映画の倫理と時代の倫理 終戦直後の小津安二郎作品

私たちは特別意識しないままに、今生きている時代、今生きている場所に流通する倫理観を持っている。そして、その倫理観に基づいて、物事を判断し、自分の行動を決定したりする。

そうした時代性、地域性を意識しないと、自分の持っている倫理観が、全ての時代、全ての人間に共通していると思い込む可能性がある。
また、意識したとしても、別の倫理観を受け入れられないこともある。

古い映画を見るとき、共感できることもあれば、感情的に反発することもある。それは、映画の中で描かれた社会の倫理観と自分の持つ倫理観と関係している。
映画は、映像と音声によって作られる擬似的な世界。観客はフィルムが続く間、その世界を体感する。つまり、現実の世界と類似した経験をするのであり、必然的に倫理観も同様に働く。

映画としての価値とは別の次元で、倫理観や価値判断が働き、好きな映画、受け入れられない映画の違いが出てくる。
そうしたことを、小津安二郎監督が終戦後に制作した「長屋紳士録」から「東京物語」までの6本の映画を通して考えてみよう。

小津安二郎監督といえば、低い位置に置かれたカメラから撮られた映像、類似したテーマの反復、独特のセリフまわし、伝統的な日本の美の追求等、「小津調」と呼ばれる独特の世界を作り上げたことで知られている。

小津映画にはアクション映画のような派手さはなく、スリルも、サスペンスも、スピード感もない。家族の中での人間的な葛藤が、ゆったりとした流れの中で淡々と語られていく。
そこで描かれる人間ドラマが日常から離れることはなく、その時その時の社会の状況を反映している。
その意味で、時代に密着した映画だということができる。

シンガポールで1945年の終戦を迎えた小津は、1946年にやっと日本に帰国することができ、翌47年に「長屋紳士録」を、48年には「風の中の雌鶏」を制作した。
この二つの作品は、敗戦後の日本の庶民の生活を真正面から取り上げたもので、貧しい中で何とか生き抜いていく人間の姿を描いている。

1949年には、初めて原節子が小津作品に登場した「晩春」が制作され、51年の「麦秋」へと続く。この2本は、当時のブルジョワ階級の生活が取り上げられ、物語の焦点は原節子演じる紀子の結婚問題に絞られる。

1952年の「お茶漬けの味」になると、上級階級の妻と中産階級の夫のすれ違いがテーマとなり、夫婦の葛藤を通して復興に向かいつつある日本社会のあり方が問われている。

このような過程の後、小津映画の最高傑作といわれる「東京物語」が1953年に制作された。
この映画の中では、すでに貧困から抜け出した庶民の姿が描かれる。
その中で、都会に出た子供たちと田舎に残る老夫婦の感情的なズレが中心になり、老夫婦にとっての救いが義理の娘である紀子(原節子)とすることで、家族愛の問い直しが行われた。

血の繋がらない子供にいつしか愛情を注いでしまう女性の感情を中心に描いた「長屋紳士録」から、戦死した息子の嫁が実の子供以上に親への孝行を尽くすという「東京物語」まで、家族を中心にした人情の機微が中心的なテーマになっていることがわかる。

こうしたテーマをたどることは、決して映画そのものの質を問うものではない。あらすじは映画の一部に過ぎず、物語の過程で感じられる価値観や倫理観が映画の価値を決めるものではない。

しかし、映画は疑似的な現実世界を作り出し、私たちはその世界を体験する。
終戦後すぐの作品であれば、当時の世相が描かれるだけではなく、その時代を生きる日本人の心持ちも同時に表現される。
1947年(昭和22年)から1953年(昭和28年)という限られた期間に次々に発表され続けた6本の小津作品は、当然、敗戦後の日本の荒廃とどん底からの復興を反映している。

それらは、2020年の現在から見れば、すでに歴史に属す過去であり、社会の状況も精神的な状況も現在とはかなり異なる社会であることは確かである。
観客である私たちも、現代社会の心性に規定され、個人的な差異もある。
そうした差異と親和性の複雑な関係の中で、小津映画が提示する家族内の人情を中心にした人々の行動に対して、私たちは知らぬ間に感動したり、どうしても受け入れられなかったりする。
そして、それが映画の好き嫌いを決定し、善し悪しの判断基準にもなったりする。

