ギュスターヴ・フロベール 新しい現実の創造 4 /4 「純な心」の「美」

1821年に生まれたギュスターヴ・フロベールは、ロマン主義の時代に青春時代を過ごし、30歳を過ぎた頃からは新しい芸術観に基づいた小説を模索を始め、1857年には『ボヴァリー夫人』を上梓するに至った。

その後、歴史小説『サランボー』、自分たちの時代を舞台にした『感情教育』、宗教的神話的なベースを持った『聖アントワーヌの誘惑』などの長編小説を手がけるが、1877年になると、3つの短編からなる『三つの物語』を出版し、1880年に息を引き取った。

そうした彼の創作活動の中で、一般の読者にとって最も親しみ易い作品を挙げるとしたら、『三つの物語』に収められた「純な心」だろう。題名のフランス語をそのまま訳すと「シンプルな心」。
実際、いいことでも悪いことでも心のままに受け入れる女性の一生が、見事な文章で簡潔に綴られ、取り立てて大きな出来事はないのだけれど、自然に心を打たれる語り方がなされている。

フロベールは執筆の10年ほど前から、ジョルジュ・サンドと頻繁に行き来し、19世紀の最も美しい書簡集と言われることもある大量の手紙をやりとりしていた。
『三つの物語』の執筆中の手紙を見ると、フロベールはサンドに何度か「美」について語っている。

ぼくが追い求めているのは、何にもまして、「美」なのです。(1875年12月末)

ぼくが外的な「美」を考慮しすぎるとあなたは非難なさいますが、ぼくにとってそれは一つの方法なのです。(1876年3月10日)

(前略)ぼくにとって「芸術」の目的となるもの、つまり「美」。(1876年4月3日)

そこで、「純な心」を通して、フロベールが言葉によって実現しようとした「美」とはどのようなものか探ってみよう。

アクロポリスの壁

フロベールにとって、的確な言葉を選択し、優れた文体の文章を構築することは、たんに言葉の外形的な美を実現するだけではなく、言葉の内容の的確さの問題でもあった。

彼は韻文詩を書くのと同じように、文章の音楽性を重視した。
(言葉あるいは文章の音楽性は翻訳からは決して感じ取ることができないので、その点に関してはフランス語で読むしかない。)

では、なぜ尊敬するジョルジュ・サンドに非難されるところまで文章にこだわるのかといえば、それは外的な表現が内容と一致していると考えるからである。

ぼくが常に努力してきたのは、事物の魂の中に入り込み、最も大きな一般性に留まることです。そして、意図して、「偶発的なもの」や「劇的なもの」から遠ざかってきました。(中略)
ぼくはよく考えて、よく書こうとします。ぼくの目標は、よく書くことなのです。それを隠しはしません。(1875年12月末)

フロベールは考えていたのは、「よく考える」とは、偶発的なものに立ち止まることなく、事物の本質に迫り、普遍的なものを捉えるということだった。
別の女性の友人に宛てた手紙の中で、「科学に携わる人々は幸福です。」(1875年10月3日の手紙)と記しているが、彼の基本的は思考は、観察によって得られる個別的な事実から一般性を探究する科学主義精神に基づいていた。

18世紀の博物学者ビュッフォンのように、考えること、感じること、表現することは一つだと見なし、正しい思考を持つ時には、言葉が必ず見つかる。そして、その表現は正しいと同時にハーモニーに富んでいると考えたのだった。(1876年3月10日の手紙)

