ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)によるボードレールの散文詩「異邦人(L’Étranger)」の翻訳 Lafcadio Hearn « The Stranger »

パトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)は、1850年にギリシアで生まれた。父はアイルランド人の医師で、母はヴィーナスが誕生した島として知られるエーゲ海のキュテラ島出身。

2年後に両親はアイルランドに戻るが、間もなく離婚。ハーンは父方の大叔母に育てられ、フランスの神学校やイギリスのダラム大学などでカトリックの教育を受ける。ただし、彼はキリスト教に反感を持ち、ケルトの宗教に親近感を示した。

1869年、大叔母が破産し、ハーンはアメリカに移民として渡り、シンシナティでジャーナリストとして活動するようになる。その後、ニューオーリンズの雑誌社に転職し、さらに、カリブ海のマルティニーク島へ移住する。

日本にやってきたのは、1890年4月。8月から、島根県松江の学校に英語教師として赴任した。
1891年1月、松江の士族の娘、小泉セツと結婚。同じ年の11月、松江を離れ、熊本の第五高等学校の英語教師になる。
1894年、神戸市のジャパンクロニクル社で働き始める。
1896年9月から東京帝国大学文科の講師として英文学を担当。その年に日本に帰化し、小泉八雲と名乗った。
東京では最初、牛込区市谷富久町で暮らしたが、1902年に西大久保に転居。
1903年、帝国大学の職を解雇され、後任として夏目漱石が赴任する。
1904年9月26日、心臓発作のために死去。享年54歳。

ラフカディオ・ハーンの生涯をこんな風に足早に辿るだけで、彼がシャルル・ボードレールの散文詩「異邦人」に親近感を持ち、英語に翻訳したことに納得がいく。

ハーンの英語訳で最初に興味を引かれる点は、謎の男に、ボードレールは砕けた表現である« tu(君、お前)»と呼びかけるのに対して、ハーンは古語である« Thou »を使うこと。
そのために、動詞の活用も« thou lovest »と古語の語尾になり、所有格も« thy »。さらに、疑問副詞にも、古語の« whereof (of which、of whom)»が使われる。

そのことで、詩が日常を離れ、伝説的あるいは神話的な次元へと移行し、神秘性が強くなることを、ハーンは目指したのだろう。

THE STRANGER
 “O man of enigmas, say whom lovest thou most—thy father, thy mother, thy sister, or thy brother?—“
 “No father have I, nor mother, nor sister, nor brother.”
“Thy friends?”
“Thou hast uttered a word whereof the meaning has remained unknown to me even unto this day.”
 “Thy country?”
 “I know not in which latitude it is situated.”
“Beauty?”
“Willingly would I love her, were she immortal and a goddess.
“Gold?
 “I hate it even as thou dost hate God.”
“Then tell me, O strangest of strangers, what lovest thou?”
“I love the clouds, the passing clouds…the clouds of heaven…the marvelous clouds.” 

ボードレールの原文を読んでみると、ハーンの訳がほとんど逐語訳といえることがわかる。

 L’Étranger

— Qui aimes-tu le mieux, homme énigmatique, dis ? ton père, ta mère, ta sœur ou ton frère ?
— Je n’ai ni père, ni mère, ni sœur, ni frère.
— Tes amis ?
— Vous vous servez là d’une parole dont le sens m’est resté jusqu’à ce jour inconnu.
— Ta patrie ?
— J’ignore sous quelle latitude elle est située.
— La beauté ?
— Je l’aimerais volontiers, déesse et immortelle.
— L’or ?
— Je le hais comme vous haïssez Dieu.
— Eh ! qu’aimes-tu donc, extraordinaire étranger ?
— J’aime les nuages… les nuages qui passent… là-bas… là-bas… les merveilleux nuages !

(この詩の解説については、ボードレール 「異邦人」 Charles Baudelaire « L’Étranger » 片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず を参照。)

フランス語の単語を対応する英語に置き換えていない部分を取り上げてみると、以下の二つが目につく。

(1)友だちに関して
Vous vous servez là d’une parole: 言葉を使う
Thou hast uttered a word : 言葉を口に出した

se servir deを、useあるいはemployではなく、utterにすることで、友だちという言葉の意味がわかならいという部分に、ハーンはより強い意味を込めたのではないかと考えられる。

(2)雲に関して
les nuages qui passent… là-bas… là-bas:流れていく雲、あちらに、あちらに。
the passing clouds…the clouds of heaven:流れていく雲、天空の雲

ボードレールの詩句は、« là-bas… là-bas »と繰り返され、« extraordinaire étranger »が彼方を憧れるような眼差しが感じられ、音楽的にも大変に美しい。
それに対して、ハーンは、« heaven »という言葉を導入し、« strangest of strangers »が天上の世界に憧れを持つことをはっきりと示そうとする。

「異邦人」の翻訳は、1883年 12月 31日に「タイムズ・デモクラット」紙に匿名で掲載されたものだが、転居を繰り返し、どこにいても自分をこの世の「異邦人」だと感じていたと思われるラフカディオ・ハーンの心の奥に潜む気持ちを、赤裸々に表現していると考えてもいいのではないだろうか。

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