ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » 7/7 未来の活力

「酔いどれ船」の最後の4つの詩節の中で、「ぼく=酔いどれ船」は、長い航海をもう一度振り返り、最後に、「もうできない」と諦めの声を上げる。
その声をどのように受け止めたらいいのだろうか?

ノーベル賞作家であるル・クレジオと、文学ジャーナリストのオーギュスタン・トラップナーが、この4節を交互に暗唱している映像がある。
二人の様子を見ていると、詩句を口にする喜びが直に伝わってくる。(残念ながら、この映像はyoutube上で削除されてしまった! Hélàs )

永遠(理想)から逃れ、過去(束縛)を懐かしむ。そんな気持ちをふともらした後、第22詩節では、再び航海中に目にしたものを喚起する。

J’ai vu des archipels sidéraux ! et des îles
Dont les cieux délirants sont ouverts au vogueur :
– Est-ce en ces nuits sans fonds que tu dors et t’exiles,
Million d’oiseaux d’or, ô future Vigueur ? –

ぼくは見た。星の群島を。島々を。
その空は、錯乱し、航海する者に開かれている。
ー こんな底なしの夜の中に、お前は眠り、隠れ住んでいるのか?
数知れぬ黄金の鳥たちよ。おお 未来の「活力」よ。ー

群島は島の集まり。まず星の光に照らされた集合体を出現させ、次に、一つ一つの島に注意を向ける。
その島々の上に広がる空は、錯乱している。
ランボーにとって、錯乱(délire)という言葉は否定的な意味を持つのではなく、今までの慣習や規則を壊し、新しいものを生み出す上で重要な役割を果たす言葉。
1871年の「見者」に書き記された「全ての感覚の規則性を混乱させる」につながり、『地獄の季節』の中心には「錯乱(délires)」と名付けられた章が置かれている。

3行目ででいきなり出てくる「お前」とは、4行目に出てくる「未来の活力」future Vigueurへの呼びかけ。
このVigueurは大文字で始められているので、普通名詞ではなく、固有名詞的な働きをしている。
「ぼく=酔いどれ船」は、長く厳しい試練の旅の後、今は疲れ果て、古いヨーロッパを懐かしく思っているかもしれない。
しかし、疲れの中でも、次に新しい世界に踏み出すための活力や生気を思い、それに対して呼びかけているのである。

その未来の活力は、無数の鳥たちという具体的なイメージとして具象化されている。
それらの鳥は黄金(or)。錬金術で生み出す目的が付与されている。

Dali, Port de Caduques (nuit)

今、「活力」は、底なしの夜の中に潜み、現前化していない。
しかし、夜に「底がない」ことは、「無限」を暗示している。

「無限」や「永遠」は、限りのある現実世界では到達できないが、それだからこそ理想を内包している。

休みながらも、「ぼく=酔いどれ船」はすでに未来を念頭に置いている。
このように考えると、第22詩節は決して悲観的な内容ではない。
星sidéral、錯乱délirant、底なしの夜nuits sans fond、金の鳥oiseaux d’orなど、錬金術において肯定的な言葉がちりばめられた上で、「活力」に対する呼びかけがなされる。

「活力」Vigueurは生命そのものともいえ、「航海する者」vogueurが活動する力の源となり、涸渇することはないだろう。

第23詩節

Mais, vrai, j’ai trop pleuré ! Les Aubes sont navrantes.
Toute lune est atroce et tout soleil amer :
L’âcre amour m’a gonflé de torpeurs enivrantes.
Ô que ma quille éclate ! Ô que j’aille à la mer !

でも、本当に、ぼくは泣きすぎた。曙が胸をえぐる。
どんな月もおぞましい。どんな太陽も苦々しい。
愛はとげとげしく、ぼくを麻痺させ、陶酔させた。
おお 竜骨よ、輝け! おお 己よ、海へ出航しろ!

これまでにぼくは泣きすぎ、感覚が麻痺している。
曙、太陽、愛、それらが、胸を引き裂き、おぞましく、苦々しく感じられる。

このことはロマン主義やパルナス派の詩の中で好んで取り上げた詩の素材に対する批判と考えることもができる。
ランボーは、数え切れないほど歌われてきた月や太陽にかつては涙し、陶酔もした。しかし、それらは綱曳く人たちのテーマであって、彼の生みだそうとする新しい詩ではない。

そこで、「ぼく=酔いどれ船」は、自分に命令する。(que+接続法は、命令のを意味する。)

一つ目の命令は、船体がéclaterすること。
その動詞は、破裂するという意味も、輝くという意味にも理解出来る。
2つ目の命令は、自分自身に対して海に行くようにというもの。

これまでは、海に行くことを沈没することであると捉え、éclaterを砕け散ることだと解釈されることがあった。
その場合には、「酔いどれ船」全体を通して、自由の獲得の失敗、その結果の苦々しさを表現していることになる。

しかし、ボードレールが「芸術家の告白」の最後で叫ぶように、美を追求することには決して到達点がなく、芸術家は最初から美との戦いに負けることを宿命づけられている。
それでも美を求めるのが、芸術家なのだ。
https://bohemegalante.com/2019/02/20/baudelairle-confiteor-de-lartiste/4/

従って、竜骨に対する命令、「ぼく=酔いどれ船」自身に対する命令は、再出発の号砲だと考えることもできる。

ランボーも、故郷のシャルルヴィルを離れ、パリに向う。1871年に撮影されたで見る彼はまだ幼い。

パリに出た彼は、ヴェルレーヌを初めとする詩人達と出会い、新たな詩の創造を実践する。
その姿は、アンリ・ファンタン・ラトゥールの絵画に定着されている。

Henri Fantin-Latour, Coin de table

船の船体は輝き、「ぼく=酔いどれ船」は海に向かわなければならない。

第24詩節では、大航海の原点となる姿が描かれる。

Si je désire une eau d’Europe, c’est la flache
Noire et froide où vers le crépuscule embaumé
Un enfant accroupi plein de tristesse, lâche
Un bateau frêle comme un papillon de mai.

