
17世紀後半の作家ラ・フォンテーヌは、イソップの寓話をルイ14世が支配する宮廷社会の時代精神に合わせて書き直した。
1668年に出版された彼の『寓話集』は、六つの書に分けられ、それぞれの巻の最初には寓話というジャンルを説明する話が配置されている。
その中でも、「セミとアリ」は、「第一の書」の冒頭に置かれ、『寓話集』全体の扉としての役割を果たしている。
「セミとアリ」は、日本では「アリとキリギリス」という題名で知られている。
夏の間、キリギリスは歌を歌い、働かない。冬になり、夏働いていたアリに食べ物を分けてくれるように頼むが、もらうことができず死んでしまう。
このような話を通して、勤勉に働くことや将来を見通すことの大切さ等が、教訓として読み取られる。
ラ・フォンテーヌは、その物語の骨格に基づきながら、自分風に変えていく。
最初に、「セミとアリ」全体を読んでみよう。

セミは、歌っていた。
夏の間、ずっと。
そして、蓄えが底をついた。
北風が吹いてきたというのに。
ハエやみみずの
小さなひとかけらさえ、なかった。
そこで、食べものが何もないと訴えに、
隣のアリの家に行き、
貸してくれるように頼んだ。
ちょっとの穀物があれば、
新しい季節が来るまで、生き延びられる、と。
「必ずお支払いします、
穫り入れ前までに。生き物同士の誓いです。
利子も元金もお返しします。」
アリは貸したがらない。
この性格は、アリの中では一番小さな欠点。
「暑いとき、何していたの?」
アリは、借りに来た虫に言う。
「夜も昼も、誰が来ても
歌ってました。お気にさわったら、ごめんなさい。」
「歌ってた! そりゃうれしいこと。
じゃ、今度は踊りなさい。」
フランス語は以下のサイトを参照。
http://www.la-fontaine-ch-thierry.net/cigale.htm
この話は、なんとなく知っているイソップの話とはどこか違っている。
虫たちの会話は微妙な人間関係を思わせる。
その上、利子や元金等という言葉が使われ、とてもリアルである。
また、教訓がはっきりと書かれていないので、アリの態度をどのように考えるのか、予め決められていないように感じる。
こうした印象をはっきりさせるために、イッソプ寓話の翻訳の一つを読んでみることにしよう。

