アルルのゴッホ Gogh à Arles 黄色の画家

1888年2月、ゴッホはパリを離れ、アルルで活動を始める。
同じ年の10月下旬にはゴーギャンが合流し、画家の共同体の夢が実現するかのように思われる。しかし、二人の画家の関係はすぐに悪化し、12月23日、ゴッホが自分の左耳をそぎ落とすという事件が勃発、共同生活は終わりを迎える。
ゴーギャンはパリに戻り、ゴッホはアルル市立病院に収容される。

1889年1月、ゴッホは退院を許されるが、2月下旬になると住民たちがゴッホの存在を恐れ、彼の立ち退きを求める請願書を提出した。そのために、再びアルル市立病院に入院させられ、5月初めまで留まることを余儀なくされる。

この15ヶ月ほどの間に、ゴッホは風景画、肖像画、静物画を数多く描き、彼の絵画を特徴付ける「黄色の世界」に到達した。

日本の夢

ゴッホがアルルに着いたのは、1888年2月。その時には雪が積もっていたが、彼はその風景を見て、日本の雪景色を思い描く。

薄紫の山を背景にして、ブドウ畑の素晴らしい赤土の広がり。雪のように輝く空を覆う山の頂を望むここの雪景色は、日本人の描いた雪景色そっくりだ。

ゴッホが思い描くのは、「タンギー爺さん」の背景に置かれ、出典がまだ判明していない浮世絵の雪景色だろうか。

Vincent van Gogh, Le Père Tanguy, détail

アルルに着いて最初に描いたのは、実際、雪の風景である。

Vincent van Gogh, Paysage dans la neige

ゴッホにとって、アルルは、ミストラルと呼ばれる強い風さえ吹かなければ、日本のように麗しい地に感じられた。少なくとも最初の間は。

パリで彼が習得した明るい色彩は、確かに印象派から学んだものだった。しかし、ゴッホにとって、それは本質的なことではなかった。
印象派が目指したものは、「視覚上の革新」だった。他方、ゴッホの求めるものは、対象が人物であろうと、自然であろうと、静物であろうと、その「実在性」であり、「生の動き」を捕らえることだった。
そのために彼がアルルで開拓しようとしているのが、「色の単純化」。単純化こそが、物に大きな様式を与え、物の実在性を表現することを可能にする。

色の単純化のためのモデルとなったのが、日本の浮世絵だった。

絵具屋で売っている「黒」と「白」をパレットに大胆に置いて、そのまま使おうと思うのだ、と僕が言うのは、日本風の色の単純化について言っているのだ。バラ色の小径のある緑の公園で、新聞を読んでいる黒い服を着た裁判所の判事を、僕が見ているとする。彼と公園の上に広がる空は、単純なコバルト色だ。この判事を単純な黒灰色で描き、新聞紙を単純な生の白で描いてはどうしていけないのか。日本人は、反射を考えず、平板な色を次々に並べ、色と形とを捕らえる独特の線を出している。(中略)日本人たちは、娘の艶のない青白い肌と黒い髪のコントラストを、驚くほど巧みに表現している。しかも、1枚の白い紙に、筆を4度使っただけで。

ゴッホはピエール・ロチの『お菊さん』を読み、日本への夢を膨らませたと言われているが、そうした夢想の結果は、「ラ・ムスメ」として表現されてもいる。

Vincent van Gogh, La Mousmé

もちろん、実際の肖像画では、単純な白と黒だけで描くことはない。
髪と眉毛は黒く、肌は薄い茶色と白っぽい肌色。白と黒のコントラストがベース。上着とスカートは、補色であるブルーとオレンジが使われる。
ゴッホによれば、「南国や地中海の空は、青の調子が強ければ強いほど、土地の色はオレンジ色になる。」少女は日本の娘であると同時に、南フランス・アルルの少女でもある。

左手に持っているのは、キョウチクトウ。
その花は、「キョウチクトウと本のある静物」にも描かれている。

Vincent van Gogh, Vase with Oleanders and Books

横にある本は、エミール・ゾラの『生きる歓び』。ゴッホは「闇の中に光を射す本」として、愛読していたと言われている。
そのことからも、キョウチクトウを持つ娘が、平穏な心や幸福感を伝えていることが感じられる。

