
太宰治の「走れメロス」は中学2年の国語の教科書に採用されているために、日本で中等教育を受けた人間であればほぼ誰もが知る作品であり、専門的な研究、国語教員たちの教材研究、ネット上に溢れる感想や解説等、驚くほど多くの言葉が語られている。
そうした言葉を大別すると、対立する二つの感想に整理することができる。
(1)友情と信頼を訴える感動的な物語=美談
(2)人物像や状況設定に突っ込みどころが多く、教訓くさいだけで真実味がなく、メロスも自己満足的で共感できない。
子供の頃に読んだ時にはとても感動した覚えがあるが、大人になって読み返してみると「アレッツ」と思ったという感想も、二つの相反する見解の反映である。
あおぞら文庫に収録されているし、youtubeで朗読(約40分)を聞くことも可能なので、作品全体をすぐに読み返すことができる。
あおぞら文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1567_14913.html
物語の展開 シラーの詩「人質」
物語の展開は、最後に「(古伝説と、シルレルの詩から。)」と原典が記されているように、ドイツの詩人シラーの「人質」に沿っている。
太宰治はその詩を、昭和12年に出版された『新編シラー詩抄』(小栗孝則訳)で読んだらしい。その証拠に、あらすじが同じだけではなく、字句まで同じか、類似しているところが数多くみられる。
冒頭で、メロスは暴君のところに乗り込んで行き、絞首刑を言い渡されるが、その時に三日の猶予をもらい、自分の身代わりとして友人を人質にすることを申し出る場面にもそれがよく現れている。
「人質」
暴君ディオニスのところに
メロスは短劍をふところにして忍びよつた
警吏は彼を捕縛した
「この短劍でなにをするつもりか? 言へ!」
險惡な顔をして暴君は問ひつめた
「町を暴君の手から救ふのだ!」
「磔になつてから後悔するな」──
「私は」と彼は言つた「死ぬ覺悟でゐる
命乞ひなぞは決してしない
ただ情けをかけたいつもりなら
三日間の日限をあたへてほしい
妹に夫をもたせてやるそのあひだだけ
その代り友逹を人質として置いてをこう
私が逃げたら、彼を絞め殺してくれ」
それを聞きながら王は殘虐な氣持で北叟笑(ほくそえ)んだ
そして少しのあひだ考へてから言つた
「よし、三日間の日限をおまへにやらう
しかし猶豫はきつちりそれ限りだぞ
おまへがわしのところに取り戾しに來ても
彼は身代りとなつて死なねばならぬ
その代り、おまへの罰はゆるしてやらう」
「走れメロス」
(前略)
「市を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。
おまえだって、いまに、磔(はりつけ)になってから、泣いて詫わびたって聞かぬぞ。」
(中略)
「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。(中略)
「そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」
それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑(ほくそえ)んだ。(中略)
「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」
太字にした部分は、小栗訳の「人質」から太宰があえて同じ言葉を用いているところといえるほど、類似している。
この後からも、あらすじはシラーと同一である。
メロスは妹を結婚させた後、身代わりになった友人セリヌンティウスの信頼に応えるためシラクスに戻ろうとし、その過程で4つの試練を受ける。
(1)豪雨で橋が流され、川を泳いで渡る。
(2)盗賊に襲われる。
(3)疲労困憊して動けなくなり、友を裏切ってもいいと一瞬思ってしまうなど、自分の弱さとの葛藤の中で、自問自答を繰り返す。
(4)何とか再び走り出したメロスに、セリヌンティウス友の弟子であるフィロストラトスが駆け寄り、もう処刑が行われたはずなので、自分の命のことを考えるようにと誘惑する。
最後にメロスは友の命を救うことができ、暴君は二人の友情と真実に心を打たれ、自分も仲間に入れて欲しいと言う。そこでも、太宰は「人質」の詩句をほぼそのまま用いている。
がやがやと群衆は動搖した
二人の者はかたく抱き合つて
悲喜こもごもの氣持で泣いた
それを見て、ともに泣かぬ人はなかつた
すぐに王の耳にこの美談は傳へられた
王は人間らしい感動を覺えて
早速に二人を玉座の前に呼びよせた
しばらくはまぢまぢと二人の者を見つめてゐたが
やがて王は口を開いた。「おまへらの望みは叶つたぞ
おまへらはわしの心に勝つたのだ
信實とは決して空虛な妄想ではなかつた
どうかわしをも仲間に入れてくれまいか