6本の映画の中でもどうしても受容できないエピソードがある。
「風の中の雌鶏」の最後に近いシーンで、夫が妻を突き飛ばし、階段から真っ逆さまに落としてしまう。それだけではなく、妻を助けようともせず、二階に留まったままでいる。

妻・時子(田中 絹代)は、夫・雨宮修一(佐野周二)が出征している間、苦しい生活の中で、病気になった子供を入院させるための費用を工面するために、一度だけ身を売ってしまう。
復員後、それを知った夫が妻を受け入れられず、問題のシーンに至ったのだった。

その後、時子が足をひきずりながら二階に戻り、修一も「過ぎたことは忘れて二人でやり直そう」と言い、二人は抱き合うというラスト・シーンが待っているのだが、少しも納得できない。

階段のシーン、小津映画には珍しく激しき動きがあり、視覚を通じて心を動かすという意味では映画的な場面といえるかもしれない。
しかし、どんな感情からであろうと、妻を階段から突き落とし助けにもいかない夫の行動を、到底受け入れることはできない。
従って、その後、さらに妻が自分の「過ち」の許しを請い、最後は夫が折れるという物語の展開は、説得力がないと感じる。

小津監督自身が、「風の中の雌鶏」を「あまりいい失敗作ではなかった」と語っているために、この作品は悪評に晒されることが多い。その場合には、戦後の世相といった社会状況の描き方から俳優の演技にまで及ぶことがあるが、そうした点では他の作品とそれほど違っているわけではない。
むしろ、物語を通してにじみ出てくる倫理観が大きな違和感として感じられ、作品の評価に影響しているのではないだろうか。

その意味では、小津作品の中心的なテーマとなる娘の結婚も、現代では違和感をもたらす要素になりうる。
家族全体が、娘の結婚を「心配」する。父だけではなく、叔母も娘を早く嫁にいかせようとあくせくする。そこに娘の意志が介入する余地は残されていない。
そうした心性は1980年から90年にかけてのバブル時代にまで続いていて、当時、25歳を過ぎるとクリスマスの後のクリスマスケーキ、つまり投げ売りになるなどと言われた。現在はすでに流通せず、顰蹙を買うような言葉を誰もが平然と口にしていた。
従って、小津映画の結婚問題は、社会通念上の常識に則っていたのであって、小津は当時当たり前であったことをテーマにしているにすぎない。

「麦秋」は小津映画として初めてヒットした作品と言われているが、ここでもやはり娘の紀子(原節子)の結婚が遅れているということで、家族のみんなが心配し、父・間宮康一(笠智衆)は自分の選んだ相手を紀子に受け入れさせようとする。紀子がそれを拒否すれば、彼女の我が儘だと言われる。
最後に、紀子は、古くからの知り合いで、すでに子供がいる矢部謙吉(二本柳寛)の母親たみ(杉村春子)から懇願され、謙吉との結婚を承諾する。

小津監督や脚本を書いた野田 高梧によれば、この作品は、紀子の結婚問題を中心にしながらも、祖父母、両親、兄夫婦と子供といった家族全体が取り上げられ、世代の移り変わりを通して輪廻的な世界観とか無常観を描こうとしたという。
しかし現代の観客からすれば、押しつけの結婚に違和感を抱くこともあるに違いない。

ただし、結婚そのものに関しては、現代でもプレッシャーがあり、結婚すれば子供が欲しいという思いが自然だと思われている。
そのために、それほど神経質にならずに「晩秋」を見ることができる女性たちもいるだろう。

子供に対する感受性も戦後直後と現在ではすいぶんと違っている。
「長屋紳士録」では、田代さん(笠智衆)がたまたま連れてきた迷子の子供がみんなの邪魔物扱いされ、結局は、おたね(飯田蝶子)が引き受けさせられる。
彼女はその子供・幸平(青木放屁)に向かって邪魔だと平気で言うし、実の親を探しに一緒に行った茅ヶ崎の海岸では、幸平をそのまま置き去りにして逃げてしまおうとする。
現在の感受性からすると、こうした言葉や行為は子供の心を傷つけるものとして、非難の対象になるだろう。
大人が生きるのに必死な時代、子供だからといって可愛がり、他人の子供にまで情けをかける余裕はなかったに違いない。

