「女人訓戒」 太宰治による読書レッスン 

太宰治の「女人訓戒」はわずか数ページの作品だが、読んでいると思わず笑ってしまう。

人間は何かを思い込むと、とんでもない行動をすることがある。太宰はそうした例を次々に挙げ、きっかけとなることとその結果の取り合わせの滑稽さを浮かび上がらせる。

その最初の例として提示するのが、日本で最初にフランス文学教授になった学者の書いた本で、兎の目を移植された女性が猟師を恐れるようになったという面白いエピソードが引用される。
興味深いのは、教授の本の引用をした後、太宰は自分なりの推論を展開すること。そうしたやり方は、彼がどのように本を読むかを示す一つの例と考えられる。
別の見方をすると、太宰治が私たちに読書のレッスンをしてくれている、とみなすこともできる。

「女人訓戒」は「あおぞら文庫」に収録されているので全文を簡単に読むことが出来るし、youtubeに朗読(15分)もアップされている。短い作品だし、滑稽さが日々のストレスを一瞬だけでも忘れさせてくれるのも楽しい。
ただし、例がすべて女性に関係し、最後は女性に対する教訓といった体裁を取るので、女性差別といった目線で読んでしまう危険がある。そうなると作品の面白さが一気に消えてしまうので、注意しておきたい。

ここから、「女人訓戒」の全文を少しづつ読んでいこう。

 辰野隆(ゆたか)先生の「仏蘭西(フランス)文学の話」という本の中に次のような興味深い文章がある。
「千八百八十四年と云うのであるから、そんな古い事ではない。オオヴェルニュのクレエルモン・フェラン市にシブレエ博士と呼ぶ眼科の名医が居た。彼は独創的な研究によって人間の眼は獣類の眼と入れ替える事が容易で、且つ獣類の中でも豚の眼と兎(うさぎ)の眼が最も人間の眼に近似している事を実験的に証明した。彼は或る盲目の女に此(こ)の破天荒の手術を試みたのである。接眼の材料は豚の目では語呂が悪いから兎の目と云う事にした。奇蹟(きせき)が実現せられて、其の女は其の日から世界を杖で探る必要が無くなった。エディポス王の見捨てた光りの世を、彼女は兎の目で恢復(かいふく)する事が出来たのである。此の事件は余程世間を騒がせたと見えて、当時の新聞にも出たそうである。然(しか)しながら数日の後に其の接眼の縫目が化膿(かのう)した為めに――恐らく手術の時に消毒が不完全だったのだろうと云う説が多数を占めている――彼女は再び盲目になって了(しま)ったそうである。当時親しく彼女を知っていた者が後に人に語って次のような事を云った。
 ――自分は二つの奇蹟を目撃した。第一は云う迄もなく伝説中の奇蹟と同じ意味に於ける奇蹟が、信仰に依(よ)らずして科学的実験に依って行われたと云う事である。然し之れは左迄(さまで)に驚く可(べ)き現象ではない。第二の奇蹟のほうが自分には更に珍であった。それは彼女に兎の目が宿っていた数日の間、彼女は猟夫を見ると必ず逃げ出したと云う現象である。」

辰野隆(たつの・ゆたか)は東京帝国大学のフランス文学科に日本人として初めて採用された教授で、太宰は「逆行」の中で、「日本一のフランス文学者」と書いている。

また、太宰治にとって馴染みの深い先生でもあった。というのは、太宰が東大に入学してからほとんど大学に行かないまま卒業試験の口頭試問に出た時、辰野が試験官だった。辰野は3人の試験官を指さし、「この3人の名前を言ってごらん。君に言えたら、卒業できないこともない。」と言ったのだが、太宰は答えることができなかった。そんなエピソードが、井伏鱒二によって伝えられている。(その後、太宰は授業料未納で大学を退学になった。)

その辰野先生が『仏蘭西文学の話』の中で紹介するエピソードを、太宰は引用する。
人間の眼は兎や豚の眼と入れ替えることが可能という「独創的な研究」に従い、実際に、盲目の女性の眼に兎の目を移植したおかげで、女性は目が見えるようになった。
その科学的な信頼性は、手術後に縫い目が化膿して再び失明したという事実が証明するといっていいだろう。
最後に、「当時親しく彼女を知っていた者」の話として、手術のおかげで目が見えている間、兎の目を持つ女性は猟師を見ると逃げ出したという現象が報告される。

