
赤ずきんちゃんの物語は誰でも知っている。
しかし、その話が世界で最初に活字になったのはルイ14世の時代のフランスだった、ということはあまり知られていない。
フランスに古くから伝わる民話を、パリのサロンやヴェルサイユ宮殿の貴族の娘たち向けに語り直したのは、シャルル・ペロー(Charles Perrault)。

ペローの「赤ずきんちゃん(Le Petit chaperon rouge)」では、物語は、狼が赤ずきんを食べたところで終わる。
狩人が現れ、狼のお腹の中から赤ずきんちゃんを助け出される結末は、19世紀前半にドイツのグリム兄弟が付け足したもの。
結末の違いは、物語が伝えるメッセージに関係する。
ペローでは、最後に教訓(moralité)が付けられ、読者として対象にするのは誰か、物語から何を学ぶできかが、明らかにされている。

ペローの「赤ずきんちゃん」をフランス語で読むと、とても面白いことに気づく。
ラ・フォンテーヌやラシーヌの高度に洗練されたフランス語とは逆に、非常に素朴なフランス語で書かれている。
いかにも田舎の民衆の間で語られた話という言葉遣い。その話を、乳母が子供達に語ってきかせる。
ペローは、そうした場面を設定することで、「赤ずきんちゃん」「眠れる森の美女」「青髯」「長靴をはいた猫」「親指小僧」などが、フランスに古くから伝わる昔話だという考えを定着させようとした。
ラ・フォンテーヌは、古代ギリシアのイソップの寓話(Fables)を韻文で語り直し、サロンや宮廷の読者の趣味に合うものにした。
その反対に、ペローは、フランスの昔話を取り上げ、いかにも民衆が語るかのような素朴な物語にした。
同じ狼を取り上げても、ラ・フォンテーヌの「狼と犬」や「狼と子羊」と、ペローの「赤ずきんちゃん」では、まったく味わいが違う。
Le Petit chaperon rouge
Il était une fois une petite fille de village, la plus jolie qu’on eût su voir ; sa mère en était folle, et sa mère-grand plus folle encore. Cette bonne femme lui fit faire un petit chaperon rouge, qui lui seyait si bien que partout on l’appelait le Petit chaperon rouge.
昔あるところに、村に住む小さな女の子がいた。誰も見たことがないほど可愛らしい子だった。お母さんは彼女に夢中だったし、おばあさんはもっと夢中。彼女に小さな赤い頭巾を作ってあげたら、とても似合ったので、どこでもその子を赤ずきんちゃんと呼んだ。
Il était une fois…は、昔話の最初に置かれる決まり文句。日本語では、「昔々あるところに」にあたる。
その表現の他に、ペローは古い時代を感じさせる工夫をしている。それが、おばあさんを意味するmère-grand。
17世紀後半でも、普通は現在と同じように、grand-mèreと言われていた。mère-grandというのは、ルイ14世の時代のフランスでも、すでに古い表現だった。そのことから、ペローが物語の古さを17世紀の読者に感じさせるために、あえて古い表現を使ったということがわかる。
そのおばあさん(mère-grand)が、大好きな少女(une petite fille)に作ってあげた(lui fit faire)ものがある。それが、小さな赤い頭巾(un petit chaperon rouge)。
なぜ小さな頭巾(petit chaperon)なのかという種明かしは、17世紀の読者でないとわかりにくい。
頭巾を意味するchaperonは、貴族の少女に付き添い、見張り役をする女性のことを指す言葉でもあった。そこで、小さな頭巾といえば、見張りが行き届かないことの暗示だと読み説くことが可能になる。
その頭巾が少女にとても似合った(lui seyait – séoir)ので、彼女は「小さな赤いずきん(le Petit chaperon rouge)」と呼ばれるようになる。
petitが人間につく場合「・・・ちゃん」という雰囲気の言葉になるので、「赤ずきんちゃん」と呼ばれたということになる。
petit chaperon rougeは、フランス語の音として非常に口調がいい。そこで、この物語を聞かせてもらった子供たちは、喜んでpetit chaperon rougeと繰り返しただろう。
ラ・フォンテーヌが優れた韻文で読者を感嘆させるとしたら、ペローは、楽しい音で子供たちを楽しませる。
Un jour, sa mère, ayant cuit et fait des galettes, lui dit : « Va voir comme se porte ta mère-grand, car on m’a dit qu’elle était malade. Porte-lui une galette et ce petit pot de beurre. »
ある日、お母さんがパンを焼き、ガレットを作った後で、彼女にこう言った。「おばあちゃんがどんなか様子を見てきて。病気だって聞いたから。ガレットとこの小さなバターの壺を持っていってね。」
cuireは目的語なしで、パンを焼くという意味。
パンを焼くときに、同じ竈でガレットを一緒に焼く(faire des galettes)ことがよくあった。
commeはcommentと同じ意味。おばあちゃんを指す言葉として、ずっとmère-grandが使われ、古い時代を感じさせる。
おばあちゃんのところに持っていくのは、「ガレットと小さなバターの壺(une galette et ce petit pot de beurre)」。
この表現も非常に口調がよく、物語の中で何度も繰り返される。
Petit chaperon rougeと同じように、子供が好んで口にし楽しむ表現になっている。
とりわけ、Petit Potは、[ p ]の音が反復され、Petit, chaPeronと共鳴し、小さく、可愛いものを連想させる。

