
芥川龍之介の「羅生門」は、『今昔物語』の「羅城門の上層に登り死人を見たる盗人の語」を物語の骨格として作られていて、火事や地震や飢饉が続き、荒れ果てた平安時代末期の京都を舞台にし、死体の積み重なる羅生門の上で、行き場を失った下人が哀れな老婆から着物を剥ぎ取り立ち去っていく話。
自分が生き残るためにはどんな悪事を犯してもしかたがないと決意する男と、死んだ女の髪を抜き、鬘にして売ろうという醜い老婆の姿からは、暗く陰惨なイメージしか浮かんでこない。
そんなあらすじを追うだけで、人間のエゴイスム、善悪の判断基準の相対性、下人の心理の変化といった主題を考える前に、芥川がなぜそんな醜悪な世界と人間を描いたのかという疑問が自然に浮かんでくる。
その問いについて考える上で参考になるのは、芥川の『今昔物語』のについての考察。その中では、『源氏物語』の美との対比が論じられている。
『今昔物語』の芸術的生命は生まなましさだけには終わっていない。それは紅毛人(こうもうじん)の言葉を借りれば、brutality(野性)の美しさである。あるいは優美とか華奢とかには最も縁の遠い美しさである。(中略)
『源氏物語』は最も優美に彼等の苦しみを写している。(中略)『今昔物語』は最も野蛮に、— あるいはほとんど殘酷に、彼等の苦しみを写している。僕等は光源氏の一生にも悲しみを生じずにはいられないであらう。(中略) が、『今昔物語』の中の話(中略)には、何かもつと切迫した息苦しさに迫られるばかりである。
(「今昔物語鑑賞」http://yab.o.oo7.jp/kon.html 読みやすくするために多少字句を変更した。以下同。)
『源氏物語』の優美さが「源氏物語絵巻」の中で見事に映像化されているとすると、『今昔物語』的な「brutality(野性)の美しさ」は、「地獄草紙」や「餓鬼草紙」を通して後世の人々に伝えられてきたといってもいいだろう。





様々な悪行によって地獄に落ちた人々や飢餓に苦しむ人々の描かれた絵画は、優美な宮廷の貴族たちを描いた絵巻とは正反対の印象を与える。
しかし、それにもかかわらず、日本の国宝に指定されていることからもわかるように、美的価値が認められてきた。
芥川龍之介が、こうした「野生の美」を大正時代に甦らせる際、念頭に置いたのではないかと考えられる詩集があった。それは、シャルル・ボードレールの『悪の華』。
その詩集の中では、一般的に美しいと考えられるテーマではなく、悪徳や醜悪さが歌われ、新しい時代の美が逆説的な姿で表現された。
ここでは、最初に、目を背けたくなるような荒れ果てた世界に目を向け、次に、下人が悪を決意するまでの心的過程を辿ってみよう。その心的変化をもたらすのは猿のような老婆だが、彼女こそが醜さと美の関係を転換させる鍵でもある。
(1)醜悪な世界

羅生門の下は、下人が生きる現実世界。羅生門の上は死体置き場であり、地獄のようでもある。
a. 羅生門の下 — カラス
最初に羅生門の状況が説明される。
京都は数年来災害が多くあり、町の中心部は荒れ果て、端にある羅生門の修理など誰も考えなかった。そこで、キツネやタヌキが住みつき、盗人が潜み、果ては、死体を運んできて捨てて行くことまで行わるという、薄気味の悪い場所になっていた。
そうした悲惨な状況を実感させるために、芥川は、カラスの映像を用いる。
昼間見ると、その鴉(からす)が何羽となく輪を描いて、高い鴟尾(しび)のまわりを啼きながら、飛びまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻(ごま)をまいたようにはっきり見えた。鴉は、勿論(もちろん)、門の上にある死人の肉を、啄(ついば)みに来るのである。— もっとも今日は、刻限(こくげん)が遅いせいか、一羽も見えない。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、鴉の糞(ふん)が、点々と白くこびりついているのが見える。
昼間に空を飛ぶカラスは、鴟尾(しび=建物の両端に付けられる魚の形をした飾り)の周りを回るだけだが、夕焼け時のカラスは、羅生門の上にある死体を目当てにやってくる。死体をついばむイメージは、読者をゾッとさせる。
それだけではなく、夜になりカラスの姿が見えなくなってからの映像として、石段の上に転々とこびりつく白い糞が描かれる。そのイメージによって、恐怖や嫌悪感に、醜悪さが付け加えられる。
b. 羅生門の上 — 死体=地獄
門の下ではカラスの白い糞によって醜さが強く印象に残るが、門の上になると、下で予感された死体の山が生々しく描き出され、地獄のような光景が目の前に浮かび上がる。
見ると、楼(ろう=高い建物)の内には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸(しがい)が、無造作に棄ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるという事である。勿論(もちろん)、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、土を捏(こね)て造った人形のように、口を開(あ)いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖(おし)の如く黙っていた。
下人(げにん)は、それらの死骸の腐爛(ふらん)した臭気に思わず、鼻を掩(おお)った。

