ボードレール 理想とモデル 1846年のサロン

Dominique Ingres, L’Odalisque à l’esclave

ボードレールの絵画論では、現実の対象を見ずに、空想だけで描いたり、過去の傑作をベースにして新しい絵画を描くことは否定された。
絵画は、あくまでも現実のモデルがあり、そこから出発しなければならない。

しかし、モデルをそのまま忠実に再現するのでは、絵画はモデルのコピーでしかないことになる。

『1846年のサロン』の「理想とモデルについて」と題された章で、ボードレールは、線やデッサンを中心にした絵画に焦点を当てながら、モデルとなる対象と、描かれた理想象について考察する。

美の基準 思い出

ボードレールは、美の基準は「思い出(souvenir)」であると考える。
ただし、その思い出は、現実に体験した過去の出来事の思い出ではなく、人間の魂の中で明かされた、自然の最も注目すべき様相であり、超自然な(surnaturel)原型である。
https://bohemegalante.com/2020/08/26/baudelaire-delacroix-salon-1846/2/

J’ai déjà remarqué que le souvenir était le grand criterium de l’art ; l’art est une mnémotechnie du beau : or l’imitation exacte gâte le souvenir. 

すでに述べたように、思い出が芸術の最も重要な基準である。芸術は、美を思い出す技術。正確な模倣は思い出を損なうことになる。

画家は、魂の中にある超自然な美の原型に基づき、描くべき対象を観察し、分析する。そして、対象から素材を選択し、結合する。
従って、描かれた像は、一見モデルの再現のように見えるが、実は、美の原型を現実化したものでもある。
「芸術は美の想起術(mnémotechnie du beau)」という言葉は、そうした芸術観を意味している。

そのことがわかると、正確な模倣がなぜ思い出を損なうかも理解できる。
正確な模倣とは、現実にある自然そのものの再現であり、超自然な原型とは関係がない。従って、それを美として提示することは、美の原型を歪めることになる。

線(デッサン)による再現

絵画の伝統の中で、線を重視する絵画と色を中心にする絵画があり、自然の事物を描く(再現する)場合には、線(デッサン)が重視された。
そこで、ボードレールも、現実の事物をモデルとする場合には、線を考察の中心におく。

デッサンは、無数の線の組み合わせであり、究極的には、大きさの異なる直線を折り曲げたり、凹凸を付けたりしながら、モデルの形を辿ったものだといえる。

その際に画家がすべきことは何か?

La première qualité d’un dessinateur est donc l’étude lente et sincère de son modèle. Il faut non seulement que l’artiste ait une intuition profonde du caractère du modèle, mais encore qu’il le généralise quelque peu, qu’il exagère volontairement quelques détails, pour augmenter la physionomie et rendre son expression plus claire.

デッサンをする画家にとって最も価値のあることは、時間をかけ、誠実に、モデルを研究することである。単に直感だけでモデルの特質を深く感じるというのではなく、その特質をある程度まで一般化し、細部を意図的に強調する。そのようにして、モデルの内的な性質(人相)を強め、表情をより明確に表現しなければならない。

現実に存在する事物は何一つ理想ではない。
理想を実現するためには、事物を変形する必要がある。ただし、一般化や細部の強調をしすぎてはいけない。

ボードレールが最もいい例と考えるのは、原始人たちの描画である。

(…) l’art pour se perfectionner revient vers son enfance. — Les premiers artistes aussi n’exprimaient pas les détails.

芸術は、完成されるに従って、芸術の幼年時代に戻って行く。ー 最初の芸術家たちは、細部を表現しなかった。

ラスコーの洞窟に描かれた素描は、細部まで詳細に描かれてはいないが、全体として見事な表現になっている。
ここに芸術の一つの極地がある。芸術の幼年時代において、一つの美の理想が表現されたといってもいいだろう。

ボードレールは、デッサンを中心とした表現について、さらに考察を進める。

Le dessin est une lutte entre la nature et l’artiste, où l’artiste triomphera d’autant plus facilement qu’il comprendra mieux les intentions de la nature. Il ne s’agit pas pour lui de copier, mais d’interpréter dans une langue plus simple et plus lumineuse.

