
江戸時代前期には幕藩体制が確立し、儒教精神が武士だけではなく平民にまで浸透した。16世紀の戦国時代が終わり、社会全体が安定期に入る中で、人々の生活様式も変化し、それにともない文化的な表現も前の時代とは異なったものになっていく。
武士階級においては、幕府の圧倒的な支配の下で戦闘要員という本来の役割を果たす場がなくなり、藩主から俸禄を受領することで生計を立てる非生産者となる。
農民は幕府や藩からの様々な統制にもかかわらず、新田開発や治水・感慨事業、そして農業技術の向上により生産性を増し、農産物を商品として流通させることも可能になる状況が生まれた。
そうした動きに連動し、商業活動も活発化し、街道の整備や貨幣経済の発展にともない、大規模な商売で富を獲得するなどして、町人が経済の実験を握る状況なども生まれ始めた。

このように人々の生活が安定するに従い、京都の宮廷や武士階級だけではなく、都市の住民も、絵画や演劇、読み物などといった文化活動に参加するようになっていく。
江戸時代前期において、その中心は上方、つまり京都と大阪にあり、江戸は徳川幕府と関係するものに限られていたといってもいいだろう。
江戸時代というとどうしても江戸中心に考えてしまがちだが、大和朝廷以来の伝統を考えると、上方から江戸への移行が一気に行われたわけではないことは、むしろ自然なことだと言える。
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