こうした思考を重ねながら、1876年4月3日の手紙では、彼が追求する「美」について、ギリシアのアクロポリスを例に取り、より具体的にサンドに語っている。

かつてアクロポリスの壁を眺めたとき、心臓が鼓動し、激しい喜びを感じたことを覚えています。すっかりむき出しになった壁です。(中央の入り口を上り、左に見える壁。)それを思い出しながら、一冊の本で、その本が語ることと独立して、同様の効果を作り出すことができないだろうかと自問しています。組み立ての精密さ、素材の希少さ、表面の滑らかさ、全体の調和、それらの中には、内在的な「美徳」、一種の神的な力、何かしら永遠なものがないでしょうか。(ぼくはプラトン主義者として語っています。)そうだとしたら、適切な言葉と音楽的な言葉の間に、なぜ必然的な関係があるのでしょう? 自分の考えを十分に詰めていくと、なぜ常に一つの詩句を作ることができるのでしょう? 諧調の法則が感情とイメージを統率しています。としたら、外部だと見えるものは、そのまま内部ではないでしょうか? (1876年4月3日)

パルテノン神殿の立つアクロポリスで、廃墟となった石の建造物を見た時の感動を語るフロベールは、一つ一つの石を一つ一つの言葉に置き換え、言葉の建造物を思い描いたのだろう。

1.その建築物は精密に組み上げられている。
2.一つ一つの言葉は厳密に選択された貴重なもの。そして、適切な言葉は音楽的。
3.全体の滑らかさに関しては、語り手があちこちに顔を出し、物語世界を乱さないこと。芸術家は自分の作品の中で姿を現さないことが理想。ちょうど神が自然の中にいる時のように。(1875年12月末の手紙)
4.全てが調和していること。その調和が、感情とイメージを支配する諧調となる。

「むき出しになった壁」というのは、言葉の建造物(=小説)がゴチャゴチャしていず、シンプルであることを指しているのだろう。それこそ「純な心(シンプルな心)」という作品である。

フロベールは、執筆後、ある女性に向けた手紙の中で、「純な心」の概略を次のように伝えている。

「純な心の物語」は目立たない人生の物語です。田舎の可哀想な女性の人生。彼女は敬虔ですが、神秘的ではありません。献身的ですが、高揚することはなく、焼きたてのパンのように優しい人です。彼女は、一人の男、雇い主の女性の二人の子ども、自分の甥、世話をする老人、そして一羽のオウムを、順番に愛していきます。オウムが死ぬと、剥製にします。そして、彼女が死ぬ番になると、オウムと聖霊を混同します。それはまったく皮肉なものではありません。あなたの想像とは違います。反対に、とても真面目で、とても悲しいものです。哀れみの気持ちを掻き立て、感じやすい魂を持った人たちに涙を流して欲しいのです。私自身感じやすい魂の人間です。ああ!そうなんです。前の土曜日、ジョルジュ・サンドのお葬式で、私は大泣きしました。娘のオロールちゃんを抱きしめ、古い友人(サンド)の棺を目にした時です。(1876年6月19日)

実際、「純な心」の主人公フェリシテは、何も見返りも求めずに人を愛し、次々に失っていく。物語はそれだけであり、登場人物の性格描写や、愛情の心理分析を期待する読者には、単調でつまらないものに感じられるかもしれない。
アクロポリスの「むき出しになった壁」のように、胸をときめかせる大きな出来事は何もない。

しかし、「本が語ること」、つまり「目立たない人生の物語」によってではなく、言葉でできた廃墟のような建築物自体が、アクロポリスの「むき出しになった壁」と同様な感動を引き起こすこと。それが、フロベールの小説美学だった。

その美学において、「美」を生み出す仕組みが、「プラトン主義者」という言葉から見えてくる。
「内在的な美徳」、「神的な力」、「何かしら永遠なもの」。こうした言葉は、現実の「彼方」にイデアを想定し、愛の力によって理想に到達する、プラトニスム的愛の神話を思わせる。
それはロマン主義的な美を生み出すものでもあり、フロベールの「感じやすい魂」の起源でもある。

ただし、彼の科学主義は、イデアという架空の存在を天上に置くことはしない。つまり、現実とイデアという二元論は取らない。
実験可能なものは物質だけであり、それ以外のものから出発することはない。
だからこそ、彼は、「外界」と「内面」を同一と見なし、「外部だと見えるものはそのまま内部」という一元論に基づいた世界観に立つ。
具体的に言えば、フェリシテの「目立たない人生」(現実)自体が「美」(イデア)となりうる、と考えるのである。

