サン=テグジュペリ 『星の王子さま』 冒頭の一節 Antoine de Saint-Exupéry Le Petit Prince 20世紀のロマン主義

『星の王子さま(Le Petit Prince)』(1943)は、世界中で人気があり、誰もが一度は題名を耳にし、作者であるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900-1944)自身が描いた可愛らしい男の子の絵を見たことがあるだろう。

日本でも高い人気を誇り、1953年の内藤濯(あろう)訳以来、20種類以上の翻訳が出版されてきた。

ところが、実際に読んだ人たちの感想は、二つに分かれるようである。
一方では、感激して、絶賛する人々がいる。反対に、最後まで読んだけれど訳が分からないとか、途中で投げ出した、という読者もいる。
そうした極端に分かれる感想の違いは、どこから来るのだろう。

『星の王子さま』の中心的なテーマは、「心じゃないと、よく見えない。本質的なものは、目に見えないんだ。(L’on ne voit bien qu’avec le cœur. L’essentiel est invisible pour les yeux)」という表現によって代表されると考えられている。
この考えが、ロマン主義的だということを確かめ、ロマン主義的な思考に基づいて冒頭の一節を読んで見よう。

ロマン主義的な思考では、2つの世界が対立的に捉えられる。
一つは、目に見える物質的、物理的な現実世界。
もう一つは、取り戻すことのできない幸福な過去や、想像力が作り出す夢の世界。それらは、最終的には、心の中に思い描く世界の表現だといえる。

その対立する2つの世界のうちで、現実世界は、功利的で偽りに満ち、非人間的な世界と見なされる。それに対して、現実では決して到達できない世界こそが真実の世界だと考えられる。
ロマン主義的主人公は、現実の悲惨を嘆き、心の中にある理想世界へ到達することを夢見る。
例えば、ラマルティーヌの「湖」の男性であれば、愛する女性と共に過ごした昨年の思い出を、メランコリックに懐かしむ。そこにロマン主義的抒情が生まれる。
https://bohemegalante.com/2019/03/18/lamartine-le-lac/

このように考えると、表面的で偽りの世界である現実を否定し、現実を超えた目に見えない世界を本質的な世界とする『星の王子様』の世界観が、ロマン主義的であることがわかるだろう。
肉体の目ではなく、心の目が、真実を見せてくれる。

いわゆる現実的な人にとって、こうした考え方は話にならないだろう。夢が現実よりも真実などと考えることは馬鹿げている。現実こそが全てであり、科学で証明できないことは誤りである。等々。

『星の王子さま』は、そうした人々を「大人の人たち(les grandes personnes)」と呼び、彼等を煙に巻く挿話から始まる。
それは「ぼく(je)」がパイロットになる前の話で、6歳の「ぼく」が描いたという絵が効果的に用いられる。

ところで、作者であるサン=テグジュペリは、挿絵を自分で描き、絵の大きさと場所にまでこだわったという。
そのことは、絵と文字が共鳴し、『星の王子さま』が「読者の中にいる子供の心」に訴えかける物語であることを示している。

 Lorsque j’avais six ans j’ai vu, une fois, une magnifique image, dans un livre sur la Forêt Vierge qui s’appelait « Histoires Vécues ». Ça représentait un serpent boa qui avalait un fauve. Voilà la copie du dessin.
 On disait dans le livre : « Les serpents boas avalent leur proie tout entière, sans la mâcher. Ensuite ils ne peuvent plus bouger et ils dorment pendant les six mois de leur digestion. »

 6歳の時のこと。ぼくは一度、すごい絵を見たことがあった。「未踏の森」についての本で、『本当の話』という題名だった。それは、ボアというヘビが一匹の動物を呑み込んでいるところを描いていた。これがその絵の写し。
 本の中にはこう書いてあった。「ボアは獲物を噛まずに丸ごと呑み込む。その後は動けなくなり、消化する六ヶ月の間、眠っている。」

(少しゆっくり目の朗読。場面が目に浮かんでくるような感じがする。)

「これがその絵の写し(Voilà la copie du dessin)」という文で参照されるのは、ヘビが獲物を呑み込んでいる、最初に掲げられた挿絵。
この文は、絵と文字が連動していることを明確に示している。