どうかわしの願ひを聞き入れて
おまへらの仲間の一人にしてほしい」
群衆は、どよめいた。(中略)
「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。
群衆の中からも、歔欷(きょき=すすり泣き)の声が聞えた。暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。
「おまえらの望みは叶かなったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」
こうした類似のために、太宰がシラーの作品の「盗作」したと言われることがある。しかし、「古伝説と、シルレルの詩から」と最後に明記されていることから、太宰の意図が、昔からある物語の「語り直し」であったと推測できる。
もし読者があらすじだけを辿るとすれば、「人質」でも「走れメロス」でも同様の展開であり、どちらからも美談を読み取り、同じように感動するはずである。
しかし、二つの作品を読んだ後の印象は大きく異なる。
としたら、太宰治の書き直しが効果を発揮し、その結果、「走れメロス」は現在でも多くの読者の心を感動させ、人気を博していることになる。違和感を感じるとか、反美談だとか、本当はこんな話といった反応も、同様に太宰の語り直しに由来する。
太宰治の語り直し
太宰が施した語り直しの部分の中で、とくに重要と思われる部分を幾つか見ていこう。
(1)冒頭
「人質」は、すでに引用した「暴君ディオニスのところに/メロスは短劍をふところにして忍びよつた 」から始まる。
それに対して、太宰治は、メロスがなぜ王のところにやってきたのかを説明する部分を付け加える。その際、太宰的な語り口の軽快さが、メロスの裏表のない正義感を、読者の胸にすっと入り込ませる効果を存分に発揮している。
メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
この一節の後、ディオニス王の残忍な行いが語られ、その中で「人を信じる」というテーマが提示される。
「おどろいた。国王は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」
聞いて、メロスは激怒した。「呆(あき)れた王だ。生かして置けぬ。」
メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、巡邏(じゅんら)の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、王の前に引き出された。
この中で、冒頭の「メロスは激怒した」が反復され、読者が最初に抱いた「なぜ?」という疑問が解消される。
次に、「呆あきれた王だ。生かして置けぬ。」という言葉と、「メロスの懐中からは短剣が出て来た」という行動が直結している様子が示され、「メロスは、単純な男であった」と直情型の性格が具体的に描かれる。
それに対して、暴君ディオニスの残忍さの原因は、「人を信ずる事が出来ぬ」だとされる。
それはメロスとセリヌンティウスの「友情と信頼」の対極に位置するものであり、ディオニスを半面教師とすることで、作品のテーマが巧みに浮き彫りにされることになる。
太宰の狙いは、読者が、人を信用できない王を憎み、心の中の思いと実際の行動が素直に繋がる一本気なメロスに共感を抱くように導くことだったに違いない。
その意図をそのまま受け入れるかどうかは、読者による。
A. メロスの正義感をそのまま受け入れる感受性を持った読者がいる。彼らはメロスに共感し、物語の伝えようとする美談に感動する。
B. 善悪の判断があまりにも単純すぎ、現実はもっと複雑で、メロスの行動は非現実的で、一人で暴君の城に乗り込むのは説得力がないと感じる読者もいる。彼らは、美談があまりにできすぎていて噓っぽいと感じたり、メロスが独善的な人間だと非難するかもしれない。
実際、メロスは相談もなく勝手にセリヌンティウスを自分の身代わりにするし、妹の結婚する日を自分の都合で勝手に決め、自分の妹や妹の婿であることにプライドを持てと言ったりする。
王に対しても、なぜ人を信用できないかわらかないし、最後に心を改めて「仲間の一人にしてほしい」と言うのも噓っぽく感じたりする。
その二つの読み方はどちらか一方が正しいかどうかということではなく、読者の感受性やものの考え方を明かすことになる。
(2)自分に負けそうになる試練 ー メロスの自問自答
妹を結婚させた後、シラクスに戻ろうと走るメロスに、豪雨、盗賊、疲労、誘惑という4つの試練が課されるが、その中でも三番目の試練は「走れメロス」の中心ともいうべきエピソードである。
「人質」では、一つの詩節で次のように語られる。
やがて太陽が灼熱の光りを投げかけた
つひに激しい疲勞から
