
自分が当たり前だと思っていることについて質問され、時に意表を突かれることがある。最近そうしたことが重なり、ふと、「愚か者だけが、確信し、決めてかかるのです。」というモンテーニュの言葉を思い出した。
(参照:モンテーニュ 子供の教育について Montaigne De l’Institution des enfants 判断力を養う)
一つ目は、フランス語の鼻母音のリエゾンに関する質問。
« Ton souvenir en moi luit comme un ostensoir ! » (Baudelaire, « Harmonie du soir »)
不定冠詞のunは鼻母音で、発音記号で書けば、[ œ̃ ]になり、[ n ]の音はしない。しかし、ここでは後ろに続く単語 ostensoir が母音 [ o ]で始まるために、[ œ̃ no ]と[ n ]の音がする。カタナカで書いてしまうと「ノスタンソワール」。
この詩句を読んでいる時、「鼻母音でNの音はしないはずなのに、なぜ次にNの音でリエゾンするのか?」と問われ、その場で立ち往生してしまい、答えることができなかった。
自分では習慣的に [ no ]と読み、疑問に思ったことがなかったので、不意打ちを食らったという感じだった。




