ランボー 黄金時代 Arthur Rimbaud Âge d’or 詩句の音楽性

「黄金時代(Âge d’or)」は、ランボーの音楽性に富んだ詩の中でも、最も音楽性を感じさせてくれる詩。
詩句を口に出して発音すると、口の中に円やかな感覚が広がり、とても気持ちがよくなる。

他方で、何を言いたいのか考え始めると、訳が分からなくなる。
フランス人のランボー研究者でこの詩を大変に難しいという人が多くいる。
無理に解釈しようとすると、訳が分からなくなり、読むのが厭になるかもしれない。

詩句が奏でる音楽に身を任せ、Voix(声)という言葉が出てきたら、voixという音を口ずさみ、「声」と思うだけ。現実にある何かの声を探す必要はない。
詩は言葉によって成り立ち、詩の世界だけで自立している。「黄金時代」はそのことを実感させてくれる。

「黄金時代」の場合、耳で聞くよりも、口に含んでみる方が気持ちがいい。
それでも、まずは音を確認しておこう。(この朗読は気取りすぎていて、軽やかさにかけるので残念。)

Âge d’or

Quelqu’une des voix
Toujours angélique
– Il s’agit de moi, –
Vertement s’explique :

          黄金時代

いくつかの声の中の一つ、
いつでも天使のよう、
— ぼくのことだ —
生硬に自分のことを説明する。

一行5音節の詩句が4行、全てで20音の短い詩節。
短いだけに、韻がとてもはっきりと感じられる。voix – moi, angélique – s’explique.
angéliqueとs’expliqueの方は、iの音だけではなく、[ l [と [ que ]の音も一致し、豊かな韻になっている。

Quelqu’uneは、いろいろな声(voix)の中のどれか一つだけれど、何の声かははっきりしない。
音的には、quelqu’uneの[ y ]の音で口が閉まる方向に向き、voixで[ wa ]と開く。次いで、toujoursで[ u ]の音が連続し、最後は、angéliqueの[ ik ]と結ばれる。
最初の2行を口に出して言ってみると、口が緊張したり緩んだりする感じがはっきりと感じられ、それだけで気持ちがよくなる。
ランボーが難しいなどと言う前に、詩句を口に含んだ時の、音楽性が生み出す気持ちのよさを感じたい。

第3行目の Il s’agit de moi という挿入は、構文上、他の要素とつながりがなく、「私のこと」というのが何を意味しているのかはっきりしない。
天使のような声は私の内心の声の一つなのだろうか? 
それとも、その声が私に関して何か言うのだろうか? 
解釈は開かれている。
とにかく、moiは一行目のvoixと[ wa ]の音を共有し、韻を踏んでいるため、最初に言及される複数の声が「私」の内心の声と響き合っている。そのことが音によって感じられる。

Vertement s’expliqueは、「ある声の一つ(Quelqu’une des voix)」の述部であり、声が自分の言いたいことを説明する。その動詞で第一詩節の文が完成する。

ここで特に重要なのは、vertement。
この副詞は、烈しくとか厳しくという意味。しかし、Vertementの語幹には緑を意味するvertがあり、木々や植物の新鮮で生き生きとした様子を内包している。
そのために、天使のような声(voix angélique)に、緑色(vert)が重ね合わされ、厳しいとか烈しいといった意味では捉えきれないイメージが付け加えられる。

この第一詩節を読むだけで、ランボーの詩の魅力が伝わってくる。
意味は木の葉のように繊細に絡み合い、空に溶け込みそう。一方、音楽性が豊かで、読者の心を宙に舞い上げる。

Ces mille questions
Qui se ramifient
N’amènent, au fond,
Qu’ivresse et folie ;

そうしたたくさんの質問が、
枝分かれし、
導き出すのは、結局のところ、
陶酔と狂気だけ。

第2詩節では、最初からCesが使われ、「数多くの質問(mille questions)」がすでに何かわかっているものとして話し始められる。
しかし、それ以降も、質問の内容は明かされない。つまり、questionsという言葉だけがある状態。

さらに、その質問はse ramifierする。つまり、木の枝のように別れていく。
木の枝が分かれるという意味の動詞ramifierは、vertementに含まれる緑とつながる。

音の面からは、ramifierで二度繰り返される [ i ]の音が、1行目のmille、4行目のivresse、folieの[ i ]と響き合う。
この母音反復(アソナンス)は、第一詩節の、angélique, il s’agit, s’expliqueとも反響し、枝分かれをさらに印象付ける。
しかも、ivresseとfolieを導く4行目の詩句は、[i] (Qu’i)で始まり、[i](folie)で締めくくられる。
このように、第2詩節も、 [ i ] 音を中心にした音の結晶体を形成する。

Reconnais ce tour
Si gai, si facile :
Ce n’est qu’onde, flore,
Et c’est ta famille !