夜の闇の中にわずかな光しかなく、無数の死体がわずかしか見えないために、全体が見えるよりも恐怖感が増す。
その中で、目に入る死体に関しては、男と女、着物を着ている着ていない、口が開いている、手が伸びている、光が当たる部分と当たらない部分の陰影といった具体的な記述があり、あたかも目の前に死体があるかのような真実味が付け加えられる。
そして、最後は、ムッとするような腐臭。
「かつて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど」という記述は、死の残酷さをまざまざと感じさせる。
この死体の描写に続き、さらにゾッとするシーンが描かれる。
下人の眼は、その時、はじめてその死骸の中に蹲(うずくま)っている人間を見た。檜皮色(ひわだいろ)の着物を着た、背の低い、痩やせた、白髪頭(しらがあたま)の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片きぎれを持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、多分女の死骸であろう。
(中略)老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、丁度(ちょうど)、猿の親が猿の子の虱(しらみ)をとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。

老婆の醜い姿以上に、死骸の一つから髪の毛を抜き取る姿はおぞましい。しかも、その行為が、「その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた」と具体的に映像化されるために、真実味を帯びた描写になっている。
こうしたシーンが苦手ではない読者でも、思わず顔を背けたくなるに違いない。
このように、羅生門の上でも下でも、美とは正反対の映像が浮かび上がり、芥川が『今昔物語』の芸術的生命だと考える「brutality(野性)の美しさ」のうちの、brutalityは納得できる。
しかし、それが美しさに転換するといったら、誰もが首をかしげるに違いない。
ちなみに、原作である「羅城門の上層に登り死人を見たる盗人の語」では、この部分は次のように書かれているにすぎない。
盗人、「怪」と思て、連子(れんじ)より臨(のぞき)ければ、若き女の死して臥(ふし)たるあり。その枕上に火を燃して、年極(ご)く老たる嫗(おうな)の白髪白きが、其の死人の枕上に居て、死人の髪をかなぐり抜き取るなりけり。
この簡潔な記述から出発し、芥川は地獄草紙や飢餓草子に匹敵する映像を描き出したといってもいいだろう。では、なぜ彼は美を生み出すために、地獄のようにおぞましい映像を描いたのだろう。
(2)耽美主義 — 谷崎潤一郎とボードレール
普通は美しいと思われないもの、さらには、目を背けたくなるほど醜いものを取り上げ、それを描くことで美を生み出す。道徳的な善悪の判断を超えて、ただ美のみを目指す。
そうした美の概念を耽美主義と呼ぶとすると、『源氏物語』の優雅な美に対して『今昔物語』の野生の美を称揚する芥川龍之介の美意識は耽美主義的だといえる。
その視点に立つと、「羅生門」は、カラスや死体の醜悪な映像を美へと変換させる空間になる。
その試みのモデルとなったのは、シャルル・ボードレールの『悪の華』だったとういことが、大正8(1919)年に発表された「あの頃の自分の事」というエセー風の文を通してわかってくる。