ゴーギャンをアルルに迎えるために描いた自画像は、日本の僧侶を思わせる。
弟のテオに、自分を日本人に似せるため、目の端を少し吊り上げて描いた、と書いているところからも、日本人の顔に似せることを意識していたことは明かである。

それと同時に、ゴッホは、自分の持つ二重性を意識していた。その二重性とは、画家であると同時に僧侶でもあること。彼は言う。「ぼくは感情が興奮すると、永遠性とか永遠の生活という考えに誘われる。どっちにせよ、ぼくの神経は警戒を要する。」

Vincent van Gogh, Self-Portrait (Dedicated to Paul Gauguin)

背景は、「娘」と同じように、単色で塗りつぶされている。ただし、頭の上の塗り方は、丸い円の動きが見られ、キリスト教の聖人の頭の上に描かれる後光(nimbe)がひっそりと書き込まれていると見なすこともできる。
ゴッホには、オランダ時代の伝道師の魂が常に生き続け、共同生活の中で、人の為になることを希求していた。

ゴッホの日本への傾倒を確認すると、アルルに着いた初期の頃に描いた「アルルの跳ね橋」は、日本の橋の形からの連想のようにも思える。

500Vincent van Gogh, The Bridge of Langlois at Arles with laundresses

モネが描いた睡蓮の庭園の原形とも言われる 歌川広重の「名所江戸百景 亀戸天神境内」。ゴッホは、ラングロワ橋を見て、こうした浮世絵の構図を思い描いたのかもしれない。

250歌川広重、亀戸天神境内

もう一歩進めば、オランダ時代から熱愛するミレーの「種まく人」に、浮世絵の構図を組み込むことにもなる。

ミレーの「種まく人」と、ゴッホの模写。

この絵画の前景に、ゴッホは巨大な木を配置する。

Vincent van Gogh, Sower at Sunset

画面の前面に巨大な木を配する構図は、ヨーロッパの絵画の伝統にはない。他方、日本の浮世絵では稀ではない。
パリ時代のゴッホは、歌川広重の「亀戸梅屋舗」を模写していた。

「夕日の中の種まく人(Sower at Sunset)」は、この模写から、太い木を一本、植え替えたものと考えてもいい。
ゴッホにとって、ミレーの描く農民の「静かな正しい完璧性」は、「無限性」を感知させる。「日本人のような原始人が描いた、ペンで書いた文字のように見える」絵は、「面白い」。
「夕日の中の種まく人」には、ゴッホがアルル滞在中に到達した「黄色」の世界も加わり、彼の作品の一つの頂点を示している。(次ページに続く。)

ゴッホとゴーギャン

Paul Gauguin, Autoportrait avec portrait de Bernard, ‘Les Misérables’

画家たちがお互いに助け合う共同体を作るというゴッホの夢に、ゴーギャンは参加する。

ゴッホは、パリに居るときから、「本当に現代的な絵は、孤立した個人の力を超えたところに描かれるものであり、共通の思想を実現するため、グループを作る必要がある」と考えていた。そして、アルルで、「中世の工房の伝統に基づいたアトリエ」を設立することを夢見た。
他方、ゴーギャンのアルルに行く決心をしたのは、共感ではなく、物質的、経済的なものだったのかもしれない。
とにかく彼は、1888年10月下旬から12月下旬まで、アルルの黄色い部屋で共同生活を送ることになる。

ゴッホはゴーギャンを迎えるにあたり、それまでのホテル暮らしをやめ、黄色い家の一室をアトリエとして準備し、そこに飾るヒマワリの連作を描いたりする。
彼は常に善意の心を持ち、他者に対して有益であろうとする。
しかし、一旦現実に人と接すれば、すぐに口論から喧嘩になり、最後は一緒にいられなくなる。パリでも、弟のテオのところにさえ、人は寄りつかないようになった。

ゴーギャンとも同じことが起こる。ゴッホ以外の人間には、予想できたことだろう。だからこそ、ゴーギャンの他には、誰も共同体に参加する画家はいなかった。

たぶんゴッホが自分の左の耳朶を切り落すという事件がなかったとしても、二人の画家の連帯が長続きはしなかっただろう。
それは、人間性の問題という以上に、絵画に対する考え方、画風の違いによる。

ゴッホもゴーギャンも、今ではポスト印象派の画家と呼ばれる。その理由は、二人の活動が印象派絵画が次第に認められつつあった時代にあり、彼等も新しい絵画表現を実践するという意味では、同じ方向性を向いていたからである。

