スタンダール 『パルムの僧院』 Stendhal La Chartreuse de Parme 幸福な監獄 La Prison heureuse

『パルムの僧院(La Chartreuse de Parme)』の主人公ファブリス・デル・ドンゴ(Fabrice del Dongo)は、劇場の踊り子マリエッタをめぐり一人の男を殺してしまう。その後、逃亡先で歌姫ファウスタをめぐり再び騒ぎを起こし、結局、検察長官の陰謀によって捕らえられ、ファルネーゼ城砦に投獄される。

その監獄の中で、恋多きファブリスは、他の幸福とは比べられない至上の幸福を経験する。というのも、独房に閉じ込められる前に、監獄の長官ファビオ・コンチ将軍の娘クレリアと再会し、恋に落ちたからだった。(7年前に一度二人は会ったことがあった。)

塔の上の閉ざされた独房の窓から下を覗くと、クレリアの部屋が見える。窓辺には鳥かごが置かれて、時にはクレリアが姿を現すこともある。

そうした状況の中、スタンダールが『恋愛論』の中で「結晶化作用」と名付けた精神の活動が作動する。

ザルツブルクの塩鉱山で、うち捨てられた深い穴の中に、冬に葉の落ちた木の枝を投げ入れる。2, 3ヶ月後、それを引き抜くと、輝く結晶で覆われている。最も小さな枝、シジュウカラの身体よりも大きいとはいえない枝が、キラキラと眩しい無数のダイヤモンドで覆われている。人はもうそれが最初の枝だとは思えない。
https://bohemegalante.com/2021/10/08/stendhal-de-lamour-cristallisation/

ファルネーゼ城砦の独房の中でファブリスに起こったのは、まさに恋愛の結晶化作用であり、監獄は至上の幸福の場となる。
その様子を、スタンダールがどのように描いているのか、読み説いていこう。

Verrai-je Clélia ? se dit Fabrice en s’éveillant. Mais ces oiseaux sont-ils à elle ? Les oiseaux commençaient à jeter de petits cris et à chanter, et à cette élévation c’était le seul bruit qui s’entendît dans les airs. Ce fut une sensation pleine de nouveauté et de plaisir pour Fabrice que ce vaste silence qui régnait à cette hauteur : il écoutait avec ravissement les petits gazouillements interrompus et si vifs par lesquels ses voisins les oiseaux saluaient le jour. S’ils lui appartiennent, elle paraîtra un instant dans cette chambre, là sous ma fenêtre ; tout en examinant les immenses chaînes des Alpes, vis-à-vis le premier étage desquelles la citadelle de Parme semblait s’élever comme un ouvrage avancé, ses regards revenaient à chaque instant aux magnifiques cages de citronnier et de bois d’acajou qui, garnies de fils dorés, s’élevaient au milieu de la chambre fort claire, servant de volière. Ce que Fabrice n’apprit que plus tard, c’est que cette chambre était la seule du second étage du palais qui eût de l’ombre de onze heures à quatre ; elle était abritée par la tour Farnèse.

ぼくはいつかまたクレリアを見ることができるだろうか?とファブリスは目を覚ましながら思った。でも、あの鳥たちは彼女のものだろうか? 鳥たちは微かな鳴き声を上げ、歌い始めた。この高い塔で聞こえるのは、その音だけだった。ファブリスにとって新鮮で、喜びに溢れた感覚があった。それは、この高みを支配する広大な静けさだった。彼はうっとりしながら、微かなさえずりに耳を傾けた。時に中断し、時にとても生き生きとしたさえずりで、彼女の傍らにいる小鳥たちは、朝日に挨拶しているのだ。あの鳥たちがもし彼女のものなら、彼女はわずかな間だけでも、あの部屋に、ぼくの窓の下、あそこに、姿を現すだろう。彼女はアルプスの広大な山並みを眺めた。山々の手前には、パルムの城砦が、突き出した建物のようにすくっと立っている。彼女の眼差しは、山並みを見る度に、豪華な籠にも向けられた。それはレモンの木とマホガニーででき、金の紐で飾られていて、とても明るい部屋の真ん中に立ち、鳥籠として使われていた。ファブリスには後になって分かったことだが、その部屋は宮殿の三階にあるただ一つの部屋で、11時から4時までは日陰になっていた。ファルネーゼの塔に隠れていたのだった。