彼はぐつたりと膝を折つた
「おお、慈悲深く私を强盜の手から
さきには急流から神聖な地上に救はれたものよ
今、ここまできて、疲れきつて動けなくなるとは
愛する友は私のために死なねばならぬのか?」
この疲労の試練を太宰は、メロスが自分を疑い、人間的な弱さを思わず出してしまうエピソードとして語り直す。
最初の部分は、「人質」をほぼそのまま辿り、字句まで借用し、物語を展開する。
一気に峠を駈け降りたが、流石さすがに疲労し、折から午後の灼熱(しゃくねつ)の太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩暈(めまい)を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天(いだてん)、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。
このようにしてあらすじを語り終えた後、「人質」にはないメロスの自問自答が付け加えられる。
おまえは、稀代(きたい)の不信の人間、まさしく王の思う壺(つぼ)だぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎(な)えて、もはや芋虫(いもむし)ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐(ふてく)された根性が、心の隅に巣喰った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧(しょうらん)、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら私の胸を截(た)ち割って、真紅の心臓をお目に掛けたい。愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な男だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。私は友を欺(あざむ)いた。中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定った運命なのかも知れない。セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。いまだって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。セリヌンティウス、私は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。私だから、出来たのだよ。ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村には私の家が在る。羊も居る。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬるかな。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。
物語全体を通してメロスは一本気な勇者として行動している。しかし、疲労に負けそうになったこの時だけ、複雑な思いに捕らわれ、自分に対する疑いが生じる。
彼は自分が暴君と同様な「不信の人間」にすぎないかもしれないと考えたり、友を救えなかったとしても一生懸命に走ったのだからしかたがないといった「ひとりよがり」な思いも抱く。
さらには、「悪徳者として生き伸びてやろう」とか、「正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。」とさえ考えるに至る。
メロスは、再び走る決心をした時、こうした弱さを「悪魔の囁き」だとみなすことになる。この自問自答は、「愛と信実」を信じ、「友と友の間の信実はこの世で一ばん誇るべき宝」だと考え続けているメロスと、悪魔との戦いなのだ。従って、最後にまどろんでしまうのは、悪魔に負けることになる。
物語を再話する中で、太宰はここでメロスの性格に陰影を付け、勇者でありながら、ある時には自分に負けてしまいそうになる弱い部分を持ち合わせていることを示した。
そのおかげで、読者は、彼の心情の変化を読み取り、一旦は諦めてしまいそうになりながら何とか起き上がろうとする姿に感動することになる。
まどろんだメロスの耳に水の流れる音が聞こえ、その水を一口飲み、再び走り始める姿を、太宰は次のように表現する。
死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。
「走れ! メロス」。この言葉が爽快に響くとしたら、それ以前に倒れ込んでしまったメロスがいるからなのだ。
ただし全ての読者が感動するわけではない。