この様子を思い出してくれ、
とても陽気で、容易な様子を。
それは、流れでしかなく、植物でしかない。
そして、それはお前の家族だ!

reconnaîtreは、re(再び)とconnaître(知る)から出来ていて、すでに知っているものをそれだと認識するという意味。
その動詞の対象(tour)には、すでに知っていることを示す指示形容詞 ce が付けられている。

では、ce tourを認識しろ、思い出せと言われる、tourとは何だろう?
tourは多義的な単語であり、外周、周遊旅行、回転、輪郭、順番、業(わざ)、言い回し、表現、成り行き、様相、さらには旋盤など、様々に理解される。
しかも、そのtourは、とても(si)陽気(gai)であり、容易(facile)なのだ。
フランス語の理解を助けるために付けた日本語では「様子」としたが、「なりゆき」とか「やり方」とする訳者もいる。

とにかく、ce tourとceが使われ、tourが既知のものである。としたら、ここまでの流れの中では、Il s’agit de moi の「私」であり、天使のような声だろう。
その声はすでに何度も「私」に語りかけてきていて、詩人はその声の調子を再認識するように促す。

この第3詩節では、韻ではなく、母音の反復を中心に音が構成されている。
まず、韻を踏んでいないことに注目しよう。これは明らかに韻文詩としては規則違反。
つまり、「黄金時代」が韻文詩ではないという主張になる。

母音に関しては、次の点が挙げられる。
1)tourはtourjoursを思い出させる。
2)[ i ]音の饗宴は第3詩節でも連なりを続け、第2詩行« si gai, si facile »は5音のうち3音が[ i ] である。
その上、視覚的には、gaie、familleにもiが見え、iの効果がさらに強化されている。
3)ondeとfloreで[ on ]と[ o ]が、尖った[ i ]の音を丸くする。
さらに、floreの中では、[ r ]という流音と繋がり、題名の or(黄金)を生み出す。

意味的に見れば何を言っているのかわからなくなるばかりだが、音的に見ると、題名の黄金時代(âge d’or)を思い出させ、頂点を迎える。

詩句を説明するとどうしても理屈っぽくなり、難しく感じられるようになってしまう。
しかし、単語の意味だけ理解した上で、詩句を口に出して言ってみると、ランボーの奏でる音楽を楽しむことができる。
12行からなる3つの詩節を、何も考えず、声に出して読んでみてほしい。

Quelqu’une des voix
Toujours angélique
– Il s’agit de moi, –
Vertement s’explique :

Ces mille questions
Qui se ramifient
N’amènent, au fond,
Qu’ivresse et folie ;

Reconnais ce tour
Si gai, si facile :
Ce n’est qu’onde, flore,
Et c’est ta famille !


第4詩節になると、「ある声」から「私」へと移動し、「私」も一緒に歌い出す。

Puis elle chante. Ô
Si gai, si facile,
Et visible à l’oeil nu…
– Je chante avec elle, –

Reconnais ce tour
Si gai, si facile,
Ce n’est qu’onde, flore,
Et c’est ta famille !… etc…

続いて、その声が歌う。おお、
とても陽気に、とても容易に、
そして、裸眼にも見えるように・・・。
— ぼくもそれと一緒に唄う —。

この様子を思い出してくれ、
とても陽気で、容易な様子を。
それは、流れでしかなく、植物でしかない。
お前の家族だ!・・・ 等々・・・

第5詩節は第3詩節と全く同じ。第4詩節を挟んで反復している。つまり、同じ詩句が戻ってくる。

第4詩節でも、声が歌う様子を表すsi gai, si facileは、第3、第5詩節の2行目の反復。
思い出すべき様子(ce tour)が、天使のような声が歌を歌う様子と響き合う。

新しい要素は、「裸眼にも見える(Et visible à l’œil nu)」。
この詩句では、Et がなければ、他の詩句と同じように5音節なのに、あえてetを付け加えることで、6音節になっている。そのために、リズム的にもこの詩句が特別に強調されていることがわかる。
そのアクセントは、歌声が見えることに置かれる。
つまり、聴覚と視覚が反響し、共感覚の世界が生まれる。
コレスポンダンスの世界が、voix-œilを繋げることで暗示されるのである。