ペローの物語集の挿絵には、「がちょうおばさんの話(Conte de ma mère l’Oye)」という言葉が書かれている。マ・メール・ロワ、つまりマザー・グース。
イギリスで民間に伝わる童話を「マザー・グース」と呼ぶのは、このペローの挿絵から来ていると言われている。
その関連性を考えると、ペローの物語の語り口が朴訥とし、かつ音楽性に富み、子供が喜んで口にする表現があちらこちらに使われている感じを掴むことができる。
Le petit chaperon rouge partit aussi tôt pour aller chez sa mère-grand, qui demeurait dans un autre village. En passant dans un bois, elle rencontra compère le Loup, qui eut bien envie de la manger, mais il n’osa, à cause de quelques Bucherons qui étaient dans la forêt. Il lui demanda où elle allait.
赤ずきんちゃんはすぐに出発して、おばあちゃんの家に向かった。おばあちゃんは別の村に住んでいた。森の中を通りかかると、狼おじさんに出会った。狼は赤ずきんを食べたくてしかたがなかったが、でも、勇気がなかった。木こりが何人か森の中にいたからだ。そこで、どこに行くのか尋ねた。
赤ずきんが出会う狼は、Compère le Loupと言われる。
Compèreは、17世紀には、親戚のおじさんくらいの、親しい人を指す言葉だった。その言葉が、狼に使われることで、狼は獰猛な恐ろしい動物ではなく、小さな女の子にとって親しげな存在に感じられるようになる。
その狼は少女を食べたい(envie de la manger)のだが、そうする勇気がない(il n’osa)。理由は、木こり(bucherons)がいるから。
この部分は、ペローの昔話に特徴的な合理性を示している。
狼が森で女の子を見つけたら、そのまま食べてしまうのが自然だろう。しかし、食べることをせず、どこに行くのか尋ねる。
その合理的な理由が、木こりの存在なのだ。

17世紀の前半には、デカルトが「理性(raison)」の力を強く主張した。
ルイ14世の時代は、理性を使い「考える(penser)」ことが重視された世紀。
ペローの物語は、そうした時代精神をはっきりと反映している。
例えば、シンデレラが舞踏会に行く行くために、仙女がカボチャを馬車に変える。その時、まずカボチャの中をくり抜き、その上で変形させる。もしそうしなければ、中が詰まった馬車になってしまうというかのようである。
森の中で狼が赤ずきんちゃんに行き先を聞くときにも、その場で食べてしまわない理由が必要。そうした合理性がペローの昔話を特徴付けている。
ペローの赤ずきんちゃんは、狼の問いかけにどのように応えるのだろう。(続く)