『日本書紀』を挙げることができる。
東大寺大仏殿は、その時代を視覚的に最も見事に表現する。

平安時代になると、奈良時代に受容した大陸の政治や文化の成果をしっかりと受け止めた上で、微妙でありながら重要な変化を加え、「もののあはれ」に美を見るといった感受性を醸成していった。
『古今和歌集』や『源氏物語』はその文学的な表現であり、平等院鳳凰堂はその美学を視覚的に表現している。

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日本の歴史 超私的概観 (1) 古代から飛鳥時代まで

日本のことを少しだけでも勉強しようと思った時、自分がほとんど何も知らないことに気付かされた。

知っていることといったら、学校で習った何人かの人物の名前やいくつかの出来事くらい。例えば、「1192(いい国) つくろう 鎌倉幕府」といった感じ。
最近の学説によれば、源頼朝が全国に守護・地頭を置き、実質的な支配を開始したのは1185年なので、「1185(いい箱)つくろう 鎌倉幕府」と言われるようになったらしい。
しかし、鎌倉時代が日本の文化においてどのような意味を持ったのかといったことに関しては、あいかわらずわからないままだ。

歴史に関するもう一つの傾向は、小説や芝居などで取り上げられたヒーローの個人的な物語を通して、自分たちの生き方の参考にするといったもの。
例えば、ある時期、坂本龍馬に脚光があたり、「死ぬ時はたとえどぶの中でも前向きにたおれて死ぬ」といった言葉だけが一人歩きしたことがある。
その時、幕末について少し語られることはあったとしても、明治維新が現代の日本のあり方にどのような役割を果たしたのか、私はまったく知らないままでいた。

そのような状況の中で自分の無知を自覚するにつれ、過去の日本が現在の日本にどのような痕跡を留めているのか知りたくなり、少しずつ調べてみることにした。

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愛するものが死んだ時には

昨日の夕方アカが車に轢かれて死んだ。そんな知らせが届いた。
アカは近所に住む地域ネコで、毎日通りかかる度に挨拶をする関係。ただの野良猫だし、特別に価値があるわけではないが、とにかくカワイイ存在だった。

アカの横たわる姿を見て、ふと中原中也の「春日狂想(しゅんじつきょうそう)」の詩句が頭に浮かんだ。中也は、最愛の息子文也の死後、精神的にかなりの混乱をきたした。その時期に書かれたと想定され、耐えきれない悲しみに心を塞ごうとする気持ちが痛いほど感じられる。

愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。
(中略)
愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、

自殺という言葉は読者をびっくりさせるかもしれないが、感情を殺すしか悲しみをこらえる方法がないという意味だと理解したい。
そんな悲しみを前にして、こんな風に思ってみたところでどうしようもない。

      《まことに人生、一瞬の夢、
      ゴム風船の、美しさかな。》

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自分の顔はどんな顔?

「最近、自分の顔が自分だと思えない時があるけれど、なぜ?」という質問を受けた。確かに、鏡に映った顔を見ながら、自分がこんな顔をしていたのかなあ、などと思うことがある。
そこで、自分で自分を認識するとはどういうことか、少しだけ考えてみた。

私たちは五感を使って外の世界を感じている。それらの感覚の中で、触覚、味覚、臭覚では、自分を感じ取ることはできない。
手で自分を触った時、触られていることは感じる。自分で自分を触っていることは分かる。しかし、手の感触だけで、自分自身を触っているのか、他の人を触っているのかは分からない。
自分を舐めたときの味も、自分の匂いも、他の人とはっきりと区別はつかない。

ということは、自分を自分だと感じ取る感覚は、聴覚と視覚ということになる。
そして、この二つで感じ方に差があることに、私たちは気付いている。
自分の声の録音を聞く時、なんとく違和感を感じる。自分の声ではないような感じがする。
鏡に映った自分や、写真の中の自分を見る時、多くの場合、それが自分だと分かる。声と同じような違和感を感じることは少ない。
その違いはどこから来るのだろう?