そこで回想される「あの頃」とは、大正4(1915)年の冬。芥川は東京帝国大学の3年生で、同じ時期に「羅生門」が「帝国文学」という文芸雑誌の11月号に掲載されている。
大正4年11月末のある晩、芥川は帝国劇場で行われたコンサートの会場で、たまたま谷崎潤一郎を見かける。
当時の谷崎は、明治43(1910)年に発表した「刺青(しせい)」以来、身体に対するフェチシズムや性の倒錯などをテーマにし、世間の常識では不道徳的と見なされる作品を次々と発表し、耽美主義の代表的な作家と見なされていた。
大学3年生の芥川は、そんな谷崎の作風を、ボードレールの『悪の華』と比べ、彼らの耽美主義の根底にある違いを指摘する。
当時谷崎氏は、在来氏が開拓して来た、妖気靉靆(ようきあいたい)たる耽美主義の畠に、「お艶殺し」の如き、「神童」の如き、或は又「お才と巳之助」の如き、文字通り底気味の悪いFleurs du Mal (注:ボードレールの『悪の華』)を育てていた。が、その斑猫(はんめう=緑・紫・赤・青などの斑紋をもつ昆虫)のやうな色をした、美しい悪の花は、氏の傾倒してゐるポオやボオドレエルと、同じ荘厳な腐敗の香を放ちながら、或一点では彼等のそれと、全く趣(おもむき)が違っていた。
(「あの頃の自分の事」 https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/17_14601.html )
芥川は、谷崎の作品群を耽美主義とした上で、それらを「底気味の悪いFleurs du Mal」とする。
Fleurs du Malの、Fleursは花、Malは悪であり、文字通り悪の花(悪の華)の意味。それはシャルル・ボードレールの詩集の題名で、1857年に初版が出版された時には、風俗に反するという理由で裁判にかけられ、6編の詩の削除が命じられるといったスキャンダラスな詩集だった。
ボードレールと並んでエドガー・アラン・ポーの名前が記されているのは、ボードレールの詩法がポーから決定的な影響を受けているため。
芥川は、谷崎の作品が、『悪の華』と同様、「荘厳な腐敗の香」を放つ「美しい悪の花」であるとしながら、しかし、本質的な部分で全く違うものだと言う。
谷崎の耽美主義には「享楽的な余裕」があり、切迫した息苦しさがない。比喩的に言えば、「宝石の重みを苦にしている、肥満したサルタンの病的傾向」を示している。
彼の文章から感じられる感覚的な美は素晴らしいのだが、しかし、何かが欠けている。
そして、その何かこそが、ボードレールやポーの耽美主義の本質だと芥川は考えた。
彼等の病的な耽美主義は、その背景に恐るべき冷酷な心を控(ひか)えている。彼等はこのごろた石のやうな心を抱(いだ)いた因果(いんが)に、嫌でも道徳を捨てなければならなかった。嫌でも神を捨てなければならなかった。さうしてまた嫌でも恋愛を捨てなければならなかった。が、彼等はデカダンスの古沼(ふるぬま)に身を沈めながら、それでもなほこの仕末に了(お)えない心と — une vieille gabare sans mâts sur une mer monstrueuse et sans bords の心と睨(にら)み合あっていなければならなかった。だから彼等の耽美主義は、この心に劫(おびや)かされた彼等の魂のどん底から、やむを得ずとび立つた蛾の一群(ひとむれ)だつた。従つて彼等の作品には、常に Ah ! Seigneur, donnez-moi la force et le courage / De contempler mon cœur et mon corps sans dégoût ! と云ふせつぱつまつた嘆声が、瘴気(しょうき=毒気)の如く纏綿(てんめん=絡みつくこと)していた。我々が彼等の耽美主義から、厳粛な感激を浴びせられるのは、実にこの「地獄のドン・ジュアン」のやうな冷酷な心の苦しみを見せつけられるからである。 (「あの頃の自分の事」)
この文は、「中央公論」という一般の人々を読者とする雑誌に掲載されたものだが、フランス語の詩句に翻訳が付けられず、若い帝大の学生ゆえの意気込みと乱暴さが感じられる。
芥川龍之介によれば、ボードレールやエドガー・ポーの耽美主義は「病的」であり、一般的な道徳や神に対する信仰がが放棄され、デカダンス、つまり退廃的な様相を呈している。
なぜなら、彼らは自分自身の「始末におえない心」と真正面から向き合い、「冷酷な心」を持つことを自覚し、痛切な苦しみを感じていたからだ。そして、その苦しみから彼らの作品が生まれた。
そこに谷崎のような「享楽的な余裕」はなく、彼らの病的傾向は、「肥満したサルタンの病的傾向」ではない。彼らの苦しみは、宝石を持つ者がその重さに不平を漏らすといった苦しみではなく、自らの心に巣くう悪を自覚することから来る。
そこから生まれるのは「蛾の一群」であり、「瘴気」、つまり、毒の香りが立ち上る。
そうした「蛾」に美を見出すとしたら、それは、悪を自覚した心が発する嘆きの声が読者の心と共鳴し、読者が「厳粛な感激」を心の内に感じるからに違いない。
。。。。。
フランス語の詩句は、『悪の華』に収められた詩からの引用。ボードレールの耽美主義を説明するための具体的な例となっている。