この引用には、辰野隆の個人的な意見はどこにも書かれていない。しかし、太宰はそこに辰野先生の手が入っている気配を読み取る。そして、その読み取りから、今度は自分の個人的な考えへと発展させていく。それが以下の一節である。

 以上が先生の文章なのであるが、こうして書き写してみると、なんだか、ところどころ先生のたくみな神秘捏造(ミステフィカシオン)も加味されて在るような気がせぬでもない。豚の眼が、最も人間の眼に近似しているなどは、どうも、あまり痛快すぎる。けれども、とにかくこれは真面目な記事の形である。一応、そのままに信頼しなければ、先生に対して失礼である。私は全部を、そのままに信じることにしよう。この不思議な報告の中で、殊に重要な点は、その最後の一行(いちぎょう)に在る。彼女が猟夫を見ると必ず逃げ出した、という事実に就(つ)いて私は、いま考えてみたい。彼女の接眼の材料は、兎の目である。おそらくは病院にて飼養して在った家兎にちがいない。家兎は、猟夫を恐怖する筈はない。猟夫を見たことさえないだろう。山中に住む野兎ならば、あるいは猟夫の油断ならざる所以(ゆえん)のものを知っていて、之を敬遠するのも亦(また)当然と考えられるのであるが、まさか博士は、わざわざ山中深くわけいり、野生の兎を汗だくで捕獲し、以て実験に供したわけでは無いと思う。病院にて飼養されて在った家兎にちがいない。未だかつて猟夫を見たことも無い、その兎の目が、なぜ急に、猟夫を識別し、之を恐怖するようになったか。ここに些少(さしょう)の問題が在る。

動物の眼を人間に移植するという話は面白いし、その手術が実際に行われたとなれば、ますます興味深い。辰野はそれを事実の報告といった風に語る。
東大教授がフランス文学に関する本の中で書いているのだから信じるに値するし、事実に違いないと普通であれば考える。それが一般的な読みであり、理解の仕方だろう。

しかし、辰野先生を実際に知っている太宰は、信じなければ先生に失礼だと言いながら、どこか信じられないものを感じる。客観的な報告の裏に、「先生のたくみな神秘捏造(ミステフィカシオン)」が隠れているように感じるからだ。
そこで太宰が焦点を当てるのは、引用の大部分を占める手術に関する部分ではなく、兎の目を持つ女性が猟師を見ると逃げ出すという最後の短いコメント。
この言葉は、実際に女性を知る男のものなのか? 辰野隆が読者を煙に巻き、実験の話をさらに面白くするための「神秘捏造(ミステフィカシオン)」なのか? 太宰の疑いはそこにある。

ただしその疑いは、決して辰野の話を否定するものではない。
太宰が「あまり痛快すぎる」と言う時、痛快さを共有していることは確かだ。その上で、文章からはすぐに読み取れない辰野的エスプリを読み取り、彼と対話しながら、太宰自身の考えを発展させる。
要するに、仏文学者の辰野隆が真面目を装って紹介する面白可笑しい話を、一見真面目に受け取るように見せながら、ユーモラに対してユーモアで応え、太宰も真面目な風を装いながら自身の思いつきを連ねていく。

その際、小説家・太宰治は、学者・辰野隆よりもずっと想像力を豊かに働かせ、実験に使われた兎について具体的に思い描く。
その兎は病院で飼われていたはずで、山中の野兎のように猟師の追われた経験はないはずだといったように、太宰は空想の翼を広げる。
そして、なぜ兎の目の女性が猟師を見ると逃げるのかという問題を、自分に対して問いかける。