音的には、visibleによって[ i ]が二つ加えられ、Si gai, si facile, / Et visibleと[i]の祭典が繰り広げられる。
その一方で、[ i ]をchanteに含まれる[ a ]の鼻母音が取り囲み、花火のように華やかな音の拡散を生み出す。
さらに、1行目の5音目に置かれた孤高の Ô は、orと響き合いながら、その効果を一層高める役割を担う。

次の第6詩節では、第1詩節が少しだけ変形されて戻ってくる。

Et puis une voix
– Est-elle angélique ! –
Il s’agit de moi,
Vertement s’explique ;

Et chante à l’instant
En soeur des haleines :
D’un ton Allemand,
Mais ardente et pleine :

Le monde est vicieux ;
Si cela t’étonne !
Vis et laisse au feu
L’obscure infortune.

次にまた、一つの声、
— 天使の声! —
ぼくのことだ、
生硬に自分のことを説明する。

そして、すぐに歌い出す、
息吹の姉妹のように、
ドイツ的なトーンで。
しかし、情熱的で、たっぷりとした声だ。

世界はひねくれている。
そのことにそんなに驚くなんて!
生きるんだ。火に燃やしてしまえ、
そんな暗い不幸なんて。

意味的には、第1詩節と第6詩節はほぼ同じである。しかし、微妙なヴァリエーションが加えられ、変奏曲を聴いている印象を受ける。

第7詩節は、第6詩節を受け、声が主語となり、その声がすぐに歌い出すと続けられる。
その歌い方は、息吹の姉妹ようで(en sœurs d’haleines)、ドイツ的なトーン(ton Allemand)。

En sœur des haleinesでは、sœurという言葉の持つまろやかな音が、haleinesの母音[ a ]と[ e ]に囲まれた流音[ l ]にまで続き、やさしい息づかいを感じさせる。

D’un ton Allemandのドイツを、どのように理解するべきか?
次に続く、その歌声を形容する「情熱的で、たっぷりと(ardente et pleine)」という言葉からは、情熱的でありながら、メランコリックなドイツのバラードや民謡を思わせる。
シューベルトの歌曲のような雰囲気を連想してもいいかもしれない。

音的には、Allemandとardentの[ a ]音と鼻母音が心地よい響きを作り出す。
また、pleineもhaleinesも、母音だけでなく、lとnが重なり、豊かな韻を踏む。
En sœursからの音の連続は、天使の声(voix angélique)そのものであり、様々な様相を呈しながらも、一つの息吹(haleine)のように感じられる。

第8詩節では、世界は悪徳に満ちていると言われる。
このことは、第2節で、陶酔と狂気と言われていたことと対応すると考えられる。だからこそ、今さらそんなことがお前を驚かせるのか!と、ある声がtuに呼びかける。
そして、「生きるように(vis)」、暗澹たる不幸を「火にくべるように(laisse au feu)」と命じる。

こうした言葉は決して現実に何かを命令するものではないし、現実の何かを指し示しているのでもない。
「暗い不幸(L’obscure infortune)」が何を指し、「私」のどのような不幸なのか、読者には全く示されない。
ここにあるのは、自立した詩の言葉であり、その二語を支える[ o ][ u ][ r ]が一体化して、fortuneを現前化させ、それをobscureとinで二重に否定している。
そのような暗い不幸を焼き捨て、「生きるように(vis)」と命じる。
ここで、vicieuxの中に予め[ vi ]の音が含まれるのは、皮肉というべきだろうか。それとも、viceとvieは一体化しているということだろうか?

続く第9ー10詩節では、行の数は5つに増え、韻も不規則になり、韻文詩の定形からますます離れることになる。

Ô ! joli château !
Que ta vie est claire !
De quel Âge es-tu,
Nature princière
De notre grand frère ! etc…

Je chante aussi, moi :
Multiples soeurs ! voix
Pas du tout publiques !
Environnez-moi
De gloire pudique… etc…

おお! 可愛らしい城よ!
お前の生はなんと清いのか!
お前はどの「時代」の者なのか、
王侯のような「自然」よ、
ぼくたちの兄の! 等々・・・

ぼくも歌う、ぼくも。
数多くの姉妹たちよ! 
まったく公けではない声たちよ!
ぼくを取り囲んでくれ、
慎ましい栄光で・・・。等々・・・

「可愛らしい城(joli château)」に対して、「お前の生(ta vie)」はなんと「清い(claire)」ことかと感嘆するが、城が何を意味し、城の生が何なのか、はっきりとはわからない。