挿絵を見て気づくのは、ヘビも動物も獰猛な様子ではなく、少しコミックな感じがすること。呑み込まれている動物の顔はびっくりしているように見えるし、大きな口を開けたヘビも優しそうな顔をしている。決して現実的な絵ではない。
こうした挿絵が、『本当の話(Histoires Vécues)』という題名の本に描かれていたとしたら、話の内容も現実の体験談とはかなり違っていたのではないだろうか。
ちなみに、フランス語版のwikipediaでBoaの項目を見ると、掲載されている絵や写真はとてもリアルで、恐ろしげな感じがする。

サン=テグジュペリ自身の描いたヘビの絵は、後に語られるパイロットと王子さまの物語が、「本当の話」でありながら、決してリアルなものではないことを予告していると考えてもいいだろう。

「ヘビのボア(serpent boa)」に関して、読者は、百科事典等で調べたり、様々な知識を持ち込むのではなく、サン=テグジュペリの挿絵を参照するだけでいいし、それだけにしておかないといけない。
それが、『星の王子さま』の世界に入る最初の扉なのだ。

次に出てくる絵は、「ぼく」が6歳の時に描いたもの。大人の語り手が描いた最初の絵とはずいぶんと違っている。

 J’ai alors beaucoup réfléchi sur les aventures de la jungle
et, à mon tour, j’ai réussi, avec un crayon de couleur, à tracer
mon premier dessin. Mon dessin numéro 1. Il était comme ça :

 それから、ぼくはジャングルで起こる色々なことを随分と考えた。そして、自分でも、色鉛筆を使って最初の絵を描くことに成功した。第一号の絵。それはこんな風だった。

この絵を見て、読者は何だと思うだろうか。
この絵から、ジャングルやボアを思い浮かべる人がいるだろうか。

私たち読者はここで一度立ち止まり、じっくりと茶色の塊を見る必要がある。そして、これは何だろうと考える時間を持つこと。それを、サン=テグジュペリは望んだに違いない。
この絵は、6歳の「ぼく」にとっての「傑作(chef-d’œuvre)」なのだ。
私たちもここで少し時間を取り、茶色の塊を見て、それが何を描いているのか考えると、『星の王子さま』の世界にもう一歩入っていくことになる。


 J’ai montré mon chef-d’œuvre aux grandes personnes et je
leur ai demandé si mon dessin leur faisait peur.
 Elles m’ont répondu : « Pourquoi un chapeau ferait-il
peur ? »
 Mon dessin ne représentait pas un chapeau. Il représentait un serpent boa qui digérait un éléphant. J’ai alors dessiné l’intérieur du serpent boa, afin que les grandes personnes puissent comprendre. Elles ont toujours besoin d’explications. Mon dessin numéro 2 était comme ça :

 この傑作を大人の人たちに見せて、ぼくの絵が怖いかどうか尋ねた。
 大人たちはこう応えた。「どうして帽子が人を怖がらせるの?」
 ぼくの絵は、帽子を描いているわけではなかった。ヘビのボアが一頭の象を消化しているところを描いていた。そこで次に、ボアの体の内部を描いた。大人が理解できるようするためだった。大人はいつでも説明が必要なのだ。第2号の絵は、こんな風だった。

茶色の塊を帽子だと思う読者は、子供の目から見た「大人(grande personne)」と同じ存在になってしまう。もし、「怖い?」と尋ねられたら、同じように、「どうして帽子が怖いの?(Pourquoi un chapeau ferait-il
peur ?)」と聞き返すだろう。

「大人」は、物質的で物理的な現実、目に見え、手で触れることができる物しか見えないし、信じない。
普通に生きている限り、それ以上の何かを想像することはしないでいる。
この絵が、象を呑み込んだヘビを描いているとわかるためには、説明してもらわないといけない。

普通の大人は、6歳の「ぼく」の言うことなど、馬鹿げていると思うだろう。『星の王子さま』に否定的な意見を持つ読者たちは、そうした大人に属するに違いない。
その一方で、「ぼく」の言葉にハッとして、茶色の塊の内部に思いが至らなかった自分を見直し、次は想像力を働かせて、内部を見たいと思う読者もいる。

よく見るためには心で見ること。大切なものは目に見えない。
そうした言葉の具体的な例が、この最初の挿話で示されていることが理解できるだろう。
6歳の「ぼく」の描いた絵を見て、帽子にしか見えないのは、心の目で見ていないから。大切な物、つまりボアと象を見るためには、心を動かさないといけない。

しかし、一般的に、大人は子どもに、いつまでも夢に浸っていないで、現実を見るように促す。

 Les grandes personnes m’ont conseillé de laisser de côté les dessins de serpents boas ouverts ou fermés, et de m’intéresser plutôt à la géographie, à l’histoire, au calcul et à la grammaire. C’est ainsi que j’ai abandonné, à l’âge de six ans, une magnifique carrière de peintre. J’avais été découragé par l’insuccès de mon dessin numéro 1 et de mon dessin numéro 2. Les grandes personnes ne comprennent jamais rien toutes seules, et c’est fatigant, pour les enfants, de toujours et toujours leur donner des explications..
 J’ai donc dû choisir un autre métier et j’ai appris à piloter des avions.

