吉田秀和は、『永遠の故郷 夜』の最初の章で、中原中也の話から始め、ヴェルレーヌへと向かい、ガブリエル・フォーレ作曲の「月の光」について語る。
付録のCDで吉田が選んだのは、ルネ・フレミングの歌。ルネ・フレミングは、アメリカ出身のトップクラスのソプラノで、特に声の美しさで有名だという。
「月の光」の章はこんな風に始まる。
中原中也にフランス語の手ほどきをしてもらったといっても、それは高校一年のせいぜい一年あまりのこと。その終わりころ、私はヴェルレーヌの詩集の全集を買った。フランス製仮綴じ白表紙の本で、全部で五巻か六巻、十巻まではなかったと思う。この全集は、なぜか当時珍しくないものでいろんな店にあり、私は神保町の古本屋で金五円で買ったのだった。
中原の詩を知れば、誰だってヴェルレーヌが読みたくなって当たり前。両者の血縁関係は深くて濃厚である。また彼は酔うとよく詩を朗読したが、そういう時はヴェルレーヌの詩の一節であることがよくあり、« Colloque sentimental(感傷的対話)»など終始出てきて、これを読む彼の身振りは今でも思い出せる。ただし、私はこの詩はあんまり好きではなかった。
逆に好きだった一つが« Claire de lune(月の光)»
私は個人的に« Colloque sentimental »が大変に好きで、レオ・フェレが作曲し、フィリップ・ジャルスキーの歌うものをよく聴いている。中也がこの詩を好きだったと知ると、ますます好きになる。
吉田秀和は、ヴェルレーヌの詩集『雅な宴』(Fêtes galantes, 1869)の最後に置かれた別れの歌である「感傷的対話」よりも、宴の雰囲気を印象付ける冒頭の曲「月の光」の方が好みだという。
Votre âme est un paysage choisi
Que vont charmant masques et bergamasques
Jouant du luth et dansant et quasi
Tristes sous leurs déguisements fantasques !
あなたの魂は選りぬきの風景
そこを行く魅惑的なマスクとベルガマスク
リュートを奏(かな)で、踊りながらも、何がなし悲しそう
ファンタスティックな仮衣(かりぎぬ)の下で
当時の幼い私にはフランス語の”魂 âme”の丸くて温暖な感じが気に入った。それにここには、全体を通じておしゃれで皮肉で、華やかでもの悲しい味わいが流れていて、想像の翼を刺戟した。
âmeという言葉を発音する時には、口の形が丸くなる。吉田秀和の耳は、その音に温かみを感じる。そして、その温かさの中にも、何かしらの違和感を感じ取る。
こんな風にヴェルレーヌの詩句の印象が紹介された後に、フォーレの曲の解説が続く。
この詩につけたフォーレの歌曲を知ったのは、それからかなりあとのこと。レコードできいて、あっ! と思い、いっぺんに心を奪われた。フォーレのは優美で知的な素晴らしい歌。ピアノによる12小節(4小節のフレーズが3つ)の主題の導入があった後、声が入ってくるのだが、それ以後はピアノと声が完璧に結びついた二重奏になっており、しかもどんな愛の口説(くぜつ)より親密な二重唱曲といってよい。
このように、曲全体を印象的な言葉で紹介し、その後、楽曲の解説に入っていく。

pで出発した音楽は、しばらくして中間部(「悲しくて美しい月の光は」)の変ト長調のアルペッジョで更にppにまで弱くなり、最後にはエスプレシーヴォ・エ・ドルチェ(表情豊かに、でも優しく)になりはしても、ffはおろか1個のfさえ、指定されていない。でも、いつも低音(こごえ)でそっと口ずさめば良いというものではないことは、センプレ・ドルチェ(いつも優しく)、センプレ・カンタービレ(いつも歌って)という二つの書きこみと小さなクレッシェンドが三つつけてあるのをみればわかる。
曲の全体はABACAのロンド形式、極めて明快な古典的構造を骨組としていながらも、どこをとっても本当に肌理細(きめこま)かな動きがみられる。
こうした解説は、楽譜を読めるか読めないかで、理解も、面白さも違ってくる。
ただ、吉田の筆の運びは、楽曲の知識をあまりにも当たり前のこととして流れるように進んでいくので、たとえよくは理解できなくても、すっと読み進めることができる。
次の詩節の説明になると、音楽家が詩句をどのように理解し、どのように表現するかという様子を教えてくれる。
第2節に入って、始めに声はドルチェ、ピアノにはppと指定がある。
Tout en chantant sur le mode mineur
L’amour vainqueur et la vie opportune
Ils n’ont pas l’air de croire à leur bonheur
Et leur chanson se mêle au clair de lune,
愛の勝利、浮世の楽しさ
短調にのせて、歌い上げてはいるものの
自分の幸せを信じている風情でもなく
その歌は月の光にとけこんでいく
「ヴェルレーヌは “短調” といっているのに、フォーレは、ほかならぬここで、長調をあてたじゃないか」と指摘したのは、名うての皮肉屋のラヴェルだったと覚えているが、詩中の人物たちの —— あのヴァトーやブーシェたちの画中の人物同様 —— 口にしたものと胸の想いが必ずしも同じとは限らないことはフォーレも —— ラヴェルだって —— 重々心得ていたはず。「雅びの国」の舞台の上での出来事。作曲者はこの曲の題として« 月の光 »に加えて、「メヌエット」と注釈を書き添えていた。
ヴァトーもブーシェも、18世紀フランスのロココ絵画を代表する画家。とりわけヴァトーは「艶なる宴」というテーマを生み出した画家で、ヴェルレーヌの詩集の題名もそこから来ている。