しかし、それ以外の点で、二人の絵画観は大きく違っていた。
二人が同じ光景を前にして描いた絵を見ると、その違いが目に飛び込んで来る。

アルル近郊のブドウ畑で、夕日に照らされて人々がブドウの穫り入れをする場面を描いた2枚の絵画を見てみよう。
一枚目は、ゴーギャンの「アルル、ぶどうの収穫、あるいは人間の悲惨」。二枚目は、ゴッホの「赤いぶどう畑」。

Paul Gauguin, Vendanges à Arles or Misères humaines
Vincent van Gogh, La Vigne rouge

画面全体が赤と黄色を中心に描かれ、色彩による視覚的な効果を高めているという点では共通していて、印象派の流れに位置する作品と見なすことができる。

その一方で、構図はまったく違っている。
ゴーギャンの「アルル、ブドウの収穫、あるいは人間の悲惨」には、奥行きがなく、平面的である。
それに対して、ゴッホの「赤いブドウ畑」では、左から右にぐっと伸びる線が、遠くまで続く空間の奥行きを作り出している。

画筆のタッチも正反対。
ゴーギャンは、絵具が塊になり厚みを作り出すのを嫌い、絵具をそぎ落とし、平らな画面を好む。彼は、印象派の筆触分割に反対し、強く太い輪郭線によって対象の形態を捉え、平坦な色面で画面を構成する、クロワゾニスムという手法を取り入れ、二次元の平坦な色面を重視した。

その反対に、ゴッホは、時にはチューブから絵具を出し、そのままにしておくほど、ごつごつとした画面を好んだ。その荒々しい筆遣いが、絵画の力強さを生み出し、命の脈動を伝えている。

絵画のテーマについても、二人はまったく異なる考え方をしている。
ゴーギャンは、現実を観察するのではなく、目をつぶり、心に浮かび上がってくるイメージを重視した。そのようにして、思想の神秘的内部を捕らえ、絵画に精神的価値を与えようとした。

「アルルにおけるブドウの収穫、あるいは人間の悲惨」では、アルルのブドウ畑を描きながら、腰を屈めてブドウを収穫する二人の女性が被っているのは、ブルターニュ地方の頭巾。南フランスに北フランスの象徴を描き込むことで、この場面の非現実性を示している。
画面中央に座る女性は、副題である「人間の悲惨」を象徴する人物。太陽に照らされ赤々と大地を染めるブドウの山が象徴する自然の恩恵に背を向け、悲観に暮れている。黒い服の女性が、彼女を姉妹を見るかのように佇んでいるのだが、それにも気づかない。

ゴーギャンは、ゴッホにも、現実を見るのではなく、空想で描くように強く勧めた。

しかし、ゴッホの本質は、「見ること」にある。
オランダ時代のゴッホが最も重視したことは、ありふれた光景を長い間見つめることだった。ポリナージュの炭鉱の街のごくありふれた情景を、「実に独特」であり、「物珍しい光景」だと感じるまで見つめること。
その姿勢は、彼が読んだモーパッサンの小説論によって、19世紀後半の芸術論として認定されていた。「才能とは長い忍耐だ。— 問題は、表現したいと思うものを長い間、十分な注意を払って見つめ、まだ誰からも見られず、言われもしなかった一面を、そこから見つけだすことだ。」

しかも、空想を描き出すことは、ゴッホにとっては、狂気と直結した。
彼は、狂気の発作に襲われたサン・レミの療養所で、自分の病についてはっきりと自覚し、次の様に書いている。
「発作中は、想像するところのものを、全て現実だと思ってしまう。」
だからこそ、ゴッホは、現実を見つめ、彼の眼に飛び込んでくる現実を描こうとする。

「赤いぶどう畑」に関して言えば、実は、実際の観察の後、ゴーギャンの勧めに従い、記憶に基づいて描かれたものだと言われている。
しかし、描き出されている光景は、ゴッホの目に見え、彼がそこから感じ取った「物珍しい光景」だ。
数多くの人々が、脇目も振らず、働いている。彼等がいるのは、広大な自然の中。空間が無限に広がり、彼方に浮かぶ黄色の太陽が、全てを黄色の光で照らしだす。
ゴッホの目は、黄と青、赤と緑という、補色にある色を通して、そうした光景を捕らえている。
誰もが眼にするありふれたブドウの収穫の場面を見つめることで、ゴッホに見えたのは、「赤いぶどう畑」に描き出された光景なのだ。