メロスの葛藤を自己欺瞞とみなしたり、とりわけ勝手に友を自分の身代わりにしておいて、もし間に合わなければ「私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。」といった言葉はあまりにも身勝手だと考えたりする。
現実的に考えれば、そうした感想も当然湧いてくる。
一方の読者は「走れメロス」を寓話として読み、他方の読者は現実的な視点から読もうとする。そのことから、全く違う解釈が生まれてくる。
寓話や昔話であれば、例えば、道に迷った赤ずきんちゃんが狼の話をすることに何ら問題はない。その際に、狼が人間の言葉を使うのはおかしいとか、狼がおばあさんに変装できるはずがないし、それに気づかない赤ずきんちゃんもおかしい、などと言っても意味がない。
同じように、メロスの場合も、セリヌンティウスとの相互的な信頼や自己犠牲に基づく友情、弱さを持ちながらそれを乗り越えて走ろうとする人間の美しさを読み取ることが問題であり、メロスや暴君の性格を云々することは意味がないし、そんなことをしたら美徳の物語が壊れてしまう。
他方で、現代の小説としてリアルな視点で捉えると、つっこみどころが数多くあり、噓っぽいということになる。
それらの多くは、登場人物たちの性格や行動を現実の人間であるかのように分析し、問題点を指摘する。
現実的な視点からのアプローチの典型となるのは、ある中学生が「算数・数学の自由研究」作品コンクールで発表したという、メロスは全力で走っていないという考察かもしれない。
メロスの村とディオニス王の刑場の距離は十里(約40キロ)。
往路の出発は「初夏、満天の星」なので0時と仮定。到着は「日は既に高く、(中略)村人たちは野に出て仕事を始めていた」という記述から、午前10時と仮定。距離を時間で割り平均速度を出すと、時速3.9キロ。
帰り道も同様の仕方で考えていくと、山賊に襲われるまでの前半が2.7キロ、後半に死力を振り絞って走った場面でも5.3キロ。
普通に人間が歩く速度が4キロくらいだとされているので、この計算からすると、メロスは確かにあまり早く走っていないことになる。
これではとても、「少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。」などとは言えない。
要するに、寓話的な読みと現実的な読みの違いは、作品そのものから来る以上に、読者がどのような姿勢を取るかにかかっている。
そのことを意識しないと、美談派の読者は現実派の読者の読みが素直でないと非難し、現実派は美談派を素朴で現実を見ないと揶揄することになりかねない。
何を読み取り、何を語るかの基礎となるのは、読者自身の思考や感性なのだ。
太宰治がシラーの詩の土台に付け足したメロスの自問自答の読み取り方もまったく同様であり、悪魔のささやきに負けそうになるメロスに親近感を覚えるか、自己満足的な人間と読み取るかは、どちらかが正しいというのではなく、読者自身の鏡にすぎないといってもいいだろう。
(3)フィロストラトスの誘惑と少女のマント
A. メロスの思いがけない言葉
第4の試練で、フィロストラトスにもう間に合わないので、走るのをやめるようにと誘惑される場面では、メロスの口から、思いもかけない言葉が飛び出す。
間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。
読者は、セリヌンティウスが処刑される前にメロスが刑場に付くかどうかを心配し、ハラハラしながら物語を読んでいる。太宰もそのことはよくわかった上で、第4の試練もかなり長めに語り、サスペンスを引き伸ばす。
要するに、読者の期待は、「間に合うのか、間に合わないのか」、「セリヌンティウスの命が救われるのか、処刑されてしまうのか」という点にかかっている。
まさにその時、メロスはそうしたことはどうでもよく、「もっと恐ろしく大きいものの為に走っている」と言う。
物語にあまり感情移入できなかった読者は、この言葉を聞いて、メロスにますます不信感を持つだろう。自分の身代わりにした友だちの命はどうでもいいなどと言う人間が、友情と信頼の物語の主人公として相応しいだろうか?
反対に、美談をそのまま受け入れる読者であれば、「もっと恐ろしく大きいもの」とは何かを考え、目前の善悪を超えた何かをメロスの言動から読み取ろうとするだろう。
というのも、それが何かは最後まで明示されず、ある意味では、太宰治からの「謎かけ」でもあるからだ
ちなみに、この言葉に対応する「人質」詩節は、次の部分。
どうしても間に合はず、彼のために
救ひ手となることが出來なかつたら
私も彼と一緖に死のう
いくら粗暴なタイラントでも
友が友に對する義務を破つたことを、まさか褒めまい
彼は犧牲者を二つ、屠ればよいのだ
愛と誠の力を知るがよいのだ !