目立たない人生の輝き

フロベールが言葉によって組み立てたアクロポリスの壁である「純な心」。フランス語で読まない限り言語が奏でる音楽に耳を傾けることはできないのだが、語られる内容から「むき出しになった壁」の前に立ち、その美を感じ取ることは可能である。

A. よく書くこと

フロベールの文は、的確な言葉が使われ、リズム感よく練り上げられ、簡潔に語りながら、前から読んでいくとそのまま情景が目の前に現れたり、状況がすっと理解できたりする。
冒頭の第一段落は次のように始まる。

半世紀の間、ポン・レベックのブルジョワ階級のご婦人たちは、オバン夫人のことを羨ましく思っていた。女中のフェリシテがいるからだ。

「半世紀」とは、フェリシテがオバン夫人というブルジョワ階級の女性に仕えていた時間にほぼ対応し、物語が持続する時間を示している。

ブルジョワ階級のご婦人たちとあえて書かれているのは、女中を雇う側の社会階級と女中が属する社会階級を意識的に示すためだと考えられる。
その上で、フェリシテが主人公であることは、ブルジョワではなく、労働者階級の人間に光を当てた小説だということがわかる。

「純な心」が執筆された19世紀後半になると、資本主義経済の下で二つの階級間の格差が広がり、それに起因する社会問題を解決するために、マルクス主義等が提出された。カール・マルクスの『資本論』の第一部が出版されたのは1867年。

そうした動きと並行関係にあるのが、1859年に出版されたチャールズ・ダーウィンの『種の起源』。
17世紀から「進歩」の概念は受け入れられていたが、動物の「進化」にも同様の思想が適用され、環境に適応した生物だけが生き残るという「自然選択説」が説かれた。
その理論に従えば、資本主義社会の中で優位に立つのは資本家であり、労働者階級は不適応者と見なされることになりかねない。

フェリシテの仕えるオバン夫人はブルジョワ女性だが、しかし、ブルジョワの中では恵まれない状況にあった。
財産のない夫と結婚し、夫は1809年の初めに死んでしまう。残されたのは二人の子どもと借金。収入源である二つの農場以外、家財全てを売り払い、それまで住んでいた屋敷から、もっとお金のかからない家に引っ越す。その家は彼女の先祖代々のもので、「市場の後ろ」にあった。
オバン夫人のこうした状況は、彼女がブルジョワの中でも「自然淘汰」される側にいたことを暗示している。

そのオバン夫人に雇われた労働者がフェリシテ。彼女がどのような人間なのかが、第2段落で簡潔かつ的確に伝えられる。

1年100フランで、フェリシテは料理も家事もした。縫い物、掃除、アイロンかけもした、馬にくつわを付け、家禽に餌をやり、バターを作ることもでき、雇い主にずっと忠誠を尽くした。— 雇い主は感じのいい人間ではなかったのに。

フロベールは、語り手として物語の中で声を発し、彼女の内心に入り込み、女中の性格を細々と分析し、容姿を性格を関係付て詳細に描くことはしない。
現実世界では神の姿が見えないように、彼はできるかぎり物語世界に姿を現さないようにする。そうした語り方は、しばしば「非人称的」と言われる。

「1年100フラン」という金額は、彼女の生きる社会が資本によって動いていることを示している。その代価を得て、女中は自分の仕事を日々こなす。
その内容を単純に列挙する書き方によって、フロベールはフェリシテの働き方を読者に見事に伝えている。彼女は毎日毎日、単調な仕事を黙々とこなしている。そして、オバン夫人が決して感じのいい人間ではないにもかかわらず、雇い主に忠誠を尽くす。

この一節を読むだけで、フェリシテが「シンプルで純粋な心」の持ち主であることが、読者に見事に伝わってくる。
そして、それこそが、フロベールがサンドへの手紙の中で強調した「よく書くこと=巧みな文」だといえる。

