アリスの不思議な世界 2/2

行動に関する予想外

アリスの不思議な国では、言葉だけではなく、全てのことが予想をくつがえしながら進んでいく。物事は決して型通りには運ばない。「こうすればこうなる」という自動化された連結が次々に破壊される。
なぜそんなことになるのだろうか?

アリスがドアを開けて、部屋に入る場面を考えてみよう。
一般的には、アリスという主体がいて、彼女が部屋に入りたいと考え、ドアを開け、部屋に入っていくとみなされる。次に、部屋の中でテーブルの上にある飲み物を飲むとすると、同じ主体が飲みたいと考え、コップに手を伸ばし、それをつかみ、口に運び、ジュースを飲むという行為の連続が想定される。
動作主であるアリスがまず存在し、彼女が行動を決定し、実行する。

こうした普通の考え方に対して、アリスの不思議な国では、動作の方が主体よりも先にくる。まず行動があり、その後から、それをした人が想定される。ドアを開けるという行為があり、それから、それをした人が誰かという問題が出てくる。

こうした行動中心の視点を最もよく表現しているのは、チェシャ猫である。
公爵夫人の台所の中で、チェシャ猫は耳から耳まで届きそうな大きな口をあけて、ニヤニヤしている。
アリスが森の中に行くと木の枝の上に突然現れ、また消える。そこでアリスはこう呼びかける。

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アリスの不思議な世界 1/2

世界の児童文学の中で、最もユーモアに満ち楽しい物語は何かと問われたら、多くの人が「アリス」と答えるに違いない。

その中には、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』は読まず、ウォルト・ディズニーの「ふしぎの国のアリス」(1951年)を見ただけという人もいるだろう。
アニメも見ていなくて、アリスという名前をどこかで聞いたことがあるだけかもしれない。それでもアリスという名前はよく知られて、人気がある。

それだけではなく、ルイス・キャロル、本名チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(1832-1898)の作品は数多くの専門家に取り上げられ、数えきれないほどの研究が行われている。
文学だけではなく、哲学、論理学等の素材として使われたりもする。児童文学という枠組みだけでは収まらない内容を含んでいるのである。

ここでは、『不思議の国のアリス』を取り上げ、児童文学という枠組みの中でその作品がどのような独自性を持ち、そのジャンルにどのような新しさをもたらしたのか、考えてみることにする。

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アンデルセン童話の美しさ 2/2

基本構造

価値の逆転は物語の基本構造に内在しているともいえる。
「欠如」で始まる物語は、主人公の「試練」を経て、「充足」で終わる。最初は恵まれない立場にいた主人公は、数々の困難を乗り越え、最後には幸せになる。
アンデルセン童話も、ほとんどの物語がこの構図に則っている。

構造がもっともはっきり見えるのは、「みにくいアヒルの子」「おやゆび姫」「雪の女王」等、ハッピーエンドの物語である。主人公たちは様々な試練をくぐり抜け、それを乗り越えることで、最後は幸せになる。

おやゆび姫は、ヒキガエル、コガネムシや野ネズミ、モグラ等にさらわれ、自分ではどうしようもない状態に置かれる。そして、こうした試練を乗り越えた後、やっと幸せにたどり着く。

同じように、アヒルの子も、自分の家族だけではなく、ニワトリや七面鳥、野がも、猟師、犬、お百姓のおばあさん、ネコ等、色々なものからいじめられ、悲しい思いをする。しかし、その苦しみが大きいだけに、最後の幸せも大きく感じられる。

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アンデルセン童話の美しさ 1/2

アンデルセン童話は、安心して子どもに与えることができ、しかも、その美しさは大人の読者をも惹き付けてやまない。
どこの国のいつの時代の読者も、ハンス・クリスチャン・アンデルセンが1805年に生まれ、1875年に亡くなったデンマークの作家、などということは気にせずに、彼の創作した物語に親しんでいる。

「人魚姫」「マッチ売りの少女」「裸の王様」「みにくいあひるの子」等は、読んだことはないにしても、名前を聞いたことはあり、なんとなく話の筋は知っているに違いない。

「雪の女王」は、ディズニーの「アナと雪の女王」によって、全世界で大流行する物語になった。

では、アンデルセン童話のどこに、それほどの魅力があるのだろうか。

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グリム童話の楽しさ 3/3

非現実世界への入り口

グリム兄弟は、童話集第2版の序文の中で、残酷な場面の正当性を主張しているが、その一方で、残酷な行為からリアリティを取り除く民話的な語り口も採用している。

その最初の手段が、物語の入り口に置かれる「昔むかし」という言葉である。この決まり文句は、これから話される出来事が、架空の世界で起こることを予告する役割を果たしている。

「かえるの王様」では、手書きの原稿にはなかったその表現が、初稿で付け加えられる。そして、その有無によって、読者が受ける印象は全く違うものになる。

王さまの末の娘が森へ出かけて行きました。(初稿)

むかしむかしあるところに王さまの娘がいました。この娘が森へ出かけて、冷たい泉のほとりに腰をおろしました。(初版)