ここでは、問いかけはなく、死よりも大切なものが「愛と誠の力」だと言われる。サスペンスはない。
他方、太宰は謎かけをすることで、「間に合うかどうか=命を救えるかどうか」というテーマを読者に意識させると同時に、そのテーマを超えた何かがあることを暗示し、それが何かを考えさせようとしたのだろう。
B. 少女のマント
「走れメロス」の結末もしばしば問題になる。
走りに走ったメロスは裸になってしまい、それを見た一人の少女が彼にマントを捧げる。このエピソードも「人質」にはなく、太宰が付け足したもの。
ひとりの少女が、緋(ひ)のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」
勇者は、ひどく赤面した。
現実的な視点の読者は、走ったことで裸になるのは滑稽だとか、この少女が一体誰なのか、なぜそこにいるのか、さらには、このエピソードを結末に置かれている意図は何なのか、などといった問いを投げかけ、自らそれに答えようとする。
一方、寓話派的読者であれば、メロスに対する素朴な愛情表現と彼の微笑ましい反応を目にし、ほっこりとした気持ちで「走れメロス」を読み終えることだろう。
少女の発想を太宰が得たのは、小栗孝則訳『新編シラー詩抄』に収録されている「タウヒェル(潛水者)」かららしい。
勇敢な若者が、王の求めに応じ、「帯を解き、外套をかなぐりすて」、深い海の中から金の杯を拾い上げる。王はその杯を再び海に投げ込み、それを取ってくれば娘と結婚させると約束する。
それを聞いた若者は奮い立ち、「眼は勇気に満ちてかがやく」。そして、王の娘は「頬を赤らめながら美しい姿に見入った。」
太宰はこの詩を読み、王の娘が見入るのは、海に潜ろうと意気込む若者の裸の姿だと想像したのかもしれない。
そして、その場面をメロスに移行し、よき友セリヌンティウスの言葉を付け加え、勇者メロスのもう一つの人間的な側面を読者に伝えようとする。彼は死をも恐れない勇者だが、時には悪魔に誘惑される弱さを持ち、さらには純情で純真な心を持つ人間なのだと。
こうした語り直しを通して、「走れメロス」は、「人質」と同じ物語を土台としながらも、太宰治の作品として成立した。
そしてその結果、読者を感動させたり、反発を招いたり、独特な読み方を誘発したりといった受容をされてきたのだった。
太宰治はメロスをどのように考えたのか?
太宰治は、なぜシラーの「人質」を物語の骨子として選び、どのような視点から「走れメロス」という作品に語り直したのだろうか?
残念ながら、太宰自身がその問題について書いたものが見つからないので、状況証拠から推測していくしかない。
(1)檀一雄を身代わりにした熱海事件
井伏鱒二『太宰治』や檀一雄『小説 太宰治』によると、メロスの人質を思わせる出来事が実際にあったらしい。
昭和11(1936)年11月、太宰が熱海にこもって執筆をしている時、太宰の内縁の妻・初代にお金を託された檀一雄が訊ねてくる。二人はその金を遊行であっという間に使い果たしてしまい、太宰は菊池寛に借金をするからと言い残し、檀一雄を宿に残して東京へ戻る。しかしなかなか太宰が戻らない。
そこで檀は熱海の料理屋の主人と一緒に東京に戻り、井伏鱒二の家で将棋を指している太宰を見つけ、激怒する。
少し後、平静を取り戻した太宰は、壇に向かい、「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」と小さな声で言ったという。
この出来事が「走れメロス」の「心情の発端」ではないかと、檀一雄は書いている。
もし彼の証言を信じるならば、太宰治が最も心情を吐露したのは、第3の試練で疲労のために走れなくなったメロスが繰り返す自問自答だということになる。
そうした実体験に即した視点から見ると、「走れメロス」は、東京に借金に行きながら、熱海に「人質」として残してきた壇の救出に戻れなかった男の、「待たせる身も辛いのだ」という自己弁護の告白といえなくもない。
こうした読み方は、現実的な視点の読者からの賛同を得るかもしれない。
(2)同時代の太宰治の著述
「走れメロス」は昭和15(1940)年、『新潮』5月号に掲載された。
当時の日本は戦争で高揚した時代にあった。
昭和12(1937)年、盧溝橋で日本軍と中国国民革命軍の衝突が発端となり、昭和20年まで続く日中戦争に突入。
昭和13(1938)年国家総動員法の成立、昭和14(1939)年ノモンハン事件、昭和15年日独伊軍事同盟条約調印など、日本全体が戦争の渦の中に呑み込まれていく。