以下の答えは、「女人訓戒」を読み取る上で鍵となる。

 なに、答案は簡単である。猟夫を恐怖したのは、兎の目では無くして、その兎の目を保有していた彼女である。兎の目は何も知らない。けれども、兎の目を保有していた彼女は、猟夫の職業の性質を知っていた。兎の目を宿さぬ以前から、猟夫の残虐(ざんぎゃく)な性質に就いては聞いて知っていたのである。おそらくは、彼女の家の近所に、たくみな猟夫が住んでいてその猟夫は殊にも野兎捕獲の名人で、きょうは十匹、きのうは十五匹、山からとって帰ったという話を、その猟夫自身からか或いは、その猟夫の細君からか聞いていたのでは無かろうかと思われる。すると、解決は、容易である。彼女は、家兎の目を宿して、この光る世界を見ることができ、それ自身の兎の目をこよなく大事にしたい心から、かねて聞き及ぶ猟夫という兎の敵を、憎しみ恐れ、ついには之をあらわに回避するほどになったのである。つまり、兎の目が彼女を兎にしたのでは無くして、彼女が、兎の目を愛するあまり、みずからすすんで、彼女の方から兎になってやったのである。女性には、このような肉体倒錯(とうさく)が非常にしばしば見受けられるようである。動物との肉体交流を平気で肯定しているのである。

兎の目の女性は、「おそらく」、「野兎捕獲の名人」だったかもしれない猟師かその妻を知っていて、彼の「残虐な性質」を恐れていた。そして、目が見えるようにしてくれた兎の目を大切にしていたために、兎の敵である猟師を憎み、猟師を見ると逃げたのだと、太宰は結論付ける。

しかも、読者にその説を信じさせるため、最初に「答案は簡単である。」と誰でも分かることだという印象を与えておき、最後は、「肉体倒錯」とか「動物との肉体交流」といった用語を使い、立派な理論のような装いを施す。

読者は太宰の策略によって、思わずこの説を信じてしまったり、逆に、論証は間違っていると真面目に反論したくなったりする。

しかし、辰野先生の文章に「先生のたくみな神秘捏造(ミステフィカシオン)」を読み取るレッスンを受けていれば、私たち読者も太宰の論証に「太宰治のたくみな神秘捏造(ミステフィカシオン)」を読み取る方がいいだろ。そうでなければ、太宰のよき生徒にはなれない。

この「肉体交流」論の後、具体的な例が続く。
その際にポイントになるのは、影響を及ぼす物がどのような効果を発揮するかという関係である。
太宰の説を読む前に、以下の三つの物からどんな影響があるか自分で考えてみると、太宰のユーモア感覚がより実感できるだろう。
(1)牛タンシチューを食べたらどうなるか?
(2)狐の襟巻きをしたらどうなるか?
(3)イカのさしみを食べたらどうなるか?

或る英学塾の女生徒が、Lという発音を正確に発音したいばかりに、タングシチュウを一週二回ずつの割合いで食べているという話も亦、この例である。西洋人がLという発音を、あんなに正確に、しかも容易にこなしているのは、大昔からの肉食のゆえである。牛の肉を食べるので、牛の細胞がいつしか人間に移殖され、牛のそれの如く舌がいくぶん長くなっているのである。それゆえ彼女もLの発音を正確に為す目的を以て、いま一週二回の割合いでタングシチュウを、もりもり食べているというのである。タングシチュウは、ご存じの如く、牛の舌のシチュウである。牛の脚の肉などよりは、直接、舌のほうに効目ききめがあろうという心意気らしい。驚くべきことは、このごろ、めきめき彼女の舌は長くなり、Lの発音も西洋人のそれとほとんど変らなくなったという現象である。これは、私も又聞で直接に、その勇敢な女生徒にお目にかかったことは無いのだから、いま諸君に報告するに当って、多少のはにかみを覚えるのであるが、けれども、私は之をあり得ることだと思っているのである。女性の細胞の同化力には、実に驚くべきものがあるからである。
狐きつねの襟巻(えりまき)をすると、急に嘘つきになるマダムがいた。ふだんは、実に謙遜なつつましい奥さんであるのだが、一旦、狐の襟巻を用い、外出すると、たちまち狡猾(こうかつ)きわまる嘘つきに変化している。狐は、私が動物園で、つくづく観察したところに依っても、決して狡猾な悪性のものでは無かった。むしろ、内気な、つつましい動物である。狐が化けるなどは、狐にとって、とんでも無い冤罪(えんざい)であろうと思う。もし化け得るものならば何もあんな、せま苦しい檻おりの中で、みっともなくうろうろして暮している必要はない。とかげにでも化けてするりと檻から脱け出られる筈(はず)だ。それができないところを見ると、狐は化ける動物では無いのだ。買いかぶりも甚(はなはだ)しい。そのマダムもまた、狐は人をだますものだと単純に盲信しているらしく、誰もたのみもせぬのに、襟巻を用いる度毎に、わざわざ嘘つきになって見せてくれる。御苦労なことである。狐がマダムを嘘つきにしているのでは無く、マダムのほうから、そのマダムの空想の狐にすすんで同化して見せているのである。この場合も、さきの盲目の女の話と酷似しているものがあると思う。その兎の目は、ちっとも猟夫を恐怖していないばかりか、どだい猟夫というものを見たことさえないのに、それを保有した女のほうで、わざわざ猟夫を恐怖する。狐が人をだますものでもないのに、その毛皮を保有したマダムが、わざわざ人をだます。その心理状態は、両女ほとんど同一である。前者は、実在の兎以上に、兎と化し、後者も亦、実在の狐以上に、狐に化して、そうして平気である。奇怪というべきである。女性の皮膚感触の過敏が、氾濫(はんらん)して収拾できぬ触覚が、このような二、三の事実からでも、はっきりと例証できるのである。
或る映画女優は、色を白くする為に、烏賊(いか)のさしみを、せっせとたべているそうである。あくまで之を摂取(せっしゅ)すれば、烏賊の細胞が彼女の肉体の細胞と同化し、柔軟、透明の白色の肌を確保するに到るであろうという、愚かな迷信である。けれども、不愉快なことには、彼女は、その試みに成功したという風聞がある。もう、ここに到っては、なにがなんだかわからない。女性を、あわれと思うより致しかたがない。

