ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire)は、1918年、死の直前に出版した『カリグラム(Calligrammes)』の中で、文字がデッサンのように配置された詩によって、詩と絵画とが融合した新しい芸術を目に見える形で示した。




カリグラム(Calligrammes)という言葉は、「習字」を意味する「カリグラフィー(calligraphie)」と「表意文字」を意味する「イデオグラム(idéogramme)」を組み合わせたアポリネールの造語だが、さらに遡ると、ギリシア語の「カロ(kallos)=美」と「グラマ(gramma)=文字」に由来し、「美しく書く、美しい文字」を暗示する。
アポリネールは、友人のパブロ・ピカソに「僕も画家だ。」と言ったと伝えられるが、『カリグラム』の中表紙にはピカソによるアポリネールの肖像画が掲げられている。
彼らは、20世紀初頭において、新しい美の創造を目指した芸術家の一団の中で、中心的な役割を果たしたのだった。
ここでは、カリグラムによって描かれた「ネクタイと腕時計(La Cravate et la Montre)」を見て=読んでいこう。

右上のネクタイの部分。
La cravate douloureuse que tu portes et qui t’orne, o civilisé,
Ote-la si tu veux respirer.
苦痛に満ちたネクタイ、それをお前は身に付け、それがお前を飾る、おお、文明人よ、
それを外せ、息をしたければ。
20世紀初頭、機械文明が発展し、社会生活は便利になった。しかし、その一方で、スピードが増し、人々は時間に追われ、ゆとりのない生活を余儀なくされるようにも感じられる。
そんな同時代の人々を文明人(civilié)と呼び、彼らの喉を締め付けるネクタイ(cravate)を外すようにと提案する。ネクタイは外見を飾る(orner)かもしれないが、息をする(respirer)のを妨げ、苦痛をもたらす(douloureux)ものでもある。
腕時計では、ネクタイを外した後の楽しい時間が提示される。
[上のボタンの部分]
comme l’on s’amuse bien
なんて楽しいんだ
[右側の輪郭の部分]
la beauté de la vie passe la peur de mourir
生の美しさが死の恐れを超える。
[文字盤の数字の部分。0時から1時、2時・・・の順に11時まで。]
les heures
mon cœur
les yeux
l’enfant
Agla
la main
Tircis
semaine
l’infini redressé par un fou de philosophe
Les Muses aux portes de ton corps
le bel inconnu
et le vers dantesque luisant et cadavérique
時間(0時)
我が心(1時)
目(2時)
子供(3時)
アグラ(4時)
手(5時)
ティルシス(6時)
週(7時)
狂人の哲学者によって立て直された無限(8時)
お前の肉体の門に立つミューズたち(9時)
美しい見知らぬ男(10時)
そして、光輝き、死体のような、ダンテの詩句(11時)
3時が子供(l’enfant)なのは、子供が生まれるとき、1+1が3になるという冗談から来るらしい。
4時のアグラ(Agla)は、「神よ、あなたは力強く永遠です」を意味する4文字のヘブライ語。
6時のティルシス(Tircis)は、ローマの詩人ウェルギリウスの田園詩に出てくる羊飼いの名前。Tire(ティル:引く)+six(シス:6)を組み合わせた« J’en tire six »(私はそこから6を引く)という表現に、なんらかの性的な意味があるらしい。
7時の週(semaine)は、一週間が7日からなることによる。
8時の無限(infini)は、無限のマーク∞を縦にすると8に似ているため。
9時のミューズ(Muses)は、芸術のミューズが9人いるとされることによる。
10時が見知らぬ男(inconnu)なのは、Xが数学の記号で未知の大きさを指し、ローマ文字では10を意味することによる。
11時がダンテの詩句なのは、『神曲』の詩句が11音節であることによる。
[長針と短針の部分]
Il est – 5 enfin
Et tout sera fini
やっと、5時(長針)
そして、全てが終わるだろう(短針)

短針が指しているのは11時なのに、文の意味は「やっと5時」。そうした矛盾に、この詩=デッサンの面白さがあり、機械文明の規則性にから外れる楽しみが示されている。
こうした解釈以外にも、この詩を読み説く楽しみはまだまだあるはずであり、いつか全てが終わる(tout sera fini)としても、しかし、楽しいと感じる(comme l’on s’amuse bien)限り、生は美しい(la beauté de la vie)。
「ネクタイと腕時計」は、そうした謎解きの楽しい時間を過ごさせてくれる詩ではないだろうか。
そして、そんなことを考えながら、この詩の朗読を聴くのも楽しい。