その一方で、太宰治の私生活や作家としての活動は、30歳を過ぎた頃から充実期を迎えようとしていた。
昭和13年(1938)の初頭、29歳の太宰は原稿が売れず失意の中にあったが、7月頃に井伏鱒二から結婚の話が持ち込まれ、私生活が明るい方向に向かい出す。その年の11月には石原美知子と見合いをし、翌昭和14年(1939)の1月に結婚式を挙げる。
その直後から、「富獄百景」「女生徒」「葉桜と魔笛」など、30歳前後の太宰の代表作といえる作品を次々と執筆した。
昭和15(1940)年になると、原稿や講演の依頼も増え、「女の決闘」「駆込み訴へ」など優れた作品を発表。それに続いたのが、『走れメロス』だった。
こうした中で、太宰は、皮肉に自分を茶化すような調子をいくぶん保ちながらも、前向きで肯定的な思考に傾いていく気配が感じられる。
A. 「強い意志と明るく高い希望」
昭和15年1月に慶應義塾大学の「三田新聞」に掲載された「心の王者」は、シラーの詩「地球の分配」を紹介する形で、希望を持つように学生たちに呼びかけている講演。
それでは学生本来の姿は、どのようなものであるか。それに対する答案として、私はシルレルの物語詩を一篇、諸君に語りましょう。シルレルはもっと読まなければいけない。
今のこの時局に於(おい)ては尚更(なおさら)、大いに読まなければいけない。おおらかな、強い意志と、努めて明るい高い希望を持ち続ける為にも、諸君は今こそシルレルを思い出し、これを愛読するがよい。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/18346_12212.html
この時期の太宰は、シラーを読むことで、「おおらかな強い意志と、努めて明るい高い希望を持ち続ける」ための助けになると考えていたらしい。この一節からは、彼のそうしたシラー観を読み取ることができる。
B. 「希望と生きていく力」
「走れメロス」の数ヶ月後に発表された「一燈」(昭和15年11月「文芸世紀」所収)では、芸術家の役割が肯定的に語られている。
芸術家というものは、つくづく困った種族である。鳥籠(とりかご)一つを、必死にかかえて、うろうろしている。その鳥籠を取りあげられたら、彼は舌を噛(か)んで死ぬだろう。なるべくなら、取りあげないで、ほしいのである。
誰だって、それは、考えている。何とかして、明るく生きたいと精一ぱいに努めている。昔から、芸術の一等品というものは、つねに世の人に希望を与え、怺(こら)えて生きて行く力を貸してくれるものに、きまっていた。私たちの、すべての努力は、その一等品を創る事にのみ向けられていた筈(はず)だ。至難の事業である。けれども、何とかして、そこに、到達したい。右往も左往も出来ない窮極の場所に坐って、私たちは、その事に努めていた筈である。それを続けて行くより他は無い。持物は、神から貰った鳥籠一つだけである。つねに、それだけである。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/273_20007.html
芸術家は困った種族だといいながら、必至に抱えている鳥籠は神から授かったものだという言い方は、太宰治らしい。
そうした中で、優れた作品は「つねに世の人に希望を与え、怺(こら)えて生きて行く力を貸してくれるもの」と規定し、芸術家は常にそれを目指す必要があるという信念が表明される。
芸術家宣言ともいえるこうした言葉を発する太宰が、同じ年の5月に発表されていた「走れメロス」を、皮肉で逆説的な姿勢で執筆したとは考えにくい。
「走れメロス」も鳥籠の中の一羽の鳥だと、考えていたはずである。
太宰治はシラーの「人質」の中で、必至に走るメロスの姿に自分の志を投影した上で、自らのメロスへと変えていく。
そうすることで、太宰のメロスは、心の弱さを抱えながら、その弱さを乗り越えようと必至にもがく人間的な英雄になる。しかも少女の思いやりに対しては、思わず赤面してしまう英雄。
その姿が、人々に希望を与え、苦しみの中でもなんとかやり繰りして生きていこうとする力を産み出す。
「一燈」の一節からは、そうした太宰の希望を読み取ることができる。
C. 裏読みはすでに古い
では、「走れメロス」は気恥ずかしいとか、噓っぽいとか、白々しい美談と見なし、太宰治が「こんな話、あまり真剣に読むなよ」と目くばせしているなどといった主張をする読者たちに対して、太宰自身はどのように答えるのだろうか?