B 感情生活

実証主義精神がますます強まり、資本主義経済が支配力を増す19世紀フランスの社会。そうした中で、ブルジョワ社会に属するボヴァリー夫人であれ、労働者階級のフェリシテであれ、フロベールが取り上げるのは淘汰される側の人間だった。
そこで物語だけ追うと、どうしても悲劇的な印象を与えることになる。

しかし、ボヴァリー夫人は、今ここにないものを求める情熱の強烈さが原動力となり、悲劇の物語の魅力を生み出した。
一方、フェリシテの場合、愛情は近親者とも言える人々に向けられ、ごく普通の日常生活の中で誰にでも起こりうる出来事が、簡潔な筆致で描かれ、それが作品の魅力と美を生み出している。

とても興味深いことに、フロベールは、普通の人間にとっての日常生活がどのようなものか、1830年の7月革命を通して教えてくれる。

ある夜、郵便馬車の御者がポン・レベックに7月革命の知らせをもたらした。郡長が、数日後に任命された。ラルソニエール男爵だった。彼は元アメリカ領事で、妻の他に、義理の妹や三人のお嬢さんたちと一緒に暮らしていた。お嬢さんたちはもう大きかった。

歴史的な大事件である7月革命も、田舎の町では郡長の交代くらいが実質的な変化にすぎない。普通の人にとって、革命でさえ、その程度の出来事にすぎない。
この一節はそうした現実を自然な形で伝えている。

誰でもそうであるように、フェリシテの感情も、ふとしたことで微妙に揺れ動く。
彼女は、オバン夫人の二人の子ども、ポールとヴィルジニーを心の底から可愛がり、細々とした世話を焼いた。二人が大きくなり、男の子は寄宿舎のある学校に、女の子は修道院に行く時に、ひどく辛い思いをした。

夏休みの時期だった。子どもたちが家に帰ってくることが彼女を慰めた。ポールは気まぐれになっていた。ヴィルジニーはもう子どもの時の言葉遣いで話す年齢ではなかった。そのことがなんとなく気まずく、フェリシテとヴィルジニーの間に壁を作っていた。

ブルジョワ家庭の女の子が大きくなったら、女中は大人に話すように丁寧な言葉遣いをしないといけない。そのことでフェリシテは言葉にできない悲しみを感じる。
他の人から見たら何でもないことにつまずき、感情のさざ波が立つという経験は誰にもあるだろう。

フロベールが小説の中に作り上げる「現実」は、革命にしろ、フェリシテの心の動きにしろ、まさにそうしたリアルさを持っている。

フェリシテの心が最も激しく掻き乱されるのは、愛する者の死を受け入れなければならない時。
船乗りの甥ヴィクトールが遠洋航海の間の死んでしまう。その知らせを受けた後、彼女は椅子に倒れ込み、「可哀想な子、可哀想な子」と繰り返すしかない。
その後の行動が、本当にフェリシテらしい。洗濯物を持って中庭を通っていく女たちの姿を窓越しに目にすると、洗濯のことを思い出し、屋敷から外に出て行くのだ。

彼女の洗濯板と棒はトック川の岸辺にあった。土手の上にシャツを投げ、袖をまくり上げ、叩き棒を持った。とても強く叩いたので、近くにある別の庭にまで音が聞こえた。草原には何もなかった。風が小川を揺らした。庭の奥の方では、大きな草が傾き、水に浮かぶ死体の髪の毛のようだった。彼女は苦しみを自分の中に留めていた。夕方まで、とてもしっかりしていた。しかし、自分の部屋に入ると、倒れ込んだ。マットレスの上に腹ばいになり、顔を長枕に埋め、両手のにぎりこぶしを額に当てていた。

どんな大きな悲しみの中にあっても、洗濯物を見ると、思わずいつものように洗濯場に行ってしまう。
今そんなことをしなくてもいいのにと思うのだけれど、何かをしている方が気が紛れるのかもしれない。そんな中で、洗濯物をたたく力はいつもよりずっと強い。だからいつもよりも大きな音がする。しかも、風に吹かれる草を見ると、死者の髪の毛を連想する。