同じ景色を前にして描かれたとしても、ゴーギャンとゴッホの絵はこれほど違っている。
二人の共同生活の破局は、避けがたいものだった。

ゴーギャンが、ヒマワリを描くゴッホを題材にした1枚が残されている。

Paul Gauguin, Van Gogh peignant des tournesols

ゴッホは、この絵を見て、「確かにぼくだ。しかし、発狂した時のぼくだ。」と言った、と伝えられている。確かに、疲れ果てて活気のない画家の姿は、ゴッホが直面したくない自分だっただろう。
しかし、それ以上に、この絵は、ゴーギャンの画風そのもの。奥行きがなく、絵具も平らに塗られている。では、精神的な何を象徴するのか? 狂気? あるいは死? ゴッホは、この絵の前で、息苦しくなったことだろう。

同じ時期にゴッホが描く自らの姿は、ゴーギャンのものとは全く違っている。

Vincent van Gogh, autoportrait

この自画像は、ゴーギャンと一緒にいる頃に描かれた。
しかし、耳切り事件の後、共同生活を振り返り、誰とも上手くやっていけない孤独なゴッホが、芸術家としての自己意識を高く保とうとした姿を先取りしている。彼は、事件をこう振り返る。

ゴーギャンと僕とは、根底のところではお互いに理解し合っていた。僕等が少しばかり気が変だったとしても、それが何だ。僕等は、骨の髄まで芸術家なんだ。絵筆で語ることによって、頭の煩わしさなど否認する。

ゴッホは、どんなことがあっても、画家なのだ。
そして、画家としてのゴッホは、アルルで、彼自身の世界を作り上げた。

黄色の世界

アルルで南フランスの太陽に照らされたゴッホは、オランダ時代には嵐によって引き起こされた自然の活力が、アルルでは太陽によって活性化される体験をする。

自然が実に美しい近頃、時々、僕は恐ろしいような透視力に見舞われる。ぼくはもう自分を意識しない。絵は、まるで夢の中にいる様な具合に、僕のところにやって来る。

このようにして、彼は、太陽に焼かれながら、「黄金色の風景」を描く。

Vincent van Gogh, Champ de blé en Arles

麦畑が限りなく広がり、遠くに汽車が見える。中景では、小さく描かれた二人の農夫が働いている。ごく平凡な田舎の風景。
しかし、ゴッホは、ここに「驚くべきもの」を見る。この光景には、無限と永遠の他は何も見えないが、彼には海のように美しい光景だ。しかも、そこには働く人間がいる。
オランダ時代に大地の色で労働者を描いたゴッホが、アルルでは太陽の黄色で、麦も人も、全てを描く。

プロバンス地方に行っても、同じ光景が眼に飛び込む。ただし、空には補色の青が広がる。

Vincent van Gogh, Moisson en Provence

絵を描くという労働に向かう画家は、青い服を着、手にする画板は黄色。背後には黄色の麦畑が広がり、遠くに見える街並みは青い。

Vincent van Gogh, The Painter on His Way to Work

天気の悪い日には、部屋に籠もり、ベッドや椅子を描く。

今度の絵は、極めて単純な僕の寝室の絵だ。ここでは、色彩だけがものをいう。色彩の単純化が、物に大きな様式を与える。つまり、誰にも共通な休息と眠りを暗示しようというのだ。

Vincent van Gogh, La Chambre à Coucher 
Vincent van Goch, Chaire

この椅子は何を表現しているのかと、問う人がいるかもしれない。
その答えは、黄色い椅子そのもの。

オランダ時代に、農民は農民でなければならないと強く主張したゴッホ。全く同じように、アルルでも、椅子は椅子でなければならないと言っただろう。
ゴッホの眼に凝視された椅子は、人が座るものだとか、誰かの椅子だとかいった通常の属性をなくし、純粋に色と形として捉えられる。別の言葉で言えば、椅子は椅子そのものに他ならず、椅子として実在するようになる。
その実在性が、ゴッホには、休息と眠りを与えたのだろう。

黄色は、ものの実在生を示す、ゴッホ的色彩になる。
空から太陽が消え、暗くなってからも、家やカフェのテラスが黄色で描かれる。

Vincent van Gogh, La maison jaune
Vincent van Gogh, Terrasse du café

ゴッホが最もこだわりを持ち、何度も何度も模写したミレーの「種まく人」の中にも、黄色が使われる。
すでに見た浮世絵的構図の「夕日の中の種まく人」でも、夕日をバックにした別の「夕暮れ時の種まく人」にも、黄金色に輝く太陽が描かれる。

