18世紀に描かれた二枚の絵画を見てみよう。どちらも美しいが、表現はまったく違っている。


一枚は、ロココ絵画を代表する画家フランソワ・ブーシェの「ベルジュレ夫人」。1766年頃に描かれた。
もう一枚は、錦絵の創始者とされる鈴木春信の多色刷り木版画「雪中相合傘」。1767年頃に制作された。
18世紀に描かれた二枚の絵画を見てみよう。どちらも美しいが、表現はまったく違っている。


一枚は、ロココ絵画を代表する画家フランソワ・ブーシェの「ベルジュレ夫人」。1766年頃に描かれた。
もう一枚は、錦絵の創始者とされる鈴木春信の多色刷り木版画「雪中相合傘」。1767年頃に制作された。
フランスでは、16世紀にイタリア・ルネサンスの文化の影響の下でフランス・ルネサンスが花開き、絵画においては初めてフランス的と呼べる美が誕生した。
その美しさを一言で言えば、優雅な美。
それが、後の時代のフランス的な美の原型ともいえる。




フランス近代絵画の歴史について、宮川淳が非常にコンパクトにまとめて紹介したことがあった。
それは、1978(昭和53)年に出版された『美術史とその言説』の冒頭に置かれた「絵画における近代とはなにか」と題された章。わずか数ページの中で、ボードレールから始まり、マネ、セザンヌ、ゴーギャンを経て、フィヴィスムやキュビスムへと続く流れが、見事にまとめられている。
シャルル・ボードレールの美学

あらゆる美、あらゆる理想は永遠なものと同時にうつろいゆくものを、絶対的なものと同時に個別的なものをもっている。いやむしろ、絶対的な理想、永遠な美というものは実在しないというべきだろう。それはわれわれの情念から生まれる個別的な様相を通じてはじめて捉えられる抽象にすぎない。
エドワール・マネ
マネに見られる明るい色彩、技法の単純化、ヴァルールの否定、フォルムの平面化—それは「自然の模倣」としての絵画伝統に対する最初の大胆な挑戦にほかならない。

フランスではルイ14世自身がバレエを踊るなど、バレエは優雅な芸術として受け入れられていた。
その古典的な伝統を破壊し、露骨な表現を交え、新しい時代のバレエへと変革する動きの先頭に立ったのが、セルゲイ・ディアギレフに率いられたバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)。
1912年5月に初演された「牧神の午後」では、バレエ・リュスの花形ダンサーであるヴァーツラフ・ニジンスキーが振り付けを担当し、主役である牧神の役も務めた。
この映像は1921年の初演の一部。

ジョヴァンニ・ボルディーニ(Giovanni Boldini, 1842-1931)はイタリア生まれだが、主にフランスで活躍した画家。19世紀後半から20世紀前半にかけてパリが最も華やかだったベル・エポックと呼ばれる時代に、フランスだけではなく世界中のセレブたちの間で人気があり、彼の肖像画はエレガントな美の典型として広く受け入れられた。
その一方で晩年になるとやや時代遅れとみなされ、死後にはほぼ忘れられてしまう。美術史で取り上げられることもなく、評価もそれほどされない状況が続いていた。
ここでは、ボルディーニの追求したエレガントな美がどのようなものだったのか紹介しながら、なぜ彼の絵画が忘れ去られてしまうことになったのか考えてみたい。
そのきっかけとして、次の二つの質問を考えてみよう。
1)自分の肖像画を註文するとしたら、以下の6枚の絵を描いた画家の中の誰に頼みたいだろうか?
2)どの肖像画が最もエレガントだと思うだろうか?