「蟻とセンチコガネ」
夏の盛り、蟻が畑を歩きまわって、冬の食料を溜めこむために、小麦や大麦を集めていた。センチコガネはこれを見て、他の動物が仕事を止めてのんびりしている時に汗水流すとは、何ともしんどいことだと驚いた。
蟻はこの時は黙っていたが、やがて冬になると、餌になる糞も雨に流され、飢えたセンチコガネが、食料を分けてもらおうと蟻のところにやって来た。それに対して蟻の言うには、
「センチコガネ君、私が汗水流すのをとやかく言ってくれたが、君もあの時苦労をしていたなら、今餌に困ることはなかったろうに」
このように、ふんだんにある間に将来に備えない者は、時勢が変ればひどい不幸に見舞われるのだ。
(中務哲朗訳『イソップ寓話集』岩波文庫、1999年、p. 102。)
岩波文庫に収められたこの寓話も、私たちが一般に思い描いている話とどこか違っている。その中でも一番大きいのは、センチコガネ虫が夏の間に歌ばかり歌っていると、どこにも出てこないこと。
その一方で、寓話の最後に教訓が置かれ、この話がどのような教えを説いているのかはっきりと示されている。物語の中でも、二匹の虫の善悪がはっきりとわかるように描かれ、教訓が説得力のあるものとなっている。
このように、一つの寓話でも、語り手によって様々な変形を加えら、印象がずいぶんと違うことを確認することができる。
では、ラ・フォンテーヌの寓話の特色や面白さは、どのような点にあるのだろうか。
韻文の寓話
ラ・フォンテーヌは、寓話を自分流に書き直すとき、音節の数を整え、韻を踏んだ文章にした。
その理由は何か。そして、それがどのような効果を持っているのだろうか。
『寓話集』の初め掲げられた献辞詩「王太子殿下に」の中で、ラ・フォンテーヌは、「私は歌う、イソップの作り出した主人公たちを。」と詩句に刻んでいる。
このようにして、彼は、自分の物語がイソップから来ていることを、はっきりと告白する。
そして、その後すぐ、「セミとアリ」が歌い始められる。
La Cigale ayant chanté (7音節) セミは、歌っていた。
Tout l’été (3音節) 夏の間、ずっと。
この冒頭の句は、12音の重厚な詩句(アレクサンドラン)ではなく、7音、3音という、短く、軽快な詩句が用いられ、物語に朗らかな「装い」を与えている。
また、短い詩節の中で、chantéとétéの最後のtéの音が韻を踏み、二つの詩句をしっかりと結合している。
そのために、読者は、この二行詩を思わず口ずさみたくなり、知らないうちに繰り返してしまう。
さらに、韻を踏ふむという詩句の性質を活かし、音が意味の対比を生み出す工夫もなされている。
La fourmi n’est pas préteuse. アリは貸したがらない。
Dit-elle à cette emprunteuse. アリは、借りに来た虫に言う。
ここでは、貸す側と借りる側が、préteuse、emprunteuseと同じ音で終わり、韻を踏んでいる。
そのことで、貸すと借りるという意味の対比がより鮮明になる。
寓話の最後の部分では、セミとアリの会話が最もニュアンスに富んだ陰影を施され、さらに大きな効果を上げている。
Je chantais, ne vous déplaise. お気にさわったら、ごめんなさい。
Vous chantiez ? J’en suis fort aise. 歌ってた? そりゃうれしいこと。
まず、歌う(chanter)という動詞が反復される。
韻は、déplaise(気に入らない)とaise(満足)。セミは、気に入らない(déplaise)ことがないようにと言う。アリは満足(aise)と言う。どちらの言葉も表面的には丁寧であるが、その裏には皮肉なニュアンスが込められている。
その微妙な応酬の中心となる言葉が韻を踏み、二つの言葉の対応にスポットライトが当てられる。
このような音と意味の対応と対比は、韻文によって始めて可能になる。

ところが、17世紀の後半、寓話のような子どもっぽい物語を、韻文で語ることには批判もあった。寓話で最も大切な点は短く簡潔なことであり、詩という飾り付けは物語を長くしてしまう、というのである。
そうした批判を受けて、ラ・フォンテーヌは『寓話集』に付けられた「序文」の中で、二人の先人の例を挙げ、寓話を詩として語ることの正当性を主張した。

まず一人目は、ギリシアの哲学者ソクラテス。
プラトンによれば、ソクラテスは、死の直前に見た夢の中で、神から音楽に専念するように告げられたと言う。
最初ソクラテスはそれが何を意味するのか分からなかったが、隠れた意味があるはずだと考えた。
そして最後に、音楽とは詩を意味する、と思い至る。
しかし、哲学者である彼には、真実を語ることしかできず、作り物である詩を作ることはできない。
そのような中で至った結論が、真実を含むイソップの寓話を、詩にすることだった。
このようにして、寓話を韻文で語ることが、ソクラテスの挿話によって正当化される。
ラ・フォンテーヌの『寓話集』の正式な名称は、『ラ・フォンテーヌによって選ばれ、韻文にされた寓話集』。
この題名から、ラ・フォンテーヌの試みが、ソクラテスの最後の活動と重ね合わせられていることが理解できる。

