小林秀雄 「実朝」 知る楽しみ 2/2

文学部の大学院生だった頃、「文学の研究をして何の意味があるのだろうか?」という疑問が湧き、「研究を通して対象とする作品の面白さや価値を人に伝えること」という言葉を一つの答えとしたことがあった。

最近、それを思い出したのは、二つのきっかけがある。
一つは、ドガの「14歳の小さな踊り子」に関するユイスマンスの言葉によって、その作品の美を感じたこと。 ドガ 「14歳の小さな踊り子」 知る楽しみ 1/2

もう一つが、小林秀雄の解説で、源実朝の一つの和歌の詠み方を教えられたことだった。

箱根路を わが越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波の寄る見ゆ

この和歌を前にして、私には、海に浮かぶ小さな島に波が打ち寄せる風景しか見えてこない。それ以上のことはまったくわからない。

そんな私に対して、小林秀雄はこう囁く。

大きく開けた伊豆の海があり、その中に遥かに小さな島が見え、またその中にさらに小さく白い波が寄せ、またその先に自分の心の形が見えて来るという風に歌は動いている。(小林秀雄「実朝」)

視野が、大きな海から徐々に狭まり、島に向かい、白い波へと収斂する。
そうか、描かれた風景には見ている人間の視点があり、実朝の目、そして意識はこんな風に動いたのか!と納得する。

しかし、それだけではない。
小林の目には、収斂しつつある風景の先に、「自分の心の形」が見えてくる。
ああそうか! 和歌というのもはここまで読み込めるもののか。ここまで読まないと読んだことにならないのか。そう私の内心が呟いた。

小林の感性は、小さな島に打ち寄せる波の映像から、波の音を思い浮かべる。
実朝の耳にその音は届いているのだろうか?
海はあまりにも遠く、波の音は聞こえないだろう。しかし、実朝には聞こえる。としたら、その音は心の中で聞こえるのではないか。
小林はそうした思いを、実に引き締まった文章で表現する。

耳に聞こえぬ白波の砕ける音を、遙かに目で追い心に聞くと言う様な感じが現れているように思う、はっきりと澄んだ姿に、何とは知られぬ哀感がある。

「遙かに目で追」うことから「心に聞く」ところまで進むことができるのは、読む達人の技といっていいかもしれない。
そして、そのように読めると、この和歌に「何とは知られぬ哀感」が感じられるようになる。

最初からこんな風に読めたらどれだけ素晴らしいことかと思う。しかし、すぐにそんなことができるはずがないので、少しづつ学ぶしかない。
まだまだ学ぶ楽しみが残っていると思えば、それも楽しい。


小林から教えてもらえることは、他にもある。
一般的に源実朝の和歌は、『万葉集』の影響を受け、万葉調だと見なされたという。そのために、「箱根路を」の歌には、『万葉集』(3238)の次の歌が引き合いに出された。

あふ坂を うち出でて見れば 近江の海 白木綿花(しらゆふばな)に 波立ちわたる

京都と滋賀の間にある逢坂山を越えて、近江の海、つまり琵琶湖を見ると、木綿でできた白い造花のような白い波が一面に立っている。

確かに、山を越えると、海の上に波が見えるという光景は似ている。
しかし、小林の耳には、二つの歌の一つは単調、もう一つは長調に聞こえる。

小林は、「あふ坂を」を恋愛歌だと見なす。
「相坂山に木綿を手向け、女に会いに行く古代の人の泡立つ恋心の調べ」を伝えているというのだ。

たとえそうでないとしても、山部赤人「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」(万葉集 321)と同じ技法で詠まれていて、「うち出でる」先には、雄大で美しい光景が広がっている。
目を打つ白さは眩しく、心は清々しい。

ここで問題になるのは、『万葉集』の二つの歌では視界は一気に開け、実朝のように、視点が大きな海から小さな島へ、小島から小さな波へと、徐々に狭まっていく動きがないこと。
その意味で、「箱根路を」と「あふ坂を」「田子の浦ゆ」は対照的だ。
小林はその正反対の動きを読み取り、実朝と言えば万葉集を思い浮かべる一般論にとらわれることなく、実朝の言葉の調べに耳を傾けたのだった。

彼は実朝の視野を追った上で、その先端に「心の形」を見る。距離が離れ、視野が遠ざかればそれだけ、孤独も深くなる。
そこからは、実朝に対する思いや、彼の和歌に対する感慨が湧き出してくる。

恐らく、実朝の憂悶(ゆうもん)は、ついに晴れる期はなかったのであり、それが、彼の真率で切実な秀歌の独特の悲調をなしているのである。

こんな風に歌の動きを感じ、歌の形を読み取ることができたら、どんなに楽しいだろう。


私は、小林秀雄による「箱根路を わが越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波の寄る見ゆ」という実朝の和歌の解説を読み、その素晴らしさを教えてもらうことができた。
こうした解説が一つでもできれば「文学の研究は役に立つ(こともある)」と、院生だった時の自分に言いたくなる。小林のような「読みの達人」を目指すように、と。

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