
1857年に出版した『悪の華』が裁判で有罪判決を受け、社会の風紀を乱すという理由で6編の詩の削除を命じる判決が下される。
ボードレールにとって、その詩集は100編の詩で構成される完璧な構造体だった。従って、単に削除するだけとか、6編の新たな詩を加えて再出版することは考えられないことだった。
断罪された詩人は、1861年に出版されることになる『悪の華』の第2版に向け、新しく構想を練り始めるのだが、その作業と並行して、様々な分野での創作活動も非常な勢いで活性化していく。その内容を大きく分けると、以下のようになる。
(1)『悪の華』の再構築
(2)散文詩集の構想
(3)美学の深化
a. 美術批評ー「1859年のサロン」「現代生活の画家」など。
b. 音楽批評ー ワグナー論
c. 文学批評ー『人工楽園』、ポー、ユゴー、フロベール論など。
こうした創作活動を通して、ボードレールの美学は、19世紀後半から20世紀、21世紀にまで至る、新しい芸術観の扉を開くことになった。
(1)『悪の華』の再構築

1861年に出版された『悪の華』第2版では、詩の数が135編に増え、初版では5の章分けがなされていたのに対し、「パリ情景」と題された章が付け加えられ、6章仕立てになった。
その新しい「パリ情景」の存在は、詩集の中心的なテーマが、ボードレールの生きる19世紀半ばのパリの現実であることを明らかにする効果を持つ。
その上で、一般的には醜いとされるものが美へと変わる「詩的錬金術」が実践される。
ここでは、1861年の版に新しく付け加えられた詩を通して、ボードレールの試みを見ていこう。
1857年の裁判での有罪判決は、ボードレールに、社会における自分の立ち位置を痛感させたに違いない。
第2版の2番目に置かれた「アホウドリ」は、詩人の自己認識を垣間見させてくれる。
大空を舞っている時には王者の姿をしていたアホウドリ。その鳥が甲板の上に捉えられると、船乗りたちにおもちゃのように扱われ、滑稽な姿をさらす。

この翼ある旅人(アホウドリ)は、何と不器用で、弱虫なのか!
少し前まではあんなに美しかったのに、今はなんと滑稽で醜いのか!
一人の船員は、パイプで嘴をつつく。
別の船員は、足をひきずり、さっきまで空を飛んでいた弱者を真似る!
(中略)
「詩人」は、大雲の王子のよう。
嵐に取り憑き、射手をあざ笑う。
地上に追放されるや、嘲笑の叫びの中、
巨大な翼が歩行を妨げる。
詩人の仕事など、ブルジョワ社会の良識派の人々には決して理解されない。
1857年の裁判はそのことをボードレールに痛感させることになった。自分は社会の片隅に降り立ったアホウドリなのだ、と。
そんな詩人の前を、醜い姿をした老人や老婆が歩いて行く。
「パリ情景」の章に収められた「小さな老婆たち」は、年老いた女性たちの縮こまった姿を追いながら、そこに美が出現する様子を描き出す。

古い都市の曲がりくねった襞の中、
全てが、醜悪さえもが、魅惑に変わるところで、
ぼくは、自らの不吉な体質に従って、待ち伏せする、
特別な存在たち、老いさらばえ、魂を魅了する生き物たちを。
その不格好な怪物たちは、かつては女だった。
「かつては女だった」という言葉ほど、残酷な言葉はないだろう。それほど、老婆たちの姿は以前とは変わり果てている。
しかし、ボードレールはこの第1詩節からすでに、醜悪が魅惑に変化することを予告している。そして、その変化の鍵もほのめかされる。詩人の魂が、彼女たちに魅了されるのだ。
でも、どうやって?
4行の詩節が21続く長い詩の最後、詩人は老婆たちを見つめる自分の姿を浮き上がらせる。