次にラ・フォンテーヌは、韻文で寓話を語った古代ローマの作家パエドルスを例にあげる。
パエドロスは、『イソップ風寓話集』のまえがきで、次のように述べている。
先師アエソプス(イソップ)が見いだした素材を、私はセナリウスの韻律で磨き上げました。
私の書いたこの小さな本には、笑わせながらも、賢明な助言で人生を教え諭すという、二重のねらいがあります。
(パエドロス、バブリオス著、岩谷智、西村賀子訳『イソップ風寓話集』国文社、一九九八年、p. 12。)
ラ・フォンテーヌは、韻文で語られたパエドルスの寓話について、優雅さと簡潔さを賞賛した。そして、自分の寓話にはそれに匹敵するだけのものはないと謙遜しながら、実際には、寓話を韻文にする試みに正当性を与えようとした。
このように二人の先人の例を出した後、ラ・フォンテーヌは、「陽気さ」を彼自身の寓話の特色だと強調する。
その陽気さは、単に声を上げて笑うようなものではない。それは、どんなまじめな話題を扱う時にも可能な、なにかしら魅力的なものだったり、気持ちのいい様子だったりする。
実際、動物や植物を登場人物として語られる寓話の中の世界は、残酷だったり、醜いものだったりする。アリはセミに何も貸してあげず、死がセミを捉えるかもしれない。
そんな非情な関係を描きながら、語り口は、陽気で明るく、読者を楽しませる。
そうしたラ・フォンテーヌの寓話の魅力を生み出すのに、軽快で歯切れのいい韻文のリズムが大きな役割を果たしている。
語られる内容と同じくらい、あるいはそれ以上に、語り方が大きな意味を持つ。そのことを、「セミとアリ」の例からだけでも、理解することできる。
韻文詩の仕組みについては、以下を参照。
https://bohemegalante.com/2019/05/25/lecture-poeme-francais/
寓話の物語
「セミとアリ」は二匹の昆虫の対比を軸に展開する。
一方には働き者のアリ。夏の間もせっせと食料を蓄え、冬になっても困らない。
他方には怠け物のセミ。夏の間働かず、冬に食べ物がなくなり、困窮する。
セミは、アリに食べ物を分けてくれるように頼むが、アリはその願いを聞き入れない。
この骨組みに、様々な肉付けが行われる。
ラ・フォンテーヌがどのように肉付けを行ったのか知るために、まずここで、17世紀の初めに翻訳(翻案)されたイソップ寓話を読んでみよう。

「セミとアリたち」
冬の間、小麦が湿ってしまうので、アリたちはそれを乾かしていた。セミが、死にそうにお腹をすかせてやってきて、食べ物をくれと言った。アリたちはセミに言った。
「どうして夏の間に食べるものを集めておかなかったんだ。」
セミは応える。「何もしなかったわけじゃありません。気持ちよく歌っていたんです。」
アリたちは笑い始める。「夏に歌っていた! 今は冬だから、踊りなよ。」
この寓話が教えているのは、どんなこともおざなりにしてはいけないということ。そうしないと悲しいことや危険なことを避けられない。
(Nevelet, Mythologia Aesopica, Francoforti, impensa J. Raose, 1610, p. 197.)
この翻訳の中では、アリたちは湿った小麦を乾かすという仕事をしている。
他方、ラ・フォンテーヌの寓話では、アリが働いている場面は描かれないし、セミが働かないことに対する言及もない。
そのことは、労働に対する価値付けが行われていないことを示している。
別の違いもある。
イソップでは、アリの性格には何も触れられていない。
ラ・フォンテーヌでは、何も貸したがらない性格がアリの中では「最も小さな欠点」だと言われ、もっと重大な欠点があることが暗示される。
それは何か?
アリは寛大さに欠けるだけではなく、人を助ける心も持ち合わせない。エゴイストの肖像なのだ。
では、セミはどうだろうか。
夏の間歌っていたというところはそのまま踏襲している。しかし、アリのように、しっかりと性格が描き出されるわけではない。歌ってばかりいたから、冬になって食べるものがなく、アリに頼ろうとするというだけである。