牛タンシチューは英語のLの発音を上手し、狐の襟巻きは噓を誘発し、イカの刺身は肌の色を白くする。
こうした事例自体が面白いのだが、太宰がそれぞれに付け加える解説がさらに滑稽で笑ってしまう。

しかも、「女性の細胞の同化力」、「女性の皮膚感触の過敏」、細胞の同化といった言葉が使われ、一見科学的な知見であるような効果を生み出す。しかし他方では、「狐が化けるなどは、狐にとって、とんでも無い冤罪であろうと思う。」といった冗談も飛び出す。その対比も、面白さを際立たせる要因になる。

以上の3つの例の最後に、「女性をあわれと思う」という感想が付け加えられ、こうした例が女性ばかりに起こることを指摘し、さらに3つの例が付け加えられる。
(4)カモメの羽根のチョッキを着るとどうなるか?
(5)お家騒動を起こす猫はもともと何だったのか?
(6)大きな魚をがつがつ食べると何になるか?

 なんにでもなれるのである。北方の燈台守の細君が、燈台に打ち当って死ぬ鴎(かもめ)の羽毛でもって、小さい白いチョッキを作り、貞淑(ていしゅく)な可愛い細君であったのに、そのチョッキを着物の下に着込んでから、急に落ち着きを失い、その性格に卑しい浮遊性を帯び、夫の同僚といまわしい関係を結び、ついには冬の一夜、燈台の頂上から、鳥の翼の如く両腕をひろげて岩を噛かむ怒濤めがけて身を躍らせたという外国の物語があるけれども、この細君も、みずからすすんで、かなしい鴎の化身となってしまったのであろう。なんとも、悲惨のことである。
日本でも、むかしから、猫が老婆に化けて、お家騒動を起す例が、二、三にとどまらず語り伝えられている。けれども、あれも亦、考えてみると、猫が老婆に化けたのでは無く老婆が狂って猫に化けてしまったのにちがいない。無慙(むざん)の姿である。耳にちょっと触れると、ぴくっとその老婆の耳が、動くそうではないか。油揚を好み、鼠を食すというのもあながち、誇張では無いかも知れない。女性の細胞は、全く容易に、動物のそれに化することが、できるものなのである。
話が、だんだん陰鬱になって、いやであるが、私はこのごろ人魚というものの、実在性に就いて深く考えているのである。人魚は、古来かならず女性である。男の人魚というものは、未だその出現のことを聞かない。かならず、女性に限るようである。ここに解決のヒントがある。私は、こうでは無いかと思う。一夜彼女が非常に巨大の無気味の魚を、たしなみを忘れて食い尽し、あとでなんだかその魚の姿が心に残る。女性の心に深く残るということは、すなわちそろそろ、肉体の細胞の変化がはじまっている証拠なのである。たちまち加速度を以て、胸焼きこげるほどに海辺を恋い、足袋(たび)はだしで家を飛び出しざぶざぶ海中へ突入する。脚にぶつぶつ鱗うろこが生じて、からだをくねらせ二掻かき、三掻き、かなしや、その身は奇(あや)しき人魚。そんな順序では無かろうかと思う。女は天性、その肉体の脂肪に依り、よく浮いて、水泳にたくみの物であるという。
 教訓。「女性は、たしなみを忘れてはならぬ。」