人前ではずっとしっかりした様子をして、その日を過ごす。しかし、一日の仕事を終わり、部屋に戻ると、もう悲しみを留めることができない。ベットに倒れ込み、死んだようになり、悲しみに沈む。

ヴィルジニーの死に際しては、また別の姿を見せる。

二日間、フェリシテは死んでしまった子から離れなかった。同じお祈りを繰り返し、シーツに聖水をかけ、同じところに戻ってきては腰掛け、彼女をじっと見つめた。最初に徹夜した後、ヴィルジニーの顔が黄色に、唇は青く変色していることに気が付いた。鼻がつままれたようで、目は窪んでいた。フェリシテは何度も目に口づけした。もしヴィルジニーが目を開いたとしても、そんなにびっくりはしなかっただだろう。彼女のような魂を持つ人々にとって、超自然なことはとてもシンプルなのだ。彼女は死化粧をし、経帷子で包み、棺に収め、花冠を一つ置き、髪をほぐしてあげた。

フェリシテの悲しみの深さは、眠らずに愛する死者を見守り続けるところにも、もし生き返り目を開いたとしてもびっくりしないだろうという気持ちを通しても、痛いほど伝わってくる。
こうした行動や感情の動きも、フェリシテの素朴さや実直さをひしひしと感じさせる。

一つ注目したいのは、ここでフロベールが珍しく語り手として声を上げていること。
「彼女のような魂を持つ人々にとって、超自然なことはとてもシンプルなのだ。」

もしもヴィルジニーが目を開いたらという仮定に対して付けられた言葉だが、それを「超自然なこと」とみなし、フェリシテのような人間にとっては、「シンプルなこと」だと説明を加える。
死者が生き返ることは不可能であり、それが起こるとしたら神の業と考える人々がいるだろうということを前提にして、純粋な心であれば、現実ではありえないことも素直にそのまま受け取るというのである。

この考え方が、「純な心」の最後の場面で、死の床にあるフェリシテの目に出現する光景のベースにある。

一羽の巨大なオウムの飛翔

甥のヴィクトールの死後、フェリシテはオウムを譲り受ける。
最初の持ち主はポン・レベックに赴任した郡長夫妻だったが、夫が田舎の町から県庁に赴任することになり、オバン夫人に記念の品として贈ったものだった。というか、体良くやっかい払いした。
オバン夫人も、そのオウム、つまりルルが、羽根を自分で引き抜き、糞を撒き散らすのにうんざりして、フェリシテに払い下げる。
そうした事情のきっかけが郡長ラルソニエール男爵の出世だったことを考えると、ルルの所有者が徐々に社会階層の下に向かうことがわかり、彼らの住む資本主義経済の社会を浮き彫りにしていることがわかってくる。

そのルルにフェリシテは愛情を注ぐ。最初に彼女がオウムに興味を持ったのは、ルルがアメリカ産で、アメリカという言葉が、遠洋航海の最中に死んだ甥のヴィクトールを思い出させるという理由からだった。

ここで注意したいのは、「純な心」において、ラルソニエール男爵夫妻、オバン夫人とフェリシテの対比は、ブルジョワ対プロレタリアートの対立といった社会的、経済的な問題を取り上げるためではないということ。物語の焦点は、フェリシテの「感情生活」に当たっている。

ルルはフェリシテのよき話し相手となる。

彼らは言葉を交わした。オウムは自分のレパートリーにある三つの言い回し(「チャーミングな少年!」「何なりとお申し付け下さい!」「こんにちわ、マリー!」))をうんざりするほど繰り返し、彼女の方では、脈絡はないけれど、感情の籠もった言葉で返事をした。ルルは、孤独な中にあって、息子でもあり、恋人でもあった。