a. « une vieille gabare sans mâts sur une mer monstrueuse et sans bords »
「七人の老人」の最後に置かれた詩句で、「怪物のように恐ろしく岸辺も見えない海の上に、マストもなく漂う古い船」」といった意味。
「七人の老人」は、たまたま町で見かけた醜い老人たちを取り上げた詩で、まさに耽美主義的と言えるもの。
醜を美に転換する鍵が、理性の制御の利かない「私の魂」にあることが、荒れ狂う海で難波した古い船によって象徴されている。
b. « Ah ! Seigneur, donnez-moi la force et le courage / De contempler mon cœur et mon corps sans dégoût ! »
「シテール島への旅」の最後の詩句で、「ああ、神様、私に与えてください、自分の心と体を、嫌悪することなく、凝視する力と勇気を!」といった意味。
ここでとりわけ注目したいのは、「勇気」という言葉。
「羅生門」は、主人公である下人の「勇気」を巡る物語ということさえできる。
最初、下人には、「”盗人(ぬすびと)になるよりほかに仕方がない”と云う事を、積極的に肯定するだけの勇気が出ずにいた。」
それが、老婆とのやり取りを通して、最終的には、「下人の心には、ある勇気が生まれて来た。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。」という状態に至る。

ボードレールの詩の中での勇気とは、嫌悪すべき自己から目をそらすことのない勇気。芥川はその内容を変更し、生きるためには手段を選ばないという決断をする勇気としたのだった。
c.「地獄のドン・ジユアン」
『悪の華』に収められた詩の題名。ドン・ジュアンは、数多くの女性を誘惑する男というよりも、神や社会の掟を無視する反抗者として姿を現す。
。。。。。
『悪の華』から芥川龍之介が読み取ったのは、自分の中にある悪を見つめ、悪の存在に苦しみながら発する魂の奥からの嘆きは、既存の美からみれば醜いが、しかし、同様に苦しむ読者の心を動かし、それが美へとつながるということだった。
悪に彩られた美は、モラルや倫理観とも重なる。
不道徳、不健全、残忍で残酷な行為は、美の表現に相応しくないのか?
「あの頃の自分の事」における芥川は、谷崎の耽美主義には金満家のゆとりが感じられ、ボードレールの耽美主義からは悪を真正面から見つめる勇気を感じ取り、その勇気がある場合には、善悪を超えた美の可能性を認めていたのだと考えられる。
(後年、谷崎は『源氏物語』の現代語訳を行った。彼が地獄草紙派ではなく、源氏物語派だったことが、そのことからもわかる。)
大正4(1915)年のこの考察は、その年に発表された「羅生門」と密接に関係している。というのも、芥川自身がその作品について語ったメモの中で、まさに「モラル」が主要なテーマであると明記されているからである。
その自作解題は、« Defence for “Rasho-mon” »と題され、ドイツ語を含む英語で書かれ、日本語訳はない。
“Rasho-mon” is a short story in which I wished to “verkörpern” a part of my Lebensanschauung, — but not a piece produced merely our of “asobi-mood”.
It is “moral” that I wished to handle. According to my opinion, “moral” (at least, “moral of philistine”) is the production of occasional feeling or emotion which is also the production of occasional situation.
(verkörpernとLebensanschauungはドイツ語で、「具体化する」、「人生観」の意。後は全て英語で書かれ、おおよそこんな風に理解できる。)
「羅生門」という短編小説の中で、私は自分の人生観の一部を”具現化”しようとした。— それは単に「遊び気分」から作られた作品ではない。
私が扱おうと望んだのは「モラル」だった。私の意見では、「モラル」(少なくとも、「俗人のモラル」)は、その時その時の感情とか感動の産物であり、それはまた、その時々の状況の産物でもある。
「遊び気分」という言葉は、谷崎的な「金満家のゆとり」を念頭に置いているのかもしれない。
「羅生門」は、そうした遊び気分から生まれた作品ではない。『悪の華』と同様、悪の圧倒的な支配の下で苦悩する魂から生まれた作品なのだ。
その苦悩は、「饑死をするか、盗人になるか」という極限状況の中で、「モラル」はその時々の状況によって左右されると考え、最終的には「悪を選択する勇気」を持つまでの心の動きによって表現される。