 大人たちはぼくに、内部が見えていようと、見えないものであろうと、ボアの絵はやめにして、地理や、歴史、計算、文法に興味を持つようにと忠告した。そんな風にして、ぼくは6歳の時、画家という素晴らしい職業を諦めてしまった。一号の絵も2号の絵も成功しなかったので、がっかりしたからだ。大人は、自分たちだけでは決して何も理解しない。いつも、いつも説明しないといけないのは、子どもたちにとって疲れることだ。
 そのために、ぼくは別の仕事を選ばないといけなくなり、飛行機の操縦を勉強した。

現実の世界で生きていくために必要なものは、目に見えないものを心の目で見ることではない。実用的なこと、ここで言うならば、地理、歴史、計算、文法を学び、地道な職業に就くこと。それが一般的な大人の考えだ。
霞を食べて生きていくことはできない。

「ぼく」は、そうした大人たちに絵を見せ、一回一回説明することに疲れてしまい、心の目で見る世界に生きる道を捨て、パイロットになる選択をしたのだという。

このように、『星の王子さま』の冒頭の一節では、「ぼく」と「大人たち」の世界が対比的に浮かび上がってくる。
その上で、茶色の塊を差し出された時、説明されなくてもボアと象の姿だとわかる感受性が魅力的だと感じられるように、3つの挿絵を使いながら、「ぼく」の話が進められている。
後は、読者が、直感的にボアの内部を見ることができるようになりたい、あるいはそうした人をいいなと思えるかどうかの問題になる。

『星の王子さま』の冒頭の一節は、文と絵が協力し、パイロットと王子さまの物語の入り口を精巧に作り上げている。

語り手の「ぼく」は、6歳の時、「未踏の森(la forêt vierge)」に関する本の中で、ボアが獲物を呑み込む絵を見た。「未踏(vierge)」とは、まだ誰も足を踏み入れたことのないという意味。未踏の森はまったく新しい世界であり、ボアはその世界の生き物。絵を見る限り、空想の世界のように見える。
ところが、本の名前は『本当の話(Histoires vécues)』。「本当の」と訳したvécuは、「生きられた」という意味。従って、未踏の森だけでなく、ボアの絵も、実際に生きられた世界に属しているものになる。

「未踏」と「本当の、生きられた」の組み合わせは、現実的な世界観を転換する巧みな仕掛けになっている。
一般的に現実だと考えられるのは、手に触れ目に見える物質的感覚的世界。ここでは、それとは別の世界が呼び起こされ、その世界こそが「生きられた(vécu)」世界であり、本当の世界、「本質的なもの(l’essentiel)」だとされる。

現実は違う世界を仮定し、そちらが真実の世界だと考えるのは、プラトン哲学における現実とイデアの関係と同じである。
ロマン主義的世界観では、イデア界を心の中にあるものと考える。そして、決して到達できない心の中の理想(夢、過去等)に憧れる気持ちを、メランコリックな抒情性として表現する。

目に見える茶色の塊=帽子しか見えない「大人」と、ボアの内部が見える「子ども」。その対比の中で、子どもに優位を置くとしたら、ロマン主義的な感受性に基づいていることになる。

6歳の「ぼく」が描いた最初の絵を見て、象を呑み込んだボアを見ることは、肉体の内面に心の世界を見出すことと対応する。
それは、大切なものとは肉体の目には見えない内面であり、心の目で見なければならないという、『星の王子さま』の根本的な思想を具現化したイメージだといえる。

さらに、これから語られる星の王子さまとの出会いも、未踏の地で起こった物語であり、実際に体験した本当の話。それは心の中で起こったことだということになる。

6歳の「ぼく」を心の中に抱いたまま大人になったパイロットは、飛行機のエンジン・トラブルでサハラ砂漠の中に不時着し、不思議な男の子と出会うことになる。それ以降の物語を読み解く鍵は、帽子とボアの絵によって最初に与えられている。

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