Vincent van Gogh, The Sower at Sunset

手前の青い大地が、後方の黄色い麦畑と、補色関係によってはっきりとした対照を生み出す。そして、無限に広がるように感じられる空間に、くっきりと黄色い太陽が位置を占め、短く太い絵具の塊が世界全体を光で包むように輝いている。

この黄金色の太陽は、ドラクロワの「嵐の中で眠るキリスト」に由来するという説がある。

Eugène Delacroix, Christ endormi pendant la tempête

大きな嵐に揺られる小舟の上で、人々は大混乱に陥っている。しかし、キリストは右手を枕にして、静かに眠りについている。そのキリストの頭には、金色の後光が丸い輪を作り、輝いている。

ゴッホにとって、キリストとは芸術家に他ならない。

キリスト一人だ。あらゆる哲学者、魔術師たち、その他の中で、キリスト一人だ。永遠の生と、不死こそ確実であると断言し、平安と献身との必要、その存在理由を確言したのは。彼は清らかに生きた。芸術家中の最大の芸術家として、大理石も粘土も色彩も軽蔑して、生きた身体で働いた。つまりこの未聞の、ほとんど考えがたい芸術家は、馬鹿げて神経質な、僕たち現代人の頭脳の、とんまな手段を用いて絵も描かなかったし、彫刻も作らなかった。本も書かなかった。彼は堂々と断言した。彼は、生きた人間を作った。不死の人間を作った。

ゴッホは、制度としてのキリスト教には失望し、深く幻滅していた。しかし、決して宗教精神を捨ててしまったわけではなく、その反対に、常に「聖なるもの」を心に抱いていた。
日本の美を愛するのも、「自ら花となって、自然のうちに生きている単純な日本人たちが、僕たちに教えるものは、実際、宗教といってもいいのではないか。」と言うように、自然と人間が一つになった自然宗教とでも呼べる日本的な宗教感情のためだった。
ゴッホは、ドラクロワのキリストの上に見出した聖なる丸い光を、アルルの太陽の黄色い光へと移植した、と考えてもいいだろう。

黄色の光は、夜も消えることがない。彼は、夜になると、星を描くために外出する。星は黄色に輝き、町の光も河に黄色く反映する。

Vincent van Gogh, Nuit étoilée sur le Rhône

こうした聖なる光の典型が、黄色のヒマワリである。数多く描かれたヒマワリの中でも、15本が花瓶の中に収められた作品では、背景さえ黄色に描かれ、世界全てが黄色に彩られている。

Vincent van Gogh, Vase avec 15 tournesols

咲き誇っている花もあれば、すでに枯れている花も、これから枯れていく花もある。地上にある全てのものは、時間の経過とともに、消えていく。春夏秋冬と季節は移り変わり、永遠に続くものはない。
しかし、季節は再び巡ってくる。満開に咲き誇った桜はすぐに散ってしまうが、来年の春にはまた美しい姿で咲き誇る。
それぞれの季節に美を見出す日本的な感性は、儚いもの、消え去るもの、流れ去っていくものを愛惜する。しかし、その根底には、季節は巡り、自然は永遠に生き続けるという、心に秘めた確信がある。
不動のものではなく、絶えず流動するものの中に、永遠を感じ取る感性。

ゴッホは、「恐ろしいような透視力」で、アルルの太陽に、日本的な感性と同様の、流動する永遠のエネルギーを読み取ったのではないだろうか。
彼の描くヒマワリは、アルルの太陽の実在性を見る者に強く感じさせる。

1889年1月、入院させられていたアルル市立病院で、ゴッホは、「前年の夏、自分の到達し得た高い黄色の色調」のことを考える。
その黄色の世界こそが、画家として働き、伝道師として伝えようとした、聖なるものを通した人間性の伝達という、ゴッホが常に目指してきた絵画の到達点だと言ってもいいだろう。

Vincent van Gogh, L’Hôpital d’Arles

その後ゴッホに残された時間は、一年数ヶ月。彼は、サン・レミとオーヴェル・シュル・オワーズで、精神の病と対峙しながら、創作活動を行うことになる。

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