従って、芥川龍之介の「人生観(Lebensanschauung)」とは、自分の中に悪が存在することに恐れを抱きながら、それでも自分自身を見つめ、葛藤する心を抱える自分を自覚しながら生きる、というものだったに違いない。
「羅生門」はその人生観を「具現化(verkörpern)」した小説なのだと、芥川は考えていた。
(3)下人の心理と老婆の「brutalityの美しさ」
「羅生門」に関して、しばしばエゴイスムが問題になるのは、極限状況の中においては悪行をしても生き残るかことが許されるかどうかという問題の是非を問うことだが、芥川の自作解題によれば、「モラルはその時々に依存する」という回答がすでに提示されている。(occasional feeling or emotion、occasional situation)
それと関連して、善悪の基準を問い直し、モラルの相対性についての議論がなされることもあるが、もし「盗人になること」が悪ではない、あるいは悪ではない場合があると考えるのであれば、悪に対する心の苦悩は消滅してしまう。
従って、それらの問題を考えることは、結局、読者一人一人がどのような考えを抱くのかに帰着し、自分を知ることにはつながるが、「羅生門」を理解することにはならない。
芥川の問題は、モラルを問うことで、「悪の花」を咲かせることだった。
そのためには、下人の心の中で葛藤する「冷酷な心の苦しみ」を赤裸々に描き、「始末におえない心」に苦しむ魂のどん底から一匹の蛾を舞い上がらせることが求められる。下人は「嫌でも道徳を捨てなければならなかった」のであり、それは切羽詰まった息苦しい決断なのだ。
そして、その決断のどうしようもない重さや真剣さを強く感じさせるのは、下人その人であるよりも、彼の決断を導く老婆。彼女こそが、羅生門の上に描かれた地獄図絵を、通常の倫理や醜悪の基準を超えて美しいと感じさせる鍵となる。
A. 下人の心の動き
下人が「盗人になるくらいなら餓死したほうがいい」という思いから、そんなことを考えたことも忘れ、「盗人になると決意する勇気を持つ」までの心理的な過程は、五つの段階を通して描き出される。
(1)門の上に上る階段から、一つの遺体を覗き込んでいる老婆の姿を見る。
下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時(ざんじ=少しの間)は呼吸(いき)をするのさえ忘れていた。
恐怖と好奇心を六対四としているところに、理知的な心理分析が感じられる。従って、下人の心の動きが心理学的な眼差しの下で行われることを示すことになる。
(2)老婆が女の遺体の長い髪の毛を一本ずつ抜くのが見える。
a : 老婆の悪行に対する憎悪
下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。
b : 悪一般に対する憎悪
あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、饑死(うえじに)をするか盗人(ぬすびと)になるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片(きぎれ)のように、勢いよく燃え上り出していたのである。
死体から髪の毛を抜く行為は、直感的に悪だと見なされる。それをよい行いだなどと考えることはない。悪は悪なのだ。
下人はその姿を見て、その行為だけではなく、悪そのものを憎む心を感じる。そこで当然、自分が悪をなすことなどは考えられなくなる。
つまり、「饑死をするか、盗人になるか」という自問に対するためらいは消え去り、自分が死ぬ方を選択する。
芥川はその選択に関して、モラルの問題を取り上げ、「行為の理由が不明なので善悪の判断はできない」と保留を入れた上で、下人の決意を再確認する。
下人には、勿論、何故老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。
合理的という表現は、善悪の判断はその時その時の状況次第だという芥川の人生観から来るものだと考えられる。
そして、下人が最初に抱いた考えをすっかり忘れていることに言及することで、下人のここでの決断が合理的ではないとほのめかすことになる。
つまり、悪を目の前にした時、悪に対する拒絶はそれほど直感的なものなのだということが示される。
(3)梯子から飛び出し、老婆と格闘し、腕をつかんでねじ倒す。
下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後に残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。
下人の中で、老婆の生死が自分にかかっていると意識した瞬間、憎悪はなくなり、仕事をやり遂げた得意な気持ちと満足感が生まれる。
ここにあるのは、老婆が死体から髪を抜くのを止めさせたという事実に対する認識ではなく、悪行を行う老婆の上に立ったという満足感である。そして、その感情が芽生えることで、老婆に対する憎悪が消えるということは、悪一般に対する嫌悪感も同時に消滅していくことを意味する。
