ボードレール 「異邦人」 Charles Baudelaire « L’Étranger » 片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず  

散文詩「異邦人(L’Étranger)」は、ボードレールが、ノルマンディー地方にあるオンフルールの海岸や、ウージェーヌ・ブーダンの風景画の中で見た、空に浮かぶ雲を思い起こしながら、詩人の存在について歌った詩だといえるだろう。

詩人は、世界のどこにいても「外国人(étranger)」であり、人間にとって自然だと思われている感情を持たず、常に違和感を感じている。

ボードレールは、自分の中の詩人に向かい、矢継ぎ早に質問をする。

— Qui aimes-tu le mieux, homme énigmatique, dis ? ton père, ta mère, ta sœur ou ton frère ?
— Je n’ai ni père, ni mère, ni sœur, ni frère.
— Tes amis ?
— Vous vous servez là d’une parole dont le sens m’est resté jusqu’à ce jour inconnu.
— Ta patrie ?
— J’ignore sous quelle latitude elle est située.
— La beauté ?
— Je l’aimerais volontiers, déesse et immortelle.
— L’or ?
— Je le hais comme vous haïssez Dieu.
— Eh ! qu’aimes-tu donc, extraordinaire étranger ?
— J’aime les nuages… les nuages qui passent… là-bas… là-bas… les merveilleux nuages !

— 誰が一番好きなんだ? 謎の男よ、言ってくれ。父? 母? 姉妹? 兄弟?
— 私には、父も、母も、姉妹も、兄弟もいない。
— 友だちは?
— 君はそんな言葉を使うが、その言葉の意味は、今日の日まで、私には未知のものに留まっている。
— 祖国は?
— どの緯度にあるのか、私は知らない。
— 美女は?
— もし女神で不死の存在なら、喜んで愛するだろう。
— 黄金は?
— そんなものは憎んでいる。君が神を憎んでいるように。
— だったら! 一体何を愛するんだ? 途方もない異国の人よ。
— 私が好きなものは、雲・・・。流れていく雲・・・、あちらに、・・・あちらに・・・。素晴らしい雲だ!

この散文詩は、日常的に使われる単語が用いられ、通常の会話文で綴られていて、ほとんど何も説明が必要ないとさえ思われる。

問いに答える男(=「私」)は、通常の社会通念であれば愛の対象となるはずのものを、全て否定する。家族も、友人も、祖国も、美しい女性も、黄金あるいは金銭も、神も。
現実にこんな人間がいたら、変人扱いされ、社会から排除されてしまうだろう。

しかし、この詩の中では、変な人間に対して、「謎めいた(énigmatique)」とか「途方もない(extraordinaire)」という形容詞が使われ、何かしら惹きつけられるものがある呼びかけが行われている。

そして最後、もしオンフルールの海岸に浮かぶ雲を見たり、ウージェーヌ・ブーダンの絵画を見たことがあれば、誰もが共感できる、素晴らしく美しい詩句が発せられる。

J’aime les nuages… les nuages qui passent… là-bas… là-bas… les merveilleux nuages !

実際、「雲(nuages)」は「素晴らしく(merveilleux)」、この上もなく美しい。

芭蕉を知っていれば、こんな言葉がすぐに浮かんでくる。

予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず、海浜にさすらへ、(・・・)。(『奥の細道』)

読者は、片雲の美しさを実感すると、この世に違和感を持ち、馴染まない人間の想いにも寄り添うことができる。共感し、共に旅立ちたいとさえ思うかもしれない。

詩人は、普段は当たり前と思われ、意識化さえされない社会通念が、同調圧力として人間の心や体を縛っていることを、父も母も愛さないと言った言葉で、過激に告発する。
そして、社会的には、船上に下りた不格好なアホウドリのような扱いを受けたとしても、空を流れる雲を愛すると公言する。
詩人は、漂白の思いに誘われて旅を続ける、永遠の「異邦人(étranger)」なのだ。

ところで、「謎の男(homme énigmatique)」が愛する雲は、「彼方(là-bas)」へと流れていく。
ヨーロッパ的な思考の中で、彼方の雲を求めることは、有限の地上を離れ、無限のイデア界へと飛び立つことでもある。実際、詩人は、女神や不死の存在、つまり永遠の美であれば、愛すると言う。
ボードレールにとっての美は、「束の間」でありながら「永遠」であるという、二つの側面を持っている。
「異邦人」の中では、あちらへと流れていく雲が、まさにそうした美を具体化しているといえるだろう。

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