デッサンは、自然と芸術家の間の戦さである。芸術家がそこで容易に勝利するのは、自然の意向をよりよく理解する時だろう。重要なのは、コピーすることではない。よりシンプルで、より輝かしい言葉で、解釈することである。

正確さを求め、モデルの細部まで再現し、モデルを複製することが目的ではない。
そのことを強調するために、ボードレールは「コピーする(copier)」ではなく、「解釈する(interpréter)」のだと言う。
自然に勝利するとは、自然の真似をすることを止め、自然を解釈して、よりシンプルで、より輝かしい姿を作り出すことなのだ。

一人一人がハーモニー

ボードレールにとって、芸術の目的は「美(beau)」の創造である。
美とは、別の言葉で言えば、「理想(idéal)」。

現実の世界では、どんなに美しいものでも、理想の美そのものではありえない。
世界で最高の美女を忠実に再現しても、美の典型とはならない。
としたら、一人の美しい女性をモデルにして、どのようにして理想の美を生み出すのか?

前提となるのは、この世には、一人として、一つとして、完全に同じものはない、ということ。
一つの型を使ったとしても、出来上がったものは全て違っている。
言い換えると、自然は、絶対的なものも、完璧なものも、何一つ生み出してはいない。全ては違っていて、無限の多様性を示している。

そうした一人一人が誰とも違うという認識に基づいた上で、ボードレールはこう言う。

Chaque individu est une harmonie ; car il vous est maintes fois arrivé de vous retourner à un son de voix connu, et d’être frappé d’étonnement devant une créature inconnue, souvenir vivant d’une autre créature douée de gestes et d’une voix analogues.

一人一人が一つの調和(ハーモニー)である。なぜなら、何度も経験があると思うが、知っている人の声が聞こえて振り返ったり、知らない人を前にして、身振りや声が似ている別の人の思い出が生き生きと甦り、びっくりしたりする。

Hippolyte Flandrin, Jeune homme nu assis sur le bord de la mer

人間には類型があり、似ている声、似ている身振り、似た顔などがあり、一人の人間はそうした特色の集合体に他ならない。

そして、「それぞれの個人が一つの調和(ハーモニー)である」とすると、顔の表情、身体の形状、姿勢、動作等が、一定の法則に基づいて組み合わされ、調和の取れた状態で一人の人間を形成していることになる。

絵画で言えば、一本の線は同じでも、その組み合わせで、異なったデッサンが描かれる。
とすれば、理想像は、個々の存在から何らかの要素を取りだし、それらを理想的に調和させたものだといえる。

Ainsi l’idéal n’est pas cette chose vague, ce rêve ennuyeux et impalpable qui nage au plafond des académies ; un idéal, c’est l’individu redressé par l’individu, reconstruit et rendu par le pinceau ou le ciseau à l’éclatante vérité de son harmonie native.

理想とは、漠然としたものでも、アカデミーの天井に浮かび、感覚で捉えられない退屈な夢でもない。一つの理想、それは個人によって作り直された個人であり、絵筆やノミによって再構築され、生来の調和の輝かしい真実へと送り返されたものなのだ。

普遍的な美の理想があり、絵画は常に理想の美の表現を目指すとすれば、空想的な天使や女神だけが絵画の対象になり、退屈なものになってしまう。

ボードレールはここであえて、理想という言葉に不定冠詞を付け、一つの理想(un idéal)としている。
そのことは、現実世界の一人一人と同じように、多様な美があることを認めていることになる。
その美は、一人の芸術家が、現実の一つの人や物を対象にするところから生まれる。
彼は、超自然的な存在である「生来の調和」を通して対象を捉え、対象から素材を取りだし、再構築して、「もう一つの調和」を創造する。

(<>を左右に動かすと、二つの絵画の比較ができます。)

画家は、魂の中の美に基づき、現実のモデルを素材とし、具体的な美の姿を画布の上に描き出す。
「一人一人が一つの調和(ハーモニー)である。」
そのハーモニーのトーンは、画家の「気質から引き出される理想の美(beaué idéale du tempérament)」によって奏でられる。

同じ東洋の室内を描いても、アングルとドラクロワでは、明らかに違っている。
二人の絵画は、異なるハーモニーを奏でるのである。

ボードレールの絵画論は、モデルを抜きにして考えることはできない。画家は、モデルを通して理想に達するのだ。

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