この感情の動きが、「餓死か盗人か」の選択を逆転させる展開点になる。
(4)なぜ髪を抜くのかという質問する
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘(かずら)にしようと思うたのじゃ。」
下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑(ぶべつ)といっしょに、心の中へはいって来た。
下人はなぜ老婆が死体から髪を抜くのかわからないために、合理的には、その行為の善悪はわからないと思っていた。だからこそ、老婆を組み伏せて最初にすることは、自分の疑問を晴らすことになる。
そして、髪を集めて鬘にするのだという答えを聞き、その平凡さに「失望」し、「憎悪」が蘇り、「侮蔑」する感情が生まれる。
下人はどんな答えを期待していたのだろう?
地獄のような光景の中にうごめく老婆であれば、普通の人間の想像をはるかに超えた理由があるに違いない。
しかし、その期待は裏切られ、髪で作った鬘を売って生きるための糧を得ようとしていることがわかる。老婆も彼と同じ人間なのだ。
そのことがわかると、老婆に対する憎しみと同時に軽蔑までもが生まれてくる。それは老婆の悪行に対してであり、悪一般に対する嫌悪ではない。
自分と同じ人間に対して侮蔑できても、悪そのものに対しては不可能である。悪に対して、「冷やかな侮蔑」など決してできない。
「失望」→「憎悪」→「侮蔑」という感情の連鎖は、老婆の悪行は憎み軽蔑するが、しかし、自らが悪を行うことを否定するものではないという、複雑な心理を示すことになる。
(5)自分の行為を正当化する老婆の言葉を聞く
老婆が自分の行為を正当化する論理は、死人たちも生前に生きるために悪行を働いてきたのであり、自分も同じことをしているにすぎないというもの。
髪を抜かれている女の生前の行為に関しては、『今昔物語』に収められている「太刀帯(たてわき=警備の役人)の詰め所で魚を売っていた老婆の話」から取られたもので、蛇を魚だと偽って売っていたエピソードが語られる。
そして、老婆は最後にこう言う。
わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方(おおかた)わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
さきほどの下人と同じように、老婆はここでモラルの問題を取り出す。
下人は、行為の原因がわからない場合、合理的な判断はつかないと考えた。その上で、死体から髪を抜く行為は悪だと直感的に感じたのだった。
それに対して、老婆は、蛇を魚と偽って売ることも、死体から髪を抜くことも、「仕方がない」のであれば悪ではないと考える。「餓死か盗人か」の選択に迷いはない。
その老婆の言葉を聞いた下人は、どんな反応をするのだろう?
これを聞いている中に、下人の心には、ある勇気が生まれて来た。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。
老婆の言葉が決定的な要因となり、下人は「「盗人になることを積極的に肯定するだけの勇気」を持つことになる。
ただし、その理由は明らかにされない。
老婆の言うように、悪を働いた人間に対しては悪をしても大目に見られるのか? あるいは、生き延びるために仕方なくしたことであれば悪いことではないのか?
それとも、老婆の言う内容に納得したのではなく、まったくためらいのない勢いに押されて、彼の迷いが消え去ったのか?
とにかく、下人は、すぐ直前に老婆の行為を見た時、悪そのものに対して嫌悪感を抱き、「盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていた」にもかかわらず、老婆の自己正当化の言葉を聞くと、「饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた」ということになる。
。。。。。
以上のように、下人の心の動きが、五つの段階を通して詳細に描き出されている。そして、「餓死か盗人か」という選択の中で、一方を選択するとそれまで迷っていたことさえ忘れてしまうことから、下人の心の動揺の大きいことが感じられる。
その選択の決断は、「ゆとり」ある精神状態の中で行われたのではなく、ぎりぎりに追い詰められた状況の中で行われた苦悩の選択なのだということが示される。
そして最後に、下人は、自ら下した決断に従い、老婆の着物をはぎとり、彼女を乱暴に死骸の上に押し倒し、梯子を下っていく。
B. 老婆の「brutalityの美しさ」
下人の心の動きは老婆との関係の中で両極端に振れるが、老婆の姿はこの上もなく生々しく描かれ、死者たちの間にありながら、不思議なほど生命感に溢れている。
最初に下人が老婆を目にする場面、彼女は薄明かりに照らされたおぼろげな存在にすぎないのだが、不気味な中にありながら不思議な魅力を放っている。