ヴェルレーヌの詩句でも、「雅な宴」に姿を現す男女の人物たちは、勝ち誇った愛を短調で歌うことで、実は愛に不安を感じ、自分たちの幸せを信じていないことが示されている。
そこで、フォーレは、あえてヴェルレーヌの「短調」という指定に反し、その部分を「長調」にした。しかも、その矛盾を指摘したのは、作曲家モーリス・ラヴェルであり、彼は皮肉屋だったと吉田秀和は付け加えている。
ラヴェルは『雅なる歌が』から「草の上」を選び、曲を付けている。フォーレとラヴェルは師弟関係にあるけれど、作風は随分と違っているのがわかる。
第3詩節では、再び楽譜の分析が行われる。
Au calme clair de lune triste et beau,
Qui fait rêver les oiseaux dans les arbres
Et sangloter d’extase les jets d’eau,
Les grands jets d’eau sveltes parmi les marbres.
悲しくて美しい、静かな月の光は与える
木の間の鳥たちには夢を
噴水には恍惚の極みの啜り泣きを
大理石の像に囲まれたしなやかで大きな噴水には
第3節、歌はエスプレシーヴォ・エ・ドルチェ、ピアノはffで出発、メノ・ピアノを経て、最終行いったん終わりに向けて大きくクレッシェンド(ここで初めて歌い手はたっぷり声を張り上げる、噴水と共に一際高く)。でも、結びはやっぱり最初に戻って、ドルチェで死ぬほかない。あらゆるものには終わりが来る。私たちはそれを受け入れるほかに道はないのである。

ヴェルレーヌの詩句に、「あらゆるものには終わりが来る。」という雰囲気を感じさせる言葉はない。
この印象は、吉田秀和がフォーレの曲から感じ取ったものであり、彼はこうして音楽を言葉によって伝えていく。
「ドルチェで死ぬほかない。」
これこそ、吉田秀和がフォーレの「月の光」から感じ取る音楽なのだ。
次に続く一節は、吉田秀和の記憶が間違っているのか、彼の持っていたヴェルレーヌの詩集に誤りがあったと思わせる部分。
昔のことで忘れていたが、実はヴェルレーヌ、このあとにもう2行
Ah –
Au calme claire de lune triste et beau.
と書きそえていだのだった。でもフォーレはそこは作曲しなかった。フォーレに限らず、音楽家たちはよくこんな風に原詩を削ったり、逆に同じ言葉をくりかえりたりしてきた。この場合、フォーレが大詩人に背いて結びに第1行をくりかえるやり方を避けたのはよかった。
繰り返しになるが、ヴェルレーヌは「月の光」最後で、この詩句を反復しなかった。フォーレは大詩人に背いたわけではなく、単に詩句に忠実なだけだったのだ。
最後に、吉田秀和は、中原中也を再び思い出す。そして、ドビュシーへ。
中原が消えて久しく、爾来、私はこの詩を歌の姿でしか経験せずに生きてきた。同じ詩にドビュシーも、9年の間隔をおいて、二回作曲している。フォーレの曲はその中間、1887年に生まれたものだった。もっとも、同じ詩に作曲したといっても、音楽は、この二人で別世界。ドビュシーのはシャープ5つだが、フォーレはフラット5つの変ロ短調の響きで、このフランス近代歌曲史上不滅の名品 ー 19世紀の看た18世紀 ーを書いた。
中原中也が亡くなったのは1937年のこと。それ以来、吉田は「月の光」を詩として読むのではなく、楽曲として頭に響かせていたのだろう。彼の中では、それほど、中也とヴェルレーヌの詩句は深く、濃密に溶け合っていたに違いない。
その一方で、音楽の世界で「月の光」といえば、どうしてもドビュシーの曲も思い浮かぶ。
一般に知られているのは、『ベルガマスク組曲』に収められたもの。フォーレの曲に劣らず、Triste et beau(哀しく美しい)。
それ以前、1882年に作曲されたものはかなり違っている。
こうして、吉田秀和に導かれ、18世紀フランスのロココ絵画の世界から19世紀後半のヴェルレーヌの詩的世界、フォーレ、ドビュシー、ラヴェルの音楽を辿り、中原中也がヴェルレーヌの詩を朗読する姿などを思い浮かべると、いつの間にか「Triste et beau(哀しく美しい)」の世界に入り込んでいる自分を見出すことになる。
詩と絵画と音楽が融合し恍惚とした世界。
Claire de lune
Votre âme est un paysage choisi
Que vont charmant masques et bergamasques
Jouant du luth et dansant et quasi
Tristes sous leurs déguisements fantasques !
Tout en chantant sur le mode mineur
L’amour vainqueur et la vie opportune
Ils n’ont pas l’air de croire à leur bonheur
Et leur chanson se mêle au clair de lune,
Au calme clair de lune triste et beau,
Qui fait rêver les oiseaux dans les arbres
Et sangloter d’extase les jets d’eau,
Les grands jets d’eau sveltes parmi les marbres.
https://bohemegalante.com/2019/07/30/verlaine-clair-de-lune/

吉田秀和の人物象や批評家としての仕事については、2007年にNHKで放送された番組「言葉で奏でる音楽 吉田秀和の軌跡」からの抜粋を見ると、大まかに理解できる。