でも、ぼく、ぼくは、遠くから、愛情を込めて、あなた方を見守っています、
不安そうな目で、あなた方のおぼつかない足どりを、じっと見つめています、
(中略)
ぼくには見えます、あなた方の初々しい情熱が花開くのが。
暗くても、輝いていても、あなた方の失われた日々を、ぼくは生きます。
ぼくの心は数を増し、あなた方のあらゆる悪徳を楽しみます!
ぼくの魂は、あなた方のあらゆる美徳で輝きます!
老婆たちは、あらゆる悪徳も、あらゆる美徳も生きてきた。現在の彼女たちの中には、これまでずっと生きてきた時間が息づいている。
そんな彼女たちを目で追いながら、詩人は、彼女たちの失われた日々を「生きる」。彼女たちの生が彼の生になる。それこそが魂の魅了される秘密であり、醜が美へと変わる錬金術となる。
ボードレールが探求するのは、そこで発見される美。
その美にとって、日常社会の通常の価値観、善と悪、醜と美、時間と永遠、現実とイデアを区別する基準は、意味を持たない。
そのことは、「私たちが望むのは、(中略)深淵の底に潜ること、それが地獄であろうと、天国であろうとも」という「旅」の詩句によって、見事に表現される。
「旅」は詩集の最後に置かれ、その最終節は、新しい美を探求する旅に出航する決意を表明している。

おお、死よ、年老いた船長よ、時が来た! 錨を上げよう!
この国は退屈だ、おお死よ! 出港しよう!
空も海も真っ黒い、墨のようだ。
しかし、私たちの心は、お前の知るように、光に満たされている!
私たちに毒を注げ、私たちを力づけるために!
私たちが望むのは、この炎が私たちの脳髄を燃やす限り、
深淵の底に潜ること、それが地獄であろうと、天国であろうとも?
未知なるものの底で、「新たなもの」を見出すのだ!
19世紀後半のパリ大改造の時代、街並みは荒れ、貧困が覆い尽くしていた。そこは、地獄でもあれば、天国でもある。あるいは、どちらでもなく、どちらにもなる。
その深淵の底に潜り、「新たなもの」を見出すための旅立ち。
そのように考えると、『悪の華』の第2版は、ギリシア神話で語られたアルゴー船の金羊毛探求の旅の構想を、19世紀の現代社会を舞台にして実現したようにも見えてくる。
その試みは、「今」と「永遠」の二つの面を持つ美の実現へと向かっていく。
(2)散文詩集『小散文詩ーパリの憂鬱』の構想
韻文詩集の再構築と同時並行的に、ボードレールは「散文詩」というジャンルを確立しようとしていた。
フランスでは、詩というジャンルは韻文に限られ、その形式は、一行の音節数や韻の規則などによって明確に定められていた。
その規則の内部で、19世紀前半から、ヴィクトル・ユゴーを中心にして、様々な変化が加えられ、より豊かなリズムや音楽性を詩句に与える工夫がなされてきた。
ボードレールは、韻文詩を執筆する時には、あくまでも伝統の中に留まり続けた。だが、その一方で、韻文の枠から離れ、規則から完全に自由な詩の制作にも挑んだ。
そのための一つの方法として取った手段が、韻文詩と同じ主題を散文でも取り上げることだった。
実際、韻文詩を出発点にして散文詩を生み出した作品がいくつかある。
ここでは、1857年に「夜の詩」という総題で雑誌に発表された6編の中から、「旅への誘い」を取り上げてみよう。
韻文詩も散文詩も同じ題名であることからも、ボードレールの意図を読み取ることができる。

私の愛しい子、妹よ、
あの甘やかさを思っておくれ、
彼方に行き、一緒に暮らすんだ!
思いきり愛し、
愛し、そして死ぬ、
君に似たあの国で!
(中略)
彼方では、全てが整然とし、美しい、
豪華で、静か、そして官能的。
素晴らしい国がある。こう言ってよければ、全てが豊かな国。ずっと前から恋人と訪れることを夢見てきた国。(中略)
本当の夢の国。全てが美しく、豊かで、静かで、誠実。豪華さが、秩序の中に、自分の姿を楽しげに映し出す。生は豊かで、吸い込むと心地よい。混乱も、騒ぎも、予見できないことも排除されている。幸福が沈黙と一つになっている。食事そのものが詩的であり、たっぷりとし、人を高揚させる。全てがあなたと似ているんだ、我が天使よ。
愛する人と共に向かいたいと望む国は、秩序立ち、豪華で、静かで、官能的。韻文も散文も、ほぼ同じ内容を歌っている。
詩が形式だけの問題だと考えれば別だが、詩句の生み出す詩情こそが詩の本質だと見なすのであれば、散文でもそれが可能であることは、散文詩「旅への誘い」からも証明されるだろう。
その上で、韻文詩と散文詩を比較すると、散文の記述の方が具体的なことが多い。
その傾向は、韻文と比べ、散文が、日常言語の主要な役割である「意味伝達機能」を強く担っていることから来ている。
韻文では、言葉の表現面(音楽性、リズム、音色)が、意味の伝達と同等の価値を持つ。
散文では、基本的に、「伝わる」ことに重きが置かれる。
(その原則が崩れたのは、ボードレールの後の時代に出現するランボーやマラルメによって。)
具体的で伝わりやすい言葉=散文は、美の二つの側面である「永遠」と「束の間」のうち、移ろいやすい現実の情景を描くのにより適しているといえる。「束の間のもの、移ろいゆくもの」、つまり自分たちの時代の現実の様相を具体的に描き出し、読者にその感覚を伝えるには、散文の方が向いている。
実際、ボードレールの散文詩では、韻文詩よりも、具体的な記述が多い。
1862年9月、「ラ・プレス」という新聞に3回シリーズで「小散文詩」集が掲載される。その中に、「朝の一時」がある。その詩は、この上もなく赤裸々な言葉で綴られる詩人の内心の独白。
一日中ずっと自分に無理強いすることばかり。それに堪え、我慢しながらやりくりするしかない日々の生活。そうした中で、夜中にアパルトマンに戻り、やっと自分自身に戻る。