下人は、始めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高を括くくっていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動かしているらしい。これは、その濁った、黄いろい光が、隅々に蜘蛛(くも)の巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。
雨の夜、濁った黄色い光、天井裏の蜘蛛の巣など、あたかも幽霊が出そうな場面が描かれ、その中にうごめく存在は、「ただ者ではない」と感じさせるのに十分だ。

読者は下人と同じように、その存在に恐怖しながらも、それが何なのか好奇心を抱く。そして、目を凝らすと、見えてくるものがある。すでに一度引用した一節だが、ここでもう一度読んでみよう。
下人の眼は、その時、はじめてその死骸の中に蹲うずくまっている人間を見た。檜皮色(ひわだいろ)の着物を着た、背の低い、痩(やせ)た、白髪頭(しらがあたま)の、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片きぎれを持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、多分女の死骸であろう。(中略)
老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱しらみをとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。

視線が一気に老婆に近づき、彼女の着物、体つき、顔が詳細に描かれる。
さらに近くに寄ると、火を灯した木切れを手に持ち、一つの死骸を覗き込む老婆の姿が見える。
さらによく見ると、彼女は死骸の髪の毛を抜いている。しかも、一本一本丁寧に抜いているところまで見てくる。
このように、カメラがじょじょに被写体をクローズアップしていくように、芥川の筆は猿のような老婆の姿を描き出していく。
その老婆が、下人に押し倒され、彼の問いに答えるように強いられる時には、非常に激しく、生き生きとした反応を示す。

下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘(さや)を払って、白い鋼(はがね)の色をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球(めだま)がまぶたの外へ出そうになるほど、見開いて、唖のように執拗(しゅうね)く黙っている。(中略)
すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺(しわ)で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏(のどぼとけ)の動いているのが見える。その時、その喉から、鴉(からす)の啼くような声が、喘(あえ)ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘(かずら)にしようと思うたのじゃ。」

