
おばあさんが死んで3年。葬儀の時にはみんな悲しんでいた。でも、ぼくは一人だけ、びっくりするばかりで、みんなと同じ反応が示せなかった。
三年後の今、おばあさんの記憶はみんなの中で色あせている。
しかし、ぼくの中では、記憶が深く刻み込まれ続けている。
このように語る「祖母」という小オードは、ネルヴァルの記憶作業がどのようなものか、わかりやすく伝えている。
と同時に、ネルヴァルが詩の音楽性を重視していたことも教えてくれる。
この詩が発表されたのは、1834年。ネルヴァルが生まれたのが1808年なので、彼は26才だった。
これから読んでいくのは、1852年にある雑誌に掲載された「粋な放浪生活(La Bohême galante)」と題された連載記事の中に再録された時のもの。
連載の中でネルヴァルは、韻文とは何かという問いかけをしている。韻を踏んでいれば韻文なのか。詩とは何かのか。
La Grand’mère
Voici trois ans qu’est morte ma grand’mère,
— La bonne femme, ―et, quand on l’enterra,
Parents, amis, tout le monde pleura
D’une douleur bien vraie et bien amère.
祖母
3年前、祖母が死んだ。
ー いい人だった。ー 埋葬の時には、
親戚も、兄弟も、みんな泣いた。
その辛さは本物で、とても激しいものだった。
詩句はとてもわかりやすく、音節数が揃い、韻を踏んでいることをのぞけば、散文に近い。ベルトラン・マルシャルは、詩的散文(prosaïme poétique)と呼んでいる。
確かに、散文でも、同じ内容を同じような文で伝えることができるだろう。としたら、韻文にする意味はどこにあるのだろう。
別の視点から言えば、詩とは何かという問いかけをするきっかけにもなる。
Moi seul j’errais dans la maison, surpris
Plus que chagrin ; et, comme j’étais proche
De son cercueil, — quelqu’un me fit reproche
De voir cela sans larmes et sans cris.
ぼくだけが、家の中を彷徨っていた。驚いていた、
悲しいという以上に。そして、お棺の近くにいるとき、
一人がぼくに注意した、
涙も流さず、泣きもせず、それを見ているなんて、と。
音節数と韻を除けば、散文とほぼ変わるところがない。韻文にする必要がない? それほど散文に近い。
ネルヴァルは、一カ所、1834年の詩句を変更している。最初の« Moi seul »が以前は« Pour moi »だった。意味はほぼ同じ。
その変更は、第4詩節の変更と対応している。34年には« Mais moi »が52年には« Moi seul »に変えられる。
そのようにして、第2詩節と第4詩節の冒頭の言葉が、« Moi seul »となり、反復する。
韻文詩において、反復の果たす役割は大きい。
詩句の最後の母音が反復するのが、韻。
詩句の中の母音の反復(アソナンス)や、子音の反復(アリテラシオン)。
同じ語句が詩句の冒頭で反復する詩法(アナフォール)もある。
母音や子音、同じ語句が繰り返し出てくることで、言葉にリズムや音楽性が生まれる。音色は詩句に色合いを添えることもある。
ネルヴァルは、1852年の「粋な放浪生活」の中心に「音楽」という章を置き、音楽の重要性を強調している。
別の章では、詩句を音楽的にするためには、韻よりも母音重複(アソナンス)が大切だと主張した。
詩句の中に仕掛けられた様々な種類の反復は、詩句を音楽的にする。
そのことによって、語られる内容がより鮮明になり、記憶に残る。
« Moi seul »は、第2から第4へと詩節が一つ飛んでいるが、同じ語句が反復するアナフォールの印象を与える。
そのことで、詩節の間に音楽性が生まれ、「一人」という内容が際立つ効果がある。「ぼく」と「他の人たち」との対比が明確になり、二つの記憶作用の違いにも、より強い光が当たることになる。