やっと! 一人だ! 聞こえてくるのは、もう、夜も遅くなり、疲れ果てた馬車の走る音だけ。心が安まるわけではないにしても、数時間は静かでいられるだろう。やっとだ! 人間の顔の横暴が消えた。苦しむとしたら、もう、私自身によるだけ。
やっとだ! 闇の湯船で寛げる!まず、二重にドアの鍵を回す。鍵を回すと孤独が深くなり、バリケードを補強するように思える。そのバリケードが、今、私を外の世界から切り離してくれる。
おぞましい生活! おぞましい街! 今日したことをまとめてみよう。
こうして彼はその日の出来事を数え上げ、最後に弱い自分の本音をもらす。
みんなに不満であり、私自身に不満。だからこそ、夜の静寂と孤独の中で、自分を立て直し、少しだけ自分にプライドを持ちたい。私が愛した人々の魂よ、私が詩に歌った人々の魂よ、私を強くしてください。私を支えてください。私から、偽りと世界を堕落させる靄とを遠ざけて下さい。そして、あなた、私の神様! 私に数行の美しい詩句を作り出す恩寵をお恵み下さい。私が人間の中で最低の人間ではなく、軽蔑している奴ら以下の人間ではないと、自分自身に証明できるような詩句を!
どんな解説も必要がない。散文詩の言葉がそのまま彼の思いを伝え、詩が彼にとってどんな意味を持つのか教えてくれる。
それは散文だからこそ可能な表現といっていいだろう。韻文ではこんなに率直には語れない。
ただし、詩というジャンルであるかぎり、単に意味を伝達するのではなく、詩情を読者の心に生じさせることが最も重要な機能になる。
「芸術家の告白」は、美を求める心、美を実現しようと努める戦いが、詩情を生み出す根底にあることを、ボードレールがふともらした詩。
秋の日の終わり、詩人は広大な海と空を見つめる。遠くには小さな船が見える。