音的には、vie(生)は前詩節のvis(生きるんだ)と響き合う。
そして、「vicieux(ひねくれた)」世界が、[ i ]の音を通して、「joli(可愛らしい)」城に変わる。
意味のつながり以上に、音の繋がりが詩句を導いていく。

次に「ぼくたちの兄の/王侯のような自然(Nature princière/De notre gand frère)」に対する呼びかけが続くが、「城(château)」と同じように、その「自然」が何を意味しているのか不明だと言わざるをえない。

その一方で、「どの時代に属するのか?(De quel Âge es-tu ?)」という質問に対する答えは、誰でもわかる。
もちろん、答えは、詩の題名である「黄金時代(Âge d’or)」。

そこで、第9詩節は、Âge d’orを暗示的に歌っているということになる。
第8詩節の中で、「息吹の姉妹のような(en sœur des haleines)」声は、世界は悪で満ちているが、そうした中で生き、不幸を火に投げ込んでしまえ、と歌った。
第9詩節では、生きることで、joli châteauのvieはclaireになり、NatureはÂge d’orにあることが暗示される。

10詩節になると、第4詩節で声と一緒に歌った「私(Je)」が、「声たち(Voix)」に向かって歌いかける。
その際、「数多くの姉妹たちよ(Multiples sœurs)」と呼びかける言葉は、sœurという音と意味を通して、en sœur des haleinesと響き合う。

そうした声の「息吹(haleines)」は、心の中の動きであり、「公けの(pubiques)」声ではない。それは「私」の内心の声なのだ。
その声は、一でありながら多であり、私の中にある無数の響き。
一つが歌うと、もう一つが続く。
女神たちの輪舞のように、声は共鳴し、世界を歌い、自然を歌う。
それは呼吸そのものであり、「私(je)」は数限りない息吹を感じ、「生(vie)」を体感する。
そして、一瞬一瞬のvieをvoixとして感じ取り、それに囲まれるとき、「私」は外に向けての「公の(publique)」栄誉ではなく、「慎ましやかな栄誉(gloire pudique)」に満たされる。

最終詩節の詩句を構成する音は、最初の詩節の音の組み替えと言えるほど、同じ音が反響している。
Je chante aussi, moi : / Multiples soeurs ! voix / Pas du tout publiques ! / Environnez-moi / De gloire pudique…
Quelqu’une des voix / Toujours angélique / – Il s’agit de moi, – / Vertement s’explique :

最後の詩節で歌われる複数のVoixは、第一詩節のQuelqu’une des voixに戻り、Multiples sœursの中からまた一つのvoixがs’expliquerし、chanterする。
それこそがvieであり、そこにÂge d’orがある。それが「黄金時代」なのだ。


この詩に関して、ランボー研究の専門家であるシュザンヌ・ベルナールは「極端なまでに難解」だと言った。
確かに、論理的に意味を理解しよとすると、何を言いたいのかわからない。

しかし、言葉の音楽性に身を任せるとき、思わず口をついて出る言葉の切れ端があることに気付く。
詩を全て理解しようとするのではなく、自分が美しいと感じる詩句だけそっと口ずさむ。
とりわけランボーの詩を読む際には、そうした我が儘が許されるし、その方が彼の詩句の美を感じる早道になる。
「黄金時代」は、そうした読み方の第一歩として最適な詩だ。


「黄金時代」にはもう一つの版があり、その朗読を聞くことができる。こちらは最初の朗読よりもずっとpudiqueな感じがする。

Âge d’or (Les Illuminations, 1875)

Quelqu’une des voix,
— Est-elle angélique ! —
Il s’agit de moi,
Vertement s’explique :

Ces mille questions
Qui se ramifient
N’amènent, au fond,
Qu’ivresse et folie.

[ Terque quaterque ( trois ou quatre fois) ]

Reconnais ce tour
Si gai, si facile ;
C’est tout onde et flore :
Et c’est ta famille !

Et puis une voix,
— Est-elle angélique ! —
Il s’agit de moi,
Vertement s’explique ;

Et chante à l’instant,
En sœur des haleines ;
D’un ton allemand,
Mais ardente et pleine :

Le monde est vicieux,
Tu dis ? tu t’étonnes ?
Vis ! et laisse au feu
L’obscure infortune…

[ Pluries ( plusieurs fois) ]

O joli château !
Que ta vie est claire.
De quel Age es-tu.
Nature princière
De notre grand frère ?

[ Indesinenter ( sans plus jamais s’arrêter) ]

Je chante aussi, moi !
Multiples sœurs ; voix
Pas du tout publiques,
De gloire pudique
Environnez-moi.


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