カモメの例は外国の物語から、猫と老婆は日本の歴史物語からだという。出典の指摘も、話を本当らしくするための戦略だと考えられる。

そうした例を挙げながら、「悲惨」や「陰鬱」の方向に話を進め、最後の人魚に関しては、太宰が「実在性」について真剣に考えているのだという。

人魚の例では、「肉体の細胞の変化」「加速度」など科学を思わせる表現と、「かなしや、その身は奇しき人魚」といった文学的表現を組み合わせ、噓か本当かわからない説を語っていく。
そして、最後に、「女は天性、その肉体の脂肪に依り、よく浮いて、水泳にたくみの物であるという。」という、思わず笑ってしまう説で締めくくる。
男性よりも女性の方が水泳に向いているなどという説があったかどうか以上に、その理由として「脂肪」を挙げていることは、太宰がこれまでの話の信憑性をわざとひっくり返す仕組みを置いたことになる。

ちなみに、女性の脂肪ということに関して、現代であれば太っていることが否定的に受け取られる可能性もあるが、しかしこの文章が書かれた昭和15年当時の日本は貧しく、食べられることが生活の安定を示すものだった。
昭和30年代の日本でも、小津安二郎の映画を見ればわかるように、若い女性に向かい、「ぽちゃっとして可愛くなった。」と言われることがあった。
時代性を考慮せず、現代のフェミニスト的視点から「女人訓戒」を読み説こうとすると、ミゾジニー(女性嫌悪)とかアブジェクシオン(おぞましきもの)といった用語で非難する可能性もある。そうなったら、この作品の面白さは一気に吹き飛んでしまう。

昭和15年1月1日発行の『作品倶楽部』にこの作品が最初に掲載された時の題名は、「短編集」だったが、昭和15年4月20日出版の『皮膚と心』に再録された時、「女人訓戒」という題名に変更された。
その変更のため、「女性は、たしなみを忘れてはならぬ。」という「教訓」がさらに強調されることになる。
そんな教訓を伝えるために太宰治がこの作品を書いたのだと考えるとすると、その読み方はあまりにも貧しいと言わざるをえない。

「この不思議な報告の中で、殊に重要な点は、その最後の一行に在る。」と言う太宰が、自らの「神秘捏造(ミステフィカシオン)」を連ねるように、私たち読者も、「女人訓戒」の最後の一行から、真面目くさった装いの滑稽譚を捏造できれば、こんなに楽しいことはない。
「女人訓戒」は、太宰治が辰野隆の文章に対して行った読み方の応用を促す、読書のレッスンとして読みたい。



太宰治のユーモア感覚については、「畜犬談」にはっきりと現れている。その冒頭の一節。

私は、犬については自信がある。いつの日か、かならずいつかれるであろうという自信である。私は、きっとまれるにちがいない。自信があるのである。よくぞ、きょうまで喰いつかれもせず無事に過してきたものだと不思議な気さえしているのである。

あおぞら文庫「畜犬談」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/246_34649.html

太宰自身も、「畜犬談」について次のように述べている。

いくらか皮膚病嫌悪の小説みたいなところもあるが、甲府では私は本当に野良犬どもに悩まされた。はじめは大まじめで、この鬱憤(うっぷん)を晴らすつもりで取りかかったが、書いているうちに、滑稽になってしまった。憤懣(ふんまん)もまた度を超すと、滑稽に止揚(しよう)するものらしい。書き終えて読みかえしてみたら、まるでもう滑稽物語になっていたので、これは当時のユウモア小説の俊英、伊馬鵜平君に捧げる事にしたのである。

実際、大笑いできるし、太宰と犬とのやり取りが楽しく、結末のサスペンスも準備されている。
昭和14年10月に発表された作品で、「女人訓戒」のユーモアを感じる取る参考にもなる。

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