なんと素晴らしい喜びなのか、視線を空と海の広大さの中に溺れさせるのは! 孤独、沈黙、蒼空の比類なき純潔さ! 水平線で震える小さな帆船。小さく、孤立しているその姿が、救いようのない私の存在をまねている。波のうねりの単調な旋律、全てのものが私を通して思考する。あるいは、私が全てを通して思考する。(というのも、夢想の偉大さの中で、私という存在はすぐに失われるからだ。)
(中略)
今や、空の深みが私を茫然とさせる。透明さが私を絶望させる。海は心を動かさず、この光景は不動だ。いらいらする。。。ああ、永遠に苦しまなければならないのか。あるいは、永遠に美から逃れなければならないのか。自然よ、情けを持たない魔女よ、常に勝利を収め続ける競争相手よ、私をほっておいてくれ! 私の欲望や誇りを誘惑するのは止めてくれ! 美を学ぶことは一つの戦いだ。芸術家が恐怖の叫び声をあげ、打ち負かされるしかない戦いだ。
空と海が作り出す広大な空間の中にぽつんと浮かぶ小舟。詩人はその姿を見つめながら、そこに自らの姿を認める。「孤独、沈黙、蒼空の比類なき純潔さ」。
そうしているうちに、いつしか自分がここにいるという自己意識がなくなり、「私という存在が失われ」、我を忘れた恍惚感の中で、「私」と世界が一つになっていく。「全てのものが私を通して思考する。あるいは、私が全てを通して思考する。」
それこそが「美」の出現する時に他ならない。
芸術家の戦いは、その時、その美を、作品によって生み出すことにある。しかし、決してその戦いに勝利することはない。広大な海と空に匹敵する美を、人間が生み出すことはできない。
それがわかっているからこそ、詩人は、「私の欲望や誇りを誘惑するのは止めてくれ!」と叫ぶ。美を知らなければ、美を求めなければ、無益な戦いから逃れられる。
しかし、それでも、どうしても、美を求めてしまう。
「空の深みが私を茫然とさせる。透明さが私を絶望させる。」だからこそ、ますます美に強く惹かれ、美を実現しようと努める。
そして、そこに、芸術家の手による美が生まれるかもしれない。詩人の筆から、「数行の美しい詩句」が湧き出すかもしれない。
その可能性を求めることが、美の源泉となる。
こうした散文詩を集めた詩集について、ボードレールは1862年にある程度まとまった数の作品を発表するに際して、韻文詩集『悪の華』とはまったく違う構想を描いていた。

『悪の華』は、全ての詩が統一性のある完璧な構造体として構想された。だからこそ、6つの詩の削除が命じられた時には、全体の構成をもう一度考え直したのだった。
それに対して、韻文の規則からの自由を最大の課題とした散文詩集は、完璧な構造体とは正反対のものとして構想された。
『ラ・プレス』紙に掲載された「小散文詩集」の冒頭に、新聞の文芸部門の責任者だったアルセーヌ・ウセーに宛てた序文が置かれ、詩集の意図が次のように説明されている。
親愛なる友よ、私はあなたにこの小さな作品を送ります。そこには尾も頭もないと言う人がもしいたら、それは不当と言わざるをえません。というのも、逆に、そこには、尾と頭がお互いに入れ替わりながら、同時に存在するからです。そうした組み合わせが、全ての人に、あなたにも、私にも、読者にも、どれほど素晴らしい便利さを与えてくれるか考えてみてください。私たちは、望む時に、切断することができるのです。私は自分の夢想を、あなたは原稿を、読者は読書を。(中略)脊髄を取り除いてみてください。曲がりくねったこのファンタジーの二つの部分は、何の苦もなく結合するでしょう。いくつかの部分に切断してみてください。すると、一つ一つの部分が独自に存在できるのがわかるでしょう。それらの断片のいくつかが、生き生きとしていて、あなたのお気に召し、あなたを楽しませることを期待して、この蛇全体をあなたに捧げます。
散文詩集は、どこが頭でどこが尾ということがなく、どこから読み始めてもいい。それぞれの散文詩が独自に命を宿し、全体を構成する。
それは、時間の流れを「今」の連続体として捉える世界観と対応しているとも考えられる。持続する時間の中では、取り立てて前後関係を云々することはない。
ボードレールは、1864年頃になり、散文詩集に『パリの憂鬱』という題名を与え、彼の美学の一つの実現を目指していたが、しかし、それが完成することはなかった。
最終的には、彼の死後、友人たちの手によって様々な新聞や雑誌に掲載された詩が集められ、1869年に『ボードレール全集』第4巻に『パリの憂鬱 小散文詩集』として収録されることになる。
従って、私たちは、ボードレールが生きていたらどのような詩集になっていたのか、正確なところはわからない。
しかし、残された散文詩を検討し、アルセーヌ・ウセーに宛てられた序文を読むかぎり、韻文詩よりも自由で、時代の現実に則した詩のジャンルを構想していたのではないかと、推定することはできる。
『悪の華』第2版や散文詩集『パリの憂鬱』の通奏低音となる美学に関しては、韻文詩や散文詩を詳細に読み解くことでわかってくることも多いが、同時期に執筆された絵画・音楽・文学に関する論考から、より直接的に教えられることもある。
その点に関しては、項目を新たにして検討していく。
「シャルル・ボードレール 新しい美の創造 2/5『悪の華』第2版と散文詩集『パリの憂鬱』の構想 」への1件のフィードバック