ドガ 「14歳の小さな踊り子」 知る楽しみ 1/2

文学部の大学院生だった頃、文学の研究をして何の意味があるのだろうかと考えたことがあった。
そんなことが頭に浮かぶのはだいたい勉強が行き詰まっている時なので、教師や友人に問いかけたり、色々なジャンルの本を読んだりと、要するに真正面から研究に取り組まない時間を過ごすことになる。
とにかく、そんな風にしている中で、「研究を通して対象とする作品の面白さや価値を人に伝えること」という言葉を誰かに言われ、一つの答えとして納得した覚えがある。

最近、ドガに関する本(アンリ・ロワレット『ドガ 踊り子の画家』)に目を通している時、そんな思い出が急に頭に浮かんできた。
今までドガの絵画を面白いと思ったことがあるけれど、彫刻にはそれほど興味がなかった。しかし、最初のページに置かれた「14歳の小さな踊り子」の写真と、それに付けられたユイスマンスの言葉を見て、彫刻の素晴らしさに心を動かされ、初めて美を感じることができた。

ドガの「14歳の小さな踊り子」は、1881年の第六回印象派展に出品され、その時には評価されるよりも、あまりの生々しさに人々の顰蹙を買ったらしい。
しかし、ユイスマンスの解説と、それに対応する写真を見ていくと、少女の美に打たれ、素晴らしい作品であることに納得がいく。

気ままなクロッキーにも、手の込んだ作品にも、ドガ氏の個性がよくあらわれている。しかし今年の展示では、デッサンでも油絵でもなく、『14歳の小さな踊り子』と題された、ロウでできた彫像が人々の注目を集めた。この彫刻を見た観客たちはみな、仰天し、当惑し、急いでその場を立ち去っていく。
まるで生きているようなこの小さな像は、見る者を不安にさせる。彫刻という芸術は、冷たく、白く、生気がないものだという固定観念が、すっかりくつがえされてしまうからだ。J.K. ユイスマンス『近代芸術』(次頁以下も同じ)

聖母マリア像のなかには化粧がほどこされたり、服を着せられたものもあるが、(略)、ドガ氏の踊り子も、本物のスカートをはき、本物のリボンをつけ、本物の服を着て、髪の毛も本物である。彩色された頭がわずかに反らされ、あごがつきでて、口がわずかに開き、顔は病人のように浅黒く、やつれて、年よりもずっと老けている。

両手はうしろで組み、平らな胸は白い服でぴったりとつつまれ、服の布はロウで固められている。両脚は、戦いのための位置に置かれている。それはレッスンで鍛えられた見事な脚で、力強く湾曲し、その上には天蓋のようにモスリンのスカートが広がっている。こわばった首にはリボンが巻かれ、髪は肩にたれさがっているが、首のリボンと同じようなリボンが飾られた髪の中に見えるのは、本物の髪の毛である。

この踊り子は、人びとの目の前で生命を得て動き出し、いままさに台座から離れようとしているかのように見える。

ユイスマンスの描写をたどっていくと、実にゆっくりと時間を掛けて、リボンや髪の毛やバレーの衣裳、顔の傾きや脚の置き方など、細かな部分まで見ることになる。
そして、そのゆっくりと進む生きた時間の中で、少女の体の動きや表情から、彼女の感情までもが伝わってくるように感じる。彼女が愛おしい存在に思えてくる。
その上で、もう一度最初の写真のリボンに目をやると、それさえもが愛しく思われ、愛着が湧く。
そして、「美しい」と呟く。

これまでにもドガの描くバレリーナの絵画は何度も見ていて、か弱さ、淡い悲しみ、儚さを感じきた。

ところが、一昨日アンリ・ロワレットの『ドガ 踊り子の画家』の最初のページを開いたおかげで、絵画だけではなく、彫像にも美を感じることができるようになり、ドガに対する興味がさらに増した。

こう言ってよければ、ユイスマンスが私にドガの彫像の面白さや価値を教えてくれたのであり、そのことで私は、大学院生の時に考えた研究の目的を実感したのだった。


知識が作品の理解に向かわない例もある。

印象派絵画を研究する上で基本文献と言われるジョン・ウォルトの『印象派の歴史』では、「14歳の小さな踊り子」にほとんど注目していない。

最初の言及では、第六回印象派展に「ドガは6枚の作品(ほとんどがスケッチ)のほか、踊り子の小像を出した」という記述から、その作品を重視していないことがわかる。

また、アンリ・ロワレットと同じように、ユイスマンスの展覧会評を参照しているが、引用する箇所はまったく違っている。
「真に現代的な唯一の試み」という評価に触れながらも、ウォルトが重点を置くのは、疑いの方である。
「ドガ氏は、謙遜あるいは自尊心が強すぎて、成功を高慢にも軽蔑している。つまり、この主題では大衆の好みに対して憤ることにならないものと、とても危惧される。」

同じ資料を参考にしながら、一つは作品の素晴らしさを教えてくれ、もう一つは作品そのものについての言及がない。


知識が作品に向かうようで、実は関心を逸らせることもある。

例えば、「14歳の小さな踊り子」のモデルになった女性について調べると、マリー・バン・ゲーテム(Marie van Goethem)というオペラ座のバレエ教室に通う少女だったことがわかってくる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Marie_van_Goethem

彼女の姿は、1880年頃の「バレー教室」にも描かれている。前の方で新聞を読んでいるのが彼女だという。

こうした作業を続けることで色々なことが分かってくるように思えたりする。しかし、マリーのことをどんなに知っても、「14歳の小さな踊り子」という彫像そのものの理解にも、観賞にもつながらない。

知識を増やす作業が、対象そのものから関心を逸らせたりもすることもある。そうしたことも、知の楽しみの一つかもしれないが・・・。

ドガ 「14歳の小さな踊り子」 知る楽しみ 1/2」への3件のフィードバック

  1. dalichoko 2022-05-13 / 13:21

    代表作のエトワールもそうかもしれませんが、表情を控え目にして動作(しぐさ)で心情を表現する技術がとて素晴らしいと思います。

    いいね: 1人

    • hiibou 2022-05-13 / 15:49

      そうですね。ドガは印象派の多くの画家たちと違い、戸外で光を捉えるのではなく、動作を描くことで心を表現したのだと、私も思います。

      いいね

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