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人種(race)という言葉に潜む意識

「人種(race)」という言葉は一見すると価値判断を含まず、「皮膚の色や頭の骨など目に見える身体の特徴を基本にして人間を分類」するという意味を持つ、ニュートラル言葉だと思える。

「人種」は、元々は一族の先祖から子孫までを含むメンバー全体を意味していたと考えられている。そこから、17ー19世紀を通して、身体の外見的な特徴に基づき一定の人間の集団を指すようになった。
そして、その時期が、ヨーロッパの国々が植民地政策を強めていったと重なることを知ると、ある価値判断が入っていることに納得がいく。

当時のヨーロッパ諸国の植民地主義は、大まかに言えば、ヨーロッパとアフリカ大陸とアメリカ大陸を結ぶ「三角貿易」をベースにしていた。
ヨーロッパからアフリカに工業製品を運び、アフリカから黒人奴隷を積み込んで西インド諸島や北アメリカに運ぶ。そこからタバコ、綿花、砂糖といった農産物をヨーロッパに運ぶ。こうした交易のもたらす富みが、産業革命を推進した。
この地理的三角形において、底辺にはアフリカ大陸とアメリカ大陸があり、頂点に置かれるのがヨーロッパであることは言うまでもない。

植民地化や奴隷貿易といった非人道的な政策が行われたこの時代、他方では、デカルトを始めとした哲学者や思想家が数多く出現し、人間における理性の価値を強調し、フランス革命のスローガン「自由、平等、友愛」へとつながる啓蒙思想が育まれていた。

この二つの現象のズレの出所を探ることで、21世紀まで続く世界のあり方が見えてくる。

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世論の「からくり」 「みんな」を作る仕組み

2002年に出版された高橋秀実の『からくり民主主義』は、1995年から2002年までの間に日本各地で話題になった出来事を扱ったジャーナリスム的な内容を持った本。
時事的な話題を扱うジャーナリスムの宿命もあり、例えば、横山ノックのセクハラ事件やオウム真理教の問題などは、2024年にアクチュアルなテーマとはいえなくなっているために、当時のことを知らない読者にはそれほど興味がない読み物になっているかもしれない。

他方、出版後20年以上を経た時事的な本であっても参考になると思えることがある。それは一つ一つの事件に対する一貫した姿勢。それを一言で言ってしまうと、「結論がない」ということ。白黒を付けるのではなく、どのように白黒が付けられるのかという「からくり」=仕組みを明らかにしようとする姿勢だ。

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マルクス・ガブリエル 「新実存主義」 われわれはある人格になりたいと望み、またそう望むことでその人格へと変わっていく 

1980年生まれの哲学者マルクス・ガブリエルの『新実存主義』(廣瀬覚訳、岩波新書)は、サルトルの実存主義と同様に、「意識」を人間の中心に置き、人間とはどのような存在であるかを解き明かそうとする試みとして読むことができる。

マルクス・ガブリエルは、日本の出版界やマスメディアで、” 哲学のロックスター”とか “天才哲学者 “というレッテルで紹介され、世界的なベストセラーといわれる『なぜ世界は存在しないのか』は日本でもかなり売れたらしい。

ただし、哲学書を読むと常に感じることだが、専門用語が多く使われ、一般の読者にはあまり分かりやすいものではない。これまでの哲学の歴史を踏まえ、マルクス・ガブリエルの場合であれば、唯物論的な科学主義を仮想敵として前提にした上で、自説を展開する。そのために、なかなか要旨を掴むことができない。

 新実存主義が掲げる根本の主張は次のようなものである。(中略)われわれは、物理的法則が支配する無生物と、生物的パラメーター によって突き動かされる動物であふれた世界にただ溶け込んで生きているのではない。人間のそうした特異なあり方をさまざまなかたちで説明できるのが心的語彙であり、その説明能力をもつかぎりで心的語彙はひとつのグループとしてとらえることができる。
       (マルクス・ガブリエル『新実存主義』、p. 16-17.)

この文章を読んでも、新実存主義の主張は分かりずらい。
「生物的パラメーター 」や「心的語彙」といった用語が何を意味するのかよく分からないし、「動物であふれた世界にただ溶け込んで生きているのではない」という表現も、何を意味しているのかはっきりしない。

ここでは、新実存主義(Neo-existentialism)という用語に注目し、人間という「存在(実存:existence)」についてマルクス・ガブリエルがどのように捉えているのか、そして彼の人間観が私たちに何をもたらしうるのか、具体的な例にそって考えてみたい。

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