ラ・フォンテーヌの肉付けで最も注意を引くのは、寓話の後半を占める会話の巧みさだといえる。
最初にセミは、「払う。(payer)」という動詞を使い、その後「利子も元本も(Intérpet et principal)」と付け加える。それらの単語は、セミが借りに来たのは食べ物ではなく、金銭だということを連想させる。
しかし、他方では、「生き物(animal)同士の信義にかけて」という言葉で、物語が昆虫の世界で展開していることも忘れさせない。
従って、ラ・フォンテーヌの「セミとアリ」では、人間の世界の比喩という読み方と、虫の世界の出来事という読み方という、二つの読み方ができる、巧みな語り方がされていることになる。
物語を締めくくる会話は、ヴェルサイユ宮殿あるいいはパリのサロンでのやり取りを思わせる。
17世紀のイソップ訳では、虫の会話は直接的で、率直である。
ラ・フォンテーヌのセミとアリは、気取りがあり、含みを持たせ、皮肉っぽい言葉使いをする。
夏の間ずっと歌っていたと言うセミは、最後に、「お気にさわったら、ごめんなさい。(ne vous déplaise)」と付け加える。それに対して、アリは、「そりゃうれしいこと。(J’en suis fort aise)」と応える。
そして、韻についての考察で見たように、déplaiseとaiseは韻を踏み、二つの言葉は音の面からも対応が強調されている。
気に入られない(déplaire)という言葉は、一七世紀の芸術の最も重要な要素である、「気に入られること(plaire)」という要素を含んでいる。
セミの言葉では、「気に入らない」がneという否定辞によってさらに否定され、「気に入らないことはない」という二重否定。そこで、結局は、気に入るという意味に戻る。
セミはそのような言葉遣いで、気に入らないことがないようにと、アリに懇願する。
その答えとして、アリは「うれしい」(aise)という言葉を用い、表面上は、喜びとか満足を伝え、セミの願いを聞き入れたように見える。
しかし、それは言葉の上のことであり、実際には皮肉でしかない。
そのことは、「踊りなさい(dansez)」という命令で寓話が締めくくられることによって、はっきりと示されている。

こうした会話は、17世紀フランスで栄えたサロンの文化を反映している。
実際、ラ・フォンテーヌは、「ヌヴェールの館」のサロンやラ・サブリエール夫人のサロンにしばしば通っていた。
「ヌヴェールの館」のサロンは、芸術の庇護者であったニコラ・フーケ財務卿を支持し、『箴言集』の作者ラ・ロシュフコー、書簡で有名なセヴィニェ夫人、『クレーブの奥方』の作者ラ・ファイエット夫人、「人間は考える葦である」という言葉で有名なパスカル、劇作家ラシーヌ等、多くの文人が集う場だった。
そうしたサロンの中で繰り広げられる会話から、「教養ある人々の言葉づかい」が定着し、フランス語表現の規範が形作られていった。
一七世紀後半には、それほど、言葉に対する意識が高まったといえる。 ラ・フォンテーヌの寓話は、こうした動きと密接にかかわっていた。
セミとアリの最後の言葉のやり取りは、簡潔な言葉の中に皮肉が盛り込まれ、お互いの才気を争っているようでもある。
ラ・フォンテーヌは、イソップの物語の骨組みを使いながら、17世紀後半のサロンのテイストを感じさせる肉付けを行ったのである。
寓話の教訓 人文主義の伝統
『寓話集』の「序文」の中で、ラ・フォンテーヌは、教訓が寓話の魂であると明言する。
実際、イソップは教訓を必ず物語の最後に置き、パエドルスは時には最初に持ってくることもあったが、教訓が書かれないことはなかった。
それに対して、ラ・フォンテーヌ自身は、教訓を書かないこともあると言う
そして、「セミとアリ」は、まさに教訓がはっきりと書かれない寓話の一例である。
では、ラ・フォンテーヌは、寓話の魂である教訓を、なぜはっきりと書かないことがあったのだろうか。

17世紀フランスの芸術観の中で最も大切な規則は、「気に入られること(plaire)」だった。
では、教訓が寓話をだいなしにするような場合、どうしたらいいのか。
教訓を書くべきか、省くべきか。
ラ・フォンテーヌの選択は、教訓が必要という古い決め事ではなく、く、「気に入られること」という17世紀の原則に従うこと。
彼は、『寓話集』の「序文」の中で、古代ローマの大詩人で「詩法」の著者ホラティウスの言葉を引用する。
「何かを使っていいものを作れないとわかっているときには、それを捨てる。」
この言葉は、教訓の明示されていない寓話があることを正当化している。
このように見た時、教訓のはっきりと書かれていない「セミとアリ」が、『寓話集』の最初に置かれていることの意図を推測することができる。
ラ・フォンテーヌは、自分の寓話とイソップやパエドルスの寓話の違いを、こっそりと読者に伝えようとしたに違いない。
繊細で微妙なニュアンスに富んだサロンの読者であれば、その意図はすぐに伝わったはずである。
「セミとアリ」には、寓話の身体である物語だけで、寓話の魂である教訓がない。その理由は、「序文」でのラ・フォンテーヌの言い分を信じれば、サロンで気に入られるよう教訓が作れなかったから、ということになる。
17世紀のイソップの翻訳の教訓は、次のようなものだった。
この寓話が教えているのは、どんなこともおざなりにしてはいけないということ。そうしないと悲しいことや危険なことを避けられない。
こうした勤勉の勧め、将来を見通すことの大切さ等は、いつの時代にも当てはまり、間違った教えではない。そして、物語をこの教訓から読み返すときには、正しい行為をしたのはアリであり、セミは夏の間ずっと歌っているべきではなかった、ということになる。

