ランボー 「花々」 Arthur Rimbaud « Fleurs » ランボー詩学の精髄:初めに言葉ありき

「花々(Fleurs)」は、ランボー詩学の精髄を理解させてくれる散文詩。

詩人は現実に存在する何らかの花を描くのでも、それについて語るのでもない。

彼の詩学の理解に有益な韻文詩「アマランサスの花の列(Plates-bandes d’amarantes…)」において、詩人は現実から出発し、言葉が現実から自立した世界へと移行した。
https://bohemegalante.com/2019/07/09/rimbaud-plates-bandes-damarantes/

散文詩「花々」になると、現実などまったくお構いなしに、ただ言葉が連ねられていく。
読者は、勢いよく投げかけられる言葉の勢いに負けず、連射砲から繰り出される言葉たちを受け取るしかない。
ランボーがどんな花を見、何を伝えようとしたかなどを考えるのではなく、言葉そのものが持つ意味を辿るしかない。
そうしているうちに、言葉たちが生み出す新しい世界の創造に立ち会うことになる。

正直、「花々」を一読して、何が描いてあるのか理解できない。まずは、文字を眼で追いながら朗読を聞き、言葉の勢いを感じてみよう。

Fleurs

D’un gradin d’or, – parmi les cordons de soie, les gazes grises, les velours verts et les disques de cristal qui noircissent comme du bronze au soleil, – je vois la digitale s’ouvrir sur un tapis de filigranes d’argent, d’yeux et de chevelures.
Des pièces d’or jaune semées sur l’agate, des piliers d’acajou supportant un dôme d’émeraudes, des bouquets de satin blanc et de fines verges de rubis entourent la rose d’eau.
Tels qu’un dieu aux énormes yeux bleus et aux formes de neige, la mer et le ciel attirent aux terrasses de marbre la foule des jeunes et fortes roses.

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小林秀雄とランボー 初めに言葉ありき 

小林秀雄が大学時代、「人生斫断家アルチュル・ランボオ」を、大正15年(1926)10月に発行された『仏蘭西文学研究』 に発表し、翌年には「Arthur Rimbaud」を卒業論文として東大仏文に提出したことはよく知られている。

小林の訳した『地獄の季節』は昭和5年(1930)に初版が出版された。
その翻訳は、小林自身の言葉を借りれば、水の中に水素が含まれるように誤訳に満ちている。しかし、荒削りな乱暴さが生み出すエネルギーはまさにランボーの詩句を思わせ、今でも岩波文庫から発売されている。
個人的には、どのランボー訳よりも素晴らしいと思う。

それと同時に、小林秀雄がランボーから吸収したもの、あるいはランボーとの共鳴関係の中で学んだ詩学は、彼の批評の中に生き続け、言葉に出さなくても、彼の批評には生涯ランボーが生きていたのではないか。

昭和31年(1956)2月に発表された「ことばの力」は、小林の言葉に対する基本的な姿勢を明かすと同時に、ランボーの詩がどのようなものだったのか教えてくれる。

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Carpe diem カルペ・ディエムの実践: 藤井聡太 美の体験 映画 習慣化

Carpe diemを実践する。
こう書くと、常に今を全力で生きることが求められ、疲れてしまうように思われるかもしれない。
しかし、思わず何かに集中して我を忘れている時は、誰にもあるだろう。
それは、何も意識せずにCarpe diemを実践している時だといえる。

そうした例を、いくつかのレベルでみていこう。

(1)藤井聡太棋聖の姿勢
(2)美の体験
(3)映画
(4)日常生活— 習慣化

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