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グリム童話の楽しさ 2/3

口頭伝承から読み物へ

1819年に出版された『子どもと家庭のための昔話(メルヒェン)集』第二版の序文で、グリム兄弟は、自分たちの集めた物語を出版するにあたって、なによりも忠実さと真実性を重視したと言う。
そして、個々の表現については修正した部分もあるが、基本的には何一つ加えず、美化することもせず、聞いた通りを再現しようとしたと主張している。

しかし、1812年の第一版から1857年の第七版までを比べてみると、彼らの主張とは別の事実が見えてくる。
私たちが一般的に手に取るのは、最後に出版された第七版であり、それだけ見たのではわからないが、前の版と比べると、かなり訂正が加えられていることがわかる。
その比較を通して見てくるのは、「話される物語」から「読まれる物語」へと変わっていく過程である。

ここでは、「かえるの王様」の最初の部分を取り上げ、グリム兄弟がクレメンス・ブレンターノに渡した原稿(1810年)、1812年の初稿、1819年の第二版、そして、最後に出た第七版と四つの版を比較検討してみよう。

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グリム童話の楽しさ 1/3

グリム童話は、ペロー童話と同じように、民間に伝わる民話を語り直したものであるが、グリムの知名度の方が圧倒的に上である。
実際、グリムという名前は今でもよく聞かれ、児童用図書や絵本等の形で、日本でも広く親しまれている。
時には、グリム童話の残酷さがテーマとなり、子ども用の本とのイメージのギャップに焦点が当てられたりすることもある。

グリム童話のグリムとは、ドイツの文献学や古代史研究の基礎を築いたといわれるヤーコプ・グリム(1785-1863)とヴィルヘルム・グリム(1786-1859)という二人の兄弟によって編集された昔話(メルヒェン)集を指す。

1812年の初版の第一巻(86編)が、1815年に第二巻(70編)が出版された。それ以降も兄弟は昔話に手を加え、1819年に第2版を出版し、1857年の第7版まで改訂版を出し続けた。

ここでは、児童文学の誕生と発展という視点から、現在でも多くの読者を持つグリム童話の楽しさについて検討していく。

グリム童話の中の読者

17世紀フランスのペロー童話は貴族の娘たちを読者として設定していた。では、19世紀前半に収集・再話されたグリム童話が対象とした読者像はどのようなものだったのだろうか。

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ペロー童話の面白さ 2/2

ルイ14世の時代の刻印

ペローの物語には、ルイ14世時代の風俗がはめ込まれている。そして、そこには、昔話といえないような生々しさがあり、物語を活気づけている。

「眠れる森の美女」は紡錘に刺されて百年間の眠りにつく。そして百年後王子が彼女を森で発見したとき、目を覚ます。
その際ペローは、流れた歳月が具体的に感じられるように、細かな細工を施している。例えば、美女を守る兵士たちは「旧式の火縄銃(フランス語の原文ではカービン銃)」を持っている。
17世紀の後半にこの銃はすでに使われていなかったということであり、当時の読者であればすぐにピントきたはずである。

時間の経過はさらに、美女の着ていた服で表される。それは高い襟のついたドレスであるが、エリザベス1世の有名な肖像画を思い出すとわかるように、16世紀後半の女性の服だった。
それに対して、17世紀後半には女性のドレスの胸元は大きく開かれ、襟は全くなくなっている。王子はそこで美女が古い時代の服を着ているようだと思うのだが、しかしそれは口に出さないでおく。
このようにして、ペローは実際に100年の時が経ったことを、ドレスの描写を通して読者に感じさせようとしたのである。

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ペロー童話の面白さ 1/2

シャルル・ペロー(1628-1703)は17世紀後半に活躍した文人で、彼らが生きるルイ14世の時代は古代の偉大な時代よりも優れていると主張した。

古代から近代への移行を「進歩」と見なすこうした考えの下、ギリシア・ローマ時代の物語よりフランスに伝わる昔話の方が優れているという説を展開し、昔話集を出版したと考えられている。
こうした理由で生まれたペローの童話集は、児童文学の誕生という観点から見ると、決定的な重要性を持っている。昔話が子どものために語られる話であるという考えが、最初の一歩を踏み出したのである。

ここではペローの物語集を17世紀という時代とは切り離し、児童文学というジャンルに属する作品として、その特質を明らかにしていくことにする。

キャラクター化

ペローが昔話に対して持っている感覚はとても確かなものだった。実際、数限りなくある昔話から彼が取り上げたのはわずか11の物語であるが、そのほとんどが今でもよく知られている。残存率がこれほど高いのは、ペローの物語集をおいて他にないだろう。

「眠れる森の美女」「赤ずきんちゃん」「青ひげ」「サンドリヨン(シンデレラ)」「長靴をはいた猫」「親指小僧」「巻き毛のリケ」「妖精」「ろばの皮」「グリゼリディス」「おろかな願い事」(最後の三つは韻文)。この中で、知らない話は二つか三つだけではないだろうか。

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