しかし、貴族たちのサロンでは、別の読み方もされたに違いない。
セミは来る人は誰も拒まず、陽気に歌を歌っていた。それは芸術家の姿だといえる。
それに対して、アリは、どのようにして蓄えたのかわからない財産を持ち、困っているセミを助けようともしない。
実際、ラ・フォンテーヌの寓話の中では、アリの労働に関する言及がない。
アリは、きっと返すからというセミの願いをはねつけ、いやみを言い、最後は、お腹をすかせているセミに踊れという、冷たい性格の持ち主として描かれる。

このようにみると、セミは人を楽しませ、気に入られる芸術家。それに対して、アリは非情な金貸し。
そのアリを正当化する教訓が、サロンで気に入られることはなかっただろう。
しかし、セミを中心にした教訓では、イソップの伝統に反することになってしまう。どちらを取るにしても、うまくいかない。
そこでラ・フォンテーヌが取ったのが、教訓を書かないという手段だったのではないか。それであれば、教訓は読者が自分で導き出すことになる。
解釈が多様であればあるだけ、サロンでの会話が活気づき、寓話自体もその役割を増すことになる。
その際、寓話の魂である教訓がないことは考えられないので、人々は、教訓を自分たちで探すことになる。
ラ・フォンテーヌは、上手に教訓が作れないときには教訓を書かなかった、と謙虚さを装う。しかし、実は、いくつかの寓話に教訓を書かないことで、自由な解釈による教訓探しという、より大きな楽しみを生み出したのだった。
ところで、寓話の物語は、動物や植物が話をする空想的でたわいのないものでありながら、その内部には大切な教訓が隠されている。
そうした考え方は、16世紀の人文主義的な思想に基づいている。

人間とは何かを中心に据えたその思想を代表する作家の一人フランソワ・ラブレーは、『ガルガンチュア物語』の「作者の前口上」の中で、ソクラテスを例に出し、外と内の対比をおもしろおかしく語る。
もしもソクラテスを外からながめて、外見で価値を判断したとしますよね。すると、みなさまはタマネギの皮一枚分の値段もつけないに決まっています。なんてったって身体は不細工ですし、ふるまいもこっけいでして、とんがり鼻に、雄牛みたいな目つきをして、なんだか気でもふれたような顔だちなんですから。(中略)ところがどうです。ひとたび、このソクラテスという箱をあけてみますと、なかには、この世のものとは思われぬ、なんとも貴重な薬種が見つかるのですから、さあお立ち合い。つまりですね。とても人間とは思われない知性や、驚くべき精神力が、はたまた不屈の勇気や、たぐいまれなる節度が、さらには無欲恬淡にして、毅然とした心もちが見つかるのですし、人々がろくに眠らず駆けずりまわり、あくせく働いたり、海に乗り出したり、戦争をしたりすることなんかを、信じられないほど軽んじる心が見つかる次第なのであります。
(フランソワ・ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル 1』宮下志朗訳、ちくま文庫、2005年、p. 19-20。)
ソクラテスは最高の知性の持ち主であり、いつの時代にも、叡智の代表者として最初に名前の挙げられる哲学者である。
ところが、彼の外見は醜く、一見すると気が狂っているようにさえ見える。
従って、ソクラテスという箱を開けないと、知性や精神力に気づくことがない。
ラ・フォンテーヌが「序文」の中で、ソクラテスを例として出したのは、ラブレーからの借用と考えてもいいだろう。
実際、外見と中身のこうした対照は、そのまま寓話に当てはめることができる。
寓話の物語の中では、動物や植物が話をし、価値のない素材しか扱っていないように見える。
しかし、そこには大切な教訓があり、それが魂となって、肉体である物語を息づかせる。
このように、人文主義的な考え方と、ラ・フォンテーヌの寓話観は見事に対応している。
「セミとアリ」との関係で興味深いのは、教訓にあたる部分。
ラブレーがソクラテスの中身としているものは、労働や武力ではなく、それらを軽んじる心である。それは、セミの価値観とつながる。
人間について深く考えをめぐらすとき、アリ的な実用性、効率性も大切である。しかし、人間にとっての「貴重な薬種」は、セミ的な軽やかな精神性にある。
ラ・フォンテーヌ寓話の教訓は、ラブレーによって滑稽な形で表現された人文主義的な思想の伝統に則っているのである。

