19世紀フランスの風景画 Le paysage au 19e siècle

自然の景色が描いてあれば、実際の風景を写生したものと思ってしまうことが多い。しかし、現実の風景画が描かれるようになったのは、19世紀のことだった。

18世紀の後半にユベール・ロベールが描いたイタリア・ティボリにあるヴェスタの神殿と滝の絵。雄大な滝を中心にした自然の光景に見える。

Hubert Robert, temple de Vesta à Tivoli

しかし、現実には、この景観は存在しない。ティヴォリのこの風景で、神殿と滝が一緒に見えることはない。

ユベール・ロベールは、この二つの場面を想像力の中でつなぎあわせ、絵画として構成したのだった。
彼は、現実の風景の前に立ち、スケッチをしたのかもしれない。しかし、実際に絵画を描いのはアトリエだった。
戸外に持ち出せるような絵具もなかったし、現実の風景をそのまま絵画の中に写し取るという意識もなかっただろう。

風景画に関してもう一つ注意したいことがある。17世紀に成立したアカデミーの絵画理論の中で、絵画のテーマにはランク付けがあった。神話や宗教画、歴史画は上位に位置し、大きな画布に描かれた。それに対して、風景や静物を描いた絵画はジャンルとして下位に位置していた。

風景画が絵画のジャンルとして評価の対象となったのは、19世紀の前半になってからだった。
若手の登竜門だったローマ賞の部門の中に、「歴史的風景画」部門が設立されたのが、1817年のこと。
そのために尽力したピエール=アンリ・ヴァランシエンヌ(Pierre Henri de Valenciennes)は、戸外で自然を観察し、スケッチする技法を理論的に説いた『実用的遠近法の基礎』(1799)の著者。

Pierre Henri de Valenciennes, Cicérom découvrant le tombe d’Archimède

最初にローマ賞の歴史的風景画部門で受賞したのは、ヴァランシエンヌの弟子アシール・エトナ・マシャロン(Achille Etna Michallon)だった。

Achille Etna Michallon, paysage inspiré par la vue de Frascati

こうした絵画は現代の私たちの目から見ると、普通の風景画のように見える。実際、美しい自然の光景がキャンバス一杯に描かれ、その中に小さく人間の姿が描かれている。
しかし、ジャンルの名称からわかるように、これらは「歴史的風景画」。主要なテーマは神話や歴史の一場面であり、風景は背景にすぎなかった。
しかも、描かれている風景は現実を再現したものではなく、画家が空想した理想に基づいて構成されたものだった。
その意味で、「歴史的風景画」と呼ばれている。

ヴァランシエンヌの弟子には、ジャン=ヴィクトール・ヴェルタン(Jean-Victor Bertin)もいる。

Jean-Victor Bertin, Paysage

カミーユ・コロー(Camille Corot)はマシャロンの弟子で、最初は歴史的風景画も描いていた。。

Camille Corot, Homère et les bergers

ジャック・レイモン ブラスカサの描く「ホメロスにいる風景」。

Jacques Raymond Brascassat, Paysage avec Homère

風景画が歴史画などと匹敵するジャンルとして認められるためには、このように、神話や古代の歴史、あるいは聖書の物語などの裏付けが必要だった。

このように、「歴史的風景画」が風景画として自立する第一歩だといえる。

テオドール・ルソー

1830年以降になると、歴史的風景画とは違う風景画が描かれるようになる。
神話や歴史といった物語性を持たず、自然の光景そのものを対象する風景画が、フランスで初めて描かれ始めるのである。その中心的な存在がテオドール・ルソー(1812−1867)。バルビゾン派の形成に中心的な役割を果たす画家である。

詩人で美術評論家でもあったシャルル・ボードレールは、『1846年のサロン』の中で「歴史的風景画」を批判した。実際の風景を見ず、既存の理想的な風景を描くだけになってしまうと、画一化された風景画になってしまう。風景の構図、描き方、神話的・歴史的人物の存在など、どの絵を見ても一定の規則に則って描かれている印象を与える。実際、どの歴史的風景画を見ても区別がつかないほど、画一的な感じがするのも確かである。

ボードレールが主張するのは、第一に現実に基づくこと。そのためには、実際の風景を観察しなければならない。その上で、単なる忠実な再現であってもならない。画家は自分の気質に基づき、風景の特色を選び出し、誇張や省略なども行いながら、個人的な風景を作り出すことが必要だとされた。

そうした中でボードレールの最も評価したのが、テオドール・ルソーだった。彼の代表作の一つは、「アプルモンの樫、フォンテーヌブローの森 」(1852)。

Théodore Rousseau, Chênes d’Apremont

テオドール・ルソーの評価が定まるのは1850年くらいからで、それ以前はサロンに出展しても受理されず、賞賛する美術批評家はそれほどいなかった。
それにもかかわらず、1845年、1846年に、ボードレールは彼を最も優れた風景画家として高く評価したのだった。
ボードレールによれば、ルソーは風景画を美しいものにする条件を全て備えていて、新しい風景画の推進者だった。その絵画の特色は、次のような言葉で表現される。メランコリックな雰囲気。青みがかった色彩。水分を含み独特な夕日。木陰にはそよ風の流れ。光の影の戯れ。色彩は雄大だけれど、弾けるような感じはしない。空はふわふわとして軟らかい。

この時ボードレールが目にしていたのは、次の様な作品だろう。

Théodore Rousseau, Coucher de soleil à l’Auvergne
Théodore Rousseau, sous les hetres le soir

1834年にサロンに入選した「コンピエーニュの森の端」も、ボードレールの頭にあったかもしれない。

Théodore Rousseau, Lisière d’un bois de coupe foret de Compiègne

実は、テオドール・ルソーも最初の頃は歴史的風景画を描いていた。例えば、1830年作「オヴェルニュ地方の山々」。

Théodore Rousseau, Valley dans les montagnes d’Auvergne

動きがなく、それぞれの部分が固定化し、時間が止まったような風景。この表現を見た後で、1848年の「未知の近くの沼」を見ると、その違いは一目瞭然である。

Théodore Rousseau, La mare près de la route, ferme dans le Berry

初期の作品と比べてみると、19世紀中頃、新しい風景画がどのようなものになったのかがはっきりと感じられる。伝統的に絵画を価値付けてきた物語は不要になり、自然の姿自体が対象になりうる時代がやってきたのである。

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