ただし、おたねを演じる飯田蝶子の演技は、子供を邪険にしながらも、どことなくユーモラス。幸平もおたねの扱いに対して、まったくめげるところがない。むしろ、当時の子供の生きることへの貪欲さ、たくましさを感じさせる。

物語の途中から、おたねは幸平を自分の子供のように可愛がり、最後に実の父親が現れて子供が去った後は、涙を流す。
「わたしゃ、悲しんで泣いてるんじゃないんだ。あの子がどんなにうれしかろうと思ってさ。」というセリフは、かりそめであったとしても一旦生じた親子の情や、長屋に住む庶民の心根の優しさをこの上もなく巧みに表現している。
その感情は、戦後70年を経た現在でも心を打つものであり、何度見てもほろりとする。

繰り返しになるが、戦後の厳しい生活の中で子供を無条件に可愛いと感じる感受性は当時は見られず、現在とはずいぶんと違っている。
この映画で描かれているのは、子供だから可愛がるということではなく、生活が苦しい時代でも、親子の情が生まれると損得勘定なく愛しくなるという人間の情である。
そして、現代でも、おたねたちの倫理観や人情に対する感覚は変わらないために、私たちは「長屋紳士録」をすんなりと受け入れることができる。

「東京物語」も、倫理観や人間の情といった面で、現代とそれほど異なるところがない。
田舎にいる両親・平山周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)が、東京に出た子ども達を尋ねる。子ども達は歓迎する気持ちはあっても、生活に忙しく、なかなか相手をすることができない。
誰かに面倒を見させようとし、たらい回しにし、親孝行の形を装って年老いた二人を伊豆の旅館に行かせる。
親身になって二人の世話をしてくれるのは、戦死した息子の嫁・紀子(原節子)だけ。彼女の存在は、実の子供だからこその我が儘な言葉や行動を際立たせる役割を果たす。

老夫婦は、子どもたちの状況も気持ちも察していて、決して悪く言うことはない。せいぜい「仕方がない。」という言葉が出る程度。
最後、東京から尾道に戻って数日後、とみが危篤になる。そして、子供たちが尾道に戻った翌朝、とみはこの世を去る。

ストーリーは単純だが、その中で、親の子供に対する気遣い、子供の親に対する愛情と甘え等、現在でも日本の社会に流通する親子間の情が表現されている。私たちの持つ倫理観や価値判断が反発する要素はほとんどない。
もしあるとすれば、それはむしろ、時代性というよりも、個人個人が持つ固有の倫理観や価値判断と相容れないものと考えたほうが妥当だろう。
そのために、「東京物語」は、「風の中の雌鶏」のような違和感を感じさせず、すんなりと受け入れられる物語になっている。


小津安二郎監督が戦後すぐに発表した6本の映画を通して、映画の中の物語が表現する倫理観や価値観を考えてきた。
こうした観点は、決して、映画的な価値とは直結しない。映画は映像と音響によって生み出される疑似世界の体験であり、映像や音楽、セリフ、場面と場面の繋がり等々が大きな役割を果たす。

しかし、私たちはどうしてもストーリーの展開によって語られる物語から、倫理観や価値観を感じてしまう。そして、自分の持つ倫理で映画の倫理を判断しがちである。
そのことを意識化せずにいると、物語だけをたどり、共感できるかどうかだけで作品を判断してしまいがちになる。
そのような見方をすると、好きか嫌いか、感動したかどうか、共感できるかどうかなど、映画でなくても感じられるものものになってしまう。それでは、映画体験は限定的で、貧弱なものに留まる。

映画体験は、俳優の演技、画面の構図や色彩、場面と場面のつながるリズム感など多くの部分からできている。そして、映画としての説得力も、ストーリーだけから生じるのではなく、全ての要素が関係している。
そのことを意識することで、より豊かな映画体験ができるようになる。


ここで話題にした6本の映画の他に、「父ありき」「一人息子」「戸田家の兄妹」を加え、9作品が入ったDVDボックス「小津安二郎全集」が、1886円で発売されている。何と1枚210円弱。
小津映画の入門としては最適だろう。


コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中