「序文」の中で、ラ・フォンテーヌは、もう一人の哲学者にも言及する。
それは、プラトン。
プラトンは『国家』の中で、寓話の価値を認め、肉体を鍛えるよりも先に、寓話によって子どもを教育すべきであると説く。しかも、それは早ければ早い方がいいという。最初が肝腎であり、早いうちの方が影響を与えやすいからである。
こうしたプラトンの説を引いた後、ラ・フォンテーヌは、寓話がいかに子どもの心に入りやすく効果的か、「キツネとヤギ」(第3巻5)の例を挙げて説明する。そして最後に、寓話から導き出される考える力やその結果を通して、判断力や立ち居振る舞いを育成することができるとする。

実は、ここにも人文主義的な思想の反映が見られる。それはモンテーニュの思想。
16世紀を代表する思想家モンテーニュは、『エセー』の第25章「子どもたちの教育について」の中で、教育の目的について、次のように述べる。
ミツバチは、あちこちの花をあさって、そのあとから密を作りますが、それはすべて彼らのものでありますし、もはやタイムでもなければ、マヨラナ草でもないのです。これと同じで、彼(生徒)も、他人から借りてきた部分部分を変形して、混ぜ合わせ、それでもって、まったく彼のものである制作物、つまり判断力を作り上げるのです。教育も、勉学や学習も、この判断力を形成することを目標としています。 (モンテーニュ『エセー』p. 262。)
知識を知識として持っているだけでは役に立たない。
自分で知識を消化し、それを自分自身の知識に変えることが必要である。知識を自分のものにすることで、自らの判断力を養えるようになる。
また、教育において大切なことは、子どもの程度に合わせることである。
生徒に、前方を速足で進ませて、その歩く様子を判断し、その力に合わせるには、どのぐらい程度を落とせばいいかを確かめるのがいいのです。このバランスを取りそこねると、すべてを台なしにしてしまいます。ちょうど均衡の取れた位置どりを選び出して、バランスを保ちながら勧めていくのは、わたしの知るかぎり、もっとも困難な仕事のひとつなのです。(p. 259)
教わる側の理解力の程度に応じて素材を提供していくという、ここに記されたモンテーニュの教育法は、物語というオブラートに包んで教訓を伝えるという、寓話観と対応している。
このように、ラブレーやモンテーニュからの影響を確認すると、ラ・フォンテーヌの教訓に対する考え方が、方法論の点からも、目的の点からも、16世紀の人文主義の伝統に基づいているということがわかってくる。

『寓話集』の最初に置かれた「セミとアリ」を検討するだけで、ラ・フォンテーヌの寓話が単に子供用の教訓的なお話というだけではなく、時代の精神に合わせて、様々な工夫を凝らし、一流の文学作品として作り上げられたものだということが理解できる。
動物や植物は社会に生きる人々の典型であり、そこで繰り広げられる世界にはサロンの人間関係や会話術が反映している。
そうした時代性に基づきながら、他方では、同じ骨組みに基づいた物語がイソップ以来2000年以上語り続けられ、教訓に関しては、人文主義的な「一般的な主題」に対する判断力を育成するものとなっている。
ラ・フォンテーヌの寓話は17世紀フランス的でありながら、21世紀の現代でも価値を持つ理由がそうしたところにある。