この一節は、スタンダールの文章の特色が大変によくわかる書き方がされている。

「ファブリスが」とか「彼が」と言うのは、語り手である。小説には語り手がいて、彼が物語を語っていくのが普通なので、そのことに違和感はない。

それに対して、「あの鳥たちは彼女のものだろうか?」と言うのは誰だろう?
答えは、ファブリス。
この言葉はファブリスが心の中で思った内容で、「内的な独白」と考えられる。

物語は過去に起こったことなので過去時制の動詞で語られる一方、「内的独白」では現在時制が使われる。

ここでスタンダールは、過去の物語の中にファブリスの思いを直接混入させることで、ファブリスが考えていることを読者に生の形で伝える方法を用いている。

ファブリスのいる状況を、語り手は次のように説明する。
高い塔の牢獄の中は他の場所から遠い所にあるために、ほとんど何も音が聞こえず、シーンと静まりかえっていた。
窓から下を眺めると部屋が見え、そこから、途切れがちにではあるが、生き生きとした小鳥のさえずりが聞こえてきた。

あの鳥たちがもし彼女のものなら、彼女はわずかな間だけでも、あの部屋に、ぼくの窓の下、あそこに、姿を現すだろう

「姿を現すだろう(elle paraîtra)」と動詞は単純未来形が使われ、さらに決定的な要素として「ぼくの窓(ma fenêtre)」がある。「私」とはファブリスに他ならない。(もし語り手であれば、「彼の窓」と言うはずである。)
この一文では、ファブリス自身が考えたこと=「内的独白」が、地の文の中にそのまま書き込まれている。

この生の声の後からは、再び語り手が、クレリアの様子を物語る。
彼女はアルプスの山並みを見る度に、部屋の中央に置かれた籠の鳥たちにも目をやった。
その部屋は宮殿の三階にある唯一の部屋で、日中はファルネーゼ塔に日を遮られ、影になっていた。

そのことをファブリスは監獄に入っている間は知らず、後から知ったという記述は、語り手の存在をはっきりと知らせることになると同時に、「ぼくの窓」と言うファブリスの視点も存在することを、読者に感じさせる役割を果たしている。

読者は、監獄の中で、ファブリスの思いが常にクレリアで満ちていたことを知る。
小鳥のさえずりは、それがクレリアのものだからこそ、彼を魅了する。彼は、「新鮮で、喜びに溢れた感覚(une sensation pleine de nouveauté et de plaisir)」を持ち、「うっとりとして(avec ravissement)」鳥たちの声に聞き入る。
その理由は、愛するクレリアが、雄大なアルプスの山並みを見る度に、部屋の真ん中に置かれた鳥かごを見るからだ。

かつて一度会ったことがあるとはいえ、監獄に入る直前に一目見ただけのクレリアが、ファブリスの心をこれほど幸福にする。
それは「恋愛の結晶化作用」によるものだろう。ダイヤモンドのように輝く結晶が枯れ枝を覆わなければ、苦しいはずの監獄が、これほど幸福な場所に変化することはない。


Quel ne va pas être mon chagrin, se dit Fabrice, si, au lieu de cette physionomie céleste et pensive que j’attends et qui rougira peut-être un peu si elle m’aperçoit, je vois arriver la grosse figure de quelque femme de chambre bien commune, chargée par procuration de soigner les oiseaux ! Mais si je vois Clélia, daignera-t-elle m’apercevoir ? Ma foi, il faut faire des indiscrétions pour être remarqué ! ma situation doit avoir quelques privilèges ; d’ailleurs nous sommes tous deux seuls ici et si loin du monde ! Je suis un prisonnier, apparemment ; ce que le général Conti et les autres misérables de cette espèce appellent un de leurs subordonnés… Mais elle a tant d’esprit, ou pour mieux dire tant d’âme, comme le suppose le comte, que peut-être, à ce qu’il dit, méprise-t-elle le métier de son père ; de là viendrait sa mélancolie ! Noble cause de tristesse ! Mais après tout, je ne suis point précisément un étranger pour elle. Avec quelle grâce pleine de modestie elle m’a salué hier soir ! Je me souviens fort bien que lors de notre rencontre près de Côme je lui dis : Un jour je viendrai voir vos beaux tableaux de Parme, vous souviendrez-vous de ce nom Fabrice del Dongo ? L’aura-t-elle oublié ? elle était si jeune alors !