ヨーロッパの水をぼくが望むとしたら、それはあの小さな水たまり。
黒く、冷たい。そこで、香りのよい夕方、
一人の子どもがうずくまり、悲しみに満たされて、
一艘の舟を放つ。五月の蝶のように弱々しい船を。

小さな水たまりを意味するla flacheは、ベルギーやフランス北部で見られる、粘土質の森の中にある沼を指す言葉。
従って、ランボーの故郷であるアルデーヌ地方の森にある小さな沼を思い起こさせる。あるいは、ムーズ河の畔のちょっとした水たまり。

その水たまりに子どもが船を浮かべる。
その子どもは、「酔いどれ船」を書いている17歳の少年というよりも、もっと幼い頃の姿を思い出しているのかもしれない。

目の前の水は暗く、冷たく、悲しみに満たされている。
子どもは体を丸め、水の上に船を浮かべる。
すると、船は蝶のようにふらふらと弱々しく、水の上を漂っていく。

この場面は、子ども時代のランボーが、実際に体験したことの反映をそのまま映し出しているのかもしれない。
彼は、こんな風に、小さな沼に船を浮かべ、そして、大海原での航海を空想した。その時、彼の想像はどこまでも広がっていったことだろう。
ちょうちょのように弱々しい舟と、想像力が生みだした巨大な船。その対比が、現実と想像力のコントラストを読者にはっきりと感じさせる。

パリに出奔しようとしている少年ランボーは、その子ども時代の遊びを思いだし、想像力が疾走し、大航海のヴィジョンを展開した。
第24詩節は、そうした詩人の自画像として読むことが可能だろう。

第25節

Je ne puis plus, baigné de vos langueurs, ô lames,
Enlever leur sillage aux porteurs de cotons,
Ni traverser l’orgueil des drapeaux et des flammes,
Ni nager sous les yeux horribles des pontons.

ぼくにはもうできない。おお 波たちよ、お前たちの物憂さに浸されているから。
綿花を運ぶ人々の残した跡を消すことも。
国旗や長旗の驕りを横切ることも。
監獄船の恐ろしい目に監視されながら泳ぐことも。

「ぼく=酔いどれ船」は、世界中を航海したために疲れ果て、自分を殉教者のように感じていた(第16詩節)が、ここで再び物憂い波に浸される。
そして、もうこれ以上は航海を続けられないと告白する。

綿花を運ぶ人々の中には、「ぼく=酔いどれ船」も含まれる。
第2詩節で、「フランドル地方の小麦やイギリスの綿を運ぶ」とあった。
そのすぐ後、綱曳人たちから解放され、行きたいところに流れていくことになった。従って、綿を運ぶ人々の跡を取り去るということは、自由を獲得するということを意味する。
長い長い航海の後、もはや再びそれはできないと言う。

国旗や長旗のプライドから連想するのは、当時の詩壇で主流を占めていた詩人たちのプライド。
ランボーは1870年にバンヴィルに詩を送り、『現代高踏派詩集』への掲載を依頼した。それは、パリの詩人たちに匹敵したいという、少年詩人のプライドだった。

それが満たされないままに終わった時、違う道を行く決心をした。
実際、1871年、バンヴィルに宛てて、高踏派とはまったく異なる詩を送りつけた。

最終行には、泳ぐnagerという言葉が使われている。
船であれば、航海するvoguerが使われるはず。泳ぐのは人間。
従って、Jeが船でもあり人間でもあるという曖昧さ=両義性が、その動詞によって最後に確認されることになる。

「ぼく=酔いどれ船」がもう動くことができないとしたら、囚人船(ponton)の監視があるからだ。
ちなみに、Pontonは、使われなくなった軍艦が、監獄として用いられたもの。

これまでの大航海は、束縛から解放された空想の中で行われてきた。
その航海が終わった今、再びこんな大冒険はできないと最後に言うことで、100行に及ぶ詩は終わりを迎える。

その詩の最後、「ぼくにはもうできない」Je ne puis plusと詩人は書いた。
としたら、「酔いどれ船」という詩は、自由を求めながら、最終的には束縛の前に無力な詩人の告白なのだろうか。
敗北の詩?

決してそんなことはない。
ランボーは、23詩節に渡って、空想の翼を広げ、言葉の新しい可能性を求めて、詩句を展開した。
現実を反映する詩から、言葉が新しい世界を生み出す詩へと、新しい言葉を作り上げた。
「酔いどれ船」は、その言葉たちの集積に他ならない。

一回限りの奇跡的な言葉の連なり。

それを書き上げた時、ランボーが二度と同じことはできないと考えたとしても、当然だろう。
できないのは、すでに成し遂げたことを反復しようとはしないという意味。
彼の中で、「未来の活力」(第22詩節)が涸渇することはなく、これから『地獄の季節』や『イリュミナシオン』の詩句を生みだしていくことになる。

「酔いどれ船」は決して敗北の詩ではなく、黄金の言葉そのものなのだ。

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