刀を突きつけられた老婆は最初何も言わず黙っているのだが、しかし、体は激しく動く。
両手はワナワナと震え、ハアハアと肩を揺らせ、眼の玉がまぶたの外に出そうなほど目を見開く。組み敷かれていても、体の動きは雄弁だ。
さらに問い詰められると、今度は、下人の顔をじっと見つめる。その目は、「まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼」。喉仏から絞り出すのは、「鴉の啼くような声」。
地獄絵のような羅生門の上で、死人の山の中にうずくまる老婆から、溢れるような生命感が流れ出してくる。
下人が最初に持てなかった勇気を持つことができるのも、老婆の力強い生命感に触れたからかもしれない。
その意味で、彼女は「ただの者ではない」。
しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子(はしご)の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪(しらが)を倒(さか)さまにして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々(こくとうとう)たる夜があるばかりである。
下人の行方ゆくえは、誰も知らない。
「羅生門」の最後の場面、老婆は着物を剥ぎ取られ、死んだように倒れているのだが、それでも、体を起こし、梯子のところまで這っていく。そして、「短い白髪を倒さまにして、門の下を覗きこんだ。」
彼女は最後まで死に負けることはなく、逃げ去っていった下人の行方を目で追いかけようとするかのように、梯子のかかる穴から白髪頭をのぞかせる。
その姿は、一般的な美意識からすれば醜いとしか見えないだろう。しかし、ほら穴の中のように真っ黒な闇の中に真っ白な点がぽつりと浮かび上がる様子を思い描くとどうだろう。
それまで老婆が発してきた生命感がその場面に凝集され、私たち読者も彼女と共に、思わず下人の行方を追ってしまう。
最後の一節は、「羅生門」が最初に発表された時には、「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあった。」とされていた。
それが書き改められ、「下人の行方ゆくえは、誰も知らない。」となった。
その変更によって、「黒洞々(こくとうとう)たる夜」の黒色はますます濃くなり、闇はますます深くなる。
そして、門の上から下を覗く白髪頭の白色も、ますます輝きを増す。
こうした老婆の生命感に富んだ姿は、芥川が『今昔物語』の芸術的生命の中心に据える「brutality(野性)の美しさ」を具現化(verkörpern)しているといってもいい。
芥川龍之介は「あの頃の自分の事」の中で、「羅生門」と「鼻」は彼の気持ちが沈んだ時の作品で、だからこそできるかぎり「愉快な小説」にしたかったと書いている。
それからこの頭の象徴のような書斎で、当時書いた小説は、「羅生門」と「鼻」だった。自分は半年ばかり前から悪くこだわった恋愛問題の影響で、独りになると気が沈んだから、その反対になるべく現状とかけ離れた、なるべく愉快な小説を書きたかった。そこでとりあえず先、今昔物語から素材を取って、この二つの短編を書いた。(「あの頃の自分の事」 この一節は雑誌に掲載されたもので、単行本に掲載された時に削除された。)
「鼻」については、夏目漱石から「自然そのままの可笑味(おかしみ)」があると賞賛されたもので、長い鼻を苦に病む主人公がユーモラスに描かれている。
その一方で、「羅生門」は地獄絵のような場面の中で死と悪が描かれた作品であり、愉快とはほど遠いように思われる。
では、芥川にとって、どこが愉快だったのだろうか?

「羅生門」には、作者が作中にいきなり顔を出すような記述がいくつか見られる。
例えば、「洛中(らくちゅう)のさびれ方は一通りではない。旧記によると(・・・)。」や「旧記の記者の語を借りれば、「頭身の毛も太る」ように感じたのである。」といった表現が使われる。
それらは、この短編小説がなんらかの古い説話に基づいていることをあえて明らかにし、「旧記」が何かというクイズを提示しているのかもしれない。
「頭身の毛も太る」という表現をカッコに入れているのは、それが「悪霊になった元妻の話」(本朝編第24巻20話)で用いられた「頭毛太りて怖しきに」という言葉から来ていることから、『今昔物語』を探し当てるヒントであったのかもしれない。

そして、芥川龍之介が、今昔物語の素材を用い、もしも自らの筆で大正時代に「brutality(野性)の美しさ」を描くことができるとすれば、そして、谷崎潤一郎を超えるような耽美主義の作品を生み出すことができるとすれば、彼にとって「愉快な小説」となったのではないだろうか。

「羅生門」という一輪の「悪の花」に続き、大正7(1918)年には、「地獄編」がもう一輪の「悪の花」として開花する。
「地獄編」は、『宇治拾遺物語』に収められた一つ説話を素材とし、地獄絵を描くように命じられた画家は、実際に見たものしか描けないからという理由で、最後は、火に焼かれる娘を助け出すことなく見つめ続け、その場面を描いて絵を完成させる。
そこで明確になる芸術とモラルの相剋は、「羅生門」と共通するテーマである。
「羅生門」が耽美主義の作品と見なされることはあまりないようだが、現代まで高い評価を受けて読まれ続けていることは、芥川が醜を描きながら美を生み出した一つの印といえるのではないだろうか。
「羅生門」の本文はあおぞら文庫で読むことが出来る。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/127_15260.html
youtubeにはいくつかの朗読もアップされている。以下のものは、活字も表示されるので、便利かもしれない。