ぼくの悲しみはどれほどになるだろう、とファブリスは思った。ぼくが待ち望んでいるのは、崇高で考え深い人の顔。彼女はぼくに気づくと、頬を赤く染めるだろう。でも彼女じゃなくて、ごく平凡な召使いが、彼女の代わりに鳥たちの世話をする姿が見えるとしたら! でももしぼくがクレリアに会えるとしたら、彼女はぼくに気づいてくれるだろうか? そうだ、気が付いてもらうためには、何か派手なことをしないといけない! ぼくの置かれている状況には、幾つか特別なものがあるはず。ぼくたち二人だけが、ここで、外の世界からひどく遠い所にいる! ぼくが囚人なのははっきりしている。コンティ将軍や同じ類の惨めな奴らは、彼らに従属している人間と呼んだりする。。。 でも、彼女はとても機転が利く、というか、とても立派な魂を持っている。伯爵もそう思っている。だから、たぶん、伯爵が言うところによれば、彼女は父親の仕事を軽蔑している。それこそが、彼女の憂鬱の出所だろう! 悲しみの何という高貴な原因! とにかく、ぼくは彼女にとって、全く無関係な人間じゃない。昨日の夜だって、彼女は、とっても慎み深く、とっても優雅に、ぼくに挨拶してくた! 以前、コモ湖の近くで偶然会ったことがあったが、ぼくはその時言ったことを今でもよく覚えている。いつか、あなたの住むパルムの美しい眺めを見に行くつもりです。その時、ファブリス・デル・ドンゴという名前を覚えていてくださるでしょうか? 彼女はそのことを忘れてしまったのだろうか? 彼女はあの時まだとっても小さかった!

この一節は、「ファブリスが思った(Fabrice se dit)」内容で占められている。
彼が考えるのは、全てがクレリアにつながることばかり。
彼女が鳥の世話をする姿が見えるだろうか? もし彼女でなく、召使いが姿を現すようなら、どんなにがっかりすることか。
彼女に次に会う時が来れば、とにかく彼女の目に留まることをして、気をひきたい。

さらに空想は自在に発展し、監獄の長官をしている彼女の父親たちと彼女は違う人間性をしていると考え、彼女と自分だけが、この場所で同じ種類の人間だと空想する。
「ぼくたち二人だけ(nous sommes tous deux seuls)」「ぼくは彼女にとって全く無関係な人間じゃない( je ne suis point précisément un étranger pour elle)」という思いは、二人は愛し合う宿命にあるとファブリスが思いつつあることを示している。
彼の心の中では、すでに恋愛の結晶が出来上がっていると言ってもいいだろう。

そして、最後に、以前出会った時のことを思いだす。その際、彼はもうクレリアに好意を抱き、パルムに来ることを予告していたのだった。

そうした空想の中で、ファブリスの肉体は監獄に閉じ込められているが、思考は自由に飛び回り、彼は幸福感に満たされている。


Mais à propos, se dit Fabrice étonné en interrompant tout à coup le cours de ses pensées, j’oublie d’être en colère : Serais-je un de ces grands courages comme l’antiquité en a montré quelques exemples au monde ? Suis-je un héros sans m’en douter ? Comment ! moi qui avais tant de peur de la prison, j’y suis, et je ne me souviens pas d’être triste ! c’est bien le cas de dire que la peur a été cent fois pire que le mal. Quoi ! j’ai besoin de me raisonner pour être affligé de cette prison, qui, comme le dit Blanès, peut durer dix ans comme dix mois ? Serait-ce l’étonnement de tout ce nouvel établissement qui me distrait de la peine que je devrais éprouver ? Peut-être que cette bonne humeur indépendante de ma volonté et peu raisonnable cessera tout à coup, peut-être en un instant je tomberai dans le noir malheur que je devrais éprouver.