フロベールはここでも、語り手としてフェリシテの心理を分析し、詳しく解説することはしない。簡潔にルルとの会話の様子を紹介するだけに留め、最後に息子のようでもあり恋人のようでもあったと付け足す。
この簡潔な記述だけで、フェリシテがルルにいかに愛情を注ぎ、ルルがフェリシテにとって欠くことのできない存在になったことが、読者の心にすっと入ってくる。

そのルルが、1837年のひどく寒い冬のある朝、突然死んでしまう。そして、フェリシテがあまりにも涙を流すので、オバン夫人がルルを剥製にすることを思いつく。そしてルルは、剥製の姿でフェリシテのもとに戻ってくる。

やっとそれが到着した。きらきら輝き、マホガニーの台にビスでとめられてた木の枝の上に真っ直ぐ乗っていた。片足は上に上げ、頭を傾け、クルミを噛んでいる。そのクルミは、剥製にした職人が大仰なものを好んだために、金色に塗られていた。

こうして、フェリシテは、オウムの死後も、ルルと一緒にいることになる。部屋の暖炉の上に置き、毎朝、目を覚ますと、朝の光に照らされているルルを見る。すると、本当にどうでもいいような昔のことが思い出され、穏やかな気分になるのだった。

その後、フェリシテの心の中で、剥製のルルが、教会に飾られていた聖霊を象徴する鳩と同一視されるようになっていく。
フロベールは1876年6月19日の手紙で、「純な心」の概略の最後を「彼女が死ぬ番になると、オウムと聖霊を混同します。」としているが、その前提となる部分である。

教会で、彼女はいつも「聖霊」をじっと見ていた。そして、オウムと似ているところがあることに気づいた。彼女には、その類似が、キリストの洗礼の場面を描いているエピナール版画の絵では、もっとずっとはっきりしていように思われた。それは、真っ赤な羽根とエメラルドの体をしているので、本当にルルの肖像画だった。
彼女はそれを買い、アルトワ伯爵の肖像画のあった場所に飾った。そのおかげで、剥製と絵が一緒に見えた。彼女の頭の中でそれらは一つになった。オウムは、聖霊と繋がることで聖なるものになり、彼女の目には今まで以上に生きているように見え、理解可能なものになった。

教会、キリストの洗礼、聖霊という言葉が出てくるので、どうしてもキリスト教の信仰を考えることになる。19世紀の田舎に暮らす素朴な人間であるフェリシテは、日曜日には教会でミサにあずかり、篤いい信仰心を持っていることに疑いはない。

しかし、フロベールは、キリスト教の信仰に焦点を当てるのではなく、現実を支配する物質主義とは別に、信仰という形で表現される、目に見えない心の力、前に出てきた言葉でいえば「超自然なこと」に注意を向けようとしていたのだと考えられる。

その力によって剥製が「聖なるもの」、つまり現実の次元を超えたものになる。そして、そのおかげで、ルルに命が通っているように見えてくるし、以前に会話をしていた時のような理解しあえる存在に思えてくる。
その「目に見えない心の力」を当時の読者に納得させるには、「聖霊」という言葉が便利だったに違いない。

物語が最後にさしかかると、オバン夫人が亡くなり、フェリシテ自身も死の時を迎える。
医者から肺炎だと告げられると、「マダムと同じだわ。」と口にし、主人の後に続くのが自然なことだと思う。そして、最後の時を迎える。

一すじの真っ青な蒸気がフェリシテの寝室の中に立ち上った。彼女が鼻孔を前に差し出し、蒸気を吸い込むと、神秘的な官能性を感じた。彼女は瞳を閉じた。口元は微笑んでいた。心臓の鼓動は、一つ打つ毎にゆっくりになった。一度打つ毎におぼろげになり、穏やかになった。泉の水が涸れ、こだまが消え去るようだった。最後の息を吐いたその時、彼女には見えるように思えた、半ば開いた空の中、一羽の巨大なオウムが彼女の頭上を舞っている姿が。