「走れメロス」が出版される約1年前、昭和14(1939)年7月に発表された「ラロシフコー」というエセーは、その答えを推測させてくれる。
ラロシフコーとは、フランス17世紀の作家ラ・ロシュフコーのこと。
彼は「人間の全ての行動の裏には自己愛が隠れている」という、太宰の言葉で言えば「人生裏面觀」を展開した思想家だった。
身もふたもない言ひかた。そんな言ひかたを體得して、弱いしどろもどろの人を切りまくつて快(こころよ)
しとしてゐる人が、日本にも、ずゐぶんたくさん在る。いや、日本人は、そんな哲學で育てられて來た。(中略)ラロシフコーなど讀まずとも、所謂、「人生裏面觀」は先刻すでに御承知である。眞理は、裏面にあると思つてゐる。ロマンチツクを、頭の惡さと解してゐる。けれども、少しづつ舞臺がまはつて、「聖戰」といふ大ロマンチシズムを、理解しなければならなくなつて、そんなにいつまでも、「人をして一切の善徳と惡徳とを働かしむるものは利害の念なり。」など喝破して、すまして居られなくなつたであらう。浪曼派哲學が、少しづつ現實の生活に根を下し、行爲の源泉になりかけて來たことを指摘したい。ラロシフコーは、すでに古いのである。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/52379_42101.html
太宰自身、「心理は裏面にある」といった小説を書いているし、素朴で素直な考え方や理解の仕方はロマンチックで頭が悪いと考えていたかもしれない。
しかし、時代とともに、そうした「人生裏面觀」は時代遅れになり、浪曼派哲學が根付いてきているのだと、昭和14(1939)年時点の太宰は主張する。
彼の人生は結婚を機に前向きに開き始め、それに応じて考え方も肯定的なものになっていたと考えていいだろう。
以上のことを考え合わせると、太宰治自身は、「走れメロス」を寓話的な視点に立ち、人々に希望と生きる力を与える小説を書こうとしたのではないかという推測が成り立つ。
(1)
「走れメロス」がどのような視点から国語の教科書の教材として採用され、どのように受容されてきたかを歴史的に探った研究は、私たちが受けてきた国語教育の思想を知る上でも興味深い。
佐野幹「文部省編『高等小学読本』(1888) “恩義ヲ知リタル罪人”の教材化に関する研究」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sor/57/1-2/57_1/_pdf/-char/ja
幸田国広「”走れメロス”教材史における定番化初期の検討 ―道徳教育と読解指導に着目して― 」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sor/56/2/56_65/_pdf
髙根沢紀子、吉田愛理「太宰治「走れメロス」の読まれ方 ー 研究と教育のあいだ」(2018)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/stmlib/50/0/50_13/_pdf/-char/ja
(2)
昭和12年に出版された「人質」の翻訳は、以下のPDFで読むことができる。