マリー・ローランサンは日本でとりわけ愛されている画家であり、アポリネールが「ミラボー橋」の中で彼女との失恋体験を歌った女性、さらには掘口大學の翻訳で知られる「鎮静剤(le Calmant)」を書いた詩人として、広く知られている。
Plus qu’ennuyée Triste. 退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
Plus que triste Malheureuse. 悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
画家で絵本作家のいわさきちひろは、儚げな女性たちを淡いパステル調で描いたローランサンの絵画をとりわけ好んだという。




このローランサン的な美の世界は、少々甘ったるいと感じる人々がいるかもしれないが、単におぼろげで夢幻的というだけはなく、彼女が20世紀前半の絵画の様々な傾向を吸収し、その上で個性的な表現として結晶化したものに他ならない。
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アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)の肖像画や裸婦像は、一目見れば彼の作品だとわかるはっきりとした個性を持っている。その特色があまりにも強いため、モデルとなった人物やポーズの違いをのぞくと、どの絵も同じように見えるかもしれない。
しかし、1906年にイタリアからパリにやってきて、貧しい画家たちが集まるモンマルトルを中心に活動を始めた時から、1920年に亡くなるまでの間に描かれた作品を年代を追って見ていくと、かなり違っている。
例えば、1910年の「青いブラウスの女性」(下左)と1918年の「青い眼の女」(下右)。
どちらもブルーを基調にし、一人のほっそりとした女性が無地の壁あるいは扉の前に立っているという部分では共通しているが、2枚の絵画の美しさは随分と違っている。こう言ってよければ、「青い眼の女」の方がはるかにモディニアーニ的だ。
ここでは、そのモディリアーニ的な美とはどのようなものなのか、見ていくことにする。


シュルレアリスムは、20世紀前半、文学、絵画、演劇、映画などの分野で展開された芸術運動。日本で最もよく知られているシュルレアリスムの絵画は、サルヴァトール・ダリの「記憶の固執」だろう。

現実にはありえない事物や光景が描かれ、何を意味しているのかわからないが、そこに魅力を感じることもある、というのが、シュルレアリスム絵画の一般的な印象だと思われる。
しかし、絵画に関する書籍やネット上の解説等を見ると、アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』に依拠したシュルレアリスムの定義は一致していても、具体的な絵画表現や、取り上げられる画家がまちまちで、調べれば調べるほどわからなくなってくる。


例えば、ピカソのシュルレアリスム時代とそうでない時代の絵画。両者とも写実的ではないが、何が描かれているかある程度わかるという点では共通している。
では、一方がシュルレアリスム絵画とみなされ、他方はその分類に属さないと考えられるのはなぜか? それほど明確な答えは得られない(と私には思われる)。
20世紀前半の絵画の潮流は多様で、フォビスム、ドイツ表現主義、キュビスム、素朴派、ナビ派、エコール・ド・パリ、未来派、ダダイスム、抽象絵画などが混在し、一人の画家がいくつかの表現様式を使い分けるということもあった。
そうした中で、シュルレアリスム絵画をどのようなものと考えたらいいのか? ここでは、原理的な側面と実際の表現に関して、少しだけ探ってみよう。

パブロ・ピカソ(1881-1973)は常に新しい美を追究し、次々に絵画の様式を刷新した、20世紀を代表する画家として知られている。
実際、彼の画風は、スペインにおける「修行時代」を経て、パリに進出してからもめまぐるしく変化した。「青の時代」「バラ色の時代」「キュビスムの時代(セザンヌ的、分析的、総合的)」「新古典主義の時代」「シュルレアリスムの時代」「ゲルニカの時代」「ヴァロリスの時代」「晩年」といった区分けがなされることが多い。
ところが、この分類で気になることがある。
キュビスム、新古典主義、シュルレアリスムは絵画の様式だが、それ以外の、青の時代とバラ色の時代は色彩、ゲルニカの時代は戦争の惨禍という絵画のテーマ、ヴァロリスは地名、晩年は人生の最後の期間であり、様式とは関係がない。
そこで、こんな疑問が生じる。本当にピカソは次々と作風を変化させたのだろうか?
その疑問を考えるために、彼のキャリアの最初から最後までの何枚かの絵画を、先入観なしで見てみよう。













セザンヌはしばしば「近代絵画の父」と呼ばれ、フランス絵画の歴史の中で重要な位置を占めている。
しかし、サント・ヴィクトワール山のような風景画、リンゴなどを描いた静物画、肖像画、自然の中で多数の人間が水浴をする場面を描いた集合水浴図など、様々なジャンルのどの絵を見ても、最初はあまり美しいと思えないし、なにか不自然な感じが残る。




セザンヌが偉大な画家だと言われても、どこがいいのかよくわからない。ところが、彼の絵画の見方を学ぶにつれて、その素晴らしさが感じられるようになってくる。
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