この最後の一段落の中では、「聖霊」という言葉は使われない。フェリシテの臨終に立ちこめるのは、「神秘的な官能性」。
「官能性」という言葉は、ここでは性的な意味合いを含まない。剥製のルルが命を持っているように感じられたのと同じで、フェリシテの肉体が精気を失っていく中、生命の息吹を最後にもう一度吸い込んだのだった。

フェリシテは穏やかに最後の息を吐く。その瞬間、彼女は見たように「思った」、とフロベールは書く。「見た」のではなく、「見たように思った」とすることで、正気を失った中で見る幻覚ではないという感じが読者に伝えられる。

「半ば開いた空」は、聖霊が天から降りてくる時に使われる表現。19世紀フランスのキリスト教信者の読者には、その場面がリアリティを持って感じられたことだろう。

そして最後に、フェリシテが「見たように思った」ものが示される。
「一羽の巨大なオウムが彼女の頭上を舞っている。」

キリスト教信者であれば、その鳥が「聖霊」を象徴するものと考え、フェリシテの魂が神のもとに導かれていく至福を想像するかもしれない。それは、フロベールの時代の読者にとっては、ごく自然な受け取り方だった。

しかし、必ずしもキリスト教的な理解をする必要はない。オウムの飛翔する光景を目に浮かべ、フェリシテの最期が幸せであったと感じるのであれば、それで十分だといえる。
「超自然なことはとてもシンプルなのだ。」

経済的な面から言えば、フェリシテは決して幸せとはいえない生活を送ってきた。
オバン夫人からの給与は一年に100フラン。当時としても、ひどく少ない額だった。
オバン夫人の死後、彼女の親族によって家財道具が売り払われてしまい、屋敷も売り出されるが、売れないままで残る。フェリシテは、何とか屋敷の一室に留まることができるが、収入は夫人が残してくれた年380フランのお金だけ。

そうした生活の中で、彼女は雇い主に心から仕え、ポールやヴィルジニー、甥のヴィクトールたちを深く愛し、オウムにも同じ愛情を注いだ。特別な事件もなく、誰もが味わうのと同じような喜びや悲しみを味わい、人から見れば平凡でぱっとしない一生を送った。
その彼女が、死の瞬間、オウムの飛翔を心の目で見る。
それは、彼女の一生が幸福なものだったのだと読者に感じさせてくれる映像であり、彼女のシンプルな心の美を直感的に伝えてくれる。

プラトニスムでは、愛の力に導かれて地上から飛び上がり、イデアの世界、美のイデアへと向かっていく。
全ての出来事をシンプルに受け止める心を持ったフェリシテ、地上に生きている間、身近な人々やオウムを愛した。その姿がそれだけで美しいことを、オウムの飛翔は映像で示している。
その姿を前にして、読者は、「哀れみに気持ちを掻き立て、感じやすい魂を持った人たちに涙を流して欲しいのです。」というフロベールの言葉に、納得するのではないだろうか。
そして、「ぼくが追い求めているのは、何にもまして、「美」なのです。」というフロベールの意図が、「純な心」の中で実現されていることも納得するだろう。


フロベールは小説の中に、実際の現実のコピーではなく、現実よりもリアルな感触をもった「現実」を作り上げた。
その「現実」は、19世紀後半の社会の「魂の中に入り込み、最も大きな一般性」をフロベールが描き出してものと言ってもいいだろう。
そのような「現実」を通して彼が目指したものは、「美」の創造だった。

「純な心」は、そうした美学を持つギュスターヴ・フロベールが達成した大きな成果の一つだと言うことができる。


フロベールの作品

フロベール『三つの物語 』谷口亜沙子訳、光文社古典新訳文庫。(「素朴なひと」という訳の題名になっているが、フランス語のシンプルと日本語の素朴にはある程度のズレがあり、少し無理があるかもしれない。)

ジョルジュ・サンド、ギュスターヴ・フローベール 『往復書簡 サンド=フロベール』持田明子訳、藤原書店。

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