ところで、とファブリスは、思考の流れを突然止め、びっくりしながら思った。ぼくは自分が腹を立てていることを忘れている。古代には何人かの豪傑がいたが、ぼくもそんな豪傑の一人なんだろうか? 自分でも思って見ないような英雄なのだろうか? そうだ! ぼくはあんなに監獄を恐れていた。なのに今ここにいて、悲しいと思うことなんてない! まさに、恐れる気持ちの方が実際の苦痛より百倍も悪いと言う場合にあたる。そうだ! この監獄が辛いと思うためには、理性を働かせる必要があるのだろうか? ブラネス神父が言うみたいに、投獄は10年続くかもしれない。10ヶ月かもしれない。感じるはずの苦痛から気が紛れているのは、新しい場所にいて、驚いているからだろうか? このいい気分は、ぼくの意志から独立し、理性的ではなく、たぶん、いきなり終わるのかもしれない。ぼくは、たぶん、一瞬のうちに、感じるはずの真っ暗な不幸の中に落ち込むだろう。

ファブリスは「内的独白」を続ける。
しかし、「思考の流れを突然止め(en interrompant tout à coup le cours de ses pensées)」、「びっくりして(étonné)」という語り手の言葉が示すように、ここからは、クレリアのことを夢想するのではなく、現実の自分の状況を顧みようとする。

彼は監獄に入る前、投獄されることをとても恐れていた。しかし、実際に監獄にいる時には、苦しみを感じない。少し自分を客観視すると、そんな自分が理性的ではないとわかってくる。
「この監獄が辛いと思うためには、理性を働かせる必要があるのだろうか? (j’ai besoin de me raisonner pour être affligé de cette prison (…) ?)」という自問は、クレリアを想い幸福感に浸る夢想がいかに非理性的かを強調する役割を果たす。

彼の「いい気分( bonne humeur)」は、「自分の意志からは独立し(indépendante de ma volonté)」、「理性的ではない(peu raisonnable)」と自分でもわかっている。

そうした意識がここでは少し戻っているために、「恐れる気持ちの方が実際の苦痛より百倍も悪い(la peur a été cent fois pire que le mal)」とか、「感じるはずの苦痛から気が紛れているのは、新しい場所にいて、驚いている( l’étonnement de tout ce nouvel établissement qui me distrait de la peine que je devrais éprouver )」からだろうかとか、牢獄で苦しみを感じない理由を、少し理性的に考えたりもする。

さらにそれが進めば、「たぶん(Peut-être )」、今の幸福感はすぐに失われ、一瞬のうちに最悪の状態になるだろうと予測もすることになる。

少しでも現実を認識しようとするファブリスのこうした自問は、心の揺れを読者に伝え、ファブリスをより人間的に感じさせることになる。
その一方で、こうして理性を取り戻そうとしても、結局はクレリアを巡る愛の夢想の方がはるかに強いことを示し、「恋愛の結晶化」が人間の心にどれほど大きな力を振るうかを、よりリアルに感じさせる効果を果たすことにもなる。


スタンダールは、語り手の視点とは別に、登場人物の視点から見た現実や心の中の想いを、小説の中に巧みに挿入した。
そのために、読者は、登場人物の心の声を直接聞いているような印象を受け、物語にリアリティをより強く感じることになる。

監獄の中のファブリスの「内的独白」は、「恋愛の結晶化作用」に従って、ファブリスの気持ちがクレリアへの愛で満たされていく様子が微妙なニュアンスを伴って語られ、人間の心の揺れ動きをリアルに伝えている。

「私は事物をそれ自体として描くつもりはない。そうではなく、事物が私に与える効果だけを描きたい。(『アンリ・ブリュラールの生涯』)」というスタンダールは書いているが、「幸福な監獄」はその実例だといえる。
不幸なはずの監獄が至上の幸福の場となりうる。幸福とは、現実以上に、現実に対してどのような想いを抱くかによって決まるのだ。
「内的独白」によって生き生きと感じられるファブリスの心の動きが、そのことを見事に示している。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中